第17話 またしても文化祭一日目
またしても文化祭一日目
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人も自然も色気付き始めた頃、七海らにとって二度目の文化祭がやってきた。七海のいるクラスは教室でノンアルコールバーを開いていた。カウンターは四か所あり、そのうちの一つに七海と戸崎が入っていた。七海は明るくもなく暗くもないテンションで接客していた。
「いらっしゃいお二人さん。お飲み物は何にします?」
一組目の客である熟年夫婦の男の方がニコニコしながら注文した。
「僕はオレンジジュースいただこうかな」
戸崎はいつも通りのテンションで接した。
「お連れの方はどうされますか?」
熟年夫婦の女の方は穏やかにかつ明るく答えた。
「私は~、リンゴジュースで!」
バーテンダーは二人に小さめの紙コップでジュースを出した。受け取った熟年夫婦の男は感心して言った。
「高校生なのに凄いね~。もう様になってるよ~」
「これはもったいないお言葉、ありがとうございます。お二人は、どういったご関係で?」
熟年夫婦の女は冗談っぽくかしこまって答えた。
「夫婦をしております~」
「そうですか! お二人はいつ出会われたんですか?」
「ちょうど、あなたたちぐらいの時かな~」
「長い付き合いというわけですね。今の時代となってはとても珍しいことです。どのように関係を維持されてきたのですか?」
「う~ん。何か特別なことをしたわけじゃないけど、相手の話をちゃんと聞こうっていうふうには心がけてたかな~」
そう言って、熟年夫婦の女は男の方を見た。男はそれに応えるように吐露した。
「そうだね~。だから喧嘩も全然してないかな~」
熟年夫婦の男の言葉から時間により生じた深みを感じ取った七海は、心の中で、小声で思った。
「『文字通り阿吽の呼吸ね』
なるほど。でもやはり喧嘩にならないのは不思議ですな。お互い自分の考えが譲れなくて衝突したりはしなかったのですか?」
「あんまり自分の考えに固執したりはしないかな~。だって僕たちは人間だからね~。間違ってばっかりだよ~」
「『人間だったんですか! じゃなくて』
謙虚でいらっしゃるのですね、素晴らしい」
「今までの人生を振り払って、結婚していて良かったなと思うことはありますか?」
「それは沢山あるよ~。一人じゃどうにもならないことも、二人でならなんとか乗り越えられたし、一人でいたらきっと出会わなかった世界にも出会うことができた」
熟年夫婦の女の言葉にも、経験により生じた重みが積まれていた。男は女の言葉を優しく包み込むように肯定した。
「そうだね~。ほんと感謝でいっぱいだよ~」
「感謝の心に幸運来たれりと言いますからな。『知らんけど』これからもその幸せを守り続けてください」
「ありがとうね~。それじゃあ失礼するよ~」
「二人ともありがとう~!」
「こちらこそありがとうございました!」
熟年夫婦が去っていった。その後ろ姿に七海と戸崎が一礼した。客が店を出たのを確認してから七海は、久しぶりに呼吸したように肩で息をした。
「はぁ~! 死ぬかと思った~、キャラクターが」
「どうして接客で死にかけてるの?!」
「今まで生きてきてバーの接客なんてしたことないからわからないのよ、どういうキャラクターでいけばいいか」
「普通は誰もやったことないと思うんだけど。まあいつも通りの君でいいと思うけどな~」
「それはまことか?! いつも通りの拙者で良いのか?!」
「既に違うキャラクターになっちゃってるけども、君のやりやすいようにやりなよ。それが一番だ」
「あなたに言われると説得力があるわね」
七海は悪い笑顔を向けた。対して戸崎は悪い意味ではない苦笑いで返した。
「あはは、これは参ったな」
数十分後に来た他校の高校生カップルへの接客の様子を見てみよう。
「二人とも、美男美女でお似合いですね!」
七海は女子高校生の突然の馴れ馴れしさに反射的に頭の中にシャッターが下りる映像が流れた。
「それはどうも」
「ありがとうございます! お飲み物は何にしますか?」
「俺はー、ナイスグレープで!」
「私も同じので!」
仕事に私情は挟まず、円滑に二人にジュースを出した。
「お二人仲がとてもよろしいようで」
「はい! 付き合ってるんです!」
「あんまり大きい声で言うなって~。バレたらどうするんだよ~」
七海の頭の中で金庫を閉める映像が流れた。
「私は裏稼業で情報屋をやっています。決して口外しませんので安心してください」
