ありがたみの消失
個人的な意見を吐露しています。
テレビを見ていると、番組の間にテレビショッピングが流れた。そこで紹介されていた商品に、度肝を抜かれた。
それは三十センチくらいの高さをした、お坊さんの人形(プラスチック製)で、二パターンの服装(一つは袈裟、もう一つは法衣)から好きな方を選べるというものだった。
どうやら、お経をあげてくれるらしい。般若心経以外にも宗派で選べ、本物のお坊さんの読経が入っていることが、その商品の売りらしかった。
抱いた印象は
――ありがたみがない……
だった。個人的な意見を言うと、いくらお坊さんの声といえど、機械でお経をあげるなら、素人でも家族があげた方が、故人は喜ぶのではないかと思う。
毎日、人間は忙しいのだから、お経をあげられなくても、故人は許してくれると思う。機械に「ぶっせつ まーか」と般若心経をあげられたら、故人は蔑ろにされた気になるのではないか……
そんなことをぐるぐる考えていた時に、思い出したことが二つある。
一つ目。とある機械を腕にはめると、ピアノ演奏ができるようになるというもの。
夕方の情報番組で、それが取り上げられていたのだけれど、何だ! それ! と私は焦った。
そんなことができるようになったら、ピアニストの地位が危うくなるのではないか。私には好きなピアニストがいる。彼、彼女の動画を見るのが、日々の癒しだ。
そして、彼、彼女らがどれほど鍛錬して、演奏できるようになってると思ってるんだ! とちょっとムッとした。
すぐチャネルを変えた。
二つ目は、チャットGPT。
それに小説を書かせると、まぁまぁな作品を書くとテレビで言っていたのを思い出した。
これにも私は納得がいかない。小説はその人の感性や思いが詰まっているから、心に響くと私は思っている。
チャットGPTが書いた小説を読んだら、意外と感動したりするかもしれないけれど、やっぱり人が書いてほしい。小説家という仕事は生身の人間のものであってほしい。
世の中、どんどん便利になる。
でも、生身の人間が創るからこそ、心に訴えかけるものがあるはずだ。それが、どんどん疎かににされているようで、私は非常に怖い。
読んでいただきありがとうございました。