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英雄の名が消える朝、弟子だけが師を呼んだ  作者: swingout777
第4章 露呈——『私は何?』

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渡さずに回す——鍵穴のまま

封筒は、胸にあるだけで重かった。


紙の重さではない。

意味の重さだ。

嘘の証拠。英雄印の影の残滓。核が嗅ぎつける匂い。

それを抱えているだけで、空気が薄くなる気がする。


師は封筒の上から鍵を押さえたまま、隊長へ合図した。

外へ出る。

今度は“核へ行く”のではない。

核を“連れて行く”ために出る。


隊長が目を細める。

連れて行く。

つまり餌を持って走り、追わせ、注意を固定する。

注意が固定されている隙に、別の手が核へ届く。


師は続けて合図した。

弟子は内側。

配置支点を維持。

輪を保ち、返事を禁じ、喉を杭にする。

内側が揺れれば、外はすぐに嗅ぐ。

嗅がれれば、追いかけるものが増える。


少年は頷いた。

頷きは内側の頷きだ。

だが頷いた瞬間、口の中に冷たい欠けが広がる。

呼ばれ方の核の欠片を払った痛み。

痛みがあるほど、確かめたくなる。名を言いたくなる。

名で自分を固定したくなる。


少年は息を吸って吐き、名の衝動を配置の確認へ押し戻した。

火の位置。

札の輪。

水の分配。

見張りの散り。

沈黙。

形で自分を固定する。名で固定しない。


縫い跡が開いた。


師と少人数の小隊が外へ出る。

出る直前、師の視線が少年で止まる。

止まったのに、師の目に“呼びかけ”がない。

呼びかけがないのは、呼び名が出ないからだ。

出ないからこそ、視線だけが濃い。


師は何も言わず、指先で少年の額に触れた。

触れる温度だけが、昔のままだ。

温度が残る限り、師はまだ師だ。


師は外へ消えた。

縫い跡が閉じ、野営地は再び内側だけになる。


少年は輪を維持した。

輪を維持することは罠を維持することでもある。

罠は便利だが、便利なものほど依存になる。

依存は支点を太くする。太くなれば嗅がれる。

少年は輪を“意識しすぎない”ように、作業へ散らした。


外側は、今日も薄かった。


師は森を斜めに切るように走る。

最短で核へ向かわない。最短を外す。

外すことで、追うものを迷わせる。

迷わせる時間を作る。


影——戦友の顔をした案内人が、すぐに現れた。

現れるのが早い。

匂いを嗅いでいる。封筒の匂いを。


「持っているな」


影が言う。

師は返さない。

返事は契約。

師は走り続け、封筒の匂いをわざと“漏らす”。

漏らすことで、影と核の注意を封筒へ固定する。


影が笑い、追ってくる。

追ってくるほど、森の色が薄くなる。

薄くなるほど、核が近い。

核は遠くにいても匂いで追える。

匂いは道になる。


師は時々、わざと立ち止まり、封筒を触る。

触る所作は、核へ向けた餌。

“ここに本体がある”という嘘を更新する仕草。


影が甘く囁く。


「渡せば軽くなる」


師は返さない。

代わりに、封筒を胸から外し——手で見せた。

見せるだけ。差し出さない。

差し出せば契約になる。

見せるのは誘導だ。追いを太くする誘導。


影の目が封筒に釘付けになる。

その瞬間、師は封筒を戻し、横へ跳ぶ。

追いの視線が遅れる。

遅れた分だけ、距離が稼げる。


師は“稼いだ距離”を、別の目的へ回した。


——核へ戻るのではない。

——核へ繋がる縫い目へ“手だけ”を伸ばす。


核に至る入口は、前に縫い目を締めた場所の近くにある。

そこへ“影”を通せば、扉を回せる。

鍵穴に差したまま回す。

本体は渡さない。


師は走りながら指先で型を組む。

結界の型ではない。

英雄印の“鍵の型”だ。


鍵の型は、胸の奥から来る。

英雄印の中心から来る。

そこに触れるだけで、核が嗅ぐ。

嗅がれるほど、本体が引かれる。


だから師は、鍵穴へ差し込むのを“影”にする。

英雄印本体ではなく、印が作る影。

影なら本体の輪郭は残る。

残れば守れる。


師は指先で影を編み、空中に細い糸を作った。

糸は目に見えない。

だが師の骨が震えることでわかる。

糸が通った。


通った先で、縫い目が小さく鳴いた気がした。

音ではない。意味の反応。

鍵穴が見つかった。


師は、影の糸を“回す”。


回す動きは、ほんの僅か。

ほんの僅かでも、核の縫い目は敏感だ。

回されたことを感じれば、締まる。

締まれば裂け目が閉じる。


師が影の糸を回した瞬間、空気が一段濃くなる気配がした。

遠い。だが確かだ。

内側の濃さが戻る。


影がその変化に気づき、声が鋭くなる。


「……何をした」


師は返さない。

返すと契約になる。

師は封筒を見せ、影の注意を封筒へ戻す。

嘘で追いを固定しながら、影の糸を回し続ける。


影が苛立ち、距離を詰める。

詰められるほど危険だ。

封筒を奪われれば嘘が割れる。

嘘が割れれば、本体を引かれる。弟子を嗅がれる。


師は決めた。


——封筒を“捨てるふり”をする。


捨てるふり。

捨てれば追いは封筒へ落ちる。

落ちれば自分は逃げられる。

だが捨てれば本当に奪われる危険もある。

奪われれば嘘が割れる。

割れれば本体か弟子かの二択に戻る。


師は封筒を半歩だけ外へ出し、影に見せた。

投げる動作を作り、投げない。

影が反射的に手を伸ばす。

その伸ばした瞬間——師は影の糸をもう一度回す。


縫い目がさらに締まる。


内側では、空気の濃さが戻ってきていた。


灰色の木立の縁が後退する。

後退しても、捨てた区域は戻らない。

だが野営地が飲み込まれる速度は落ちる。

息ができる。喉が楽だ。


少年は輪を維持しつつ、少しだけ散らした。

密を解く。

密は短時間だけ。

締めて切ったあとは、散らして薄くする。

薄くすれば嗅がれにくい。

嗅がれにくければ、次の支払いを減らせる。


そのとき、師が戻ってくる気配がした。

縫い跡が小さく光る。

だが光の向こうに、冷たい影が貼り付いている気配もある。

影はまだ追っている。

嘘はまだ割れていない。だが匂いは嗅がれている。


少年は胸の杭に手を当て、欠けた呼ばれ方の核の穴を抱えたまま、配置支点を締め直した。


——次は、封筒が危ない。

——封筒を守りながら、鍵を回し続ける。

——その間、呼ばれなくても、支える。

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