第六章 最後のお客さん
ゆうきさんから貰ったプレゼントは、家に帰っても開けられなかった。
もう直ぐさよならなんだと理解した私は、ゆうきさんを避けるのを止めた。
意地を張る理由はあるけれど、きっとそれでは私は一生後悔する──そんな気がしたから……。
私は、いつもの様に日曜日のシフトを十九時に終え、ふと店内で勉強しようと思った。
ロッカーで着替えを済ませ、端っこの席。
出来るだけ目立たない位置で、外の景色を横目に看護師国家試験の勉強をしていた。
過去問を解き終わり、ふと目線を外に向けると少し遠く──外からこちらを見て、立ち止まるシルエット。
ごく軽く片手を上げる仕草が心を落ち着かせ、心臓を高鳴らせた。
咄嗟に会釈を返すと、ゆっくりとこちらに向かい、歩いてくる。
店内の自動ドアが開き、一歩踏み出し、「隣、良い?」と当たり前のように。
「いいよ」
私が応えると、ジャケットの胸ポケットから財布を取り出し机に置いた。
真っ白な財布。ゆうきさんの財布を初めて見たと思った。
「勉強?」
ゆうきさんは、抹茶ティーラテを片手に話す。
「うん、ちゃんと勉強しないと。抹茶ティーラテ、珍しいね」
「抹茶苦手なんだ」
ゆうきさんは困ったように笑う。
「じゃあ、何で頼んだし」
私は笑う。
「抹茶ティーラテ氷少なめミルク多めソイ変更」
ゆうきさんの鈴が音を立てないように柔らかく揺れるのが見えた。
「それって……」
「彩愛ちゃんに教わったやつ」
驚く私に、ゆうきさんは続ける。
「飲んでみようと頑張ったけど、やっぱ苦手だ」
私はホイップの最後の一息みたいに絞り出す。
「……そっか」
何とか応えた私を優しい目で見て、ゆうきさんは畳み掛けた。
「勉強終わったらさ、ご飯行かない?」
勢いのまま、私は小さく頷いてしまっていた。
「どこに行くの?」
並んで歩きながら、私は聞く。
「どっか行きたいとこでもある?」
「ううん、分からない」
「臨海でも行こっか。帰り道でしょ?」
「うん」
蒼環線のエスカレータを昇り、改札を抜ける。
いつもみたいに右へ歩き、臨海ターミナルへ向かう。
何を話したか思い出せない。
ただ、緊張や心のガードなんかはどこかに飛んで行き、ひと月前のあの時みたいに話をした。
『あぁ……これは、あの時の別の世界線なのかな?』そんな風に考えていた。
ルミナスに着くと、ゆうきさんは「ここがCA4LA」とオシャレな帽子屋さんを紹介し、その地下のフードエリアでJOHN’S GRILLに入り、二人ともオムライスを頼んだ。
その後、並んで臨海ターミナル駅の改札に入ると
「今日は、丘の上駅の改札まで送って良い?僕、暇人だから」
そう言って、ゆうきさんは当たり前のように連いて来た。
臨海連絡線に乗り、丘の上駅の改札に着く。
「あのさ」
ゆうきさんは、急に真面目な声になる。
「LINE、交換しよっか」
ゆうきさんの目が揺れているのを初めて見る。
きゅっと胸が締め付けられる。
「えー……」
少しだけ、意地悪な声で嫌そうに言ってしまった。
「……ダメ、かな?」
ゆうきさんの動揺が伝わる。
「……ダメ」
断る私。
ゆうきさんは、何も言わずにポケットからiPhoneを取り出し、LINEの画面でQRコードを表示させて差し出す。
「ダメだってば」
今度は、はっきりと言えた。
それでも、ゆうきさんはiPhoneを引かない。
私も、ゆっくりとバッグからiPhoneを取り出す。
「本当に、ダメ。私、彼氏居るから」
iPhoneを両手で胸に当て、もう一度言う。
──数秒の沈黙。
ゆうきさんがやっと口を開く。
「ダメだけど、嫌じゃないでしょ?」
その言葉を聞いて、私のiPhoneはゆうきさんのQRコードにピントを合わせた。
年が変わって二〇二六年一月十五日。
今日が最後のシフトだ。
LINEを交換した後、特にデートに誘われるようなことも無く。
『スタバの出勤は、いつまで?』
『うーん。1月15日(木)のラストまでかな。国試が2月15日(日)だから』
たったそれだけだった。ゆうきさんのあの緊張感は何だったんだろう?
何かを期待した訳じゃないけれど、内心、肩透かしを喰らった。
何が目的だったんだろう?やっぱり、ただの遊びのつもりだったのかも知れない。
私は、裏で最後に洗い物をしながらそんなことを考える。
最後のシフト──閉店まで、後五分。
栞ちゃんが、裏に入って来る。
今の時間はレジだったはず。お客さん、少ないのかな?
そんな風に思っていると
「彩愛ちゃん、ちょっとレジお願い」
最後のトラブル──私は、タオルで手を拭き、栞ちゃんを見る。
トラブルにしては、にやにやしている。
「どうしたの?」
「良いから」
栞ちゃんがこんな風に急かすことは、あまり無い。
ふと時計を見る──後、三分でお店を閉めなきゃ。私は、スリープしかかっていた気持ちをスタンバイモードに切り替えた。
店内に出る。レジに向かうと、ゆうきさんが居た。
「我が儘言ってごめんね」
ゆうきさんは栞ちゃんにそう言うと、栞ちゃんは
「常連さんのお願いですから」
と応え、栞ちゃんの足音が遠ざかる。
「彩愛ちゃん」
ゆうきさんがいつもみたいに──でも、いつもと違う注文をする。
「僕、彩愛ちゃんにレジしてもらいたい。そんで、彩愛ちゃんにドリンク作ってもらいたい」
そして、続けたゆうきさんの言葉に私の目頭が熱くなった。
「僕、彩愛ちゃんの最後のお客さんになりたい」
何とか、溢れる涙が零れ落ちないように、上を向き、目を瞑る。
目尻に沿って、優しく涙が伝う。マスクの紐が、それを静かに隠してくれる。
ほんの数秒。
気持ちを整える。
私は、いつもの笑顔でゆうきさんを迎える。
「こんばんは」




