第15話 デート
デート
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業火と相違ない灼熱の夏休みに入り、二人で博物館に行くことになった細野と青戸。二人は博物館の最寄り駅で集合した。細野は嬉しそうに青戸と歩きながら改札に向かって歩いていた。
「ちょっと早めの電車で来たつもりだったんだけど、まさか青戸くんも乗ってたなんて!」
「集合時間より早く来ることについて俺と互角に渡り合えるとはなかなかやるな」
「えへへっ!」
バスが来るまでの時間、すぐ近くのコンビニで炎熱を免れていた。二人はグミのコーナーで立ち止まった。
「グミは食べるか?」
「食べるよ! この酸っぱいのとか!」
「柔らかいのが好きなのか?」
「そうかも! 青戸くんはどういうのが好き?」
「俺はこの果汁のグミだな。どれだけ離れようとしてもここに戻ってきてしまう」
細野の恋する乙女特有のセンサーが反応した。
「そ、そうなんだ!」
「このグミの旬はいつか知ってるか?」
「旬? 知らないな~」
「なら教えてやろう。このグミの旬は夏だ」
「そうなんだ! どうして夏なの?」
「夏の暑さで絶妙な柔らかさになるからだ」
「なるほど!」
買い物を済ませ、バスに乗った。車内には数名の老人と一人の妊婦がいた。二人は一番奥の席に座った。
「本当に博物館で良かったのか?」
「うん! 青戸くんとならどこにいても楽しいよ!」
細野は自分が攻勢に出ていることに気付いていなかった。さすがの青戸も、嬉しさを隠しきれずにたじろいだ。
「そ、そうか。そうだった、果汁のグミを食べようか」
「そうだね! 一つ交換しようよ!」
「そうしよう。ちょうど桃味も食べてみたかったところだ」
博物館に到着し、受付を通過した。初めに二人を出迎えたのは、巨大なマンモスの化石であった。細野はその下をくぐりながら言った。
「この化石大きいね~。足だけで私たちの身長超えてるよ!」
「そうだな。体も、俺たちを一気に丸呑みにできそうなぐらい大きい」
「……確かに!」
細野は二人でマンモスの胃の中にいるところを想像したのであった。
続いて宇宙のコーナーに入った。青戸は隕石の展示を見ながら言った。
「なるほど、地球では生み出されない組成をしているのか。それが地球に存在している」
「不思議だね~。本来出会うはずのなかったもの同士が出会うなんて。私たちみたい!」
「確かにな。遠い場所で生まれているのに出会ってしまう……、縁とは本当に不思議なものだ」
広大無辺な宇宙のコーナーだったが、いつまでもいるわけにはいかないので、二人は次の生き物のコーナーに移った。土の中を百倍に拡大したジオラマを見て細野は恐れおののいた。
「こ、ここは……」
「拡大したジオラマか。面白そうだな、入ってみるか」
「え?! 本気?! 青戸くん虫得意だっけ?」
「いや、虫は大の苦手だ。だがジオラマは結構好きなんだ。細野が嫌ならやめとくが」
「い、いや。ちょっとだけ入ってみよっか。……その代わり、腕掴んでていい?」
「構わないが……。俺が君を置いてけぼりにして逃げるとでも?」
「そういうわけじゃないけど! さ、さあ、行ってみよう!」
細野は嬉し恥ずかしそうに青戸の腕を掴んだ。
『まあ最悪腕を切り離せばいいか』
青戸の心の声を聞いて、細野は腕を握る力を強めた。
『ちょっと?! 冗談だよね?!』
筒状のジオラマの中心までやってきた。周りには、巻きつかれれば全身が隠れてしまうほどの大きさのムカデや、雨宿りに使えば全く濡れないほどのサイズのキノコや、噛みつかれれば簡単に手足を千切られてしまうであろうほど巨大なアリなどがいた。
「悪夢だな。だが、やはり拡大したジオラマも面白い」
「そ、そうだね~、……」
そそくさと水槽のエリアに移った。水槽は、またしても囲まれるように配置されていた。
「この短い距離に、山の上から海までのそれぞれの場所に生息している魚が区切られて泳いでいるのか。これは生きるジオラマだな」
「確かに! それに水族館気分も味わえるね!」
「ああ。それと、一つ聞きたいことがあるんだが、……いつまで腕を握っているんだ?」
「……念のために」
「何に備えているんだ」
博物館の展示を見終わり、最寄り駅の近くにあるカフェに入った。カフェの中では、博物館で育まれた非日常的な感情が生存できる空気が広がっていた。二人はテーブル席に座った。青戸は紅茶を持って渋めの口調で聞いた。
「最近はどうだ? 心の調子は」
