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第10話 研修旅行事前学習

     研修旅行事前学習

               *

 自然の移ろいが一巡した。七海は、二年生になって最初のロングホームルームの時間、研修旅行実行委員として教壇に立っていた。デスゲームのゲームマスターのような冷淡な雰囲気で話を始めた。

「教室にお集まりの皆さまこんにちは。初めましての方は初めまして。私は来る研修旅行の実行委員をしております、七海と申します。これから研修旅行の日まで、ロングホームルームの時間は事前学習の時間に変わります。つまり、これからこの時間の主導権は、先生から私に移るということです。皆さんには、私がひれ伏せと言えばひれ伏し、プリンを作れと言えばプリンを作ってもらいます。まず初めに、今日の学習のワークシートを配ります」

 七海がワークシートを配り始めると、学級委員の戸崎も手伝った。七海は戸崎が席に着いたのを確認してからもう一度説明を始めた。

「見ての通り、このワークシートは穴埋め式になっております。しかしながら、その穴は全て、すでに埋まっています。これは、穴を埋めることに集中して、理解することが疎かになるのを防ぐためだと聞いています。それなら最初から穴埋め式にしなければいいじゃないか、と思った方もいらっしゃるでしょう。

 ……。同感です。

 無駄話もほどほどに、早速ワークシートの中身に入っていきましょう。覚悟はよろしいですか。それでは参りましょう。あ、名前のところは埋まってないので各自で自分の名前を埋めておいてください。

 よろしいですね? 

 では、まずは行き先です。私たちが今回研修旅行で行くのは……。

 精神科学実験場跡です。

 さすがに行き先ぐらい穴埋めにしなくても覚えられるわ、と思った方もいらっしゃるでしょう。

 ……。おっしゃる通りです。

 次です。なぜそこへ行くのか。それは、そこが人類史上最悪の負の遺産だからです。何をもって史上最悪と言えるのか。それは、エゴと傲慢さです。人類は、我々に理解できないものは存在しないとし、目に見えない一切のものを否定しました。そして、その否定は[心]にまで至り、何としてもそれを物質的に人間の体から取り出そうと、生きた人間を何人も犠牲にし、挙句の果てには取り出せないからと言って、存在しないことを証明したと(うそぶ)いたのです。人類の英知は全てを征服した。そう言っておきながら、他の者を犠牲にするエゴと、自分が最も高貴であるとする傲慢さを征服しようともしなかった。言い換えれば、自分を省みることなく、世界を支配しようとし、結果、己の弱さに支配されてしまったと言えます。

 ……。そろそろ疲れました。皆さん、プリンを作りましょう。おやつの時間です」

「職権濫用しないでください」

 前の方に座っていた五十嵐が暴走しかけた七海を静止した。七海はお腹を押さえながら続けた。

「……失礼しました。では話を戻しましょう。この研修旅行の最終的な目的とは何か。それは、周りのものを支配しようとするのではなく、自分を省みるということを知ることにあります。実験場のような醜態を二度と曝さないようにするには、自分は本当に正しいのか、もし自分が逆の立場だったらどう感じるだろう、そういったことを自問自答し続けることが肝要です。その第一歩として、過去の凄惨な行いを現地でこの目で見、加害者と被害者両方の立場を自分事であると我が身に引き受けることを学びます。というわけで、これからはそのための学習をしていきたいと思います。ここまでで何か質問のある方はいらっしゃいますか。ではsさん」

