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英雄の名が消える朝、弟子だけが師を呼んだ  作者: swingout777
第3章 手紙——封じた過去が開く

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取引——弟子を守るための嘘

内側の灰色は、夜のうちに増えていた。


増え方が、昨日までと違う。

昨日までは“じわじわ”だった。

今夜の増え方は“息をする”みたいだ。

吸って広がり、吐いて止まる。

まるで核がこちらの恐怖を呼吸している。


野営地の端が削られ、見張りの動線が狭くなる。

狭くなるほど人が密になる。

密になるほど支点が太くなる。

支点が太くなるほど、外が嗅ぐ。


少年は焚き火を三つに分け、さらに五つに分けた。

火は中心を作る。中心は支点だ。

支点を散らすには、火を散らすしかない。


札師が無文字の札を貼り直す。

膜を重ねる。

重ねた膜がきしむ。

きしみの向こうから、灰色の木立——捨てた区域が、低く笑う気配がした。


そして、声が落ちる。


「——……呼んで」


呼んで。

昨日より近い。

膜の外からではない。膜の縁からだ。

縁に溜まった圧力が、内側へ滲み始めている。


見張りの兵が、また立ち上がる。

今度は一人ではない。

二人、三人。

それぞれが別の方向へ歩き出す。

支点を散らすはずの内側が、逆に“呼び声”で散らされている。

散らされ方が悪い。散らされ方は、崩壊だ。


少年は胸の杭を打ち直し、喉を杭にし、指先を杭にし、足を杭にした。

四つの杭。

それでも足りない。

人が多すぎる。恐怖が濃すぎる。


——支点を、外に置く。


少年はふっと思いついた。

内側で支点を散らすには限界がある。

ならば支点を“内側”の外へ。

捨てた区域へ。灰色へ。

灰色の縁に、支点を立てて圧力を逃がす。

圧力の出口を作る。出口がなければ爆発する。


少年は符号札を一枚、灰色の縁へ投げた。

名ではない札。

だが札は意味を持つ。意味は糸になる。糸は外に通る。

危険だ。

それでも投げる。爆発よりましだ。


札が灰色に触れた瞬間、冷たい風が吹いた。

吹いた風は、野営地から灰色へ向かう。

向かう風は、圧力の逃げ道だ。


兵たちの歩みが、少しだけ止まる。

喉の動きが遅れる。

返事が出る前に止められる。


少年は、ここで最後の型を組む。


支点を散らす最終形。

“人”ではなく、“配置”を支点にする。

人が動いても崩れない支点を作る。

焚き火、札、杭、荷、見張り台、飲み水、食糧——物の配置を、結界の型にする。

人の名を使わずに、生活の形で支点を組む。


少年は合図を出す。

荷を動かせ。

水を分けろ。

火を遠ざけろ。

見張り台を二つにしろ。

札を輪に貼れ。

輪は門になる。

だがこれは外への門ではない。内側の圧力を逃がすための“輪”。

輪の外へ圧力を流し、輪の内を守る。


配置が変わり、野営地が“形”を持つ。

形が支点になる。

名ではなく形。

形は奪われにくい。奪うには大きな力が要る。


声が、少し遠のいた。

「呼んで」が「ねえ」に戻る。

入り口が閉じかける。

少年の胸が、わずかに緩む。


だが同時に、少年は理解した。

これは防戦だ。

核が要求するのは支払い。

支払いを拒めば、核はもっと強く吸う。

——外側の師が、何かを決めなければ終わらない。


外側では、核が脈打っていた。


師が英雄印の角を切り落としたことで、核は“味”を覚えた。

欠片で縫える。

欠片で満たせる。

ならば次は、もっと大きな欠片。

あるいは本体。


影が師を見て、静かに言った。


「本体か」


核が同じ要求を繰り返す。


「——印」


師は返さない。

返事は契約。

だが核は返事を必要としない。要求は命令の形で落ちてくる。


