落ちた城と蘇った騎士
大陸の端に深く、大きな森があった。
近くの村の住人達には、魔の森と呼ばれ忌避される場所。
その理由は、魔の森の最奥にある朽ちた城とされている。
記録によれば、そこは数百年前に帝国との戦争に敗北した王国の城だった。
帝国の蹂躙により、無念の死を遂げた怨嗟の念が城にたちこめ。
城の周囲の土地を瘴気で侵している。
それ以来、開拓に来た帝国の騎士や、開墾に来た木こりが不審な死を遂げた結果。
当時の代であった帝国の国王は、魔の森の立ち入りを禁じた。
そして呪われた森として、後世まで語り継がれていた。
そして、城が落ちて数百年の時を経た今……一人の騎士が目を覚ました。
明かりは無く真っ暗闇の中、立ち上がる。
目を覚まして間もないからなのか、動きがぎこちなく感じる。
漆黒の甲冑を身に纏い、胸元には王国の紋章の刻印。
かつてあった王国の、近衛騎士だった。
王国随一の実力で、若くして君主の近衛を任された者。
周囲を見回す。
ここは……彼の記憶によると、貴賓室だろうか。
かつての豪奢な部屋とは随分と記憶とは違う。
当時は高額だった調度品は倒れ、埃が積もっている。
蜘蛛の巣が張ってあるのもあれば、剣や槍の傷跡があるものもあった。
足元に転がっていた、自分の首まで覆い隠すヘルムを小脇に抱える。
頭に靄がかかったように、思考がはっきりしない。
――自分は何故ここに? 他の皆は? 君主は?
君主。
その言葉が頭に浮かんだ途端、焦りの心が彼を支配する。
――護らなければ、敵から。帝国から。
貴賓室を出る。
廊下も、惨憺たる有様だった。
カーテンは裂け、壁に飾った絵画や壺等は見る影もない。
――この様子だと、敵は最早近くまで来ているに違いない、早く君主を護らねば。
思うように動かない体に鞭を打ち、玉座の間へと向かう。
廊下を出て、大広間。
ここも廊下や貴賓室と同様、ボロボロに荒れ果てていた。
体を支えるように、壁伝いに歩く。
その時、足元にパキリと何かを踏み割る音が。
確認すると、鏡の破片があった。
壁を見る。
部分的に残った鏡を見てみると。
黒い甲冑を纏った――骸骨が居た。
驚いた彼は、壁から一歩離れる。
鏡の甲冑姿の骸骨も、驚いた様子で一歩離れた。
頭を触る……が、篭手で感触が分からなかった。
だが鏡の骸骨も同じ様に頭を触っていた。
――何故、私は骨に。
疑問を持つが、もちろん答えを持っている者はいない。
だが彼は疑問をさておいて、玉座の間へと向かう。
自分の事はいい。まずは君主を。
抱えた兜を被り、腰に携えた剣を確認し、歩き出して。
ようやく辿り着いた、玉座の間。
大きな扉を、両手で開く。
開いた先は、勿論無人。
埃が積もった玉座をしげしげと眺め。
――どれほどの時が経ったのだろうか。
自分が生きていた時代ではないのは理解した。
玉座の埃や、朽ち果てた城内がすべてを表している。
だが、何故。
彼だけが、骨の身になってまで起き上がったのか。
――いや、本当に私だけなのか?