「さっき言っていた人間のエゴと傲慢さは他の場所でも学ぶことはできるように思います。どうしてその中で精神科学実験場跡のエゴと傲慢さだけが史上最悪なのですか?」

「ありがとうございます。プリンが食べたくなるぐらい良い質問です。どうして精神科学実験場跡が史上最悪なのか。それは、[真理]を直接的に否定しているからです。確かに、戦争の爪痕が残る場所や資本主義によって自然が汚された場所などに行っても、エゴと傲慢さを知ることはできるでしょう。しかし、それは自然界の悲惨さに翻弄されていた時代のことです。当時は今より簡単に人が死んでいたのです。そういった時代のエゴや傲慢さというものは、恐怖の反動によるところが多いと思います。その一方で、精神科学実験場の時代は違います。日々の退屈さにうんざりできるぐらい安全な状態で、落ち着いてものが考えられる状態で、[真理]を否定し、[心]を否定したのです。昔は[真理]というものが荒ぶる自然の中に隠されていました。ですが現代以降は、直接[真理]と、その結晶である[心]と向き合うことができます。それなのに否定した。だから史上最悪なのです。これで答えになりましたでしょうか」

「ありがとうございます」

 七海は両手でプリンの形を作って一礼した。

「では次に、tさん」

「どうしてプリンがいいのですか?」

「ドーナツでもいいでしょう。先生、ドーナツは、」

「駄目です」

 七海は顔を上げて目を閉じながら手でドーナツの形を作り、祈りを捧げた。祈祷を終えた七海は質疑応答を続けた。

「では次に、uさん。お願いします」

「当日のスケジュールはどんな感じですか」

「具体的にはまだ決まっていませんが、大体、一日目は午前中に現地まで移動し、午後から資料館などを回り、夜に語り部さんのお話を聞いて終わります。二日目は夕方ぐらいまでは自由で、そこからヒッチハイクで帰ることになると思います」

 七海の驚きの発言に教室中が騒然となった。

「間違えました。バスで帰ります。 それでは、今日はこのあたりで終了です。残りの時間でモンブランを作りたいと、」

「七海さん」

「……間違えました。対話の時間にしたいと思います」

 生徒たちが話し合いを始めた。それを確認してから七海は自分の席に戻った。七海の隣の席にいた野山が話しかけた。

「お疲れ様」

「ありがとうね。どうだった? ちゃんと伝わったかしら?」

「ちゃんと伝わったと思うよ。研修の意義と、あとは君が甘いものを欲しがってることが」

「それは良かったわ。ただ今度からはもっと楽しそうにしないと駄目ね。このまま生死をかけたゲームのゲームマスターみたいな感じで行くと、現地に実験台として行くみたいに思われてしまうわ。スイーツのコスプレでもしようかしら」

「ゲームマスターが憑いてたんだね。まあ俺はその時その時に七海さんが振る舞いたいように振る舞えばいいと思うよ」

「野山くん……。

 ありがとうございます」

 七海はデスゲームのゲームマスタ―風に礼を言った。

 その日の昼休み。野山が二冊の本をかばんから取り出し、七海に渡した。

「本ありがとう」

「いいえ。どうだったかしら? (荒野の一匹おおかみ)は」

「すごく良かったよ。この作者さんが人間というものに対して熱意を持って向き合っているのがわかるな。人格は無数にあるだとか、あらゆる矛盾を肯定する、思想的な意味でのユーモアだとか、人間に対して諦めで接して型にはめようとする人間からは出てこないような考えが出てくるからね」

「それを感じ取れるってことは、野山くんの中にも同じ波長があるってことだと思うの。野山くんのその波長はどこから生まれたのかしら?」

「……君だよ。君という人間との出会いが、人間を信じる心を目覚めさせたんだ、と思う」

 野山は一瞬言うのをためらったが、彼の優しさが勇気に変わった。それを聞いた七海は目だけで少し驚いた後、優しい笑顔に変わった。

「それはとても嬉しいことだわ。あらゆる営みは一人の人間に対して、人間の持つ可能性を信じられるようにすることが目的なんだもの」

「でも君には敵わないな。まだまだ君のようにはなれないよ」

「私のようになる必要はないわ。あなたはあなたになればいいのよ。[心の底]からなりたいあなたにね」

「[心の底]、か。俺も辿り着けるかな」

「きっとできるわ。極度の方向音痴である私でも辿り着けたんだから」

「それは心強いな」

「ここはどこ? 私は誰?」

「それは方向音痴っていうか記憶喪失だね」

 野山は子供の遊びに付き合ってあげる親のような顔で言った。

 七海は二冊の本を鞄から取り出し、野山に渡した。

「そうそう、こっちもありがとうね。[項羽アンド劉邦]。この作者さんも、人間が大好きなように感じるわ。歴史というものを、人間という虫眼鏡を通して見ているというか。それもやっぱり、人間に対して割り切ってしまえる人間にはできないことだと思う」

