第26話 卒業式当日
卒業式当日
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人生の荒波を乗り越えるための鍛錬の時間を過ごした彼女らにも、とうとう飛び立つ日がやってきた。幸運なことに、桜は卒業式の日をピンクのベールで包み込んだ。例年通り卒業生は午後から集まり、教室で用意されているお弁当を食べてからホームルームに臨んだ。
五十嵐は皆が昼食を食べ終わった頃に教室にやってきて、教壇に立った。
「皆さんこんにちは。それでは今から、最後のホームルーム前編を行っていきます。
まず、今日は卒業式です。主役は、ここにいる皆さんです。走馬灯を見るように三年間の思い出を振り返りながら参加してみてください。この教室を出発する時間が、午後二時となっていますので、それまでは自由時間ですが、二時に出発できるように廊下に並んでおいてください。次です。朝のテストは、……もう必要ありませんね。それではひとまず解散とします」
五十嵐は最後の青春の空間に水を差さないよう、教室を出ていった。七海は五十嵐を追いかけて教室を出ていった。
「先生」
七海の呼ぶ声に五十嵐は立ち止まった。
「どうしましたか、七海さん」
「先生に伝えておきたいことがあって。少しお時間いただいてよろしいでしょうか」
「構いませんが、なんですか?」
「先生には三年間、私の、心の声が聞こえないことで色々ご迷惑をおかけしてしまいましたが、先生のおかげで、無事今日を迎えることができました。先生には、感謝してもしきれません。ありがとうございました」
「別に迷惑だなんて思っていませんよ。私も、あなたのおかげで気付けたことがたくさんあります。こちらこそありがとう。ただ、」
「ただ?」
「こういうのは卒業式が終わってから言うものじゃないでしょうか」
「確かに!」
七海はハッと気付いた顔をした後、満面の笑みになって手を差し出した。五十嵐は七海と握手をして言った。
「あなたって人は……」
五十嵐と別れた七海が教室に戻ろうとすると、そこに小野がやってきた。
「七海ちゃん、今時間大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。どうしたの?」
「ちょっと来てもらえる?」
「もちろんよ! 小野ちゃんの誘いなら、廃工場でも裏カジノでもどこへでもついてくわ!」
「それはダメ!」
二人は教室を後にし、階段を下りたところにある三組の前へ行った。
「あら、金城くんじゃない」
「久しぶりだね、七海ちゃん」
「それで、小野ちゃんの用は何かしら?」
「あのね、私たち、実は付き合ってるんだ……」
「そうだったの! 知らなかったわ!」
七海が言い終わると、金城は目を遮っていた前髪をどけて言った。
「七海ちゃんのおかげで自分の本当の気持ちと向き合うことを知れたんだ。だから、君には伝えておかないとと思って」
「あなたの人生は一つの曲そのものね。良かったわ。自分の[心]に気付けて。じゃあ二人ともに言うわね。お相手をどうか大切にしてあげてください」
「ありがとう」
「七海ちゃんも、これからもよろしくね!」
「もちろんよ! ただ、」
「ただ?」
「こういうのは卒業式が終わってから言うものじゃないでしょうか」
「確かに」
三人は悔いが残らないぐらい笑った。
その後、卒業式が執り行われ、全員が卒業証書を受け取った。卒業生は退場し、各クラスに戻り、最後のホームルームが始まった。
五十嵐は最後の役目を務めた。
「それでは、最後のホームルーム後編を始めます。
最初に連絡事項が一点。卒業したからといって、あまり羽目を外し過ぎないようにしてください。皆さんには未来があります。人生まで卒業することのないよう、気をつけてください。
……。連絡は以上です。
ここからは、担任としてではなく、ただの人間、五十嵐からの話をさせてもらいます。
先ほど未来と言いましたが、未来は何が起こるかわかりません。ただ、必ず起こることがあります。それは、迷い、悩むことです。
その時は、非常に苦しい思いをすることになるでしょう。眼前には闇が広がっている。それなのに、後ろは崖で、底の方を覗くと無限の闇が広がっているために、引き下がることができない。ふと自分の胸に手を当て、意識を自身の内に向けたら、そこにもまた闇がたたずんている。
