帰ってきた影——嘘が割れる
縫い跡が光ったのは、夜が明けきる直前だった。
光は一瞬で消えた。
一瞬で消える光ほど、怖い。
長く光るなら準備できる。
一瞬で消えるのは、何かが“すでに起きている”合図だ。
少年は配置支点を崩さないまま、見張りへ合図した。
火を維持。札を輪に。人を散らす。
沈黙を守る。
沈黙が守れないときに備えて、喉の杭を打ち直す。
縫い跡が開いた。
開き方が、昨日までと違う。
三つの杭が立つのではない。
縫い目の線が、裂け目みたいにひらく。
ひらいた隙間から、冷たい匂いが漏れた。
師が戻ってきた。
戻る姿は、確かに師だ。
だが師の輪郭の周りに、薄い影が貼り付いている。
影は森の影ではない。
外の影だ。戦友の顔をした案内人の匂いだ。
師は膝をつき、息を吐いた。
吐いた息が白い。寒さの白ではない。欠けの白だ。
胸の内側が冷えている証拠。
隊長が駆け寄りたい衝動を抑え、距離を取ったまま合図を送る。
無事か。
追われているか。
返事は要らない。返事は契約になる。
師は頷いた。
頷きは内側の頷きだ。
だが頷いた瞬間、縫い跡の向こうで“何か”が笑った気がした。
少年の指先の線がひやりとした。
欠けた呼ばれ方の端が疼く。
疼きは外の接近だ。
糸は切ったはずなのに、匂いが追ってきた。
師は封筒を取り出し、焚き火の前に置いた。
鍵付きの手紙。
今は鍵がかかったまま。
だが封筒の表面に、薄い銀の影が残っている。
英雄印の影。嘘の契約の残滓。
少年はそれを見た瞬間、胸の杭が重くなるのを感じた。
重い杭は支点になる。
支点になるほど、外が嗅ぐ。
師が、低く言った。
「……核は、嗅ぎ分け始めた」
隊長が息を呑む。
息を呑む音が、野営地の空気を薄くする。
薄くなるほど、外の匂いが入りやすい。
師は続けた。
「縫い目は締まった。だが——次は本体を要求する」
本体。
英雄印の本体。
唯一の名。
それを差し出せと核が言う。
少年の喉が焼けた。
名を言って確かめたい衝動が浮く。
自分はここにいる、と。
だが言えば終わる。終わりにしたくない。
少年は息を吸って吐き、衝動を型に戻した。
そのとき、灰色の木立の方角で——風が逆流した。
昨日まで、圧力を逃がすために灰色へ流していた風。
その風が、今度は灰色から野営地へ戻ってくる。
逆流は、契約の兆しだ。
外が“入口”を見つけた。
声が落ちる。
「——……返して」
返して。
何を?
影を?
印を?
それとも——呼び名を?
少年は理解した。
核が嘘の匂いを嗅いだのだ。
嘘を割るには、嘘の“証拠”を押さえる。
証拠は封筒。
封筒にまとった影が、核にとっての“手がかり”。
灰色の木立が、封筒を呼んでいる。
呼ぶ声が、野営地の膜を撫でる。
撫でられるたび、兵たちの喉が動く。
返事が出れば、封筒は引かれる。封筒が引かれれば、嘘は割れる。
少年は決めた。
——配置支点を、武器に反転する。
これまで配置は守りだった。
火を散らし、水を分け、札を輪にして圧力を逃がした。
今度は逆だ。
圧力を逃がすのではなく、圧力を“集めて落とす”。
集めて落とす。
門が支点を求めるなら、支点を餌にして落とす。
核が嗅ぐなら、嗅がせて“締める”。
少年は合図を出した。
火を一つに戻せ。
札の輪を二重に。
水を中心へ。
見張りを近づける。
人を密にする——ただし短時間だけ。
短時間で締める。締めて、切る。
隊長が一瞬躊躇した。
密は危険だ。支点が太る。
だが少年の合図は“密にして締める”合図だ。
締めるために太くする。太くした瞬間に切る。
それは少年が外で学んだ逆の型と同じ発想だ。
兵たちが動く。
火が中央へ寄る。
札が輪を二重にする。
輪は門の形だ。
だがこれは外への門ではない。外を締める罠の門だ。
灰色の風が、輪へ向かって吸い寄せられる。
吸い寄せられるほど、声が強くなる。
「——……返して!」
声が強くなるほど、こちらの喉が動く。
動く喉を、少年は型で止める。
胸、喉、指先、足。
四つの杭を散らしながら、輪の中心へ“切る型”を準備する。
師が、少年を見た。
視線に驚きがある。
弟子が支点にならないようにと言ったのに、弟子は支点を“操っている”。
支点を自分に固定せず、配置に固定している。
支点を人ではなく形に置いている。
それなら、錨にならない。
少年は封筒を見た。
封筒は嘘の証拠であり、罠の餌だ。
餌を差し出すなら、奪われる前に切る。
切るなら、代償が要る。
代償は——もう払えないほど重い。
少年は息を吸って吐き、決めた。
——代償は、“呼ばれ方の核”を一欠片。
呼ばれ方の端はすでに欠けた。
今度は核に近い欠片。
それを払えば、罠が締まる。
締まれば嘘が守れる。
守れれば師が次の手を打てる。
少年の指先の線が、白く燃え始めた。