「そうだな~。まあなんとかやってるよ!」
「本当か? 心配かけまいと気を遣ってるんじゃないか? まあ無理に本音を言う必要もないが」
「……」
「あれから色々思い出してみたら、もしかすると俺が孤独と向き合えとか何とか言ったから辛くなってるんじゃないかと」
「いやいやそんな! 青戸くんは何も悪いことしてないよ!」
細野は嬉しさと感謝の混じった感情を隠すように唇を一瞬引っ込めた。青戸はまあ本当のことは言わないわな、という微笑を向けた。
「……そうか。細野の立場的に、親には相談しづらくて余計孤独を感じるだろうが、俺たちはいつでも仲間だということは覚えておいてくれ」
「……ありがとう」
「それで、これは俺から聞きたいことなんだが、人間は、誰かを好きになったら普通はどうなるものなんだ?」
青戸の意外な発言に細野は驚いて軽くむせてしまった。
「……どうしたの?! 急に」
「い、いや、ちょっと気になって」
細野は紅茶の揺らめく水面を見つめた。
「そ、そうだな~。私だったら、どうしよ~、ってなると思うな~」
そう言った後、焦って何を言ってるんだ私、という顔を隠すために紅茶を飲んだ。青戸もどうしようわからん、という顔を隠すために紅茶を飲んだ。
「……なるほど」
「青戸くんはどうなるの?」
「俺、か。それが、あまりよくわからないんだ。好きになったことはあるのかもしれないが、それを自分で好きだと認識できていないんだろう」
「そっか~。青戸くんは、自分が誰かのことを好きになってるかどうかが知りたいの?」
「知りたい……。そうだな。もしその好きな人と結ばれて、今ある苦しみが何か別の良いものに変わるのなら、是非とも知りたいな」
「その今ある苦しみって、前に話してくれたずっと孤独を感じるってことと関係がある?」
「まさにそれそのものだな。あとはその孤独によって起こる虚しさだ」
「そっか~。それだと確かに難しいね~。じゃあ、誰かと一緒になりたいと思うことはある?」
「どうなんだろう。あるような気もするが、まだ(誰か)の状態で止まっているような気もする」
「それじゃあ、この人かもっていう人は誰?」
「え~っとそうだな……。……。それはちょっと」
「そっか~」
「……この話は俺の借り一でやめにしよう。ここからは始祖鳥の話をしよう」
同じ時間、別の場所にあるカフェで話をしている二人がいた。
「どうしてなかなか二人で会ってくれなかったの?」
金城は背もたれにもたれたまま聞いた。七海は紅茶のカップを持ったまま答えた。
「小野ちゃんと付き合っているのかと思ってたもの」
「仲のいい友達だよ」
「そう。ならいいわ。
『嘘じゃないといいんだけど』」
「本当だって。信じてほしいな」
「心の声を聞く耳がいいのね」
「香織ちゃんのこともっと知りたいからね」
「お上手ね。
『顔が良いから、どんなキザな言動も成立してしまうのよね』」
「香織ちゃんに褒められるのは嬉しいな」
「私を狙っているの?」
「どうだろう。でも、香織ちゃんは素敵だから、みんなが狙ってるよ」
七海は照れ隠しで言語を関西弁モードに切り替えた。
「いやいや、さすがにそれは言い過ぎですね。細野ちゃんとか、ザ・モテる女の子ならわかりますけど」
「今は他の女の子の話はいいから、香織ちゃんの話が聞きたいな」
「どうしてそんなに私のことが知りたいのかしら?」
「なんでかな、凄く気になるんだ」
「そこまで言うならいいでしょう。私のことを教えてあげます。私の遺伝子配列は、AAGTCAGTCAGT……」
金城が爽やかな笑顔で聞き続けたため、
「……ていう冗談はさておき……」
と折れてしまった。
「やめちゃうの? 香織ちゃんの全部がわかると思ったのに」
「い、遺伝子配列だけで私の全てを知った気になるなんて、可愛い子ちゃんね」
「七海ちゃんの可愛さには負けるかな」
「手のひらの上でコロコロと。そういう技術はどうやって身に付けたのかしら?」
「香織ちゃんを喜ばせるために神様がプレゼントしてくれたのかも」
「『神様ったら。罪なお人』……じゃなくて、……本題に入りましょう。金城くんは、家ではどんな感じなの?」
「どうしてそんなことが知りたいのかな?」
「私のことが知りたいなら、金城くんも自分のことを話してくれないと対等じゃないでしょ?」
金城は紅茶をゆっくりと一口飲んでから答えた。
「そうだね。家ではずっと一人でいるよ」
「家に誰もいないの? ご両親とかは?」
「父親は最初からいなくて、母親はほとんど家にいないからね」
