第21話 修学旅行前編
修学旅行前編
*
七海たちは三年になり、高校生活最後の一年を開始した。今日は修学旅行初日だ。緑の木々が揺れる姿に涼しさを感じる季節に、三年生一同は目的地へ向けて新幹線で移動していた。
七海は小野の隣に座っていた。
「まさか小野ちゃんが難関大学受験クラスに入るなんて思ってもみなかったわ」
「そうだよね~。私も自分でびっくりしてる~」
「『小野ちゃんは二人いる?』
でもそのおかげでまたこうして二人でゆっくり話せる機会ができたんだから、私は嬉しいわ!」
「ええ~、私もだよ~」
「小野ちゃんの一番の関心事は何かしら?」
「う~ん、そうだな~。やっぱり今は、将来のことかな~」
「それは、受験とか就職とかってこと?」
「そうそう~。ちゃんと幸せになれるのかなって」
「そうね~。てゆうかその前に、何が幸せかもわからないものね」
「そうなんだよ~」
「じゃあここで、(幸せなら拍手しよう)を歌いましょうか」
七海はリズムに乗せて歌い始めた。
「幸せなら拍手しよう
幸せなら拍手しよう
幸せなら気配で、」
「その辺にしとこっか。なんだか余計幸せが逃げていく気がする」
「あら残念。私は小野ちゃんのスタンディングオベーションを期待したんだけど」
「ここは新幹線の中だからね~」
「じゃあゲン担ぎに、悪役がよくやる間隔の広い嫌味な拍手で歌いましょっか。
さあ一緒に!
(リズムに乗せて)幸せなら拍手しよう
(悪役がよくやる間隔の広い嫌味な拍手五回)
(リズムに乗せて)幸せなら拍手しよう
(悪役がよくやる間隔の広い嫌味な拍手五回)
(リズムに乗せて)幸せなら気配で示せよな さあみんなで拍手しよう
(悪役がよくやる間隔の広い嫌味な拍手五回)
幸せになりましょう!」
「そうだね!」
細野は楓の隣に座っていた。
「なんだか今、悪役がよくやる間隔の広い嫌味な拍手が聞こえてきたような。この車両に悪役が乗ってるのかな? 怖いな~」
「大丈夫だ、正義は必ず勝つ」
「どうしてそんなに自信を持って言えるの?」
「悪は、悪に堕ちた時点で負けてるからだ」
「なるほど~。でも、歴史を見たら、正義が負けたこともあると思うんだけど……」
「じゃあ賭けをしようか。正義と悪、どっちが勝つか。私は正義に賭ける。お前は悪に賭けろ。最終的に賭けに勝った方が、負けた方の好きな人を知る権利を得る」
「ちょっと~。それじゃあ私もう知られてるから負けてるじゃ~ん」
「そういうことだ。私はお前の弱みを握っている。何でも言うことを聞いてもらうぞ」
「それ悪役のセリフじゃんか~」
「一つ目の命令だ。トイレに行きたいから、少し足を下げてくれ」
「それぐらい言ってくれれば普通にやるのに~」
細野は楓が通れるよう、足を引いた。そして楓が去ってから言った。
「悪役の人って、人を頼るの苦手なのかな?」
青戸は戸崎と野山と三人で座っていた。
「せっかく新幹線に乗っているんだから、山手線ゲームをしよう」
「路線が違うけどね」
「お題は何にするの?」
「お題が必要なのか?」
「ちなみにだけど、やり方は知ってる?」
「全く知らない」
「俺もあんまりよく知らないんだけど、戸崎くんはわかる?」
「僕は知らないよ」
「誰も知らないのか。じゃあ調べよう。 (山手線ゲーム 方法 わかりやすく)。なるほど、お題に当てはまる言葉を順番に言っていくのか」
青戸はスマートフォンを見ながら言った。戸崎も青戸のスマートフォンを一緒に見ながら記事を読み上げた。
「リズムに合わせて言わないといけないんだね」
「リズムがあるのは厳しいな。おれは絶対音痴なんだ」
「絶対的な音痴。それは大変だね。とはいっても、僕も相対音痴なんだけど」
野山は窓側の席で二人の方を見ながら答えた。
「じゃあリズムはなしでやろう。お題はどうする?」
「お題は俺に決めさせてほしい。(小さな絶望)でいきたい」
「難しいな。リズムなしで正解だったよ」
(「小さな絶望山手線ゲーム」の結果)
青戸 教科書が折れ曲がっている
戸崎 ワイシャツに墨汁
野山 削っても削っても芯が折れる鉛筆削り
青戸 カレーのルーにスプーンを沈める
戸崎 シャープペンシルの芯が本体の中で折れる
野山 奥歯の辺りでシャリシャリ音が鳴る
青戸 改札を通った瞬間に乗る電車の扉が開く音が聞こえる
戸崎 靴の中に石が入る
野山 お惣菜のプラスチックの容器が開かない
青戸 横断歩道の真ん中で信号が点滅し始める
戸崎 夏の直射日光
野山 大盛の料理の五口目
