第22話 修学旅行後編
修学旅行後編
*
翌日はグループ別学習だ。船旅のコースを選んだ七海と戸崎はまもなく乗船するところだった。七海は船の敷地内に入りながら言った。
「なんだか、少しだけ別の世界に来たみたいね!」
「そうだね! 物理法則が変わったのかと感じるよ!」
二人は船の後ろの方へ行き、港から遠ざかるのを見ていた。
「さらばだ、我が母なる星よ。我が死に、魂となって宇宙中へあまねく広がるその時まで、しばしの別れだ」
「まだまだ母なる星の中だけどね」
「戸崎くんは、[魂]って信じるかしら?」
「[魂]っていうのは、[永遠に不滅な僕たちの本体]ってことかな?」
「そんなところね」
「そうだね、信じられるようになったよ。君と、君たちのおかげでね」
「私たちの?」
七海は振り向くようにして言った。戸崎は七海の髪が風でなびくのを見た。
「そうだよ。君たちは[不滅なもの]を信じている。それは決して弱さじゃない。[不滅なもの]とは[運命]のことだ。それを信じて守ろうとするのは、[運命]の元にいる僕たち全員を信じて守ろうとするのと同じ。だからそれは、本当の強さだったんだ。そして弱い人間であるにもかかわらず僕がそれを信じられるようになったのは、君たちがいたからだ。この孤独の、この虚しさの先に君たちがいると思えば耐えることができた」
七海は小さくなった港の方を向き直した。
「なんだか物語のクライマックスみたいね。私たちの物語は終わらないわよ?」
戸崎は視線を七海に残したまま言った。
「もちろん知ってるさ。これから終わるのは、僕の中の一つの想いだ」
「何かの終わりは新しい何かの始まりでもある。戸崎くんの転換点に立ち会えて光栄だわ」
「こちらこそ、七海さんで良かった。とりあえず港から離れたことだし、一旦そこに入ろうか」
戸崎は近くの待合室を指して言った。
「そうね。このまま波を見続けていたらゲシュタルト崩壊を起こしそうだわ」
二人は待合室の椅子に座り、窓から海岸線の景色を眺めていた。
「船から街を見ていると、いつもの生活を俯瞰して見ている気分になるね」
「確かに。あとは、エンドロールに流れる映像みたいにも見えるわ」
「何の物語の終わりなんだい?」
「そうね~。暗闇の中で奪われた心臓を探し続ける物語かしら」
「それは、終わって良かったね……」
船はシント港辺りに差し掛かった。七海は前方を指差して言った。
「あれがボートタワー?」
「ほんとだ。初めて見たな」
「なんだかワームホールみたいね。あそこに入ったら過去に戻れそうだわ。また心臓を探し続けるのか……」
「そのまま通り過ぎてよかったね……」
「戸崎くんは何に見える?」
「僕か~。僕は、バットの持つ部分に見えるかな~」
「じゃあ打つ部分は地下に埋まってるのね」
「モフイ像みたいにね」
「だいぶ凝ってるわね。シントの町おこしは」
船が淡路海峡大橋に近づき、他の客が前方に移動した頃、七海と戸崎は船の後方から外に出た。戸崎は手すりに両肘をつき、七海を見て言った。
「良かったのかい? 橋を正面から見なくて」
「いいのよ。しんがりは私たちにしか務まらないわ」
「そうだね」
戸崎は微笑みながら思った。
『[運命]がお膳立てしてくれたのか? 余計なことを』
船が橋を通過した。日食の時のように、船の上は束の間の夜を経験した。
「今の一瞬暗くなった隙に、誰にも気付かれずにターゲットを殺害した犯人がいると予想するわ」
「次なる物語はミステリーだね」
船が折り返し地点に来た。夕日と向かい合う形になったため、七海は手で目の辺りに日陰を作った。
「夕日も、光が水面に反射してできた光の線も眩しいわね。美し過ぎるものは直視できないということかしら」
「そうなのかもしれないね
『さあ、けじめをつけよう』
眩しくて見られないよ
七海さん。
『君が好きだ』
君は素敵な人だ」
七海は敢えて何も言わないまま、少しだけ戸崎の方を向いた。
「君にまだ言えていなかったことがある。
『僕と付き合ってほしい』
僕を救ってくれてありがとう。
僕は今まで空っぽだったんだ。親に言われるがままだったし、周りの人も、親から受け継いだ才能と名誉しか見ていなかった。自分がどこにもいなかった。どんな時も、誰も、自分でさえも自分を見つけられなかった。でも、君が見つけてくれた。その虚しさこそが自分なんだってことを。君が教えてくれた。その虚しさは充実に変わる日が必ず来ると。
『ずっと僕を見ていてほしい』