「そうだね。人が歴史を解釈する時には、どうしてもその人の持っている思想が影響を与えてしまうものだけど、この作者さんは人情の機微に明るいから、その分解像度が高いと感じるよ」

「確かにそうね。それと、歴史を物語にする時には何かしら必ず仮定をしないといけないと思うんだけど、その仮定も滑らかで、生きている感覚がすごく伝わってくるわ」

「歴史に躍動感を感じながら接することができるのも、この本のいいところだね」

「そういう私たちは、世界を、人間をどのように解釈しているのかしらね」

「急ブレーキをかけて後ろを向くように自分を見るのは君らしいね」

「野山くんは、私のことをよく見てくれているわね」

 ちょっと意地悪っぽく言った七海の発言に、野山は急ブレーキをかけて後ろを向くように我に返って恥ずかしくなった。

「そ、そうかな。まあ、君は目立つからね」

「そう? じゃあ犯罪は犯せないわね」

「目立たなくても駄目だけどね」

 野山は歯痒さと心地良さを同時に感じているのであった。

 その日の放課後にあった実行委員の集まりを終え、七海は職員室へ向かっていた。扉を開けようとすると、ちょうど部屋を出ようとしていた金城に遭遇した。

「金城くんじゃない」

「七海ちゃん、お疲れ様」

「お疲れ様。気を付けて帰るのよ」

「じゃあね」

 七海は金城の長い前髪からほんの少し悲しい目をしているのを見つけた。金城の後ろ姿をしばらく見てから職員室に入り、五十嵐の座っている机まで行った。

「先生、お疲れ様です。少しだけよろしいでしょうか」

 七海は机に向かっている五十嵐を覗き込むように話しかけた。五十嵐は机に置かれたお金を手でとっさに隠しながら答えた。

「七海さんでしたか。お疲れ様です。どうかしましたか?」

「次回のロングホームルームの内容についてですが、実験場跡の歴史を学ぼうと思います」

「そうですか。わかりました。あと……」

「どうかしましたか?」

「プリンを作ろうとするのはやめてもらえますか?」

「先生……。もしかしてコーヒーゼリーの方が良かったですか?」

「そういう問題じゃありません」

 全ての用が済んだ七海は、帰る支度をし、下足室で革靴に履き替え、校舎を出た。

『さあ! 一人の時間がやってきたわね! 好きでも嫌いでもない一人の時間が!』

 噴水のある広場を通って校門へ向かった。

『孤独を感じている時に真の自己が現れる。それは孤独が人間の本源的な状態の一つであるからだ。by ナ・ナーミカ・オリ、職業宇宙人、阿魔異喪之管歳、独身は、タコに無理矢理タコ焼きを食べさせた疑いで、誤時羅野分不当逮捕されました。(かつ丼ご飯大盛かつ一つ増量玉ねぎ少なめ、サイドメニュー味噌汁、ドリンク処女の生き血)付き取り調べの際、ナ容疑者は、(職業病だから仕方ない)と供述しています。引き続き、続報とボーナスが入り次第お知らせします』

 校門を出て、坂を下っていると、大人数で仲良くゆっくり帰っている生徒がいたので追い越した。そうしながら、デクレッシェンドよろしく心の声を段々弱くした。

『私by人といるから孤独でないとは限らない。現に私は誰といる時も孤独を感じている。しかしだからといって一人が好きだというわけでもない。一人でいる時も孤独を感じて寂しくなる。そもそも孤独でなくなると、それはもはや私でなくなるような気がする。孤独ではあるが孤独ではない状態が存在するならば、それこそ目指すべきものであろう。P.S.この文章は文法的に正しい』