青戸 シンクに溜まった洗い物
戸崎 ゴミ箱に投げ入れて入らなかったゴミ
野山 SNSの通知が公式アカウントだけ
青戸 冷蔵庫の中が空
戸崎 デートの日にできたニキビ
野山 外出先で爪がかなり伸びていることに気付く
青戸 MPが赤ゲージ
戸崎 十四時
野山 二十三時
青戸 刀の耐久値が赤ゲージ
戸崎 絡まったイヤホン
野山 夏の長い昼
青戸 ショットガンの残弾数が三
戸崎 スマートフォンを起動してもやることがない
野山 火曜日
青戸 敵の甲冑に刀が通らない
戸崎 眠れずに迎える夜明け
戸崎の回答に青戸がすかさず反応した。
「それは小さくないだろう」
「普通の絶望だね」
「案外きちんと審査していたんだね……」
ホテルに到着し、昼食後、自由行動となった七海、小野、細野、楓、青戸、戸崎、野山は大阪区にある難破にやってきていた。
「ここが難破か~。そうだ、青戸くんは大阪出身だから、来たことあるんじゃない?」
「ないな。今が初めてだ」
「そうなの。じゃあ明日行く五つのコースだったらどれに行ったことがあるの?」
「どれもないな。そもそも、俺は大阪出身だが、大阪のことはこの辺にいる観光客より知らない」
「どこかの実験施設に閉じ込められてたとかかしら?」
「ある意味そうだ」
「こいつは(ある意味そうだ)を何にでも使うからな。あまり信用するなよ」
楓は青戸の性質を冷静に喝破した。
「お、射的ができる店があるじゃないか。あれはここならではなんじゃないか。皆で行ってみよう」
「東京でもやったけどね……」
青戸のボケに苦笑いする戸崎であった。
一行は射的の店に入った。奥に広い店内の、片側の壁一面に的が置かれていた。細野は銃を持ちながら一瞬青戸を見た。
「……」
楓は片手で銃を持ちながら全ての弾で景品を取った。
「私の前に立ちはだかったのが運の尽きだったな」
戸崎は狙いを定めて発射し、全弾的に当てたが、一つも倒れなかった。
「立ち往生か……」
小野は時間差で景品が倒れた。
「やった! 倒れた!」
野山は弾を全部使って一つの景品を取った。
『何をするにしても人より時間と労力がかかるな……』
青戸はお菓子を狙って発射し、見事命中したが、弾は的にめり込んで止まった。
「止められただと……」
七海はフィギュアを狙って撃ち、弾を吸い込まれるように命中させたが、跳ね返って自分に当たってしまった。
「これが因果応報……」
そう言うと、七海はそのままその場に倒れた。急に客が倒れたので、店員の一人が焦って七海に駆け寄った。
「お客さん大丈夫ですか?!」
「安心してください。こいつはもう手遅れなので」
楓はまたしても冷徹に場を鎮圧したのであった。
射的の店を出て、複数のたこ焼きの店で各々好きなたこ焼きを買い、通行人の邪魔にならない場所に集まって食べ始めた。細野は食事によって、一時緊張から解き放たれた。
「熱いけど美味しいね!」
「大阪で食べると余計美味しく感じるよ!」
「不思議だね~」
戸崎と小野はたこ焼きを割って冷ましながら少しずつ食べた。
「野山くんのたこ焼きには何がかかってるのかしら? エイリアンの体液?」
「食べてる人にそういうこと言わないでくれる? バジルソースだよ」
「いいわね! 異種間、じゃなくて異文化交流って感じで!」
「エイリアンが頭から離れないんだね……」
楓は青戸のたこ焼きの断面を偶然見てしまった。
「ん? お前のたこ焼き、中に何が入ってるんだ?」
「シジミだ」
「独特なチョイスだな……」
「独特な俺だからこそ、食べてあげたかったんだ」
「使命感まで独特ね」
「そういう七海さんも、食べてるのたこ焼きじゃないよね? 甘い匂いがするよ」
「これはホットケーキミックスをたこ焼き機で焼いたものよ。中にはメープルシロップが入っているの」
楓は寂しそうな目で手首の血管を見ながら言った。
「私の体液じゃないか……」
「カエデだからってことだね。なかなかそれも美味しそうだ!」
青戸は物欲しそうな目をして七海の方を見た。
『それいいな……。俺も食べてみたいな……』
七海は青戸の目線を見つけてニヤリと笑った。
「これが欲しいのかしら?」
青戸は悔しそうに頷いた。
「……そうだ」
「じゃあ取引をしましょう。私のたこ焼きをあげる代わりに、私の要求に従ってもらう」
「別にこのシジミが入ったたこ焼きと交換でもいいんだぞ?」
「……。それは、ほら、青戸くんには使命があるじゃない。全うしなさいよ……」
「そういうことか。感謝するぞ。じゃあ君の要求とは何なんだ?」