骨だけの体の動きにも慣れた頃だ。
城内全体を周って、誰かいないか探してみるとしよう。
そう思い至った彼は、隈無く探索してみることにした。
………………。
結果から言えば。
他に動いている人間は存在しなかった。
彼と同じ、骨となって動いている者もいなかった。
使用人の見るも無惨な姿や、恐らく盗掘者であろう白骨死体も存在した。
動くやも知れぬと眺めていたが、ついぞ動くことはなかった。
同じ境遇の者が居ないかと期待をしていたようだが、どうやらその期待は潰えたらしい。
明かり一つ無い、暗闇の中歩き続ける。
――私は、どうすればいいのか。
何故起きたのか分からないまま、大広間に戻ってきた。
……すると、玄関の扉が開く。
入ってきたのは、三人の兵士。
彼自身も驚いたが、兵士達も誰かいると思っていなかったようで、酷く狼狽している。
兵士達は彼の胸の紋章を見て、亡霊と喚きながら逃げようとする。
その時である。
彼の目に、兵士達の紋章が見えた。
かの敵国である、帝国の紋章が。
歩み寄った彼は抜剣と同時に、一人を斬り伏せる。
残りの二人は大きな叫び声をあげた。
斬り伏せたと同時に、彼の剣は柄の部分からポッキリと折れてしまった。
何しろ数百年の間手入れもされずに放置されていたものだ、急な衝撃で限界が来たのだろう。
倒れた兵士の剣を奪い、もう二人も斬り伏せる。
――帝国の人間が、我が君主の城に入ってきた。
既に臓物なぞ存在しないが、彼は腸が煮えくり返る程の怒りを感じていた。
侵略行為には、武力に依って撃滅すべし。
二人の剣も鞘ごと剥ぎ取り、腰に携えて玄関を出た。
玄関を出て、初めて夜だったことに気付く。
月明かりから見える、大勢の人間達。
皆一様に帝国の紋章を胸に宿している。
彼等は今代の帝国の国王から、魔の森の浄化を命令された征伐班。
呪われた森として忌避されて数百年。
眉唾ものとして赴いた先に本物の亡霊がいた。
帝国兵士達の困惑ぶりは致し方ない物と思える。
だが、指揮官と思しき唯一馬に乗った人物は、素早く兵士達の混乱を静める。
亡霊なぞ存在せぬ、と檄を飛ばし、彼を討伐せよと命令を下す。
落ち着いた兵士五人が先を行き、取り囲む。
一人に対して五人など、通常であれば十分すぎる数であろう。
だが、骸骨になったとはいえ、彼は王国の近衛騎士。
五人に囲まれようと、十人に囲まれようと、一振りで全てを薙ぎ払う。
帝国兵士達は予想外の強さに更に士気が下がる。
近付くのが敵わぬのであれば、と矢を彼に向けて射抜くが。
矢に対する対処の仕方も心得ている。
全てを払い落とすことは出来ずとも、王国の鎧は矢なぞ弾き返す。
斬り伏せた兵士達の武器を次々と拾い上げ、矢を持った兵士達へと投げつける。
数は限られているため全員は無理でも、数を減らすには十分な方法であった。
誰とも知らない甲冑姿の騎士が、単騎だと言うのにも関わらず奮闘ぶり。
何人かの兵士達は、指揮官の制止の声も聞かずに逃げ出す者もいた。
鎧姿の兵士達の背後で、黒いローブを羽織った兵士達が集まって何かを呟いている。
騎士である彼は、あれが何かをすぐに察する。
あれは、魔術。
魔力を持った人間だけが行使出来る、神秘であり人外の力。
一人ひとりは小さな火の玉であった物が、複数人が同時に行うことにより、巨大な火球へと変貌した。
避けようとしたのだが、彼の後ろには護るべき城があった。
自分が助かり、城に被害が出ることは本意ではない。
ならばどうするか。
片手で二人ずつ、足元の死体を掴む。
火球が放たれるのと同時に、両手で四人の死体を、投げた。
爆音と煙により、お互いの聴覚と視覚が妨げられる。
だが、帝国兵士に損害は無いと判断していた彼は、敵中へと飛び込む。
煙の中から突如現れた漆黒の甲冑騎士に驚いた兵士達は、初手を彼に譲ることとなった。
そこからの兵士達はやぶれかぶれに対応するしか無かった。
闇雲に打った矢が味方に刺さり、魔術を行使できる程の余裕は彼が与えない。
陣形は最早形を成しておらず、指揮官は既にいない。
馬もいないことから、兵士を置いて立ち去ったのだろう、と彼は考える。
指揮するものが居なければ、彼の敵はいないに等しい。
どれだけの時間斬り伏せたか。
彼の周りに生きている人間はいない。
武器を全て奪い、城の入口近くに集めておく。
やがてまた訪れる、戦いの時まで。
それから、数週間程が経過した頃。
彼は気配を気取る。
――来たか。
骸骨の身となったからだろうか。
眠気も飢えも無かった彼は、文字通り一日中警戒していた。
だから、まだ視認できない程の距離の行軍の音ですら聞き逃すことはなかった。
剣を数本持ち、森に身を隠す。
狙うのは、魔術師である。
甲冑姿だと言うのに、音も無く森を移動する。
軍勢に近付くと、前回の数倍の数がいることが判る。
馬に乗っているものを確認すると、前回とは違う人間だ。
前回の無能では城を落とす事は敵わないと見て、違う人間を寄越したのだろう。
――どうする、指揮官を狙うか。
いや、恐らく無理だろう。
前回とは違い、隙が無いように見える。
それどころか、潜んでいる事に気付かれているかのような錯覚を覚えた。
――まさか。
指揮官だけが、こちらを見た。
やはり気付かれていた。
指揮官を狙うのはすぐに諦め、魔術師を狙う事にした。
すぐさま陰から飛び出し、魔術師を狙う。
気付いていたのは指揮官だけなので、魔術師を狙うのは容易だった。
飛び込むのと同時に数十人斬り伏せて、斜向かいの茂みへと飛び込む。
あの指揮官がいる以上、最早奇襲は通じない。
城へと戻ろうと背中を向けると。
――っ!?
