表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/26

第2話 勉強会

     勉強会

               *

 桜が完全に花を落とし、緑の装いに姿を変えたように、五月に入り、生徒たちはブレザーを脱ぎ、まるで純真さを表しているかのような真っ白なワイシャツで登校し始めた。今日はそんな五月のとある休日の出来事である。萌木、水田、細野、戸崎、青戸の五人は、七海の家のリビングに集まっていた。

「今日は誘ってくれてありがとう! みんなで集まって勉強会なんて楽しみだね!」

 細野は開幕のファンファーレよろしく定型的な言葉を元気よく言った。

「青戸くんが提案してくれたのよ。せっかくみんなで集まるのに、やることが勉強って、いかにもって感じよね」

「それは褒めてるんだよな? それより七海、会場を提供してくれて感謝するぞ」

 七海以外のメンバーは各々、少し間隔をずらして礼を言った。

「そんなかしこまらないで、さあ、座ってちょうだい」

 円形の低いテーブルを囲んで座った。

「じゃあ気を取り直して、人生ゲームでもしましょうか」

「勉強会はどうした?」

 青戸が反射的に聞いた。

「あら、人生ゲームは人生のことが勉強できるわよ」

「なるほど。じゃあそうするか」

「いやそれでいいのかよ」

 萌木と水田はツッコまずにはいられなかった。

 七海は自分の部屋に人生ゲームのボードを取りに行った。残りの五人はそのまま話を続けていた。戸崎が頑張って盛り上げようとした。

「みんなで人生ゲームなんて、貴重な経験だね!」

「大人になって振り返った時、いい思い出だったって思うよきっと!」

「なんで修学旅行みたいなテンションなんだ?」

「陽子ちゃんはポジティブで優しいね~。あ、戻ってきた。ありがとう七海、って危ない!」

 七海は人生ゲームのボードを抱えてリビングに戻ってきたが、萌木の忠告むなしく、机に置く前に落としてしまった。七海は焦る様子もなく、しみじみと呟いた。

「これが人生か。ならばもう一度」

「そんなことはいいから、みんなで拾うよ!」

 全員で散らばったパーツを拾い、その流れでゲームを開始する準備を進めた。

「お騒がせしたわね。じゃあ始めましょうか。お詫びとして銀行役は私がやるわ。横領と賄賂は見逃してちょうだいね」

「駄目です」

 七海の提案は全会一致で否決となった。七海、水田、萌木、戸崎、細野、青戸の順で座り、ようやくゲームが始まった。トップバッターは細野だ。

「じゃあ私からだね! ルーレット回すよ、それっ! ……九だ! 九はっと。アイドルになれるんだって! やった!」

「陽子ちゃんにぴったりじゃん!」

「次は私ね。……、六だわ。六は、……学校の先生になれるんですって! 私に向いてるかしら」

「そんなにじっくり悩まなくていいぞ~」

 順調に二十分が経過した。

「(精神的ダメージにより通院を始める。二万円払う)だって~。厳しいな~」

 戸崎は苦悶した。

「戸崎くんならきっと立ち直れるわ」

「次は俺だな。……、また二だ。このルーレット、俺だけ小さい数字が出るように細工とかされてないよな?」

 青戸は疑惑の念を抱いた。

「そこには何もしてないわよ」

「まるで他のところには何かしてるみたいな言い方だな。にしても、俺だけまだここか」

「青戸くんは大器晩成型なんだよ!」

「細野さんありがとう。えっと、……あ、結婚できるマスだな。結婚とかまだよくわからないから、とりあえずやめておこう」

 さらに二十分が経過した。水田の番だ。

「よし! 俺だな! 次はっと、……。あ、萌木と同じマスだ」