「それは追って連絡するわ」
「なんだか怖いな……。ではまあ、いただきます」
七海からホットケーキミックスたこ焼きを一つ貰った。
「肥沃なホットケーキの土壌に育つメープルの木……。素晴らしい。
『こっちにしとけばよかったかな……』」
青戸は楓からの「シジミに謝れ」という視線におびえながら残りのシジミ焼きを食べたのであった。
完食した一行は次に、道頓川に面しているグルコの看板の真下にやってきた。戸崎は看板を見上げながら言った。
「これがグルコの看板か!」
「本物だ!」
「結構大きいんだね~」
七海は両手を胸に当て、祈りを捧げるように述べた。
「聖火ランナーとして走る平等の女神の姿……。神々しい……」
その言葉を聞きながら、野山は特に敬虔さに目覚めることなく真下から写真を撮った。
『これがグルコの看板か……』
青戸はそんな野山を見ながら
「なんだかその角度から写真を撮っていると、盗撮しているみたいだな」
と言い、自身も目線を看板に移した。楓はそんな青戸を見て言った。
「お前も覗きに見えるぞ」
ここからチームは二手に分かれて行動した。七海、青戸、楓、野山は近くのお土産屋に入った。七海はストラップのコーナーを見ながら思った。
『タコが考えてる人のポーズをとっているわ! 何を考えているのかしら。自分の口に足の吸盤をくっつけたらどうなるか、とかだったら面白いわね』
楓と青戸と野山は菓子のコーナーにいた。
『すべらない恋人……。さすが大阪だ、攻めているな』
『ココア饅頭日焼け止め……。ネーミングセンスにシンパシーを感じるな……』
『ぽてリコのたこ焼き味か……。それにポテびーにもたこ焼きがある……。どっちにしよう、迷うな……』
細野、戸崎、小野は近くの豚まん屋で豚まんを買っていた。このメンバーは旅行を楽しむのが上手なようだ。細野は一口食べて言った。
「美味しい~。やっと食べれたよ~」
「せっかく大阪に来たんだから、これを食べなくっちゃね!」
小野は食べるのを躊躇していた。
『太らないか心配だな……』
細野は口を閉じて食べながら、小野に向けてグーサインを送った。
『小野ちゃん。これは修学旅行。だから勉強のために食べてるんだよ。勉強してつくのは脂肪じゃなくて知識だから安心して!』
「『ありがとう細野ちゃん! いただきます!』
美味しい~。幸せだよ~」
「二人とも美味しそうに食べるね!」
夕方にはホテルに戻り、夜になると学年全員で夕飯を食べた。その後は、各自自由行動となった。
細野は楓と自分たちの泊まる部屋にいた。細野はベッドに座って言った。
「お風呂にも入ったし、歯も磨いたし、後は寝るだけだね!」
「そうだな。完全なる自由だ」
細野は旅のしおりを見ながら聞いた。
「明日のグループ別学習、楓ちゃんは山登りのコースだったよね?」
「そうだ。小野と野山も一緒だな」
「山登りが好きなの?」
「いや、全然好きじゃない。高いところも、虫も、運動も好きじゃないからな」
「悲しい因数分解だね……。じゃあどうして山登りを?」
「ちょうどこのコースを決める時、隣の席が野山だったんだ。それで、あいつが山登りにするって聞いて、こいつは山頂からの景色に何を想い、何を感じるのか近くで見たくなったんだ」
細野はここぞとばかりにニヤリと笑った。
「ふ~ん。なるほど~」
楓はそんな細野を疑うような目で見た。
「なんだ?」
「なんでもないよ!」
「そういえば、お前は青戸と一緒だったよな?」
「ちょっと楓ちゃん、それは……」
細野は思い出したように心臓の辺りを押さえ始め、ベッドにうつ伏せに倒れた。
「どうしたんだ? 好きな人と同じコースなら、嬉しいはずだろう。もしかして、告白しようと思っているのか?」
うつ伏せの細野は追い打ちを食らわされたように仰向けにひっくり返った。
「……そうです。やっぱりやめた方がいいでしょうか……」
「いや、それは好きにしたらいいと思うが。大丈夫か? 今からそんな調子で」
「でも、もうわからない状態、どっちつかずの状態に耐えられないんだ~。受験勉強の不安もあるし、心がもたないよ……」
「そうか……」
そう言うと楓は、細野と同じようにベッドに仰向けに倒れて言った。
「じゃあ、悔いなく告白できるよう、余計な不安を取り除いてやるか」
「ぜひお願いします……」
「いいだろう。じゃあどんな不安を抱いているか教えてくれ」
「そうだな~。まずは振られたらどうしようってことでしょ~。後は嫌われたらどうしよう、告白したことを広められたらどうしようっていう不安とか~。その前に、そもそも告白できるかっていう不安もあるかな~」
