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英雄の名が消える朝、弟子だけが師を呼んだ  作者: swingout777
第6章 別れ——代償は英雄の記憶

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同期——合図が核になりかける

合図が広まるほど、便利になる。

便利になるほど、怖くなる。


短長短。

短長短。

短長短。


野営地のあちこちで、指が鳴る。

言葉を止めるための合図。

名を出さないための合図。

それは確かに役に立った。

師の欠けを支え、兵の喉を守り、歪みの芽を潰してきた。


だが“効きすぎるもの”には、いつも裏がある。


効きすぎるものは、集まる。

集まるものは、中心を作る。

中心ができれば支点になる。

支点は門になる。

門になれば、核の余り糸が戻ってくる。


その兆しは、朝の交代で出た。


見張り交代の合図。

短長短。

輪番が揃って叩く。

叩く音が重なり、瞬間的に“ひとつのリズム”になる。


ひとつのリズムは、ひとつの名に似ている。

名と同じように、世界を固定する。

固定は安心だ。

安心は油断だ。

油断は喉を緩める。

緩んだ喉から、歪みが入る。


少年は、その瞬間に空気が薄くなるのを感じた。

薄さが一点に集まる。

集まる場所は、焚き火の上でも井戸でもない。

合図の音が重なる“中央”だ。


音の中央。

見えない中心。

見えない中心ほど危険だ。

見えない中心ほど、誰も避けられない。


師が、焚き火の向こうで眉を寄せた。

欠けた輪郭が、歪みを嗅いでいる。

師の指が、縄ではなく地面を探りかける。

点を探す動き。

門の型の前触れ。


少年は息を吸って吐いた。

ここで近づけば錨になる。

だが離れすぎれば、合図が核になる。


——核を作らないために、合図を“散らす”。


散らすには、合図を一つにしない。

同じリズムを全員で叩くのをやめる。

同期を崩す。

同期を崩して、門を作らせない。


少年は、声を使わずに合図を出した。

手を上げ、指を二本、三本、四本と順に折る。

これは「ずらせ」の合図だ。

合図をずらす。

同時に叩かない。

一拍ずつ、ずらして叩く。


隊長が理解し、周囲へ伝える。

短長短が、波みたいに伝播する。

重ならない。

重ならないから中心ができない。

中心ができなければ支点にならない。

支点にならなければ門にならない。


ところが——歪みは賢かった。


波になった合図を、歪みは“別の形”でまとめ始める。

音ではなく、呼吸で。

人は合図を叩くとき、無意識に息を止める。

息を止めて叩き、息を吐く。

その呼吸が、集団で似てくる。


似てくる呼吸は、音より深い同期だ。

深い同期は、歪みにとっては太い糸だ。

太い糸が通れば、門は場所を選ばない。


野営地の端で、古参がふらついた。

喉ではない。胸だ。

胸が一瞬、空っぽになった顔。

呼吸が奪われた顔。


少年の指先の線が疼く。

歪みが“呼吸”へ寄った。

呼吸に寄れば、合図をずらしても意味が薄い。

ずらしても、息は似る。

似れば、中心ができる。


師がゆっくり立ち上がった。

立ち上がりながら、短長短を叩きそうになる。

叩けば安心が戻る。

だが安心は芯を作る。

芯ができれば門が育つ。


師は叩かない。

代わりに、手を開いて見せた。

掌を見せる。

声なしの制止。

その掌の震えが、師の欠けの震えだ。


少年は決めた。


——合図を“更新”する。

——音ではなく、呼吸でもないものへ。

——“視線”と“歩幅”に落とす。


名も音も呼吸も、集団で同期しやすい。

なら同期しにくいもの。

それは視線と歩幅だ。

視線は人それぞれ癖がある。

歩幅も人それぞれ違う。

違いがあるほど中心ができにくい。


少年は、野営地の中心に札を一枚置いた。

無文字の札。

そこに点線で、四つの足跡を描く。

大きい足跡、小さい足跡、間隔の違う足跡。

これは「歩け」の札だ。

立ち止まるな。

同じ場所に溜まるな。

歩きながら散れ。

散りながら支えろ。


隊長が動き、兵たちが“歩き散る”配置へ切り替える。

焚き火の周りに固まらない。

水場に溜まらない。

見張り台に寄りすぎない。

皆が小さく動き続ける。

動き続ければ中心ができない。

中心がなければ門が開けない。


すると薄さが、ふっと拡散した。

一点に集まりかけていた空気が、散っていく。

散った薄さは、芽になれない。

芽になれない歪みは、怒りになれない。

怒りになれないものは、契約を結べない。


それでも完全には消えない。

歪みは“次”を探している。

次は喉でも音でも呼吸でもない。

もっと深い“共通のもの”。


その瞬間、縫い跡が一度だけ光った。

光は短い。

短い光の向こうで、誰かが“同じ言葉”を言いかける気配がした。


「——……」


名ではない。

だが、名に近い。

集団で同時に出そうになる言葉。

それは恐怖のとき、人が同時に口にする——「大丈夫」だ。


少年は息を吸って吐き、声ではなく、歩幅で合図を出した。

一歩、止まる。

二歩、ずらす。

三歩、離れる。

それを皆が違う速さで繰り返す。

違う速さは同期を壊す。

同期が壊れれば、同じ言葉が出ない。


“同じ言葉”が、喉の奥で溶けた。


溶けた瞬間、師の肩がほんの少し落ちる。

落ちた肩は、安堵の肩ではない。

次の段階が見えた肩だ。


師が少年を見た。

呼び名は出ない。

だが視線は言う。

——次は、合図を増やすだけでは足りない。

——歪みの“共通語”を断つ必要がある。


少年は額に手を当て、温度を作った。

温度はまだ有効だ。

有効だからこそ、依存しすぎない。

依存は芯になる。

芯は門になる。


少年は静かに決める。


——歪みが狙う“共通”を、生活の中から削る。

——同じ言葉を言わなくても回る手順へ。

——集団が同期しないで済む仕組みへ。


それが、第6章の戦いになる。

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