そして核は、もう一つの要求を落とした。


「——……弟子」


弟子。

師の胸が凍る。

糸は切った。

切ったのに核は知っている。

知っているのは、英雄印の匂いが弟子の型に混ざっているからだ。

弟子が編んだ型が、師の印の影になっている。

影を辿れば弟子に届く。


影が笑った。


「選べ」


本体か弟子か。

核は選ばせることで契約を結ぶ。

選択は承諾になる。承諾は譲渡になる。


師は息を吸い、吐き、支点を散らした。

散らしても、選択肢は消えない。

核はどちらかを欲しがる。欲しがる以上、何かを取られる。


師は、理解した。


——正面から断っても、核は聞かない。

——欠片を払えば、次はもっと大きく要求する。

——ならば、要求そのものを“別の形”にすり替えるしかない。


すり替え。

嘘。

英雄が嘘をつくのは、型を汚す。

だが型を汚してでも守るものがある。

弟子だ。内側だ。縫い跡だ。


師は決めた。


——核に、“本体がある”と信じ込ませる。

——本体はここにある、と。

——そして本体を“預ける”という形で、核を縛る。


師は封筒を取り出した。

鍵付きの手紙。英雄印の情報。

封筒自体は本体ではない。

だが核にとっては“印の器”に見える可能性がある。

核は意味で動く。意味は見た目に引っ張られる。


師は声を出さず、型だけで封筒に“印の影”をまとわせた。

英雄印の本体ではない。

本体の影。

だが核は影を味わった。影の匂いで本体を想像できる。


影が息を呑む。

息を呑む反応が、核に伝わる。

核が脈打ち、封筒へ引力を向ける。


師は、嘘を“型”として提示する。


——これは本体を預ける契約だ。

——核が縫い目を閉じるまで、預ける。

——閉じたら返す。

——返さなければ、印は割れる。核も割れる。


脅し。

英雄印の本体は割れないかもしれない。

だが核は“割れる”という概念を怖がる。

核は結び目だ。結び目はほどけることを恐れる。


師は封筒を核の縫い目の縁へ置いた。

置いた瞬間、胸の奥が引かれる。

英雄印の匂いが、封筒へ移る。

移るのは本体ではない。影だ。

影が移るだけでも、師の中の何かが欠ける。


師の目が一瞬遠くなる。

今朝の霧。弟子の額の温度。

その輪郭が、少しだけ薄くなる。


核が満足したように脈打った。

縫い目が締まり、裂け目がわずかに縮む。

縮むほど、内側の圧力が減る——はずだ。


影が低く言った。


「……契約か」


師は返事をしない。

返事は契約を固定する。固定すれば嘘が嘘だとバレる。

師は沈黙のまま、型だけで“期限”を刻んだ。

期限が過ぎれば封筒の影が剥がれ、核が痛む——そういう形を見せた。


核は、嘘を真実として飲み込んだ。

飲み込んだ以上、すぐには弟子を要求できない。

核は“預けた本体”を失うのが怖い。

怖がる間に、裂け目を縫わせる。


師は、ひとつだけ覚悟した。


——この嘘は、必ず返ってくる。

——返ってきたとき、次は本当に支払いを求められる。

——そのとき弟子が支点にならないように、今ここで道を作る。


師は核の縁へ指を当て、核の“真ん中”を探った。

縫い目の結び目。

そこへ届けば、裂け目の源に触れられる。

触れられれば、縫える。

縫えれば、門は閉じる——希望が形になる。


内側では、灰色の増え方が、ほんの少しだけ鈍った。


少年は気づく。

外側で師が何かをした。

何かを差し出した。

何かを賭けた。


少年は胸の杭を押さえ、欠けた確かさの穴を感じる。

穴を感じながら、配置の支点を維持する。

形で守る。名で守らない。

名を守るために、形を強くする。


そして少年は、もう一度だけ誓う。


——師の嘘を、嘘で終わらせない。

——本当の縫い目を、ここで支える。

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