表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英雄の名が消える朝、弟子だけが師を呼んだ  作者: swingout777
第6章 別れ——代償は英雄の記憶

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/104

共通語——“大丈夫”が門を呼ぶ

恐怖のとき、人は同じ言葉を言う。


大丈夫。

了解。

任せろ。

問題ない。


それは互いを落ち着かせるための言葉だ。

言葉で世界を固定するための言葉だ。

固定できれば安心する。

安心すれば息が戻る。

息が戻れば身体が動く。


だが“固定”は、歪みにとっては道しるべになる。

同じ言葉が同時に出ると、そこに中心ができる。

中心ができれば支点になる。

支点になれば門になる。

門になれば、余り糸が通る。


師は焚き火の前で、静かに言った。


「共通語は……糸になる」


短い言葉。

短いほど危険。

だが今の短さは説明ではなく宣告だ。


隊長が頷き、少年を見る。

少年は息を吸って吐き、頷きを返す。

声を使わない。

声を使わないことが、いまの約束になる。


少年は新しい運用を、札に落とした。


無文字の札に点線。

点線は順序。

順序は生活。

生活は名より強い。

共通語を削るには、生活の順序で埋めるしかない。


札に描かれたのは、三つの手順だった。


一、報告は“札を置く”だけ。

二、確認は“視線”だけ。

三、合図は“歩幅”だけ。


声を使わない報告。

声を使わない確認。

声を使わない合図。


報告札は三種類。

丸い点=異常なし。

二つの点=異常あり。

点に線=至急。

言葉が要らない。

言葉が要らないなら、共通語が出ない。


確認は視線。

目を合わせ、一回だけ瞬きをする。

瞬きは人それぞれ癖が違う。

癖が違うほど中心ができにくい。

中心ができにくければ門になりにくい。


合図は歩幅。

一歩=止まれ。

二歩=散れ。

三歩=集まるな。

同じ歩幅ではなく、各自の歩幅で。

違いがあるほど同期が崩れる。


隊長は札を配り、古参に見せ、全員に回した。

回すときも声を使わない。

指で示す。

札を叩く。

短長短は、いまは“補助”に落とす。

中心になりかける合図は、中心にならない位置へ下げる。


兵たちは戸惑った。

言葉は楽だ。

言葉は安心だ。

安心のために、同じ言葉を言う。

だから共通語は根強い。


少年は知っている。

根強いものは、短時間では消えない。

消えないなら、置き換える。

置き換えるなら、日課に落とす。


夕方、最初の試験が来た。


見張り台の陰で、空気が薄くなる。

薄くなるのは小さい。

だが小さい薄さほど危険だ。

見落とすから育つ。


見張り役の若い兵が、反射で口を開いた。


「だ——」


大丈夫、と言いかけた。

言いかけた瞬間、薄さが一点に寄る。

寄り方が“形”になる。

形は門の芽。


芽が、見張り台の陰に小さな輪郭を作った。

輪郭は影ではない。

影のような薄さだ。

薄い線が、丸く閉じようとする。


若い兵の喉が震える。

震えは恐怖。

恐怖は共通語を呼ぶ。

共通語は中心を作る。


少年は叫びたくなる衝動を飲み込んだ。

叫べば共通語になる。

共通語になれば門が育つ。


少年は、札を置いた。

二つの点=異常あり。

点に線=至急。

置いた瞬間、隊長が視線で返す。

瞬き一回。

理解。

声なし。


隊長は歩幅で命令した。

二歩=散れ。

三歩=集まるな。

兵が散る。

散れば中心が崩れる。

中心が崩れれば芽が育たない。


若い兵はまだ口を開いている。

“だ”の先が出そうだ。

出れば終わる。


師が、焚き火のそばから立ち上がり、掌を見せた。

声なしの制止。

掌は震えている。

欠けが反応している。

だが師は声を使わない。


少年は若い兵の視界に入る位置へ移動し、短長短を叩いた。

短。

長。

短。


これは補助。

中心にならない位置で使う。

一人だけが叩く。

集団で叩かない。

一人の合図は中心を作りにくい。


若い兵の喉が、やっと閉じる。

“だ”が溶ける。

溶けた瞬間、薄い輪郭が崩れた。

崩れた薄さは、風に散るように拡散する。

拡散すれば門になれない。


若い兵が膝をついた。

汗が落ちる。

汗は恐怖の汗だ。

恐怖は悪ではない。

恐怖を言葉にしないことが、いまの技術だ。


少年は若い兵の前に水を置いた。

水は喉を冷やす。

喉が冷えれば共通語が浮きにくい。

浮きにくければ、門は育ちにくい。


若い兵は水を含み、息を吐き、震える手で札を押さえた。

押さえる。

触れる。

順序へ戻る。

順序へ戻れば、言葉を要らない。


夜、野営地の空気は少しだけ濃くなった。

濃いのは安心ではない。

運用が噛み合い始めた濃さだ。


だが少年は知っている。


歪みは学ぶ。

共通語が封じられれば、別の共通を探す。

音でも呼吸でもない共通。

次は——視線か。

次は——歩幅か。

次は——“沈黙”そのものか。


師が少年を見る。

呼び名は出ない。

だが目が言う。

——次は、こちらの仕組みそのものが試される。


少年は額に手を当て、温度を作った。

温度はまだ有効。

だが温度もまた共通になる。

共通は糸になる。


だから温度も散らす。

温度は一人で抱え、全員の共通にしない。


少年は静かに息を吐き、次を考える。


——歪みが学び続けるなら、こちらも学び続ける。

——共通を削り、生活を増やす。

——生活の中で、門を作らせない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