「それ言うやつじゃないっすか~!」
「お二人は、付き合ってどれぐらいになるんですか?」
「まだ三か月です!」
「鉄は熱いうちに打てと言いますからな。いかがです? 今のうちに婚約届を出されては」
「まだ結婚できる年齢じゃないですよ~」
「今のお気持ちをうかがっても?」
「今はとっても幸せです! ね?!」
「ま、まあそうっすね」
「いいじゃないですか~。末永くお幸せに!」
「ありがとうございます!」
「俺たちはこれで失礼します」
「この後も文化祭楽しんでいきます!」
「楽しんでいってください!」
去っていく高校生カップルに七海は目を閉じて静かに敬礼した。
「どうしたんだい? せっかく元のキャラでしばらくできてたのに」
「あの高温には私のガラスのハートは耐えられないわ。せっかくシンデレラが履けるサイズの靴の形にしてあるのに」
「君が履くわけじゃないんだね。まあ熱々だったのはわかるけど、束の間の幸せぐらい許してあげようよ」
「束の間って。あなたも中々残酷ね」
「泣くと悲しみが逃げていくように、はしゃぎ過ぎると幸せも逃げていくんだ。だから近いうちに彼らはあの関係に飽きるだろう」
「これまた説得力のある言葉ですな~。ご自身で経験なさったので?」
「僕じゃないけど、間近で見たことがあるんだ」
七海はなんとなく察した。
「なるほど。あなたも色々大変なのね」
午前最後の客として小学生カップルがやってきた。
「おねーさんたち付き合ってるのー?」
七海の頭の中で核シェルターの扉が閉まる映像が流れた。
「いいえ、そういうわけでは」
「いらっしゃい! よく来たね! 二人は幼馴染とか何かかな?」
「私たち付き合ってるんです!」
「『時間がねじ曲がったのかしら』
それはそれは結構なことです。どういった経緯でお付き合いを?」
「時間がねじ曲がるってどういうこと―?」
何も知らない男の子が、七海の心の独り言を純粋に尋ねた。それを聞くと七海は頭の中に核シェルターの中で布団にくるまる映像が流れた。
「お気になさらず」
「飲み物は何にする?」
「俺はコーラで!」
「同じのください!」
慣れた手つきでジュースを提供した。
「お二人はどういった経緯でお付き合いを?」
「小学校で出会ったんだー」
「それで意気投合してって感じです!」
「君すごく大人びてるね~」
戸崎は女の子によく効く褒め言葉を言った。
「いえいえ、まだまだ子供です!」
「謙遜もできるとは、よくできた方ですな」
「どうしておねーさんは変な喋り方なのー?」
屈託のない問いに対し、七海は涙目で両手を挙げながら布団から出て降参する映像が頭の中で流れた。
「これは職業病ですのでご心配なく」
「職業病って何―?」
「店員さんに迷惑かけないの! じゃあ私たちはこれで失礼します! 美味しかったです! ありがとうございました!」
そう言うと、女の子は男の子を引っ張って歩いていった。男の子は女の子に引っ張られながら元気よく叫んだ。
「おねーさんたちまたねー!」
「またねー!」
「前途多難な旅路への出発、どうかお気をつけて」
小学校カップルが店を出た。戸崎は客の紙コップを片付けながら言った。
「いや~、強烈だったね!」
「非常に強い台風だったわね」
七海も戸崎もエプロンを脱ぎながら話した。
「すぐに君が心を閉ざしたのがわかったよ」
「災害には備えなくちゃね」
七海は空中で、戸崎は机の上でエプロンを畳んだ。
「まあまあ、小学生なんだから大目に見てあげてよ」
「その油断が仇とならぬよう気を付けるのじゃぞ」
「君の過去に一体何があったんだ……」
二人は午後の担当とバトンタッチして教室を出た。
「戸崎くんはこれからどうするの?」
「僕はこれからクラブの友達と合流する予定だね! 七海さんは?」
「私は、金城くんが一緒にお店を回ろうって言ってくれてるからそうするつもりよ」
動揺を完全に押し殺した戸崎が言った。
「そうなんだ。……。じゃあまあ、くれぐれも気を付けてね!」
「もちろんよ。戸崎くんもね!」
七海はスタスタと階段の方へ歩いていった。戸崎はそんな七海の背中を見ながら思った。
『七海さん、金城くんと……』
体育館では演劇や演奏がタイムテーブルに則って披露されていた。七海は金城のいる軽音楽部の演奏を見に来た。最近流行りの曲や、定番の曲が披露された。最後まで聴き終えると、七海は体育館の外で金城を待った。
『音楽は言葉通り楽しむというのが本当に難しいわね。[心]の周りに真空があるかのように何も届かないもの』
