第4話 省治学
省治学
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六月某日、小野寺はいつも通り二組の教室の教壇に立っていた。
「それでは省治学の授業を始めま~す。今日は[心]についてで~す。
皆さんは、[心]とは何かを知っていますか~? 多分知らないでしょ~。
だから、今日は特別に教えて差し上げます!
それではいつも通り、最初は疑問に答える形で進めていきま~す。疑問がある方は手を挙げてくださ~い!」
数人が手を挙げた。
「それではまずAくん!」
「心って結局のところ何なんですか?」
「お! 単刀直入に聞いちゃいますか! いいでしょう、答えてあげましょう!
端的に言えば、[心]とは[究極の真理の結晶]です。[この世の理]ってありますよね? 全てを創造しているやつ。あれが凝縮されたものなんです。[心に従え]とか、[心を信じれば未来を切り開ける]とか、あれは[心]がこの世界を司ってる、創ってるからこその言葉なんですね~」
「あ、ありがとうございます」
「はいじゃあ次は、Bくん!」
「じゃあそれはどこにあるんですか?」
「気になりますよね~。欲しいですよね~。皆さんは、[心に穴]が空いたみたいになったことが一度はあるでしょう。実はそこにあるんですよ~。「心に穴が空いたみたい」じゃなくて、「穴みたいなのが心」なんです。
そういう時って大体、寂しかったり、虚しかったりしませんか? 自分はこのままでいいんだろうか、本当にしたいことは別にあるじゃないか、って素直な気持ちが出てきますよね~。そういうことです。じゃあ次は七海くん!」
「[心を穴]で例えるなら、それが満たされることはあるんでしょうか」
小野寺は不敵な笑みを浮かべて七海の疑問に答えた。
「ありますよ~。満たされるために空いてるんですから~。だからひたすら自分の[心]と向き合い続けるんですよ~。偉大な先人たちが言うようにね。
あらら~、もう言うべきことを言ってしまいました~。さあ! ここからは対話の時間です! いつも通り隣の席の人と話してみてください。[心]と向き合うことを忘れずにね!」
七海は野山の隣の席にいた。
「野山くんは[心に穴が空いたみたい]な状況になることってあるのかしら?」
「結構あるかな。そのせいで全てに自信が持てなくなって、消極的になってしまうというか」
「そうだったのね。やっぱりみんなあるものなのね」
「七海さんにもそういう時があるの?」
「私なんてずっと[穴が空いた]ような感じがしているわ」
「そうなんだ。……意外だな」
「あら、そう?」
「普段の七海さんは堂々としてて、確固とした自信を持ってるように見えてたから」
褒められた七海は、笑みが見え隠れした表情で答えた。
「ま、まああれよ。その[穴]と向き合った苦しみの分だけ自信になってるって感じよ」
「七海さんは凄いね」
次は青戸と細野の席だ。
「[穴]か。感じたことあるか?」
「う~ん。私はできる限りそれを感じないようにして生きてきたかな~。でも結局逃げられないんだけどね」
「そうなのか。じゃあ先生の話を聞いてどう感じた?」
細野は可愛らしさを保持したままの困り顔で答えた。
「そうだな~。もう何が正解かわからなくなっちゃうよ~」
「正解、か。
『確かにわからないな……』」
『青戸くんのその言葉を聞くとなんだか安心するな~』
戸崎と楓の席を見てみよう。楓が仙人らしく迷い人をリードした。
「どうだ? 先生の話は納得できたか?」
「そうだったらいいなって感じかな~」
「どうしてそう思ったんだ?」
「[この世界の真理]が[心]だとして、その[心]が満たされるためにあるんだとしたら、この世界は僕らが幸せになるために存在することになるからね」
「まだ今はそう思っていないということか?」
「そうだね~。まあ、自然とそう思うことはできないな~」
「周りからお前を見れば、勉強もスポーツもできて、顔も良くて、家が裕福で、幸せが約束されているように感じるが、それさえも覆してしまう何かがあるってことなのか?」
「そうなのかもしれないね。
『言えるわけないよね』」
「そうか……」
次は萌木と金城の席だ。
「金城くんはどう思った?」
「萌木ちゃんは?」
「あたし? あたしはね~、ちょっとほっとしたな~」
「ふ~ん。どうしてほっとしたの?」
「だって~、怖かったから。[心の穴]? みたいなのがある時は、自分が自分じゃなくなったように感じるじゃん? 先生の言うことが本当かどうかはわからないにしても、はっきり自分のものだって言ってくれたのは、嬉しかったな~」
「俺もそう思うよ」
「ほんと?!」
「俺たち一緒だね」
水田と小野の席はどうだろう。
「[穴みたいなのが心]なんだってよ。驚いたよな」
「そうだね~。考えたこともなかったよ~」
「しかもそれが[究極の真理の結晶]なんだってさ。どう思うよ。俺は結構テンション上がったな~」
「う~ん…………。よくわかんないな~」
「わかんないか。あーっはっはー!」
二人揃って大きく笑って終わった。
放課後になった。教室には、委員会の仕事で残って作業をしている七海と細野がいた。七海は細野の席の隣、すなわち青戸の席で無数の紙を折っていた。
「これも因果応報ね。選挙管理委員会だから選挙を管理できるのかと思って立候補したら、やらなければいけない仕事によって私たちが管理されてるもの」
「七海ちゃんは大人だね! そんなこと考えもしなかったよ~」