「そうなの。お母さんは何をしてらっしゃるの?」
「一旦ここまで。そろそろご飯屋さんに移動しようよ。着いたら今度は香織ちゃんのこと教えてね」
「わかったわ」
二人はカフェを出て、近くのイタリアンレストランに入った。七海はペスカトーレを、金城はカルボナーラを注文した。料理が到着するまでは気温や学校のことなど、誰でもどこででも話すようなやりとりをしていた。それから沈黙を気にした七海が静かに水を飲む時間もあった。それからようやく料理が届いた。七海はすかさずフォークとスプーンを持って発声した。
「いただきます! ……美味しいわ。地中海のお洒落な潮風が吹き抜けていくみたいね」
「君の美味しそうに食べる表情は地中海に反射する太陽の光よりも眩しいね」
金城はもはやジョークのつもりで言った。
「うまいことおっしゃる」
「それで、今度は香織ちゃんが教えてくれる番だよね?」
「そうね。知りたいことは何かしら?」
「どうやったら香織ちゃんの彼氏になれる?」
七海はパスタを食べようとした手を止めた。それを見た金城は逆にパスタを食べてみせた。
「彼氏? そ、そうね~。強いて言えば、自分の[苦しみ]と向き合っている人がいいな、とは思うけど」
「自分の[苦しみ]、か。どうしてそういう人がいいの?」
「自分の[苦しみ]と向き合ってないと、人間のことなんて何もわかりっこないし、人の[心の痛み]を知っていないと、人を愛することなんてできないものね」
「ふ~ん。じゃあ、どうすれば自分の[苦しみ]と向き合える?」
「それは簡単。一人になって、[心の穴]に意識を向けながら考えることよ」
「[心の穴]って、授業で先生が言っていた[心]のこと?」
「ええそうよ。[心]は題材にもなるし、筆にもなるし、キャンバスにもなる。[心]によって、あらゆるものを形にするの。目に見えないもの、それこそ[苦しみ]とかもね」
「そうなんだ。じゃあ俺はそのキャンバスで君のことを描こうかな」
耐性がついたのか、七海は余裕のある微笑みを見せた。
「できるものならね。じゃあ次は金城くんの番。あなたの好きなものは何?」
「好きなものか。人じゃ駄目?」
金城は例のいたずらっぽい笑顔になって言った。表情の変化の過程を目撃した七海は一瞬目線を逸らしてから答えた。
「……ものでいきましょうか」
「わかったよ。俺の好きなものは音楽かな」
「そうなのね。音楽のどういうところが好きなの?」
「音楽を聞いている間だけはこの体から解き放たれるところかな」
「体から解き放たれる……。どうして体から解き放たれたいのかは、聞いてもいいかしら?」
「それは、香織ちゃんの一番の秘密を教えてくれたら言ってあげるよ」
それを聞いた七海は一瞬まぶたを下ろして考えたが、すぐにまた目を開いた。
「……それは残念。私の一番の秘密は言葉にすることもできないの」
「そっか」
二人ともが完食した後、乾いた涼しさの店を出て、暑くてじめっとした外を近くの駅までゆっくり歩いていった。家だらけで余計にむさ苦しい道を、もはや水の抵抗を受けているかのように感じながら進んだ。
「この後の予定は?」
「帰るだけだけど?」
「じゃあもう少し遊んでいこうよ。もっと香織ちゃんと話していたいな」
「……、それは遠慮しておくわ。危ない橋を渡るのは好きじゃないの」
「別に危なくないよ? いざとなったら俺が守ってあげるから」
「それでもあなたに危ない橋を渡らせることになるわ」
「そっか」
金城は何かを思って横目で七海を見て微笑んだ。
その後しばらく沈黙が続いた。
『静かな時にする寂しそうな顔が母性をくすぐる。天性のモテ男というわけかしら』
「聞こえてるよ。香織ちゃんが側にいてくれたら寂しくなくなるんだけどな~」
「そんなことないと思うわよ」
「どうして?」
「あなたの苦しみを理解してあげられるかわからないもの」
「それは、そうだね」
七海は金城がどんな顔でそう言ったのか気になったので、少しだけ横顔を見たのだった。
最寄りの駅に着き、帰宅途中のサラリーマンの波をかいくぐって改札を通った。
「じゃあここでお別れだね。一人で帰れる? 家まで送ってあげようか?」
「結構よ。そんなことしたら、今度は金城くんが迷子になっちゃうでしょ?」
「そうだね。……また会いたいな」
金城は自然にこぼれたかのように言葉をもらした。さすがの七海もそれには心の水面を大きく揺さぶられた。
「ま、まあ気が向いたら召喚されてあげるわ」




