表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英雄の名が消える朝、弟子だけが師を呼んだ  作者: swingout777
第3章 手紙——封じた過去が開く

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/104

二つの戦場——師は外へ、弟子は内へ

朝は、薄い霧で始まった。


霧は境界の匂いがする。

見えない線が、見えるようになる。

見えた線が、裂けていることまで見えてしまう。

霧は真実を優しくするが、同時に残酷にもする。


野営地の中央で、師が準備を指示していた。

荷は最小。札は使い捨て。

声は出さない。返事をしない。

外へ行く小隊は、前回より少なくする。

最短で核へ届く道だけを辿る——“英雄印”を狙われる前に。


弟子である少年は、少し離れた場所で同じ準備をしていた。

違うのは対象だ。

師が整えるのは“外へ行く道”。

少年が整えるのは“内側の支点”。


内側の支点とは、縫い跡の維持、札の補修、見張りの交代、荷の配分、食糧の分配、そして何より——言葉の節約だ。

名を言わない。呼び名を使わない。

誰が誰かを符号で結び、混乱を防ぐ。

混乱は裂け目を広げる。裂け目が広がれば、外が匂いを嗅ぐ。


隊長が近づき、少年へ合図した。

符号札を渡す。

今日の当番の順番。

見張りの交代。

札の回収。

少年は頷き、宿帳の空白に“符号だけ”を書き込む。


文字は食われる。

だが符号は、名より軽い。

軽いものは残る。

そう信じて、少年は点と線を記す。


背後で、師が少年を呼んだ——呼んではいない。

視線で合図をした。

少年は焚き火のそばへ歩く。


師は封筒を胸に収め、外套の紐を締めていた。

紐を締める動きが、昨日より少しだけ違う。

違いは、師の中の欠けだ。

欠けは進む。止められない。


「……ここを頼む」


師は言った。

名を呼ばない。呼べない。

それでも“頼む”と言う。

頼むという言葉は、残る。名より残る。


少年は頷き、胸の杭を押さえた。

内側の支点を守る。

支点を守ると言いながら、自分が支点になっている。

師はそれを禁じた。支点になるな。

だが支点を守るには、支点を置かなければならない。

矛盾は、胸の奥で熱を持つ。


師は、言葉を選びながら続けた。


「外へ行っている間……縫い跡が揺れたら、切り離せ」


切り離す。

札を捨てる。膜を捨てる。

国の一部を捨てる。

その言葉の重さに、少年は息が詰まる。


「全部は守れない。……守るのは“核”までの時間だ」


核。

核を断てば、裂け目は閉じる。

閉じると信じたい。

信じること自体が、祈りになりそうで怖い。祈りは契約の形を取りやすい。


師は少年の額に指を当てた。

稽古の確認の癖。

だが今日の指は、少しだけ重い。

重いのは温度ではない。覚悟の重さだ。


「……おまえの“切る型”を、忘れるな」


少年の指先がひやりとした。

門で編み出した型。契約糸を緩める型。

代償として欠けた“呼ばれ方の端”。

その痛みが、いまも口の中に残っている。


師は続けた。


「支点は、散らせ」


散らす。

胸、喉、指先。三つの杭。

門が求めた形を、内側へ置く逆の型。

少年は頷いた。頷きは内側の頷きとして、支点を固定する。


外へ行く小隊が整列した。

師が前に立つ。

英雄の型。守る者の型。

だが英雄印は狙われる。

英雄印を守るために、英雄は外へ出る。


隊長が合図を出し、出発。

小隊は縫い跡へ向かう。

少年は、縫い跡の手前で止まった。

ここから先へ行かない。行けば錨になる。行けば外が匂いを嗅ぐ。


縫い跡が開く。

三つの杭が立つ——今度は短い。最短の門。

門は一瞬だけ開き、師たちが外へ消える。


縫い跡が閉じた瞬間、野営地の空気が一段階重くなった。

重いのは霧のせいではない。

“頼れる者が外へ行った”という事実の重さだ。


少年は振り返り、内側の兵たちを見た。

皆が少年を見ている。

見張りが見ている。札師が見ている。傷病兵が見ている。

少年は名を呼ばれないまま、支点として見られている。


少年は胸の杭を打ち直し、合図を出した。

声は出さない。

手で指示を出す。

符号札を回す。

見張りを散らす。

焚き火を分ける。

沈黙を守る。


支点を散らし、支点を守る。

矛盾の中で、少年は初めて“内側の戦場”に立った。


遠くで、縫い跡が一瞬だけ光った気がした。

門の光ではない。

傷の光だ。


少年は、胸の奥で欠けた呼ばれ方の端を握りしめる。


——呼ばれなくても、ここにいる。

——名が欠けても、守れる。


そしてもう一つ、冷たい予感が背中を撫でた。


外で師が核へ近づくほど、内側の裂け目もまた広がる。

外と内は、糸で繋がっている。

糸は切れる。

切れるなら、切られるかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