余り糸——内で描かれ、外で縫われる
出口は、灰色の縁のさらに外にあった。
捨てた区域の境界線から半刻ほど離れた、浅い窪地。
草の色が薄く、土が乾いているのに湿って見える。
湿って見えるのは、匂いが薄いからだ。
匂いが薄い場所は、世界が薄い。
世界が薄い場所は、縫い目の余り糸が通る。
窪地の中心に、小さな石が立っていた。
祠でも墓標でもない。
ただの石。
ただの石が“印”に見える。
印に見えるものは門の芯になる。
札師が膝をつき、無文字の札を並べた。
並べるのは封じるためではない。
封じれば中心ができる。中心は支点。支点は門。
並べるのは“手順”のため。
作業を順序に落とすため。
順序は外に残る。外に残れば内側の欠けを補える。
少年は息を吸って吐き、胸の杭を散らした。
支点を散らす。
散らしてから、縫う。
縫うのは、核の縫い目を締める縫いではない。
余り糸の出口を、生活の形に編み直す縫い。
門にするのではなく、ただの場所に戻す縫い。
古参が周囲を見張る。
喉が堅い古参は、返事をしない。
返事をしない喉は、最強の結界だ。
窪地の空気が、薄く震えた。
震えが一点に集まりそうになる。
集まれば門の芽になる。
芽になる前に、散らす。
少年は札師へ合図した。
札を輪にするな。
線にしろ。
輪は門。線は道。
道は通路だが、門ではない。
門を作らずに、流れを作る。
札師が札を線に並べ、点線の順序を刻む。
一、置く。
二、踏まない。
三、三呼吸。
四、縄を結ぶ。
五、水を落とす。
作法が形になる。
少年は縄を取り、石に結び目を作った。
結び目は危険だ。結び目は核を連想させる。
だが結び目を“日課の結び”にすれば、門ではなく生活になる。
同じ結びを毎日繰り返せば、石はただの目印になる。
目印は名を要求しない。
少年が結び終えた瞬間、窪地の底から声が上がった。
「——……だれ」
井戸と同じ問い。
余り糸は同じ癖を持つ。
問いで返事を引き出し、名で固定し、門にする。
古参の喉が微かに動きかけて、止まる。
止まるのが見える。
止まるほど緊張が濃くなる。
濃くなると支点が太る。
太れば嗅がれる。
少年は息を吸って吐き、声を使わずに“否定”の型を組んだ。
否定は言葉ではなく動作で示す。
札を押さえる。縄を締める。水を落とす。
順序通りに動く。
順序は返事ではない。契約にならない。
札師が水を一滴、石の根元へ落とした。
一滴は少ない。
少ないほど中心にならない。
中心にならないほど門にならない。
声が焦れる。
「——……なまえ」
名を要求する。
要求が強くなるほど、こちらの喉が動く。
動く喉を、日課の動きで上書きする。
少年は三呼吸を合図し、皆が同時に吸って吐いた。
呼吸が揃うと危険だが、短時間なら型になる。
型は喉を止める。
少年は、縫いを進めた。
余り糸の出口を“道”にする。
道とは流れ。
流れは溜まりを作らない。
溜まりがなければ支点ができない。
支点ができなければ門にならない。
少年は札の線を、窪地の外へ伸ばした。
灰色の縁へ向けてではない。
野営地へ向けてもいけない。
何もない荒れ地へ向けて、薄い流れを作る。
流れが拡散すれば、歪みは一点に留まれない。
空気が、少しだけ濃くなる。
濃くなるのに、声は消えない。
消えないのは、抵抗だ。
歪みが根を残そうとしている。
その頃、内側の野営地では——師の指先が動いていた。
焚き火のそば。
縄を結び直す手が、いつの間にか地面へ降りる。
地面に点を置く。
点が三つ。
三角形になる。
門の芯。
師の目は焦点を失っている。
失っているのに、指だけが正確だ。
正確さは型の記憶だ。
欠けたことで、意志より型が前に出ている。
型が前に出れば、門を組む。
隊長が気づき、息を呑む。
息を呑む音が、空気を薄くする。
薄くなるほど、師の欠けが回る。
師の喉が動く。
「……」
言葉になる前に、札師の弟子が札を押さえる。
押さえるのは師の指ではない。
地面の点だ。
点を隠す。
隠せば型が続かない。
師の指が宙を探し、点が見つからず、止まる。
止まる瞬間、師の眉が寄り、苦しそうな顔になる。
型が進めない苦しさ。
型が進めないのは救いだ。
だが救いもまた代償になる。
隊長は声を出さずに合図し、師の前に日課の三点を置いた。
水。
縄。
札。
師がそれに触れ、順序を辿ることで欠けを散らす。
師が水を含み、喉を杭にする。
縄を結び、手の癖を生活へ戻す。
札を押さえ、順序を外へ置く。
門の三角形は、未完成のまま止まった。
外側の窪地で、少年の指先がひやりとした。
遠隔で何かが起きた。
師の欠けが反応した。
縫うほど、欠けは鳴る。
欠けが鳴れば門が組まれる。
内が危ない。
少年は近づけない。
距離がある。
だから“温度”で支える。
少年は自分の額に手を当て、呼吸を整え、温度を作って“空気へ広げる型”を強くした。
師の周囲の空気へ。
師を一点にしないために。
一点にしなければ、錨にならない。
同時に、縫いを止めない。
止めれば歪みが溜まり、門が芽を出す。
縫いは流れ。流れは拡散。
拡散は門を作らない。
少年は札師へ合図した。
線をもう一段伸ばす。
水を一滴、もう一滴。
縄の結び目を“ほどいて結ぶ”を繰り返す。
繰り返しは日課になる。日課は生活になる。
生活になれば、ここは門ではなくなる。
窪地の声が、最後に一度だけ強くなる。
「——……なまえ!」
叫び。
叫びは支点を求める。
支点がなければ空振りする。
少年は返さない。
返さず、三呼吸。
吸って吐いて、吸って吐いて、吸って吐いて。
そして、結び目をほどき、結び直した。
空気が、すっと戻った。
薄さが拡散し、一点に集まれなくなる。
声が、遠のく。
沈黙が落ちる。
沈黙は終わりではない。
だがここに“根”は残らなかった。
残らなければ、移動しても芽は小さい。
芽が小さければ、日課で潰せる。
少年は息を吐き、胸の杭を支えた。
内側へ戻る。
師の欠けを散らす日課を、さらに強くする。
そして次に備える。
締まった結び目の余り糸は、まだどこかに流れている。
流れている以上、完全な終わりはない。




