春 ③
夜の空気が、静かに冷えていた。
障子の向こうで風が鳴り、桜の枝がこすれ合う音がする。
璃音は眠っていた。
小さく寝息を立て、ときどき眉を寄せる。
夢の中では、たぶんまだ星の光の中にいるのだろう。
居間には灯りが一つ。
蛍光灯の淡い光の下で、美咲とノヴァ、怜生、夕真、ミア、アール先生がちゃぶ台を囲んでいた。
湯呑から立ちのぼる湯気が、夜気に溶けていく。
「——セレステアの観測は終わりました」
ノヴァの声は穏やかで、どこか遠く響いた。
「完全に消滅。残ったのは、あの子ひとりだけ」
静かに茶碗の音が鳴る。
誰も言葉を継がなかった。
外の風が、障子をかすかに揺らした。
「また一人増えちゃったね…辛いだろうな、あの子」
怜生がぽつりとつぶやく。
「この家に人が増えるのは、簡単に喜べないな…」
夕真が何かを思い出すように続けた。
ミアが空気を変えるように明るく笑った。
「でもでも!なんだかんだで、他の所じゃなく
この家に来てくれた事は良かったよね!」
美咲は少しだけ目を細めた。
「ええ。雄一郎さんも、きっとよく来たねって言うわね。」
アール先生がひげを揺らす。
「しかしまあ本当に、どんどん変わった家になるなぁ、ご近所さんにはどういう家族構成ということにするかね?」
「ほんとね、どうしましょう?今となっては私と玲生と夕真が親子にも見えないし…」美咲が困りつつ笑う。
「母さんは全く老けないからなぁ…とりあえず全員父さんの子供だったことにしておくとか?」
ヘラヘラと怜生が答える。
「それだとあの子、父さんが何歳の時の子になんの?」
夕真が続けると呆れたようにノヴァが遮った
「故人に勝手に変な設定をつけないでください!皆さんの関係性や地球人としての登録については銀河共同体のほうで何とでもしますので!
皆さんは保護対象としてできる限り健康に暮らしてく頂ければ大丈夫です」
「ノヴァちゃんやさしーい。承知です!」
ミアがおどけた。
ノヴァが小さく息をつく。
「——この家が“選ばれた”のは、偶然じゃありません。穏やかで、静かで、そして誰かを受け入れる余白があった。
あの子がこの家で、また生きていけるように。できる限りの事をしましょう。」
その言葉に、美咲は黙って頷いた。
外では、竹が鳴る。
璃音の部屋の方から、かすかな旋律が流れてきた。
水の底のような、やわらかな音。
「寝言…?歌ってるのかな」
怜生が耳を傾ける。
ミアが頬杖をついた。
「夢の中で歌うなんて、素敵な子だね」
アール先生が目を細める。
「歌は祈りに近い。
——何かを祈っているのかもしれないね。」
美咲は静かにその言葉を聞いていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……ここはね、終わりのための家じゃない、
“生きていくため”の家だものね。」
桜のつぼみが一輪だけ、先に開いて月に照らされていた。
春の夜は冷たい。
けれど、その冷たさの奥で、小さな息吹が確かに脈打っていた。
---
この「静けさ重視の3話」で春章の“導入3部作”がきれいにまとまります。
次は第4話「春の夢」で、璃音の夢の中に“星の記憶”を入れていく流れで進めてよい?




