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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。

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彼女はヤンデいる。

作者: をりふで
掲載日:2026/01/14

 大きい音を立てて、机が叩かれる。

「まったく、最近の若い奴らはこんな簡単なこともできないのか!」

 上司の怒鳴り声を浴びているのは、ストレートの黒髪を後ろで一つに結った、スレンダーな女性だ。

「申し訳ありません……」

「謝れば済むと思うな! 終わるまで帰るなよ!」

 蝶川音羽は、か細く答えた。

「……はい」

 自分の席に戻る途中、周りでヒソヒソと声が聞こえる。

「係長、今日も機嫌悪いな」

「奥さんと上手くいってないみたいよ。あれじゃあねぇ」

「蝶川さんに八つ当たりして、ストレス発散してんのか」

「毎日見ていて、本当かわいそう」

「けど、こっちに飛び火が来ないからいいよね」

 上司の言葉よりも先輩や同僚、後輩の言葉の方が心を抉られる。

「お前ら、今週も休日出勤だからな。忘れずに出社しろ」

 職場に上司の怒鳴り声が響く。

 泣きたい気持ちを抑え込んで、音羽は仕事を再開した。


 一段落がついたのは、夜の十時。

 残業の休憩中に音羽は、高校からの友人ーー雲巣絲乃に連絡をする。

『もしもし? 音羽?』

「ごめんね、こんな時間に。今って大丈夫?」

『うん。どうしたの?』

「今週も休日出勤になってね。その、出かけるの行けなくなって……」

『いいんだよ。また予定合わせよう』

「ごめんね」

『最近、元気ないね。なにかあった?』

 音羽は職場であったことを絲乃に話した。

「上司が変わってから、今の状況なんだよね。どうしたらいいのか、わからないし……」

『そういう人って、今はよくても後から悪いことが起きるものだよ』

「話聞いてくれて、ありがとう。そろそろ仕事に戻るね」

『無理しないで。またなにかあったら電話して?』

「絲乃も無理しないでね。また電話するよ」

 友人との通話を切った。

 心が耐えられない時、話しを聞いて貰えると気持ちが少し軽くなる。

 いつも話を聞いてくれる友人には、申し訳なさと感謝でいっぱいだ。

 出かける予定を合わせて、日頃の感謝を形にして渡したい。

 なにがいいだろう。

 いけない。

 頭を仕事に切り替えなければ。

 仕事が終わる頃には、時計が深夜一時を回っていた。

 