 駅に到着し、電車を待っている間、反対側のホームにいる高校生カップルを眺めて思った。

『光と影の方向に限りなく伸びていく二本の生糸は、時が黄金に輝くところで交わった。その邂逅は、天がたまゆらに起こした一度きりの気まぐれで終わるはずだった。しかしその二つの生糸は、永遠が引き起こす張力によって絡まる。そしてそのもつれは、夜の煌めく眼が曇りなく映された水面に、一粒の水滴が墜落し融合するかの如く、零となり正と負へ二重の螺旋を編んだ。とでも思っているのであろう? 若き迷い猫ちゃんたち』

 この世に誰もいないかのように静かな夜になった。七海は一日の勉強を終えると、自分の部屋の椅子に座ったまま、SNSを開いていた。

『実行委員のグループトークに通知があるわね。何かしら』

青戸「病院に行く時だけ症状が良くなるっていうのはもはや病気じゃないだろうか」

楓「同感だ。それに対する治療法を発見してもらいたいものだ」

青戸「その治療法ならもう既にわかっている。病院に行かなければいい」

楓「そしたら元の病気が治せないだろ」

青戸「だが行ったら行ったで例の病が悪化するぞ」

楓「これは不治の病か?」

青戸「不治の病だな。人類にはどうすることもできまい」

生徒u「ここで関係ない話はしないでください」

七海「あなたたちはどうでもいいことを真剣に考えてしまう病気ね」

青戸「そうだったのか。それはどうすれば治るんだ?」

楓「その病気はお前もかかってると思うぞ七海」

七海「私も?!」

生徒u「お前ら全員保健室行ってこい!!」

七海 青戸 楓「すいませんでした」

『「怪物と戦う者は自らも怪物となってしまわぬよう気をつけなければならない」んだったわね。私も処女の生き血を求める怪物になってしまったのかしら。あ、金城くんからもメッセージが来てたみたい』

金城「今日も実行委員頑張ってたね。お疲れ様」

七海「ありがとうね。言ってたことは理解できたかしら?」

金城「香織ちゃんが頑張ってたからね。でももっと君のことが知りたいな」

 七海は動揺を言語化することで沈静化した。

『他の子にもこんな言い方してるのかしら。あの甘い見た目でこんな事言ったら、大体の女の子は勘違いしちゃうわ。元女の子の怪物より』

七海「何学的に知りたいの?」

金城「じゃあ全部で」

七海「それは私も知りたいです」

金城「香織ちゃんは面白いね。ますます知りたくなっちゃったな」

七海「じゃあ金城くんのことも教えてちょうだい」

金城「俺の何が知りたいの?」

七海「何を考えているのか」

金城「君のことだって言ったら?」

 七海は同じ手を使った。

『ぬしは女子より女子なのかもしれぬな。わらわの女子であった部分が鳴いておる』

七海「警告するわ。私はヒョウモンダコの次に危険なのよ」

金城「だったら余計考えちゃうな」

七海「どうしてかしら」

金城「だって、香織ちゃんなら危険を冒す値打ちがあるから」

七海「まあ、それは間違いないわね」

金城「でしょ。じゃあもっと考えさせてね」

 七海は金城の手練手管から抜け出すのに失敗し、悔しくなった。

『ちょっと! 隙を突かれてるじゃない! てゆうか返信早くないかしら? きっと、こっちも早く返さなきゃって思わされてペースを乱されているんだわ。こうなったら茹でだこ作戦よ』

七海「じゃあ私はその間にお風呂に入ってくるわね」

金城「いってらっしゃい。ずっと香織ちゃんのこと考えながら待ってるね」

 茹でだこが一瞬フライングしたかと思った七海は、スマートフォンの電源を勢いよく切って立ち上がった。

『後ろめたさを感じさせて自分のことを頭から離れられないようにする作戦ね。あくまで私を攻略しようというのなら、受けて立つわ! ナ一族の名に懸けて!』

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