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潜水艦設計書

 あれは一八九五年、十一月の第三週だった。その夜ロンドンは深い霧に包まれていた。ベーカー街の部屋で私たちがくつろいでいると、下宿の女中が一通の電報をもってきた。


———タイヘンナコトニナッタ。スグユク。


「兄のマイクソフトからだ。兄については君に話したっけ?」

「たしか政府で働いてると聞いたよ」

「うん。兄がここに来るということは、よっぽどのことが起きたね」

 それから間もなくしてマイクソフトが現れた。

「はなはだ大変なことになったよ、シャムロック。実はウーリッチにある官営の兵器工場から、ブルース・パチモン式潜水艦の設計書が盗まれたのだ。これは政府の機密の中でも最も厳重な警戒のもとに防衛されてきた。

 七時半過ぎに、カドガン・ウエストとバレンタイン・ウォルター大佐が通報してきた。ウエストは工場の事務員で、大佐は書類の保管責任者サー・ジェームズ・ウォルターの弟にあたる。ウエストによれば事務所の近くを通りかかった時に明かりが着いていたので不審に思い、ベルを鳴らしドアをしきりに叩くと大佐が中からドアを開けたという。大佐によればこれも同じく事務所に明かりが着いていたので不審に思い、ドアを開けると鍵が開いていたので中を調べていたという。当然ウエストは大佐を不審に思ったが書類は持っておらず、その足で二人で警察に行ったが、その間大佐に不審な行動は無かったという。その後の調べで書類が盗まれていることがわかり、事務所から書類や鍵は見つかっていない。

 サー・ジェームズは多年役所で働いてきた人で、鍵を持っている二人のうちの一人だ。建物の鍵、部屋の鍵、金庫の鍵がある。なお付言すれば、今日の執務時間中は書類はたしかに役所にあった。サー・ジェームズとは連絡が取れていないが、三時ごろに鍵を持ったままロンドンへ出かけて、シンクレア提督の家に七時過ぎまでいたという。ウーリッチを出たことは同居している大佐が証言していて、ロンドン到着は提督が証言しているのでサー・ジェームズは直接関係者から除外してよいわけだ」

「もう一人鍵を持っているというのは?」

「事務主任で製図者をかねるシドニー・ジョンソンだ。本人の自供は細君の裏づけ証言しかないので庇っているかもしれないが、時計のくさりにつけた鍵を一度もはずした覚えはなく、その時間ずっと家にいたという」

「ウエストはどうです?」

「ウエストは近々結婚することになっていて、婚約者の証言では今晩は家に帰ってきていないという。ところで賊はなぜ書類を盗んだと思う?」

「高価なものだからだと思いますね」

「うむ。売国奴が金が欲しければ、国際スパイに売ればすぐ何千ポンドかにはなるだろう。とにかく、大至急ウーリッチへ行ってくれ。この問題を解決できたら、お前は国家に大きな貢献をすることになる」

「わかりました。行ってきます」


 ウーリッチ行きの列車の中でポームズに聞いた。

「当たりはついたかい?」

「ウエストは近々結婚するらしいから、動機という点ではその資金になるが合鍵がいる。大佐は合鍵を作るハードルは低く状況からすれば一番怪しい。ジョンソンは細君の証言しかなく鍵を持っている。あるいは第三者の犯行か••••••まだ何とも言えないね」

