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英雄の名が消える朝、弟子だけが師を呼んだ  作者: swingout777
第4章 露呈——『私は何?』

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捨てる——嘘から真実へ

外側の森は、追いかけるものが増えるほど薄くなった。


薄い世界は、距離感が狂う。

遠いものが近く見え、近いものが触れない。

触れないのに、匂いだけが届く。

匂いは触れなくても奪う。


師は走りながら、影の糸を回していた。

鍵穴に差した影。

渡さずに回す。

回せば縫い目が締まる。

締まれば内側が濃くなる。

濃くなれば弟子が呼ばれにくくなる。


だが縫い目が締まるほど、影——戦友の顔をした案内人の目が鋭くなる。

核が変化を感じ、嘘の匂いを嗅ぎ分けるからだ。


「——そこだ」


影が言った。

声の方向が違う。

封筒ではない。

師の指先だ。

影の糸を回している指先。


師の背筋が凍る。

嘘で封筒へ注意を固定していたはずなのに、影は“鍵穴”を見た。

見た瞬間、封筒はただの餌になる。

餌になったものは、奪われる。


影が距離を詰める。

手が伸びる。

伸びる手の先が封筒に届く前に——師は決めた。


——封筒を捨てる。


捨てるのは本体ではない。

だが封筒は嘘の証拠だ。

証拠を捨てれば、嘘は維持できない。

嘘が割れれば、核の要求は一本化される。

本体。

英雄印の本体。


師は封筒を胸から抜き、わざと高く掲げた。

影の視線が吸い寄せられる。

吸い寄せられた瞬間——師は封筒を、投げた。


投げた先は、前方ではない。

横だ。

森の薄い斜面へ。

落ちれば拾いにくい場所へ。

拾うために影が分かれるような場所へ。


封筒が宙を舞った瞬間、空気が“裂ける”気配がした。

嘘が割れる音ではない。

嘘が割れる前に、核が匂いを掴んだ反応だ。


影が封筒へ飛びつく。

飛びつきながら笑う。


「やっと、手放した」


師は返事をしない。

返事は契約。

師は返事の代わりに、影の糸を最後まで回した。

回し切る。

縫い目を可能な限り締める。

封筒を捨てるなら、締められるだけ締めてからだ。


縫い目が締まり、裂け目がさらに縮む。

縮むほど、核は飢える。

飢えれば、次の支払いを急ぐ。

急げば、要求は単純になる。


核の声が落ちた。


「——印」


一本化された。

弟子ではない。封筒でもない。

本体だ。英雄印だ。


影が封筒を拾い上げる。

拾い上げた封筒は、ただの紙だ。

影は嗅ぐ。

嗅いで、苛立つ。


「……空だ」


影の声が冷たくなる。

空だとわかった瞬間、嘘は完全に終わった。

終わった以上、核は本体へ一直線だ。


師は胸の奥を押さえた。

英雄印が引かれる感覚が、もう隠せない。

匂いはむき出しになる。

むき出しになれば、奪われる。


師は走った。

内側へ戻るために走るのではない。

縫い跡へ戻り、印を“鍵穴に差したまま”最後の縫いをするために走る。

本体を渡さずに、縫い目を閉じ切る。

閉じ切れば、核の飢えは止まる。

止まれば、要求は消える。


内側では、少年の口の中の欠けが、突然広がった。


広がった欠けは、痛みではなく“空白”だ。

言葉の芯が抜ける感覚。

呼ばれたときに自分の中で鳴っていた響きが、さらに遠のく。


少年は息を吸って吐き、胸の杭を打ち直そうとして——一瞬、打ち方がわからなくなった。

型が抜ける。

型が抜けるのは危険だ。

型が抜ければ返事が出る。

返事が出れば契約が入る。


少年は膝をつき、両手で地面を押さえた。

足の杭。地面の杭。

身体ではなく“接地”で自分を固定する。

接地は生活だ。生活は名より強い。


隊長が駆け寄ろうとして止まる。

近づけば支点が太る。

少年は手で制止し、指先で合図した。


——水。


水が来る。

少年は水を口に含む。

冷たさで喉の杭を取り戻す。

冷たさは型を思い出させる。

型は身体の記憶だ。言葉の記憶ではない。


少年は焚き火の熱を見る。

札の輪を見る。

水の位置を見る。

配置を見る。

配置が型を教えてくれる。

自分の内側が欠けても、外側の形が支える。


そして少年は、最後に“温度”を思い出した。


師の指が額に触れた温度。

名ではない。呼び名でもない。

温度だけが繋がりになる。


少年は自分の額に手を当て、同じ温度を作るように押さえた。

押さえた瞬間、胸の杭の打ち方が戻る。

吸って、吐く。

数を数える。

ひとつ、ふたつ、みっつ。

型が戻る。


欠けは戻らない。

だが欠けの上に、型は乗る。

型が乗れば、戦える。


縫い跡が、再び光った。


今度の光は短い。

短い光の向こうに、師が戻ってくる。

戻ってきた師の輪郭は、さらに薄い。

薄いのに、胸の奥の引かれる感覚だけが強い。

核が本体へ一直線になった証拠だ。


師は膝をつき、息を吐いた。


「……封筒は捨てた」


師の声は、少しだけ震えている。

震えは恐怖ではない。

覚悟の震えだ。

嘘を捨てて、真実へ移行した震えだ。


師は続けた。


「核は……印だけを求める」


一本化。

これ以上、弟子を要求されない代わりに、師自身が狙われる。

師の英雄印が、最後の戦場になる。


少年は頷いた。

頷きながら、欠けた呼ばれ方の空白を飲み込んだ。

呼ばれなくてもいい。

今は守る。

守って、終わらせる。


師は封筒のない胸を押さえ、低く言った。


「……最後の縫いをする」


渡さずに回す。

鍵穴に差したまま回す。

本体を手放さず、縫い目を閉じ切る。

閉じ切れば、核は飢えられない。

飢えられなければ、名を要求できない。


師は立ち上がった。

その背に、影が貼り付いている気配がまだ残る。

核は追っている。

追っているから、時間がない。

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