 翌週になっても、音羽は上司の怒鳴り声を黙って聞いていた。

 いつまでこの苦しみを味わないといけないのだろう。

 布を力ずくで裂いたような音が、心から聞こえてくる。

 それを無視して、音羽は働くしかなかった。

 週の半ばになって、状況が変わる。


 音羽が出社した時、ふんぞり返って椅子に座る上司の姿がない。

 休み、なのだろうか。

 部下が休みの許可を貰いに聞くと、有無を言わさず却下していたことを思い出す。

 朝礼は課長が行った。

「係長は先日の帰宅途中、階段から転んで怪我をしたため、一ヶ月入院です。退院するまで、私が係長代理を務めます。みなさん、よろしくお願いします」

 音羽は複雑な気持ちになった。

 いやな思い出しかない上司だが、無事に退院できるまで体が心配だ。

 でも、しばらくは怒鳴られなくていいと安堵している方が大きい。


 課長が係長代理になって、職場は働きやすい雰囲気に変わる。

 精神的なストレスがないだけで、音羽の仕事の生産性は上がり、定時で帰宅できた。

 数ヶ月ぶりに絲乃と出かける約束を果たせそうだ。


 週末。

 待ち合わせの時計台で、癖のある栗毛を肩まで伸ばした女性ーー絲乃はすでに来ていた。

「会えてよかったよ」

 音羽は頷いた。

「本当、久しぶり」

「音羽、どこか行きたいところある? 遠慮なく言って?」

 最近は仕事漬けだったこともあり、羽を思う存分伸ばしたい気分だった。

 絲乃の言葉に、音羽は有り難く甘えることにした。


 お昼は喫茶店で食べることになった。

 食べ終わって、絲乃が音羽に聞く。

「あのさ、音羽。仕事大丈夫? だいぶ無理していたよね」

 絲乃と最後に連絡をしたのは、係長が入院する前だった。

「今は本当に大丈夫」

 音羽は絲乃になら話してもいいのではないのかと思った。

「実はね、上司が階段から転んで一か月入院しているの」

「やっぱり。音羽にいやなことをするから、罰があたったんだよ」

「その言い方は、よくないよ。確かに、いやな思いはしていたけど、打ちどころが悪かったら亡くなっていたかもしれないし」

 絲乃は気まずそうな表情を浮かべる。

「あ、ごめん。さすがに無神経だった。元気がない音羽の声を聞いていたから」

「心配かけて、ごめんね。でも、今は働きやすいの」

「それでも心配だよ。またなにかあったら連絡して? あたしは、音羽が元気ならそれでいいんだ」

 いい友人を持ったなと音羽は思った。

「ありがとう。絲乃が友だちでよかったよ」

「そんなこと言われたら、照れるなぁ」

 絲乃は嬉しそうに笑った。

 音羽は話題を変えた。

「後で見たいところがあるんだけど、行ってもいい?」

「いいよ。どこ?」

 喫茶店の次に向かった場所は、一万円以内で買えるアクセサリーショップだ。

「音羽、なにかほしいのでもあるの?」

「私じゃなくて、絲乃に日頃のお礼がしたくて来たの。気に入ったのがあったら教えて?」

「え、いいのに。でも、せっかくだし」

 商品棚に並ぶアクセサリーを、絲乃は見つめる。

「これがいいな」

 絲乃が選んだのは、蝶がモチーフのネックレスだ。

「これでいいの?」

 音羽が確認すると、絲乃は頷いた。

「それがいいの」

 絲乃が希望したネックレスを、音羽は店員にラッピングして貰う。

「はい。いつもありがとう、絲乃」

 渡された小さな包みを、絲乃は宝もののように両手で持つ。

「音羽、ありがとう。大事にするね。毎日つけるから」

 喜んでくれたようでよかった。


 その後、行きたいお店に行けて、音羽は心が満たされた。

「ありがとう、絲乃。気になっていたお店も行けたよ」

「音羽が楽しそうでよかった」

「でも、私が行きたいところばかり付き合わせちゃったね。絲乃も行きたいところあったんじゃない?」

「音羽のいるところが、私の行きたいところだから」

 突然、絲乃の顔から感情が消える。

 友人が知らない人に見えて、音羽は戸惑う。

「え?」

 絲乃は、にこやかに笑った。

「音羽が楽しければ、私も楽しいよ」

「そ、そっか。ありがとう」

 いつも通りの絲乃に、音羽はさっきのことを気にしないようにした。

 人は、いろんな顔を持っている。

 会社にいる時、友人といる時、家族といる時の顔は違うだろう。

 たまたま見たことがない友人の一面を目の当たりにして、少し驚いただけ。

 音羽と絲乃は予定が合えば、また出かけようと話して別れた。


 一か月後、係長は退院して戻ってきた。

 以前と変わらず、音羽に怒鳴っている。

 職場の空気も、息苦しく重々しい。

 音羽の心は、布切れのようにボロボロになっていた。

 帰宅すると、体から力が抜ける。

 疲れているはずなのに、目が冴えて眠れない。

 翌朝、会社に行く支度をしようとした。

 体が鉛のように動かない。

 音羽は会社に休む連絡をする。

 上司が電話に出なくてよかったと、胸をなで下ろす。

 怒鳴られたら、涙を堪える自信がない。

 病院に行くと、医者から休職の必要があると診断書を出された。

 音羽は上司や職場になんて言おうかと不安になった。

 ああ、行きたくない。

 これ以上、頑張れない。

 でも、社会人の礼儀として、会社に連絡はしなければ。

 気まずい思いで、音羽は再び会社に連絡をした。

 診断書は郵送することになった。

 便箋一枚の添え書きを同封してポストに投函する。

 これだけのことで、音羽は疲れてしまった。

 

 絲乃が心配して連絡してくれた。

 休職中だと音羽は伝える。

「できることがあれば言ってね。力になるよ」

 友人から温かい言葉を言われ、嬉しさと自分の情けなさで音羽は泣いた。

 一ヶ月は泥のように布団で横になって過ごす。

 体が思うように動かないのだ。


 夜中。

 外から騒ぎ声が聞こえる。

 夜明けの時間ではないのに明るい。

 赤く揺らめいているものがある。

 焼け焦げた臭い。

 音羽は目を覚ました。

 布団から飛び出す。

 上着を羽織る。

 玄関の戸が叩かれた。

「蝶川さん、起きて! 逃げよう!」

 同じアパートに住む人の声だ。

「はい。行きます」

 返事をしながら、音羽は貴重品が入ったバックを手にする。

 外に出ると、黒い煙が充満していた。

 煙を吸わないよう、鼻と口を手で押さえる。

 炎の音と熱気。

 時間はかかったが、無事に階段を降りれた。

 他の住人たちも避難している。

 幸い、逃げ遅れた人はいないようだ。

 十五分後に消火活動が行われる。 

 アパートを燃やす炎は、三時間後に消えた。

 日が昇りはじめ、空は明るくなる。

 服も、本も、お気に入りのものも全部燃えてしまった。

 音羽に残されたのは、貴重品が入ったバックのみ。

 自分だけが不幸ではない。

 それでも不安と焦燥、悲嘆と絶望が渦を巻いて大きくなる。

 音羽は立っていられなくなり、道の隅でしゃがみ込んだ。

 近所の人が心配して声をかけてくれた。

 おぼつかない足取りで、近くの公園まで歩く。

 

