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第24話 またまたしても文化祭二日目午後

     またまたしても文化祭二日目午後

               *

 二人とも昼食を食べ終えた頃、若き老詩人がやってきた。七海が恭しくもてなした。

「ようこそお越しいただきました。本日はどういった目的でこちらに?」

「今日は、人間の[愛]によって育まれた若芽が、一体どんな根を張り枝をつけ、蘇生の香りを纏う花を咲かせるのか、知りたくなったもので」

「そのためにここへ来たということは、蘇生というのは、この世界、人間の精神を生き返らせるということですか?」

「その通りです。現代は人も社会も死んでいる。あくまでも自分の外にあるものは、自身の欲求を満たすための道具に過ぎないという考えに固執し、リスナーゼなどという子供だましのおもちゃのような薬に未来の一切を託してしまった。リスナーゼとは、人の[心]を所有してやろうという、人間に人間らしさを喪失させる悪魔の誘惑に過ぎません」

「確かにその通りです。それで、その蘇生の種が省治学にあるとお考えになったと」

「そうです。全ての答えは自分の[心]の中にしかありませんから」

「あなたは、省治学をどのように捉えていますか?」

「人間を学ぶ、または人間を学ぶことを学ぶ学問でしょう。そういったことは、今までなら芸術や文学に一任されていました。しかし、それらは人間学という見方に絞れば、感性の優れた人々にしか伝達できない、ある種の特権階級を生み出す原因になってしまいます。一方で、学問という、教育を根底に据えた分野から生まれた省治学は、万人を受け入れられる。そういう意味で、宗教に次ぐ平等な事業であると言えるでしょう」

 楓が受け手に代わった。

「なるほど。人間を学ぶことを学ぶとはどういう意味ですか?」

「人間について学ぶのは、最終的には自発的でなければなりません。だからこそ、省治学ではその手段を与えている、ということです。人が抱える先入観や偏見を知り、それを、逆手に取って真実を掴み取るために利用できるようにしたり、世界を正しく知るための論理的思考や思想などを授けたりと、生きるうえで本当に必要な知恵の種を蒔いている。実に平和的な活動だ。そうだ、私ばかり話し過ぎてしまいました。あなたたちのことを教えて欲しい」

 七海が真剣過ぎて逆にふざけたような顔で答えた。

「なんでも聞いてください。生まれた時の体重から骨の数までなにもかもお教えしましょう」

「それはありがたい。だが女性に身体的なことを聞くのは失礼だから、別なことを教えていただこうかな。あなたたちにとって生きる目的とは何ですか?」

「私の生きる目的は、[心の底]にある[苦しみ]の先にこそ[希望]があることを皆に教えることだと思います」

「もう少し詳しく教えていただけますか?」

「[苦しみ]は[幸福]になりたいという願いだと気付いたんです。私たちは[幸福]になるために生まれてきてもいます。それは、最初は[幸福]ではないということも表している。それならば[心]というものは、初めは[苦しみ]の姿をしていることになります。だから、[心の底]にある[苦しみ]は、決して絶対的な破滅へ通じているわけじゃない。[絶対的な幸福]へと通じているんです」

「素晴らしい。あなたはどうですか?」

 若き老詩人は楓を見て言った。

「私の場合は、その幸福への道を歩んでいる人々と共に歩み、共に終着点へと辿り着くことです」

「困難を共にしようと。素晴らしい志だ。お二人とも、よくぞ絶望の嵐が吹き荒ぶ中、自身の内から[光]を見つけ出しました。その[光]こそ、決して消されることのない、[不滅の光]です。そしてその[光]こそ、人々の[心の深淵]まで照らすことのできる[唯一の光明]です。あなたたちはきっと、痩せた大地を再生する大樹となることでしょう。くれぐれも、お体に気を付けてお過ごしください」

