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英雄の名が消える朝、弟子だけが師を呼んだ  作者: swingout777
第2章 結界——愛の形が型になる

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指名——支点は誰か

少年が一歩踏み出した瞬間、森の色がさらに薄くなった。


薄くなるのは光のせいではない。

世界が“選ぶ”とき、余計なものを削って視線を一点に集める。

——支点を指名するために。


影が笑った形を作った。


「そうだ」


肯定の言葉。

肯定は契約を促す。

少年は唇を噛み、血の味で現実を固定した。返事はしない。頷きもしない。

ただ、胸の奥の杭を握りしめる。


隊長が即座に合図を出した。

戻れ。前に出るな。

少年は戻りたかった。戻れば師の言いつけを守れる。名を差し出さずに済む。

だが戻った瞬間に、荷持ちが名を言うかもしれない。契約の糸が太くなる。

そして何より、影は“戻る”を許さない気がした。


影が言った。


「支点は、示された。……糸は、繋がる」


糸。

銀糸の封印。門の糸。契約の糸。

見えない糸が少年の胸へ伸び、杭に絡みつく感覚がした。


少年は膝が熱くなる。

支点が抜けそうだ。怖れが杭を浮かせる。

浮かせた瞬間、外が名を抜く。


——息をしろ。


師の声が、胸の奥で鳴った気がした。

実際には声ではない。少年が勝手に刻んだ“師の型”が、今の自分を支える。


少年は吸って、吐いた。

吸って、吐いて、数を数えた。

ひとつ。ふたつ。みっつ。

数える行為は型だ。型は支点を固定する。


そのとき、空気が一瞬だけ“戻った”。


戻るというより、別の流れが入った。

外の薄さとは違う、内側の温度。

焚き火の匂い。糸の匂い。人の生活の匂い。


——結界。


内側から、細い結界の糸が伸びてきた。

見えないはずの糸が、見えるほどに強く主張している。

師が、内側から支援している。距離があるのに、縫い跡を跨いで糸を通している。


隊長の目がわずかに見開かれた。

師の力だ。英雄の型だ。

だが英雄の型でやれば、師が削られる。少年はそれを知っている。知っているから、胸が痛い。


影が不快そうに首を傾げた。


「……内側の糸か」


影の周囲で、森の色がざわりと揺れる。

外が、内側の干渉を嫌う。

嫌うほど、名を欲しがる。名を餌にして内側を引きずり出す。


影が言った。


「支点を、貸せ」


少年は返事をしない。

返事をしない代わりに、胸の杭に手を当てる。

貸さない。貸したら繋がる。繋がったら名が抜かれる。


だが影は、返事がなくても進める。

荷持ちの契約が一本ある。一本あれば十分だ。


影が荷持ちの方を向いた。

荷持ちの胸の線が、文字の輪郭になりかけている。

口元が震え、唇の裏で“名”が動く。


「……わたしの……」


隊長が必死に口を押さえる。

押さえても、契約は内側で進む。名は言葉になる前に、意味として漏れる。


影が甘く言った。


「言えば楽になる」


その言葉が、荷持ちの肩の力を抜かせる。

抜けた瞬間、支点が抜ける。支点が抜ければ、全員が引きずられる。


少年は一歩、さらに前へ出た。

それは自分を差し出す動きではない。荷持ちの名が漏れるのを止めるための動きだ。

外は“指名”を求めている。ならば指名をこちらが制御する。制御できるなら、代償を減らせるかもしれない。


影が笑った。


「よい。……支点は、おまえだ」


指名。

言い切り。

言い切りは契約の完成形だ。


森の色が一段階薄くなり、少年の指先の線が——熱くなった。

冷えではない。焼けるような熱。

熱は、文字になる熱だ。名が形になって外へ抜ける熱だ。


少年は歯を食いしばり、胸の杭をさらに深く打ち込んだ。

守りたいものを思い出す。師の手。宿帳。縫い跡。兵の生活。

そして、師が「支点になるな」と言った目。


——守るために、破る。


矛盾が胸を裂く。

矛盾が裂け目になる。裂け目に外が手を入れる。


影が、少年の額の前へ手を伸ばした。

触れようとしている。触れた瞬間、契約が固定される。

固定されたら名が抜かれる。


その瞬間、内側から来た結界糸が、少年の胸の杭に絡みついた。

絡みついて、強く張る。

張った瞬間、少年の支点が安定する。

——師が、支点を支えている。


影が一瞬だけ動きを止めた。

嫌がっている。内側の糸が契約の糸と干渉している。


「……英雄の糸」


影が言った。声が少し歪む。

歪みは怒りだ。怒りは刃だ。刃は名を切る。


「名を失った英雄の糸は、なお香る」


名を失った英雄。

少年の胸が跳ねた。

“唯一の名”の正体が、そこにある。名を失ってもなお“名として機能する何か”。英雄の名は消えかけているのに、外はそれを嗅ぎ分ける。

消えかけているからこそ、純度が高いのかもしれない。


影が笑った。


「唯一の名は、師の側にある」


隊長の肩が揺れた。

師。内側。縫い跡の向こう。

外は、こちらを餌にして師を引きずり出すつもりだ。


影は少年を見た。


「おまえは“錨”だ。……師を引く錨」


錨。

つまり、少年の名を抜くことで、師の名——いや、師の“名の残骸”を引き寄せる。

師が外へ来た瞬間、唯一の名が門になる。


少年は息が詰まった。

自分が師を殺す道具になる。

それだけは嫌だ。


少年は、決めた。


——契約を、こちらの型で上書きする。


少年は胸の杭に、内側の糸を巻きつける感覚を思い出した。

結界の糸は、守るための糸だ。

契約の糸は、奪うための糸だ。

ならば守る糸で奪う糸を包めばいい。縫えばいい。


少年は、指を立てた。

声は出さない。

型だけで、糸を編む。


内側の結界糸と、自分の支点を繋ぎ、薄い膜を作る。

膜は“名を通さない膜”。

名が言葉になりかける熱を、膜で受け止め、内側へ戻す。


指先の熱が、少しだけ引いた。

線が、文字になりかけて止まる。

止まるだけで、消えない。消えないのは怖い。だが今は止めるしかない。


影が、初めて苛立った。


「……小細工を」


影の周囲の森がざわつく。

ざわついた瞬間、荷持ちが泣きながら、喉を震わせた。


「……ごめ……なさい……」


謝罪。

返事ではない。だが外は、謝罪を“承諾”に変えるのが得意だ。

影が荷持ちを見て、甘く言う。


「いい。言え。名を」


隊長が荷持ちを押さえ、札師が札を投げ、薄い膜を張る。

だが膜は薄い。

外は一本の契約糸を持っている。一本あれば十分だ。


少年は、影を見た。

影の顔の輪郭が、一瞬だけ“本物”に見えた。

戦友の顔。師が封じた過去の顔。


少年は、声にならない声で誓う。


——師は引かせない。

——名は渡さない。

——支点は、奪わせない。


影がゆっくり言った。


「次の門で、決まる」


次の門。

唯一の名。

支点の指名。


森の奥で、冷たい三角形の光が強くなった。

そこが次の門だ。

門は待っている。名の支払いを待っている。

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