 公園は誰もいなかった。

 音羽はベンチに座り、午前九時頃まで放心していた。

 どんなに考えても、答えが出てこない。

 迷った末、絲乃に連絡した。

 やはり、自分でどうにかした方がいいのかもしれない。

 自分は友人に頼りすぎていると、音羽は感じた。

 途中で切ろうかと思ったが、その前に繋がった。

『もしもし?』

 金縛りにあったように体が動かず、電話を切ることができなくなった。

 喉がつっかえて、言葉が出てこない。

『もしもし? 音羽どうしたの?』

 心配そうな絲乃の声が聞こえる。

 なにも言わなかったら、向こうから電話を切られてしまう。

「……助けて」

 緊張が解けて、音羽は頬に涙を流した。

『今どこにいるの?』

「公園にいる」

『わかった。すぐに行くから待ってて』

 通話が切れる。

 二十分後、絲乃は走ってきた。

 音羽がプレゼントした、蝶のネックレスをつけている。

 泣いていた音羽を見て、絲乃は頭を下げた。

「ご、ごめん、音羽。時間が、かかって」

「ここまで走ってくれたんでしょ? ごめんね……」

 一度は止まったはずの涙が、音羽の目元に溢れる。

「お願いだから謝らないで。泣かないでよ」

 自分も泣きそうな表情で絲乃が言った。

 頬に涙を流しながら、音羽は口角を上げる。

「うん。ありがとう」

 絲乃は、音羽の背中をなでていた。

 音羽が落ち着いたのを見て、絲乃は聞く。

「音羽。話したくなければ、無理して言わなくていい。なにかあったの?」

 聞かれて、音羽はしゃくり上げながら話した。

「これから、どうしよう……」

 話し終えると、音羽は呟いた。

 こんなことを言ったら、友人を困らせてしまうだけなのに。

「あたしのところに来ない? 狭いマンションだけど、二部屋あるし。生活するには困らないと思う」

「迷惑かけられないよ。私、今休職中だし……」

「他に行くところがあるの?」

「ない、けど」

「音羽なら大歓迎だよ。一緒に行こう」

「……うん」

 音羽は、絲乃に手を引かれて歩く。


 三十分後、絲乃が住むマンションに着いた。

「おじゃまします」

「これから音羽も住むんだから、かしこまらなくていいよ」

「でも……」

 玄関で立ちつくす音羽を、中へ絲乃は手招きする。

「ほら、おいでよ」

 靴を脱ぎ、遠慮がちに音羽は足を踏み入れた。

 絲乃に手を握られ、扉の前に移動する。

「この部屋使っていいよ。掃除が行き届いていないけれど」

 ドアノブを回して開けると、広さ六畳ほどの部屋がある。

 布団一式が置かれているだけだ。

 音羽が来るのをわかっていたように、きれいである。

「後で必要なものを見に行こうか。役所にも手続きしに行かないとね」

 音羽は絲乃に申し訳なさと有難さでいっぱいになり、頷くことしかできなかった。


 絲乃は、休職している音羽を腫れものに触るように接することはなかった。

 変に気を遣っている様子は見られない。

 音羽が勘づかないよう振る舞っているだけかもしれないけれど。

 どちらにせよ、今までと同じように接してくれている。

 音羽はそれが心地よかった。

 だが、気がかりなことがある。

 ずっとは、ここにいられない。

 絲乃にも限界がある。

 本人はなにも言わないが、大きい負担をかけていることは確実だ。

 お互いのためにも、いつまでも甘えている訳にはいかない。


 音羽は、ずっと思っていたことを口にする。

「私、実家に帰ろうと思うの。ここにいたら、絲乃に迷惑をかけるだけだし」

「ここにいるのが、いやじゃないんだよね?」

「うん。絲乃といると楽しいよ。でもね、やっぱり私がいると負担かけちゃうなって思う」

「負担なんてかかってない。寂しいこと言わないでよ」

 絲乃が眉尻を下げて泣きそうな表情を浮かべる。

 音羽は自分が悪いことをした気持ちになり、胸が痛んだ。

「……私、ずっとここにいてもいいの?」

「うん。音羽といると楽しいし、いてくれたら嬉しいな」

 絲乃は手を後ろに回して口角を上げた。

 音羽は出て行かねばならないと思っていたが、不安で胸がいっぱいだった。