「ありがとうございます。あなたも、私たちと競えるぐらい、健康で長生きしてください」

 七海の元気なお願いに、若き老詩人は微笑みながら言った。

「望むところです」

 二人が一礼した後、若き老詩人も頭を下げ、教室を後にした。

「凄い人だったわね」

「そうだな。きっと永遠に生きる方々だ」

 後夜祭の時間が近づいてきた。クライマックスを演出するように、辺りは暗くなっていった。

「お客さんも帰る時間になったし、そろそろ終わりにしましょうか」

「そうするか。今日は大繁盛だったな」

「そうね。きっと出店ランキング一位ね、下から数えて」

「大丈夫だ。革命を起こせば一番上になる」

「後夜祭とは血祭りのことだったのね」

「そんなことより、もう行ったらどうだ? あいつが待ってるんだろ?」

 七海は楓の一言によって一瞬で着火した。

「そ、そうだったわね。すっかり忘れてたわ」

「この嘘つきめ。お客さんがいない時は、どこかそわそわしてたじゃないか。縛り付けてその映像を見せ続けてやろうか」

「すいませんでした」

「よし、それじゃあ忠誠の証に、ずっとドキドキしてました、と言ってもらおう」

 七海は恥ずかしそうに下を向いて楓の言うことを聞いた。

「ずっとドキドキしてました……」

「いいだろう。じゃあ行ってこい」

「楓ちゃんはこの後どうするの?」

「私は細野に用がある」

 七海は真剣な表情に戻った。

「細野ちゃんのことはお願いするわね」

「そっちの方は心配するな。安心して行きなさい」

「ありがとう楓ちゃん! それじゃあ行ってくるわね!」

 楓は手を振って七海を見送った後、一人残された教室の中で呟いた。

「これはお前の手柄だよ」

 七海は永久池の東屋に着く。電灯もあまりない場所だったので、既にかなり暗くなっていた。

 七海は池の方を向いて座る青戸の隣に静かに近づいて言った。

「お待たせしたかしら?」

「いいや、待たせたのは俺の方だ。どうぞこちらへ」

 青戸は池を眺めたまま、そう言うと、七海の方を向いて隣に座らせるよう指示した。指示通り七海は青戸の隣に座った。

「失礼するわね」

「君は、見つけてもらえたか?」

 青戸はクラスの出し物用の景品である、緑色で爆発するキャラクターのフィギュアを見せた。

「こんな爆弾魔を見逃すなんて、この世も平和になったものね。かくいう私も、見つかる気配すらなかったけど」

 七海は偉人の名言が書かれた栞数枚を見せた。

「盗賊王への道は、まだまだ遠そうだな」

 七海は意地悪気な顔で反論した。

「そうかしら?」

 しばらくの間沈黙が続いた。そうしている間も、辺りからはどんどん光が失われていった。

「この池を夜に見ると、底なしにどこまでも続いていくように感じないか?」

「まるで[心]のようね」

「俺もそう思うよ。ここに来る度いつもそう感じていた。そんなには来てないけど」

「そんなには来てないのね」

「ああ。[心]は常に、自分の内にあるからな。

『本当に言うのか? 拒否されたらどうする。無間地獄行きだぞ。だがなぜだろう。そんなことは起こらない気がする』

 俺はずっと、その[心の穴]に落ち続けていた。どこにいても、何をしていても。そしてある時、時間の感覚が消えて、ただ過去から未来に風が吹いているだけのように感じ始めた時、気付いたんだ」