「ちょっと、真似しないでよ~」

「確率なんだからしょうがねーだろー」

「お二人さん、えらい仲良しどすな~」

「うるさい!」

 七海は萌木と水田の相性の良さをからかうのが好きなようだ。

 さらに二十分が経過したところで、全員が無事にゴールした。

「やっとゴールできたわ。まさか青戸くんより遅れることになるなんて。ほんと勉強になるわね、このゲーム」

「確かに」

 ゲームマスターである七海が手際よく全員の所持金を集計し、司会らしく結果を発表した。

「それでは、優勝者を発表したいと思います。優勝は……、青戸くんです!」

「これが人生か。ならばもう一度」

「一位はいいよな」

「ほんとに」

「続きまして第二位は……、わたくし、七海でございます!」

「絶対横領してるだろ」

「してませんよ。断固としてしてません。だって私は教え子に尊敬される先生ですから。では次にいきましょう。第三位は……」

『流されちゃったね』

 七海が捉えどころのない顔で強制的に話を変えると、戸崎は心の中でぼそっと呟いた。

「同額で、萌木と水田で~す! あなたたち仲良すぎなのよ」

「だから真似しないでって言ってるじゃんか~」

「しょうがねーだろ。そうなっちまったんだから~」

「夫婦漫才は程々にしてもらって。……では次で最後になります。第五位と第六位を、連続で発表していきたいと思いま~す!!」

「そのテンションの上げ方なら、最後に一位を発表する順番の方がよかったんじゃないか?」

「第五位は、戸崎くん! そして第六位は、細野さんでした! 二人の誤差は千円だけでした!」

「だったらほとんど変わらないね。そっか~」

「ん~、悔しいな~。何がいけなかったんだろ~」

 戸崎も細野も、人生のままならなさを実感したようだ。

「これはゲームであり、実在する個人・団体とはちょっとしか関係ありません」

「ちょっとはあるのかよ」

 ちょうど人生ゲームが一段落ついた頃、見計らったかのように玄関の扉が開く音がした。音の主は七海の母親だった。

「ただいま~。あ~、みんないらっしゃい~! お昼ご飯買ってきたよ~!」

「お邪魔してます! ありがとうございます!」

 一同、なぜか七海まで礼儀正しく挨拶をした。

 細野と戸崎と萌木と水田は七海の母の元へ行き、七海と青戸が人生ゲームの片付けをしていた。

「君も行ってきていいぞ。片付けは俺がやっておくから」

「いいえ、一人でさせるわけにはいかないわ」

「ありがとう。助かるよ。

『(一人であること)に何かこだわりでもあるんだろうか?』」

 細野と戸崎が七海の母から昼食を受け取って、慎重にリビングに運んできた。

「誰々くんと誰々ちゃん、ありがとうね~」

「(誰々)で乗り切ろうとしないでくれるかしら? 戸崎くんと細野ちゃんよ!」

「あなたたちが戸崎くんと細野ちゃん! 気が利くね~」

「いやいや、休日の休まれたい時にお邪魔してすいません!」

「とんでもないよ~! いつも香織と仲良くしてくれてありがとうね~」

「『こちらこそ』ありがとうございます!」

 細野は元気よく、戸崎は心の声から滑らかに肉声に切り替えて礼を言った。

 二人は高い方のダイニングテーブルに昼食を置いた。

「七海のお母さん! 洗面台で手洗ってきていいですか?!」

「いいよ~。場所は、わかるよね?」

「わかります!」

 萌木と水田は親しみ深く七海の母と話した後、細野と戸崎を洗面所まで誘導した。

「二人とも相変わらず元気だね~。そこの男の子はどなた?」

 青戸は片付けを中断して七海の母の方を向いて立ち上がり、礼をしながら言った。

「青戸と申します。お邪魔しております」