頭に衝撃。
指揮官が鞘ごと投げた剣が、頭部を直撃。
痛みはない、いや。そもそも彼には痛覚が既に存在していなかった。
だが、ヘルムが衝撃で落ちた。
骸骨である事が露見し、兵士達はざわめく。
その隙に急いでヘルムを拾い上げ、城へと走った。
待つこと数分、然程減らす事の出来なかった軍勢が姿を表す。
先程ざわめいたのは何処へやら。
指揮官のお陰なのだろう、動揺は既に見られない。
槍を持った兵士達が前に進む。
今度は取り囲むような事はせず、槍衾の陣形でじわじわと城へと追い詰める。
だが、それすらも彼は予想している。
入り口の傍らに置いた壺を数個投げた。
飛んできた壺を叩き落し、割ると。
中から緑の粉末のような物が舞う。
近くに生えていた、毒草を粉末状にした物である。
生身であれば触ることすら出来ない毒草だが。
既に死した身の彼には何の影響も無かった。
用意している全ての壺を投げる。
吐血し、目から血を流し、兵士達は次々と絶命していく。
投げ終わる頃には、前衛は数えるほどしか残っていなかった。
指揮官が、声を上げた。
――お前は、何者だ?
今まで散々戦を仕掛けておいて、今更である。
だが彼は騎士の矜持を持ち、正々堂々と名乗る。
――私は、王国の近衛騎士。私がいる限り城へは一歩も進ませぬ。
既に滅んで数百年の王国の近衛騎士。
死して尚城を護ろうと奮戦する。
――王国が既に滅んでいることを、理解しているか?
当然の問い。
だが、知っている。
その上で……闘うのだ。
――当然だ。私の忠義は体が滅びようと君主の為にあり。
誰の為でもない。
自分の信じた忠誠の為。
――お前は、アンデッドなのか?
先程ヘルムを落とした時に見られた髑髏。
指揮官は確信に近い問いを向けた。
――どうやらそのようだ。何故今になって起きたのかは皆目見当もつかないが。
もしかしたら、帝国が魔の森を本格的に開拓しようとしたのを、察したのかも知れない。
答えは誰も持ち合わせていないが、再び王国の危機に目覚められたことに、密かに嬉しく思っていた。
指揮官が右手を挙げる。
何を仕掛けてくるのかと警戒していたが。
前に出たのは魔術師とは違う、白いローブを羽織った人間が数名。
何かを呟いているかと思うと、白いローブの魔術師達の体が白く光る。
――これは、良くない。
何故か本能的に察する。
斬り伏せる為に走るが。
既に遅い、彼の周りに白い光が纏わりつく。
突如動きが鈍くなる。
思うように体が動かないようだ。
――な、にを……。
浄化魔術。
元々呪われた土地の為、浄化するために連れてきていた光の魔術師。
そして彼は既に死んだ身。
浄化魔術は効果覿面であった。
彼は嘆く。
また護れなかったことに。
君主に出会えなかったことに。
――どうか、願わくば。
視界が白くなる。
最早四肢の感覚は無い。
――君主に、幸あれ。
思考がぼやけてくる。
――君主に、栄光あれ。