 休職中で復職できるのか、転職するのかを考える必要がある。

 今一人になったら孤独に耐えられるのか、わからない。

 絲乃からいてもいいと言われ、音羽は安心した。

 友人の存在は音羽にとって、心の支えになっている。

 同じマンションに住む以上、自分も絲乃の役に立てるようになろうと、音羽は前向きに考えた。

「ありがとう、絲乃。私、頑張って社会復帰する。これからもよろしくね」

「こちらこそ、末永くよろしく」

 ガシャンッと金属の音がした。

「ーーーーえ?」

 自分の手首を見ると枷がはめられている。

 鎖で繋がれ、自由に移動ができない。

「やっと、捕まえた」

 絲乃は、ほしかったオモチャが手に入った子どものような笑みを浮かべる。

 音羽は背筋が凍る感覚がした。

「い、との……?」

 逃げたくても、手枷があって動けない。

「よかった。音羽がここにいるって思い直してくれて。そうじゃなかったら、足首を切断しなきゃいけなかった。でも、痛いし、いやでしょ? あたしも、そんなことしたくないし」

 現実を音羽は受け止められないでいた。

 まさか友人が、自分にこんなことをするなんて誰が思うだろうか。

 絲乃は興奮した様子のまま続ける。

「ちなみに、音羽の上司を階段から突き落としたのは、あたし。本当はナイフでお腹を刺そうとしたけど、人殺しは音羽がいやだと思ってやめたの。一ヶ月程度の入院で済むなんて、悪運が強すぎるでしょ。アパートに火をつけたのも、あたし。これでも犠牲者が出ないように考えたんだよ? おかげで音羽が家に来てくれたから、成功だね」

「なっ、なんでそんな、ことしたの?」

 恐怖で歯を鳴らしながら、音羽は口を開いた。

「お願いだから怖がらないで。音羽のことが好きなの。この世界の誰よりも愛しているの。だから、音羽がネックレスをプレゼントしてくれて嬉しかった。音羽はあたしにとって、きれいな蝶だから。あたしがずっと、ずーっと、最期まで大事にお世話するから安心してね。お金や仕事の心配なんかしなくていいよ。音羽のためだったら、あたしはなんだってできるもの」

 音羽の頬を、絲乃は優しく撫でる。

 愛しいものに触れる手つきだ。

「あなたは、あたしだけいればいい。あたしも、あなたがいてくれればいい。他はいらない。あたしから離れるなんて許さない。あたしと一緒にいてくれたらいいの。ーーーー死ぬまでね」

 絲乃は微笑んで、音羽を抱きしめる。

 抱きしめられている音羽は、なにもないところを見つめ、静かに涙を流す。

 ああ、捕まってしまった。

 どこにも逃げられない。

  

 ***


 高校入学式。

 ストレートの黒髪をなびかせた、スレンダーな同級生を見て、絲乃は胸が高鳴るのを感じた。

 生まれてはじめて、一目惚れをした。

 恋をした相手は、蝶川音羽という名前だ。

 幸運にも同じクラスだと知り、絲乃は嬉しくて飛び上がりそうになった。

 誰よりも先に話しかけ、友人の地位を陣取ることができた。

 男女の恋愛が大多数の世の中で、同性を好きになったことは誰にも言えないし、相談もできない。

 絲乃はせめて、音羽にとっていい友人でいようと努めた。

 けれど、抑え込まれて膨れ上がった恋心は、少しずつ形が歪になっていった。

 音羽に近づく男がいれば嫉妬で怒り、追い払う。

 音羽にいやなことをする人間がいたら、相応の罰を与える。

 月日が流れ、音羽はきれいになった。

 友人でいるだけでは、満足できない。

 絲乃は頭を抱えていた。

 音羽を手に入れるには、どうしたらいいのか。

 誰にも渡したくない。

 誰にも見せたくない。

 いつも目の届くところにいてほしい。

 知らない誰かのところに行かせたくない。

 一人では、なにもできなくして。

 自分に依存させれば。

「音羽は一生、あたしのもの」

 絲乃は頬を赤く染める。

 焦りは禁物だ。

 臆病な蝶を逃してはいけない。

 蜘蛛は巣を作って、蝶が来るのを辛抱強く待つ。

「待っているからね、音羽」

 恋人に言うように、絲乃はささやいた。

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