 ウーリッチに着くと、ここも深い霧で覆われていて五ヤード先は見えなかった。辻馬車を呼び、工場に着くとそこには警視庁のレスドレート警部が待ち構えていた。

「こういう時こそ、ポームズさんにも力を貸していただかないと」

 事務所にはウエスト、大佐、ジョンソンが来ていた。

「ジョンソンさん、今日は何時にここを閉めましたか?」

「五時です」

「あなたが閉めたのですか?」

「いつも私が最後に退出します」

「その時設計書はどこにありましたか?」

「金庫の中です。私がおさめました」

「この事務所につとめているものが、設計書を売る気なら、今度のように原図を盗みださないで、複写をとったほうが簡単じゃないでしょうか?」

「役に立つような複写をとるには、相当に専門的な知識を必要とするでしょう」

「サー・ジェームズやあなたやウエストさんなら、それくらいのことはできるでしょうね?」

「もちろんです」

「わかりました。大佐、あなたは部屋の明かりが着きっぱなしで鍵も開いていたというそうですが、おかしいと思いませんか?」

「私に言われても困りますよ。賊は自分のしていることが大事だけに、気が動転していたのではないですか?」

「なるほど。ではお許しを得て、現場を一応見せていただきましょう」

 ポームズは金庫の錠、入口のドア、窓の鉄製のよろい戸を検めた。次に外に出て事務所の周りや地面をレンズで調べた。それからもう一度中へ入り、緊張した面持ちで出てきた。

「どうしたんだい?」

「いや、次はウォルター邸に行こう。サー・ジェームズもそろそろ帰るかもしれない」

「私も行きますよ。大佐にも来てもらいましょうか」


 私たちとレスドレートと大佐はウォルター邸に着いたが、思いがけないことになった。家から執事が出てきて

「バレンタイン様、大変です。旦那様が今回のショックでお倒れになりました」

「え!」

 急いで駆けつけると、医者に付き添われて意識を失っていた。

「旦那様は名誉を人一倍大事にされる方ですから、今回の件は応えたようです。とてもお話はできません」

「兄はこの状態です。それでも家を調べるというのであれば、それで私の潔白が証明されるでしょう。しかし国のためを思って言わせてもらえば、こんなことをしている暇はないはずです。こうしている間に賊は大陸に行ってしまうかもしれませんよ!仮に私が犯人だとしてですね、あの状況から書類をこの家に持ってくるわけないでしょう」

「大佐の言う通りですね。逃げた賊を追う方が先決です。ここは後回しにして、引き返しましょうレスドレート君」

 私たちはウォルター邸を離れた。

「それじゃ、もう一度工場に戻りますか?」

「僕はここに留まります」

「え?」

「あの状況では一旦離れた方が良いと思ってね」

「するとポームズさんは大佐が犯人だと?」

「いや、僕も確信している訳ではありませんがね。今は一刻を争う時です。ここは僕が引き受けますから、ウエストやジョンソンらのことは頼みましたよ」

「わかりました!」

 固い握手を交わして警部とは別れた。

「これからどうするんだい?」

「今日はもう遅いから宿をとろう」

 近くの宿に着いた。

「僕の考えが当たっているとすると、朝まですることはないから寝てていいよ」


 翌朝早く、私はポームズに叩き起こされた。

「ワトソソ君、出発だ」

 私たちは再びウォルター邸に着き、家の近くに潜んだ。すると間も無くして玄関から大佐が出てきて、外の椅子に腰掛けた。それからが長かった。しばらくすると霧の空から点のようなものが現れた。よく見ると鳥だった。その鳥は大佐の方へと飛んでいくようだ。

「ワトソソ君、突撃だ!」

 私たちは檻から解き放たれた二頭のライオンのように飛び出した!

「あ、お前らは!」

 私が大佐を羽交締めにしている間に、ポームズは近くに降り立った鳥に餌を与えて近づき、ひっ捕らえた。そして鳥に結びつけられていた筒を外し、開けると中から書類と鍵が出てきた。

「例の設計書だ。大佐、これはどういうことですか?」

「••••••」

「私としてご忠告申したいのは、この際悔い改めて告白し、少しでも心証をよくしたほうがよいということです」

 大佐はうめき声をあげて、両手で顔を隠した。

「申しましょう。誓って真実を話しましょう。私は株式取引の借金を払わなければならなかった。そこに国際スパイのオバーシュタインが五千ポンド出すと言ってきた。それだけあれば破滅をまぬがれます。私は兄の鍵の型をとり、霧の深い日を狙いました。すんなりいけばいいのですが万一見つかった時の保険として、飼っている鳩を服に忍ばせて連れて行きました。そして運悪くウエストに見つかったので、急いで明かりの着いていないトイレの窓から一か八か鳩を放ちました。兄は鍵のことで一度小言をいったことがありますし、察したのでしょう。ご承知のとおりの始末になってしまいました」

「罪のつぐないをしてはどうですか?良心の苦しみも軽くなるだろうし、処罰の方も」

「私にどんなつぐないができるでしょうか?」

「オバーシュタインの住所は知っていますか?」

「はい」

「手紙を私のいう通り書いてもらいましょう。

『拝啓、今回の取引の件ですが、郵便送金は安心できませんから、金貨またはイギリス紙幣で受領したいと思います。よって土曜日の正午チャリング・クロス・ホテルの喫煙室でお会いしたいと思います。よろしくお願いいたします』

 それで結構です。これでこの男を釣りだせるでしょう」


 みごと釣りだされた。オバーシュタインは生涯の大事業を成功させたさのあまり、イギリスの牢獄で十五年間暮らすことになった。

「鳩は帰巣性に優れているので、伝書鳩として新聞社や軍事でよく使われている。大佐は軍人だから軍鳩で取り扱いに慣れていたり、ペットとして飼っていてもおかしくない。暗い所では大人しくなる習性があるので、信頼関係のある鳩なら手品師のように服に忍ばせて持ち歩ける。事務所の周りを調べているとかすかに鳥の足跡があった。もちろんこの事件とは関係ないかもしれないが、他のことも合わせれば一つの方向を示していた。夜は天敵が危ないので飛ばずに、どこかに身を潜めて過ごす習性がある。だから朝まで寝てていいと言ったんだよ」

「運もあるね」

「それはある。あっちのことはレスドレートを信じて任せたよ」

 数週間後、ポームズはウインザー城に招かれて出ていき、帰った時には素晴らしいエメラルドのネクタイピンを飾っていた。

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