群発——恐怖を分ける
薄さは、ひとつなら対処できる。
井戸。
窪地。
見張り台の陰。
荷の積み場の間。
場所が特定できるなら、札で順序を作れる。
歩幅で散らせる。
生活音で空白を埋められる。
合図で喉を止められる。
だが薄さが同時に起きたら、話は変わる。
朝の点呼の代わりに、札が置かれた。
丸い点=異常なし。
二つの点=異常あり。
点に線=至急。
その“至急”が、同時に三つ出た。
見張り台の陰。
井戸の縁。
焚き火の向こうの、荷の積み場。
三箇所。
同時。
同時は共通を作る。
共通は糸になる。
糸は門になる。
兵たちの顔色が一斉に変わる。
変わる表情は同じ。
同じ表情は恐怖の共有だ。
共有された恐怖は、歪みにとっては太い道しるべになる。
誰かが口を開きかける。
大丈夫——
了解——
任せろ——
共通語が喉に浮く。
浮けば中心ができる。
中心ができれば門が芽吹く。
少年は息を吸って吐いた。
ここで「散れ」と合図するのは簡単だ。
だが散るだけでは足りない。
恐怖は散らしても共有されたままだ。
共有された恐怖は、散った先でも同じ形を作る。
——恐怖を分ける。
分けるには、全員が同じものを見ない。
同じ場所へ注意を向けない。
同じ想像をしない。
同じ“最悪”を頭に浮かべない。
そのために、役割を分解する。
少年は新しい札を地面に置いた。
無文字の札に、点線で“分解”を描く。
一、火。
二、水。
三、縄。
四、札。
五、歩。
それぞれの作業は小さい。
小さい作業は恐怖を細切れにする。
恐怖を細切れにすれば共有できない。
共有できなければ糸になれない。
糸になれなければ門になれない。
少年は声を使わずに、指で割り振った。
火係は薪を散らす。
水係は器を入れ替え、滴を落とす。
縄係は結び目をほどいて結び直す。
札係は報告札を回収し、新しい順序札を配る。
歩係は皆の歩幅をばらし、溜まりを作らせない。
全員が、別々のことをする。
別々のことをすれば、恐怖は一つになれない。
隊長がすぐに理解し、視線と瞬きで承認する。
瞬き一回。
声なし。
命令が通る。
兵たちが動き出す。
動きが違う。
違う動きは同期を壊す。
同期が壊れれば、歪みは中心を作れない。
それでも薄さは消えない。
群発は“勢い”がある。
見張り台の陰で、薄い輪郭が立ち上がりかける。
井戸の縁が冷え、あの声が戻りかける。
荷の積み場の間が、息を吸うように薄くなる。
三箇所同時。
同時の圧が、喉を動かす。
喉が動けば共通語が出る。
共通語が出れば門が育つ。
師が焚き火の向こうで立ち上がる。
欠けの反応。
助けたい衝動。
師は一歩踏み出し、掌を見せて制止する。
声はない。
だが掌が震える。
震えが恐怖の共有を呼びそうになる。
少年は、師の欠けを一点にしないため、温度を作って“空気へ広げる型”を使う。
額に手を当て、呼吸を整える。
温度を作り、師の周囲の空気を支える。
直接繋がらない。錨にならない。
錨にならずに支える。
同時に、少年は“群発の中心”を見抜く。
三箇所の薄さが同時に起きている。
同時に起きるなら、根はひとつだ。
根がひとつなら、中心は“場所”ではない。
中心は“時間”。
同じ拍。
同じ瞬間。
歪みは、同じ瞬間に恐怖を共有させる。
共有させて糸を作る。
糸を作って門を開く。
なら——拍を壊す。
時間を壊す。
同時を壊す。
少年は歩係へ合図した。
一歩ごとに止まるな。
止まる回数を各自変えろ。
三歩で止まる者、五歩で止まる者、二歩で止まる者。
誰も同じ拍で動かない。
同じ拍がなければ、同じ恐怖が揃わない。
次に、火係へ合図。
薪を足すタイミングをずらせ。
爆ぜ音が同時にならないように。
同時の音は中心を作る。
中心ができれば門が芽吹く。
水係へ合図。
滴を落とす間隔を変えろ。
とん、とん、とん——と揃えない。
揃えれば拍になる。拍は糸になる。
縄係へ合図。
結び直すタイミングをばらせ。
きゅ、きゅ、きゅ——と重ねない。
重ねれば中心になる。
札係へ合図。
報告札を回収する順番を乱せ。
整えすぎると同期が生まれる。
同期は門を育てる。
野営地の中から、“同時”が消えていく。
同時が消えれば、恐怖の共有が崩れる。
共有が崩れれば、歪みが掴めない。
見張り台の陰の輪郭が、ほどけた。
井戸の冷えが、薄く散った。
荷の積み場の間の薄さが、息を吐くように戻る。
群発が、いったん引く。
引くのは勝利ではない。
歪みは学ぶ。
同時が壊されるなら、次は別の共通を探す。
だが“恐怖を分ける”ことが通用した。
それは大きい。
若い兵が、涙をこらえて札を押さえる。
押さえるのは順序だ。
順序へ戻れば、恐怖は言葉にならない。
言葉にならなければ共通にならない。
師が、少年を見た。
呼び名は出ない。
だが視線が言う。
——分けられる。
——恐怖は、分けられる。
——なら次は、根を縫える。
少年は額に手を当て、温度を作った。
温度はまだ有効。
だが温度も共通にしない。
一人で抱える。
抱えて、次へ進む。
群発は止められた。
だが余り糸の源はまだ見えていない。
見えない源を見つけるために、次は——外へ出る。