「あら~、礼儀正しいね~。ゆっくりしていってね~」

「ありがとうございます」

『どんな大人にも変わらず不愛想なまま接するのね。あまり大人から好かれるタイプではなさそう』

 七海は心の声をだだ漏れにしながらそう思い、それを聞いていた細野と戸崎は片付けを手伝いながら軽く微笑んでいた。七海の母は対面キッチンに立っていた。

『あの子、また思ったことをそのまま心の声に出してるな~。って私もじゃん!』

 娘と同じように心の口を全開にして話した母親を見て、細野と戸崎はまたしても微笑んだのだった。

『青戸くんは聞かないようにしてるのかな? なんでだろ』

 全員が準備を済ませ、席に着いたのを確認すると、七海の母は隣の部屋の前まで歩いていった。

「それじゃあ私は隣の部屋にいるので、何かあったら呼んでくださいね~」

「ありがとうございます!」

「今日の昼食はなんと! お弁当屋さんのお弁当です!」

「そういうのはみんなで好きなの選ぶ前に言ってもらえるかな?」

「それではせーので! いただきましょう!」

「いただきま、す?」

 七海の無駄なフェイントで戸惑いながら、ぬるっと昼食の時間が始まった。各々のタイミングで割り箸を割り、食べ始めた。

「細野ちゃんは嬉しそうに食べるわね」

「食べるの好きなんだ~。まさか最下位にチキン南蛮弁当が回ってくるとは思わなかったよ~」

「完全に七海がのり弁当選んだからだよね」

「前から思ってたけど、やっぱりちょっと変わってるよな」

「あら、あなたたちのり弁当の凄さを知らないのかしら。のり弁当の「のり」はみことのりの「のり」なのよ」

「七海は右翼派の人間なのか?」

「いいえ、私は人間という派閥以外には属さないつもりよ。それより、戸崎くんはたまごそぼろ弁当なんかで良かったの?」

「それを君が聞くのか」

「そうだよ~。遠慮しなくてよかったんだよ?」

「いやいや、結構好きなんだよ。七海さんほどの熱意はないけどね。

『そうだな~。たまらなく、ごそごそしてる、ぼろ雑巾』」

「戸崎くん、それ以上はやめときな」

 萌木は食べているものを吹き出しそうになって、急いで飲み込んでから姉御らしく指摘した。

 全員が食事を終えると、ようやく勉強道具を持って、低い机のはじめに座っていた場所に移動した。

「それじゃあ勉強始めま、じゃなくて、再開しましょうか」

「やっぱり人生ゲームは勉強だと思ってないんじゃねーか」

 勉強会は、各々が自分の勉強をし、わからないところが現れたら周りに相談するという形式で進められた。萌木がビリギャルっぽく戸崎に聞いた。

「ねえねえ、因数分解ってどういう意味?」

「足し算とか引き算の形になっている式を掛け算の形にすることだよ」

「どうしてそんなことができるの?」

「同じものでまとめてるんだよ」

「同じものでまとめるっていうのはどういうこと?」

「{(X+1)(X+3)}っていうのは、{X²+4X+3}の中に{X+1}が{X+3}個あったってことかな」

「{X+3}個ってどういう状況? どうして{X+1}をまとめられるの?」

「Xは文字だけど、性質的には数字と変わらないんだよ。だから数字と一緒に数えたりまとめたりできるんだ」

「じゃあどうして文字で表すの?」

「後からいろんな数字を当てはめられるからかな」

「どうしてそんなことができるの?」

「えっと、だから文字は色々な数字を表していて……。

『どう説明すればわかりやすいかな』」

「お馬鹿さんなのかソクラテスなのか。自分に当てはめて考えてみなさいよ。萌木が文字で水田が数字だとするじゃない? だったら、二人は同じものだからまとめられるし、萌木は頭が空だからいろんなものを入れられるってこと」