しばらくして体育館から金城が出てきた。金城は七海を見つけると、七海だけを見つめながら近づいた。
「結構待たせちゃったね。ごめんね」
「あなたは人を待たせないと気が済まないみたいね」
「ごめんごめん。今度からは気を付けるからさ。じゃあ行こっか」
二人は目的地もなく歩き始めた。
「本当かしら。それより、良かったわよ、あなたのベース」
「聴いててくれたんだ。ありがとう」
「聴いたから待つことになったんでしょうが。まあとにかく、普段のあなたからは想像もできないような激しくて鋭い音の動きだったわ。何かに憑かれでもしたみたいに」
「音楽には不思議な力があるからね」
「不思議な力……。てゆうか、さっきからすれ違う人に見られるんですけど。絶対あなたよね? 私追われの身なんだけど」
「俺に追われてるんだっけ?」
「全ての元凶はあなたってことね」
二人はグラウンドに出ているたい焼きの屋台で目玉焼き入りたい焼きを買った。金城は美しさを損なうことなくたい焼きを食べていた。
「不思議なたい焼きだね」
「腐っても鯛、何入れてもたい焼き、鯛は生命力が強いのね」
「香織ちゃんは何してても可愛いね」
「鯛で私を釣る気かしら?」
「釣られたのは俺の方かもね」
「勝負を挑んだ私が馬鹿だったわ。ところで、金城くんのお母さんはライブ見に来たりはしてないの?」
「来るわけないよ」
「そうなのね。ぜひ見てもらいたかったわ」
「七海ちゃんが見に来てくれただけでも十分だよ」
「それなら良かったけど。
『本当かしら』」
「本当だよ」
「当たり前のように心の声に返事しないでくれるかしら?」
唐揚げの屋台で唐揚げを買う二人。ちょうど自分たちの一組前で揚げていた分がなくなり、数分間待った後に渡された。
「おまけで一個貰った分、食べる?」
「遠慮しとくわ。店の人はあなたにあげたんだから」
「香織ちゃんは優しいね」
「初めて内面をほめてくれたわね」
「内面をほめられる方が好きなの?」
「強いて言えばね。ただ、本当に思っているならだけど」
「思ってるよ。信じて欲しいな」
「色々な女性に言っているように感じてしまうのは男前の弊害ね。
『それにしても、唐揚げを食べてても絵になるなんて、相当ね』」
「香織ちゃんも絵になってるよ」
「すさまじい迫力でしょ?」
次に二人はクレープの屋台でクレープを買った。七海はキャラメルソースのかかったクレープを、金城はバニラアイスの入ったクレープを注文した。回転する鉄板の上で生地が引き伸ばされていく様子を、二人とも黙って眺めていた。クレープを受け取ると、近くの壁の方に移動し、乾杯する真似をしてから食べ始めた。
「さすがにクレープ持つ姿は自分でも似合うと思ってるでしょ?」
「あら、私は何でも似合うと思っているわ。てつはうとかでもね」
「あのうるさいやつね」
「身に受けたことがあるような言い方ね」
校舎に戻った二人は、少し休むべく喫茶店に入り、お茶を注文した。二人とも温かい抹茶を注文した。
「そろそろ本題に入ろうかしら。金城くんは私のことどう思っているの?」
「可愛いと思ってるよ」
「そうじゃなくて、好きかどうかってこと」
「好きに決まってるじゃん」
「どうも私はそう思えないの。金城くん、あなたは人のこと好きになったことないんじゃないかしら?」
金城は七海を見つめたまま何も話さなかった。七海はコップを両手で持って抹茶を口に含み、目を閉じて静かに飲み込んだ。
「そして、自分のことも好きじゃない」
「何が言いたいの?」
「あなたの心が悲鳴をあげているように見える」
「それはどうかな」
「私の勘違いだったらそれはそれでいいけど、もし勘違いじゃなかったとしたら、その傷付いた心を癒すのに協力したい。でも、それは男と女の関係じゃできない。人間と人間の関係じゃないとね」
「それは、本気で言ってるみたいだね」
「ええ。大切な友人の一人として」
「じゃあもし、その治療の一環として、しばらく会わないでほしいって言ったら?」
「その方がいいならその通りにするわ」
「じゃあ決まりだね」
金城は席からゆっくり立ち上がり、窓を見ながら言った。
「またね」
七海も敢えて目を見ずに言った。
「私は待っているわ。あなたの助けを呼ぶ声を」
その言葉を聞くと、金城はゆっくり歩いて店を出ていった。七海はその姿を直接は見ず、感覚で金城が出ていったと思ったタイミングで抹茶を一口飲んだ。
『このお茶、苦いわね』
店を出た金城は、一人屋上に移動し、フェンスから文化祭の様子を眺めていた。
「君のは本気だったかもしれないんだけどな……」