「……」

「『もう言うしかないな』

 隣に君がいることに。

『言ってしまった。勿体振った感じになってないだろうか』

 俺はずっと目を閉じていた。何も無い暗闇だからといって。

『水が上から下に流れていくように、自然と言葉が出てきてしまう』

 そんな俺に、この世界にも光があることをみんなが教えてくれた。

 それで目を開けたら、隣に君がいたんだ」

「私が……。『私の手を握っていたのはやっぱり……』」

「君も俺の隣で落ち続けていた。無限に続く奈落の底で。

『このままじゃ心臓が蒸発してしまいそうだ。一旦冷まそう』

 スカイダイビングみたいにな」

「『助かった、命拾いしたわ』

 大丈夫かしら、私高度高すぎるところ苦手なんだけど」

「大丈夫だ、奈落の底だから。

『時間稼ぎも終わりか。もう信じよう。[心]を。君を』

 つまり何が言いたいかというと、俺はずっと君を探していたんだ。

 君を見つけられなくて、孤独を、虚ろを感じていた。

 だが、見つけることができた。そして気付いた。

 君を愛していることに。

『少し違うな。正しく伝えたい。正しく知ってもらいたい』

 いや、思い出したと言った方が適切だな」

 七海はその言葉と共に唾を飲み込んだ。

『私もよ。あなたを愛していることをまた思い出すことができた』

 青戸は真っ直ぐに七海を見た。

「俺が永遠に愛していたのは君だったんだ。

 だからこれからも、未来永劫君を愛する。過去遠々(おんのんごう)そうであったように。

 そして今も、君を愛している。

『言ってしまった。もう俺の[心]は、命は、君のものだ』」

「『その言葉をずっと待っていたんだわ。そしてきっと、あなたも』

 不思議だわ。心臓に生きたマグマを流し込まれたようなのに、自然と平静を保っていられる。

 永遠の次元に時間は存在しない。だから、永遠の次元に達すれば、瞬間にも永遠は映し出される。たとえ短い人間の生にあってもそれは同じ。

 奈落の底で、[心の底]で私の手を握ってくれていたのはあなただったのね。

 じゃあ、もうわかっていると思うけど、私はあなたの手を握り続けます。これまでそうであったように、これからも。

 そして今も」

 七海は青戸が置いていた手に自分の手を重ねた。

『何をしてるの私! 私をこうさせたのは私の中の誰なの私!』

「『手が触れた。受け入れてくれた。そうか……』

 ありがとう」

「でも本当に私でいいのね? ちょっぴり変わっているけど」

「確かに君は変わっている。ちょっぴりどころかかなり。でも思い出してくれ。俺も相当に変わっていることを」

「そうだったわね。そろそろ自覚症状が出始めたのかしら」

「症状って言うのやめてくれ。……そういえば、あの時の要求は結局なんだったんだ?」

「あの時の要求って?」

「修学旅行の時に、俺が君からメープルシロップ入りホットケーキミックスたこ焼きをもらう代償に飲んだ要求だ」

「あ~、はいはい。あったわねそういえば。あれはね、後で伝えると言って伝えなければ、ずっとそのことを考え続けるでしょ? そういう要求だったの」

「はめられた……」

 青戸は七海がタコの口をしているのを見て余計に悔しがった。

「そういえば、愛しているだけじゃなくて、君のことが好きでもあるから、そのことも知っておいてくれ」

 七海は動揺で一瞬手を離しそうになり、もう一度改めて重ね直した。

「そ、そう。じゃ、じゃあ仕方ないから、なんで好きなのか聞いておいてあげましょう。で、どうしてなのかしら?」

「『手が下でよかった。少しだけだが冷静でいられる』

 それはだな。君は他人の声を聞けない代わりに、自分の心の声を聞いている。そしてそれを、誰かのために修正し続けている。だからだ」

「ざ、残念だったわね。『何が?』

そんなのは奈良駅前よ。『何言ってるの私』」

「朝飯前だろ。どうした、動揺してるのか。じゃあそんな君にも答えてもらおう。なぜ俺のことが好きなのか。

『あれ? まだ好きって言われてなくないか?』」

「『頭がふわふわして何か変なことを言ってしまいそうだわ。ここは話を逸らしましょう』

 そうだ、あなたはいつも私がいる時は心の声を聞かないようにしてくれていたわよね? それはもうやめてちょうだい」

「どうしてだ?」

「それは、私の全てを感じてもらいたいし、あなたの全てを受け入れたいからよ。

『……』

 じゃ、じゃあそういうことで」

 七海は逃げようとした。だが、青戸は逃げようとする七海の手をしっかり掴んで離さなかった。

「おい、どこへ行く気だ? 手を握り続けるのは俺も同じだ。言うまで話さないからな。さあ、さっさと話した方が楽になれるぞ?」

「あなたもさっさと離した方が楽になれるわよ……」

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