それがいわゆる、[絶望]というものです。そうなると人は、色々と諦めなければならなくなります。
そうなった時、大半の夢は諦めても問題ありません。大体は何の根拠もない欲望なのですから。
しかし、そんな中で諦めてはいけないことがあります。それは、[最後に残った夢]と、人間として生きることです。
それを諦めてしまえば、その後の人生は完全なる闇、完全なる無になってしまいます。絶望した状態が続き、生きている意味も目的もない。ただ食べるために生きることになります。
皆さんにはそうなってほしくない。それは非常にもったいないことだからです。
[生きる目的]や[意味]、[生きがい]、[信念]。そういったものは、[絶望]した先にあるものです。何かのために生きるということは、その何かがなければ生きていられないということと同じです。つまり、絶望している状態とほとんど変わらないのです。
しかし、その紙一重の違いが雲泥の差となります。自分が、[自身の内から見出した希望]さえあれば、あらゆる絶望の闇を照らすことができます。
なので皆さんには、[絶望]の先で、その何かを見つけていただきたい。それこそが人間として生まれてきた理由なのですから。
[希望]は必ずあります。それは私が保証します。ですから、繰り返しになりますが、思う存分[絶望]し、[希望]を見つけてください。
以上です。三年間本当にありがとうございました」
五十嵐は爽やかに一礼した。以上で帰りのホームルーム、高校生活が終了した。
野山は七海の席まで来て感謝の言葉を述べた。
「七海さん、三年間ありがとう」
「こちらこそありがとう。野山くん」
「君と出会えて良かったよ。君という人間がいたことで、俺は人間を信じるということを知れた」
「野山くんは優しいわね。人を受け入れられる優しさがあれば、きっと[真実]に到達できるわ。それと、野山くんの変化自体が、私を、私たちを元気付けていたことも知っておいてね」
「俺の変化が?」
「ええそうよ。苦しみの山を登らんと食らいつく人間の姿は、それだけで周りの人間を鼓舞するものだからね」
「俺が……。最後の最後まで本当にありがとう」
「こちらこそありがとう。これが最後と言わず、また会いましょうよ」
「そうだね。必ず」
「あ、そうだ。私のドッペルゲンガー結構いるから、間違わないようにしてね」
「中身が違うなら、たぶん気付けるよ」
「頼むわね。それじゃあまた」
教室の外にいた小野寺に、七海と楓が会いに行った。
「お~、七海くんと楓くんじゃないか~。もしかして卒業しちゃった?」
「しましたけど、どうかしましたか?」
「あら~、卒業しちゃったか~。おめでとう。これでまた一歩死に近づいたね~」
「そこは大人に近づいたでいいじゃないですか〜」
「大人なんかよりも死の方が重大だからね~。それより、なにか私に言っておくこととかあるんじゃないの?」
「なんでしたっけ?」
「命拾いしたな、とかですか?」
「いや確かにそうかもしれないけど。そうじゃなくて、お礼の言葉とか!」
「先生のおかげで、人間にとって最も大事なものを知ることができました。本当にありがとうございました」
「先生には、あるべき人間の姿を示してくださり、たくさんのいい影響を受けることができました。本当にありがたい限りです」
楓と七海の正直な言葉に、小野寺は不気味さを覚えた。
「あれ? 珍しく素直じゃないか。なんだか怖いな」
「それじゃあ先生、あっちへ行っても頑張ってください!」
「健闘を祈ります」
「え? 君たちが行くんじゃなくて? てゆうか、あっちってどっち?」
七海と楓は小野寺をスルーして教室に戻ろうとした。
「楓ちゃんにも何度も助けてもらったわね。本当にありがとう」
「お~い、あっちってどっち~!」
「それはお互い様だ。私も、お前という存在に何度も救われたよ」
「お~い、あっちってどっちか教えてくれないと、こっちからそっちへ行くからね~」
さすがに耐えきれなくなった二人は、満面の笑みで振り返って言った。
「私たちにもわかりません!」
小野寺が崩れ落ちるのを見届けた後、楓は野山の席へ行き、七海は戸崎と細野の席へ行った。