「そうだな、振られたらどうしようっていう不安はどうしようもない気もするが、こう考えてみてはどうだろう。自分は告白が成功するかによらず、答えが知りたいんだと。おみくじを引くような感覚でな」
「確かにそう考えたら気持ちが楽になるかも!」
一瞬元気になった細野だったが、すぐに元のテンションに戻った。
「他の不安も解消していただけますでしょうか……」
「他の不安は無用の心配だ。青戸が、告白してきたことを理由に嫌いになると思うか? 告白してきたことを自慢話っぽく誰かに話したり、面白がって広めたり、すると思うか?」
「それは……。しないと思う……」
「そうだろう。そういうところが好きになった理由でもあるんじゃないか?」
細野はそのままの体勢で顔だけ赤くなった。
「……。そうだね……」
「大前提だが、好きな人を、人として信じられないなら告白はすべきではない。もし付き合えたとしてもいいことなんて何もないし、失敗したらまあほぼ確実に武勇伝にされるだろう。武勇があるのは告白した側なのにな」
「楓先生! 一生ついていきます!」
「先生はよしてくれ。閣下の方がいい。それより、どうだ? 少しはましになったか?」
返事は返ってこなかった。細野は疲れで力尽きていた。楓は体を起こして細野を見て言った。
「さっきのは断末魔だったのか」
楓は立ち上がり、細野に布団をかけて、部屋の電気を消した。そして自分の布団に入って小声で思った。
『青戸、頼むぞ。こいつを救ってやってくれ』
七海は小野と部屋にいた。二人は寝る間近だった。小野は不安そうにベッドの上で体育座りをする七海を見て優しく話しかけた。
「どうしたの? 七海ちゃん」
「胸騒ぎがするのです。心臓のところには穴が空いて何もないのに、まるでそこに心臓があるかのように大きく脈打っているのです」
七海はそのまま顔をうずめた。小野は七海の隣に座って頭を撫でながら言った。
「何があったのか言ってごらん、七海ちゃん~」
七海はゆっくり顔を上げた。
「恋というものは私たちを凄まじい力で絶望へと引き込もうとしてくるのですね」
「どうしてそう思うの~」
「だって考えてみてください。恋が成就する場合の数は一通りなのに、恋が実らず絶望する場合の数は無数にあるじゃありませんか」
「誰か別の子と付き合いそうってこと?」
「わからないけど、単純接触効果というものがあるじゃない? それ的に相当不利なの」
「そうなんだ~。それは不安になるよね~」
「小野ちゃんはこういう時どうするの?」
「私はほんと何もできないよ~。なりゆきに任せるしか~」
「何もできない時って辛くならない?」
「なるよ~。そういう時はぬいぐるみ抱きしめながら泣いてるな~」
今度は七海が小野に駆け寄って頭を撫でた。
「そうだったのね。そういう時は私に相談するのよ。私は小野ちゃんの使い魔だから」
「そんな~。七海ちゃんが使い魔なんて心強過ぎるよ~」
「今は大丈夫なの?」
「うん、今は大丈夫! 今は私よりも七海ちゃんの方をなんとかしよう?」
「私の元に馳せ参じてくれるのね。ならちょっとだけ世界を滅ぼしてもらえるかしら?」
「それだと好きな人も死んじゃうよ~」
「しまった、ついいつもの癖で。そういえばある人はこういう時、自分の[心]と向き合い、今自分のなすべきことをしていればいい、って言っていたんだけど、小野ちゃんはどう思う?」
「その人はすごい人だね~。この世界の全てを信じていないとそうは思えない気がするな~。私もそう思いたいけど、なかなかできないな~」
「そうよね~。どうしても破滅の未来を恐れてしまう」
「これもそういえばだけど、前に青戸くんと楓ちゃんが言っていた、人間の根本的な動作は[信じる]で、特に強く信じているところに自分がいるのであって、それ以外のものを一切信じないってならなくてもいいっていう言葉を思い出したよ」
「そ、そうね。確かに、何かの片方を完全に否定するのは、[全て]を否定することと同じだものね。じゃあ存分に絶望させていただきます」
七海は元いた場所で体育座りになった。
「別にそこまでしなくても良いんじゃないかな~?」
と言ったものの、七海が硬直したまま動かないので、小野は頑張って意地悪そうに続けた。
「あ、そういえば、さっきの反応で七海ちゃんの好きな人わかっちゃったな~。言いふらされたくなかったら~」
「私になにをさせようというの? 密猟?」