ずっと僕を見ていてほしいと思った。そうすれば僕は自分を見失わないでいられる。だけどそれじゃ駄目だ。君が君の人生を生きられなくなるし、本当の自分は自分自身で守り続けないといけない。
僕は、僕の目で、[心]で、君を見たい。だから君は、いつまでも、君らしく生きていてほしい」
七海はすっきりとした戸崎の表情を見て、伝えたいことを言い終えたと判断した。
「ありがとう。わかったわ。安心してちょうだい。私は自称クオーターハーフエルフなの。だから、多分不老不死なので、いつまでもいると思います。何言ってるのかしら私」
「君らしいよ」
船がもう一度橋を通過した。
青戸と細野はグループ別学習で、歴史的町並みを堪能するコースを選んでいた。細野は駅の改札を出て言った。
「凄い! タイムスリップしたみたい!」
「その言葉も古き良き決まり文句だな」
二人は歴史的町並みを歩き出した。町には、木造の建物が醸し出す熟成された空気感が漂っていた。
「建物は古いのに、歩く人たちはみんな現代の服装だから、すごく不思議な感じがするね!」
「タイムスリップしたのは建物の方だったのかもな」
細野はカップルで来ている観光客を見て告白することを思い出した。
『そうだった……』
『どうかしたのか?』
『え? いや、何でもないよ! そうだ! お団子屋さんに行きたいね!』
『団子か、いいな。ちょうど今串刺しの何かを食べたかったところだ』
『そんな瞬間ある?!』
団子屋でそれぞれ団子を買い、店先の和傘で影になっている長椅子に座って食べ始めた。青戸は団子を一つ食べて言った。
「みたらしが嫌いな人はこの世に一人もいないんじゃないだろうか。もしみたらしが政界に進出したら、総理大臣になってしまうな」
「面白いね! どんな国になるんだろう~」
「ベタベタの国になるだろうな。その団子はどうだ? つぶあんが乗ってる、色白の不良少年みたいなやつは」
「さっきから感性がサイコパスになってない? あっ、一つ食べる?」
細野は一瞬我を失い、間接キスを差し上げようとしてしまった。次の瞬間我に返ると、顔がピンクの団子のようになった。
「え、いいのか? じゃあ一つ交換ということにしようか」
二人は団子を交換した。青戸は海老餅のような顔でつぶあん団子を一つ食べた。
「真っ直ぐで正義感のある甘さだな。若々しさを感じるぞ」
「正義感のあるヤンキーだと思って食べてない? じゃあこっちもいただきます!」
細野は桜餅のような顔でみたらし団子を一つ食べた。
「確かに全てを包み込む包容力があるね!」
「いいリーダーになりそうだろう」
二人とも、団子を一つ残して一旦休憩した。細野は過去の空気に浸りながら言った。
「落ち着くな~」
「そうだな」
「青戸くんは、過去に戻りたいと思ったりする?」
「それは、好奇心から自分が生まれる前に戻るのか、自分の過去を変えるためとか、もう一度あの時の体験をしたいとかで、自分が生きていた時間に戻るのかどっちだ?」
「じゃあどっちも!」
「どっちもか。まあどっちにせよ、俺は過去に戻りたいとは思わないな」
「ええ~、どうして?」
「自分が生まれる前に戻りたくないのは簡単な理由だ。単純に、少しの間でも生きていけないと思う。俺の生存能力は線香花火以下だからな」
「儚すぎるよ! それで、自分の過去に戻るのはどうして嫌なの?」
「それにも俺から見たら明白な理由が二つある。一つ目はたとえ過去を変えても、今は今とさほど変わらないだろうと思うからだ。二つ目は、今が一番ましだからだ。一瞬でも過去に戻れば、俺はその苦しみの大きさから爆発してしまうだろう。そしてその団子みたいな髪型になる」
「そっか~。どっちも納得はできるな~。過去を変えても、結局大して変わらない人生を送る気がするし、そもそも過去の悲惨さに耐えられない気がするよ~。でも、」
「でも?」
「やっぱり自分の人生、何をどこで間違えたのかなっていつも思っちゃうんだ~。だから、今をもっとより良くする正しい選択肢もあったのかも……」
「その気持ちは非常によくわかるが、過去に正しさを求めるのは看過できないな。正しいものは未来にしかない。今をより良くする選択ができるのは今しかないということだ。それに、俺たちは今の君も大切な友人だと思っている。だから、消えてしまうのは悲しいよ」
「青戸くん……」
流しそうになった涙を団子と共に体内に押し込んだ。
「喉に詰まらせるなよ? 不良少年は弾力があるからな」