 七海が戸崎の困った様子を察して助け舟を出すと、萌木は不機嫌そうに聞き返した。

「それどういう意味?」

「ほんとだよ! 萌木の頭が空なのはいいとして、俺と萌木が同じってどういうことだよ!」

「いやどっちも良くないから!」

 数分後、集中力の切れた七海がふざけ始めた。

「英語の文型は決められた型しか使えないのね、SVOCとか。自分で作り出しちゃ駄目なのかしら。MDMAとか」

「違法ドラッグ作ってんじゃねーよ」

 さらに数分後、まだ集中力を保って勉強していた細野が隣の青戸にわからないところを質問した。

「ねえねえ青戸くん、細胞内共生説のところの、ミトコンドリアとか葉緑体が二重膜になってるってどういうことかわかる?」

「それはだな、自分がシャボン玉に取り込まれるのを想像してみたらわかるぞ」

「雰囲気のわりにファンタジーな例えを用いるんだね」

「ちょっとこのノートに描いてみてくれない?」

そう言って細野は青戸に体を寄せながら、ノートを彼の前に移動させようとしたが、その時、

「あ! ごめん!」

 ノートの端がぶつかり、青戸のコップが倒れてしまった。こぼれたお茶が七海の方向に流れていきそうなのに気付いた青戸は、持っていた自分の教科書で抑え込んだ。

「ちょっと拭くもの持ってくるわね。

『私のところにお茶が行かないように塞いでくれたのかしら』」

 それを聞いていた戸崎と細野は、拭くものを取りに向かった七海の背中を意味ありげに一瞬見つめた。

 七海が帰ってくるまでに、細野が申し訳なさそうな顔をしながら近くのティッシュペーパーで机と教科書を拭いていた。

「ほんとごめん! 教科書交換するよ!」

「そんなに気にしなくていい。俺は濡れた教科書が乾いて乾燥ワカメみたいにパリパリになったのとか結構好きなんだ」

「どんな趣味だよ」

「嫌になったらほんといつでも言ってね! すぐ私のと取り換えるから!」

「わかったよ。ありがとう」

 七海がタオルとドライヤーを持って戻ってきた。七海は細野にタオルを渡した。

「はいこれ。一応ドライヤーも持ってきたわ」

「なんで銃口がこっち向いてんだよ」

「助かる」

 教科書はドライヤーで少し乾かされた後、窓の近くの日の当たる場所に置かれた。

「乾くまでは私の教科書貸すね」

「じゃあお言葉に甘えて。ありがとう。それで、シャボン玉のことだが……」

 七海はその様子を、可愛い我が子を眺める親のような顔とも大事なものを失いそうな時の顔ともとれる表情をしながら見つめていた。さらにその様子を見つめていた戸崎が心の中で言った。

『何が気になるんだろう』

 夕方になり、勉強会がお開きの流れになった。

「それじゃあ今日はここまでにしましょうか! 1.002倍ぐらいは賢くなったでしょう!」

「やけにリアルな数字言わないで」

「青戸くん、教科書ほんとごめんね~」

「あんまり自分を責めるなよ」

「ありがと~」

「まだ濡れた状態の教科書を青戸くんの鞄に入れて持って帰るのは、アマゾン川に赤子を放り投げるようなものだから、乾いてから渡すわね」

「俺の鞄の中身を何だと思っているのかは気になるが、よろしく頼む」

 玄関まで皆を見送った後、七海親子はキッチンで洗い物の片付けをしていた。

「みんないい子だったね~」

「当然よ。私の友人なんだから」

「萌木ちゃんと水田くんはいいとして、後の子たちはあなたが心の声を聞けないことは知ってるの?」

「ええ、もちろん知ってるわ。そのうえで仲良くしてくれてるのよ」

「ありがたいね~。そういえば、青戸くんだっけ? あの子も心の声が聞けないの?」

「いいえ、そんなことないわ」

「あら、そうなんだ。じゃあやっぱり聞かないようにしてるんだね。どうしてなんだろ」

「私に合わせてくれてるのよ。私がいる時はいつもね。気を使わなくていいって言ってるんだけど」

「優しい子だね~。大事にするんだよ~」

「当然よ。それに、彼はそれが誰かのためになるなら、たとえ損な役回りでも躊躇せず引き受ける節があると思うの。だから、私が守ってあげなきゃね」

 七海の母は感動した表情で七海の方を向いた。

「香織……。生意気ね!」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