「大人なのは細野ちゃんの方よ。どんなことでも気持ちを切り替えて頑張れるんだから」
「それはいいことなのかな~。それに、誰でもできそうな気がするし~」
「そんなことないわ。私なんて嫌なことがあっても、気持ちを切り替えられないまま突っ込んで、中途半端に玉砕するのが常だもの。だからそれも立派な才能の一つよ」
「ありがと~」
そんな話をしていると、青戸が教室に戻ってきた。青戸は自分の席に近づきながら言った。
「選挙管理委員会の仕事か。俺も手伝おうか?」
「あら青戸くん。ごめんなさいね、勝手に座っちゃって。もう帰ってこないと思ってたから、二度と」
「永遠の別れにしてくれるな。別にそこに座ってて構わないぞ」
「じゃあお言葉に甘えるわね」
『二人なんかお似合いだな~』
そんなやりとりをする二人を見てか、細野は疲れた笑顔でそう思った。
青戸は細野の前の席に座り、二人の方を向いて話した。
「もうすぐ終わりそうじゃないか。お疲れさん」
「ありがと~。青戸くんは何してたの?」
「俺は図書委員会があったんだ。主催者側も含めて誰一人あの集まりに価値を感じていないようだったがな」
「[穴みたいな心]のせいね。自分も含めて世界がどこか滑稽な芝居をしているように見えてしまう」
「七海ちゃんはそういう時どう思うの?」
「苦しくて辛くなるわね。[穴]が奈落の底まで無限に続いているような感じがして」
「怖くなったりしないの?」
「怖いのは怖いけど、自分が怖がってるのも芝居みたいに感じて、そのうち[穴]に溶け込んでいくわね」
「耐えられなくない?」
細野は最後の一枚を力強く折った。それに七海は、青戸の机に冠婚葬祭と落書きしながら返事をした。
「耐える以外に選択肢がないのよ」
「こら。消しなさい」
「そうなんだ~」
「じゃあ生徒会室に持っていきましょうか。青戸くんは、この後は何かあるの?」
「後は帰るだけだな」
「じゃあありがたそうに待っててくれるかしら?」
「なんでありがたがらないといけないんだ」
七海と細野は大量の紙をダンボールに入れ、二人とも一つずつ持って教室を出た。二人は夕日が地面に窓を作っている廊下を歩きながら話した。
「二人ってほんと息ぴったりだよね~。付き合ってないの?」
「え?! が、学生が男女交際なんて百五年早いわ」
「平均寿命超えちゃってるよ~。
『一瞬だけど本気で動揺してたな~。少なくとも気はあるんじゃないかな。気付かせちゃったかな。いや、七海ちゃんはそんなに自分の気持に鈍感じゃないだろうから、きっと気付いてるんだろうな』」
何事もなく生徒会室に届け終わり、教室に戻ってきた。
「お待ちしておりました陛下。早く帰りましょう」
『ありがたがってるね』
「悪かったな青戸伍長。さあ帰ろう」
七海は得意げに自分の席に置いていた鞄を持ちながら言った。
「伍長はさすがに階級低くないですか?」
「君は伍長を甘く見ているから伍長なのだよ」
「今のは殉職クラスの糾弾です陛下」
「なら二階級特進だ。良かったな青戸曹長」
「お戯れが過ぎます陛下」
学校から最寄り駅に通じる坂を、三人は下っていた。ポジションは、細野と青戸の後ろに七海が続く形になっていた。細野が正面を向いたまま大胆に話を切り出した。
「二人ってさ、運命の人っていると思う?」
「私はもちろんそう信じてるわよ」
「同感だ。それを信じなければ永遠の孤独だからな」
「永遠の孤独、か。もしもだけど、その人と結ばれなかったらどうする?」
「そんなことは考えることもできないわね」
「結ばれなかったのなら運命の人ではなかったと思いたいな」
「そっか~。
『いかにも青春って感じの恋愛話で盛り上がったりしないな~。もっと二人の恋愛観とか知りたいんだけど』
じゃあ、運命の相手じゃない人を好きになったらどうする?」
「今日の小野寺先生の話でいけば、[心]は[運命の脚本家]ということになる。[運命]が[運命]でない者を好きになるなんてことがあるんだろうか」
「どこか自分で自分にこの人を好きだと言い聞かせてるところがあるんじゃないかしら」
「なるほど~、そういう考えか~。
『真剣に答えるな~。[運命]って言葉がこの二人にとって大事な言葉ってことなのかな』」
「で、細野さんはどうなんだ?」
「え!?」
「そうよ。私たちの答えを聞いてしまったんだもの。答えるまで追いかけ続けるわ」
「恋愛の話からホラーに変わっちゃったよ~。え~っとそうだな~。運命か~。運命が二人を引き裂くこともあるんじゃないかな~」
「なるほど。引き裂く、か」
「あの[運命]が……」
『真犯人がわかった人みたいになってるよ~』
駅のホームで、静かに反対側のホームの椅子がつくる影を眺める三人。影のように何もかも静止していた。沈黙を始めに破ったのは細野だった。
「もうすぐ期末テストだね~。二人は勉強してる?」
「オレンジ色に染まった駅のホームで定期テストの話をする。青春の一ページね。大体二十五ページ目ぐらいかしら。勉強の方はゼロページ目ぐらいかしら」
「一緒! 勉強苦手なんだよね~。青戸くんは?」
「勉強は学生の本分だからな。当然やってるぞ」
「青戸くんはさすがだね~。頭いいもんな~。私も、校内宿泊研修をご褒美に頑張らなくちゃ!」
「何かをご褒美にテスト勉強を頑張る。青春の一ページね。大体二十六ページ目ぐらいかしら」
「勉強の方は?」
「ゼロページ目ぐらいかしら」
七海はあの世とこの世を見通したような目で呟いたのだった。