完食後はまた町を散策し、伝統工芸品の店にお土産を買おうと入ったが、値段の高さに圧倒されて静かに店を出た。そしてふと空を見上げた時に、太陽が沈みかけていることに気付き、急いで八重の塔を上がり始めた。四階まで来たところで細野が言った。
「まだあと半分もあるの?! 結構大変だね……」
「だるま落としで三階建てぐらいにしたいな」
二人はなんとか八階まで到着した。外に出て、夕日に照らされて溶けていきそうな町を見て細野は言った。
「うわ~、綺麗だね~! これは上がった甲斐があったよ~」
「そうだな。新鮮な卵の黄身をかけられたみたいだ」
「雰囲気は台無しだけど、すごくわかるな~」
夕方の寂しさに片想いの切なさを想起した。二人とも静かに夕日を眺める時間が数分間続いた。その間に逡巡の限りを尽くしていた細野が、ついに青戸の方を向いて言った。
「青戸くん、好きです。付き合ってください」
青戸は夕日で赤く染まっている細野の顔を見て真剣な顔で答えた。
「……それは、君の[心の底]にある想いなのか?」
「……わからない。でも、ここで伝えないと、ずっと後悔する気がして」
「そうか……。なら俺も、後悔のない選択をしよう。好意には感謝する。だが、付き合うことはできない」
細野は自分の内側で必死に涙を堪え、搾り出すように言った。
「……そっか」
「君といると楽しい。きっと付き合っても楽しい日々が待っているだろう。だが、それだけのために付き合うことはできない。俺はおそらく、君の苦しみの全てを理解してあげられないからだ」
「……」
「ひと時の快楽のために君を使い捨てにはしたくない。だから、気持ちには答えられない」
細野は涙が流れていないかのように涙を流した。
「……わかったよ。いつもありがとう、大切に考えてくれて……」
青戸はポケットティッシュを渡した。
「考えているだけで、大切にはできていないな。すまない」
「そんなことないよ……」
細野は頭を下げながらポケットティッシュを受け取った。青戸は景色の方を見て言った。
「さ、さあ、じゃあそろそろ帰ろうか。帰りはここから飛び降りるんだったか?」
そう言って柵から身を乗り出すフリをした。細野はそんな青戸を止めようとしながら言った。
「違うよ! 泥水の舞台と混ざっちゃってるよ~」
「泥水の舞台も帰りにあそこから飛び降りるわけじゃないだろ」
細野は笑うという表現の代わりに泣いて反応した。
「ほんとだ~」
「じゃあ降りるか、あの長い螺旋階段で」
「嫌だ~」
「もう少し落ち着いてからにしようか。遅れても百重の塔のせいにすればいい」
「増えすぎて百獣の王みたいになってるよ~」
様々なことがあった日であったが、そうでなかった日と同じように夜がやってきた。青戸と戸崎と野山の部屋を覗いてみよう。青戸は寝ている戸崎を見ながら小声で思った。
『安らかに眠ってるな』
『そうだね。昨日とは大違いだ』
『こんな死に顔で逝けたらいいよな』
『確かに。……生きてるんだよね?』
『不安になってきたな』
『死んでたらどうしよう』
『降霊術でもやってみるか。死んでたら生き返るし、生きてたら目が覚める』
『それは生き返るって言うのかな。幽霊が自分の死体に取り憑いてるみたいだけど』
二人の会話を聞いていたのか、戸崎が寝返りをうった。
『動いたよ。気を遣わせちゃったかな』
『悪霊退散』
『君って人は……』
今日の功労者がいる楓と細野の部屋も見てみよう。楓は泣きながら今日の出来事を話す細野の隣で彼女を慰めていた。
「そうだったか。お前は納得できてるのか?」
「青戸くんらしい、誠実な断り方だったからね」
「そうか、じゃあ後悔はあるか? 告白したことに」
「……やっぱり振られてるから、後悔は多少あるけど、しなかった時の後悔よりは小さいと思う。それに、ありがとうって伝えられたし」
「……。よく頑張った」
楓は細野の頭を撫でた。細野はまた泣き始めてしまった。
「ありがとう~」
「それで、観光の方はどうだったんだ?」
「綺麗な町で、お団子が美味しくて、八重の塔が大変だった~」
「八重? 大阪にあるのは七重の塔だぞ?」
「え? でも確かに七階分上がったんだけど……」
「霊の仕業じゃないか? そこから帰ってこられたってことは、霊をお持ち帰りしているのかもな」
楓は恐ろしそうに細野の後ろを見た。細野はまた泣き始め、楓に抱きついた。
「怖い~」
「すまん、冗談……だ」
「何その間~」