「あら細野ちゃん、どうしちゃったの?」
「いいところに来たよ七海さん。さっきから細野さんが泣き止まないんだ。どうにかしてあげてくれないか?」
「まさか卒業式で本当に泣くと思わなかったよ~。こういう時の涙って、無理して出すものだと思ってたよ~」
「さらっと泣きそうになること言わないでくれるかしら。まあ良いことじゃない? 泣くぐらい思い入れができたってことは」
「それもそうだね。よし、思う存分泣きなさい!」
「七海ちゃ~ん。三年間本当にありがとう~。ここまで学生生活が良かったって思えるのは七海ちゃんのおかげだよ~」
「僕の方からもありがとうと言わせてもらうよ。君のおかげで僕は変わることができた。本当にありがとう」
「こちらこそよ。優しい二人だったから、明るい結末を迎えることができた。二人の結婚式が今から楽しみよ」
「気が早いよ~、って、え? それどういう意味?」
「二人はお似合いだな~、ってずっと思ってたのよ」
「僕と細野さんが? いやまさかね」
「偉大なる詩人はこんな言葉を残しています。(人間というものは、自分の欲するままにどちらに向こうと、どんなことを企てようと、結局はいつでも、自然によって予め画された道に戻って来る)、と」
戸崎と細野はお互い顔を見合わせた後、全てを悟ったかのように目を閉じた。が、
「いやいや」
合わせ鏡がいつまでも続くように、二人はそう言い続けたのであった。
七海は静かにその場を後にし、下足室の外で待っている両親たちの元へ向かった。
『おかしいわね。青戸くんはどこかしら』
「ここだ」
青戸は七海の真後ろにいた。七海は青戸を見つけると、驚きと共に笑顔になった。
「あら、ここにいたのね運命の人。運命の人は卒業式どうだった?」
「二人称を(運命の人)にしないでくれるかな」
「あら失礼、全然気付かなかったわ」
「因果について考えていた。この苦しみだらけの生の原因がその過去、例えば前の生にあるのだとしたら、どうしてその俺は、また生まれることを受け入れたのかって」
「卒業式と何の関係があるのかわからないけれど、それでどういう結論になったの?」
「また君と出会うために、また生まれることを受け入れたのだと思う。たとえ耐え難い苦しみを味わうことになったとしても」
青戸は自分で何を言っているのか気付き、恥ずかしくなった。七海も顔が赤くなった。
「ちょっと青戸くんどうしたの? バカップルの片割れみたいになってるわよ」
「バカップルの片割れに言われたくない」
二人は両親たちの元に到着した。そこには七海の両親の他に、萌木と水田、その父親と母親がいた。
「お待たせ、みんな」
「遅いよ~。何してたの?」
「最終回っぽいことをしていたのよ」
「ああ、だから荒廃した大地に翡翠色の種を蒔いていたのか」
「まさかのバッドエンドかよ」
「君が香織の運命の相手の青戸くんか。……エイリアンとかじゃなくて安心したわ」
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。青戸と申します。これからどうぞよろしくお願いいたします」
「そんなにかしこまらなくていいんだよ~。どのみち私たちの一部として取り込まれるんだから~」
「自分たちがエイリアンみたいじゃないですか」
水田が敬語でツッコんだ後、水田の母、萌木の父が続けた。
「久しぶりに見たら、香織ちゃんも大きくなったね~」
「ほんとだな! 元気そうで良かったよ!」
「お久しぶりです。おかげさまで、ここまで大きくなりました、態度が」
「あっはっは、それは元からだろー」
七海は目を見開いた後、先頭に立って叫んだ。
「兵士よ! 諸君は満足に幸福な人生を送っていない。私は諸君をこの世で最も幸福な未来へ連れて行こう。さあ、出発だ!」
全員が歩き始めた。青戸が疑問に思ったことをぶつけた。
「昔からこうだったんですか?」
「いいや、今はナポレオンっぽいけど、昔はカエサルとかアレキサンダーとか、諸葛孔明っぽい時期もあったかな」
『さすがは運命の人だ……』
青戸はそう思わずにはいられなかった。七海はそんな青戸に近づいて言った。
「今、さすがは運命の人だ、って思ったでしょ?」
「さすがは運命の人だ……」




