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貧乏はしあわせ

 6歳の夏菜なつなを助手席に乗せて、大阪と熊本を3往復するのは気持ちが折れかける。


 昔は大型トラック運転手といえば高給取りだったのだそうだ。

 しかし今では底辺というしかない。

 特に私の就職した会社は、拘束時間の長さのわりに賃金が安い。長距離仕事が月に何べんもあって給料が20万円そこそこというのは、他の会社では考えられないそうだ。


 しかし手積み手降ろしがなく、子どもを乗せて仕事をしてもよいと言ってくれるこの会社の他に、私には行く宛がない。


 助手席で、夏菜はよく眠る。


 空腹をまぎらわす一番の方法は睡眠だと、幼いながらによくわかっているのだ。


「ん……」

 目を覚ますなり、呟いた。

「おなか……へったぁ……」


 まだ寝ぼけているのだろう。

 いつもならけっして口に出さない言葉だった。

 私のことを気づかって、欲しいものがあっても絶対に口にしない子だった。


「ママもお腹減っちゃった」

 ハンドルを握りながら、私は娘に微笑んだ。

「ごはんにしよっか?」





 そのサービスエリアには吉乃屋よしのやがあった。


 一食150円までと決めているので、外食なんて三ヶ月ほどしていない。

 しかし節約を重ねた成果が500円ぶん溜まっていた。

 一食だけ、500円のものが食べられるのだ。


 家にいれば500円もあれば相当なご馳走が食べられる。

 しかし仕事柄、私たちは外にいる時間がほとんどだ。

 そして長時間の車内生活で疲れきっていた。


 店内に入ると夏菜が目を輝かせた。

 ポスターに写る吉田ニコルのスマイルと顔を合わせて幸せそうに笑う。


 500円で牛丼は買えなかった。

 昔は300円あれば食べられてたのに……


 一番安いのが豚丼だった。とはいえそれでも520円もする。

 諦めて店を出ようとしたが、娘のはしゃぎっぷりに足が止まった。


 いいか……20円オーバーぐらい……。



「しゅごい!」

 提供された豚丼を見るなり、夏菜が大声をあげた。

「こげなごちそう、この世にあったんだ!」


 カウンターのむこうで店員のお姉さんが可笑しそうに笑った。

 冗談だと思っているのだろう。ひょうきんな子だと思っているのだろう。


 少なくともこの半月のあいだ、ずっと麦飯のおにぎりと梅干しでしのいできた。

 親子とも元々ほっそりしているのでなんとかふつうに見えているだろうが……


 たまの贅沢をさせてやりたかった。


 カウンター席に着き、一椀の豚丼を娘と私のあいだに置いた。


「紅しょうが、入れてもいいかな?」


 私が聞くと──


「しゅごい! この赤いの、食べ放題!?」


 夏菜がまた声を張り上げた。


 これが紅しょうがでなかったら、容器の中のものをすべて食べてしまっていたことだろう。

 紅しょうがでよかった。最初は無理して美味しそうに食べていた夏菜も、すぐにおかわりを取ろうとはしなくなった。お行儀のいい子に収まった。


 独身の頃、ここの吉乃屋で牛丼を食べてお腹を壊したことがあった。


 あの頃はお金もあった。

 牛丼なんて美味しくもないし、お腹も壊すしで、有り難くもなんともなかった。


 貧乏になると520円の豚丼の有り難みがよくわかる。


 こんな美味しいものがこの世にあったのかという気がしてくる。


「美味しいね」

「おいちーねー!」


 夏菜と笑顔を合わせて、一椀の豚丼を半分ずつ食べる。


 貧乏はしあわせだ。

 ものの有り難みが、何かを大切にすることが、心からいいと思える。

 たとえ誰に何と言われようとも、私たちはしあわせなのだと、今だけは、自分にそう言い聞かせた。





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― 新着の感想 ―
胸キュンですね…… どうか、ご安全に。
胸がえぐられるようなお話でした。 夏菜ちゃん…いいこですね…。
 失ったからこそ理解できる何気ない幸せの価値。  だがしかし……。
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