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惜しむ気持ち


『先輩それじゃ、また後で! 蒅はちゃんと安全運転してよね!』


「うるせえ。お前と一緒にすんじゃねぇよ」


「またね、裕ちゃん」


 「はーい!」という元気な声と一緒に通話が終わる。それにくすりと笑みをこぼしながら藍華が右側、運転席に座る蒅を見ると、やはりというか苦虫を噛み潰したような渋面をしていた。


「ったく、調子に乗ってんなあいつは」


「あら、楽しそうで良いじゃない」


 呆れたように言う蒅がおかしくて、藍華はスマホをバッグに入れながらそう返した。


 かずら橋を渡った後。


 蒅の勧めで藍華は付近にある観光名所の『琵琶の滝』にも足を運んだ。


 ちょうどかずら橋から歩いて数分の場所にあり、山肌の苔むした大岩から吹き出すように溢れる白い滝の姿は清涼感に満ち、滝壺の濃いエメラルドグリーンには目を奪われた。


 もちろん、その視界の中には滝の由来を語る蒅の横顔もあったことは言うまでもない。


 そうして滝を見終え、近くの旅館で昼食を取り終えたころ、藍華のスマホに裕からの連絡が入ったのだ。


 彼女も友人との再会を済ませたらしく、夕方を目処に裕指定の店で合流することになったのである。


 そんなわけで今は蒅の車の中だ。


「裕ちゃんの言ってた『PATISSERIEパティスリー FRENCHフレンチ』って、どんなお店?」


 裕に合流場所として指定された店の名を聞いてみる。


 パティスリー、ということは洋菓子店だろうか。


 藍華の質問に蒅の表情が戻った。

 彼はああ、と一呼吸置いてから話し始める。


「裕の家の近くにあるケーキ屋だ。あいつの母親の妹さんが切り盛りしてるんだよ。店舗に併設して喫茶店もやってて、そこで軽食も出してる。あそこのチーズケーキは絶品だぞ」


「そう、なの」


 裕の母の妹ということは彼女にとっては叔母にあたるのだろう。初耳だっただけに少し驚いた。


 おまけに、蒅から甘いお菓子についての称賛が聞けるとは思わず意外に思う。


 憮然とした彼の雰囲気からはあまり想像できない。むしろ苦手そうに見える。


「……何だよ。俺がケーキの話したら何かおかしいか」


 虚を突かれたような藍華の反応に拗ねたのか、蒅が一瞬だけちらりと視線をよこした。


 形の良い片眉が跳ね上がっている。


「あら、そうじゃないわ。でも、貴方って甘いもの好きなの?」


 馬鹿にするつもりはないのだが、鋭く人を寄せ付けないタイプの蒅とチーズケーキの印象が正反対すぎて、ギャップの大きさについ藍華の口元が緩んだ。


「悪いかよ。だけどな、佐和子さんの作る洋菓子は本気で美味いぞ。俺は料理は門外漢だが、職人として拘ってることくらいは分かる。それに美味いもんは美味い。ついでに言えばシュークリームもお勧めだ」


「ふふ、悪いなんて言ってないわよ。そんなに勧めてくれるなら楽しみにしてるわ」


 口端を上げて自信たっぷりにそう言う蒅がおかしくて、藍華は声を上げて笑った。


 そんな藍華を横目で見ながら蒅も目を細めている。


 二人の間に流れる穏やかな空気は、出発時にはなかったものだ。


(強引だし意地悪だと思ってたけど……少しは可愛げもあるんだわ)


 橋の一件があってから、藍華は蒅との会話に尻込みすることがなくなっていた。


 取り繕っても彼には暴かれてしまうし、頑なに撥ねつけようとしても乗り越えて踏み込んでくるものだから、嫌でも素でいる他ないとも言える。


 それに、蒅はつっけんどんではあるものの、慣れてしまえば思ったより話しやすい。


 彼の言葉には無駄な飾りがないため、変に気を使わなくて済む。

 多少きついことを言ったところで言い返してくるだけなので藍華としても楽なのだ。


(だけど……駄目。これ以上、踏み込まないようにしなければ)


「そこのチーズケーキはスフレタイプのやつで、口当たりが軽いんだよ。だから特に甘いもんが好きじゃなくても食べられるし、これがまた軽いくせに味が濃くて美味いんだ。裕なんてホールで平らげたことがあるぞ」


「そ、それはすごいわね」


 ケーキについて熱心に説明してくれる蒅の言葉を聞きながら、藍華は自分の気を、いや心を引き締めていた。


 慣れたせいも、彼がある意味土足で踏み込んだせいでもあるが、蒅とは良くも悪くも気安い関係になりつつある。


 そのせいでより一層、普段なら異性に対して作っている壁が脆くなってしまった気がするのだ。


 なにしろ、蒅は易々と崩してしまう。


 いつもなら毅然といられる藍華の取り繕った顔を。


 だから裕のことが会話に上がっているうちは安心していられた。

 それに彼女と合流すれば、もう彼と二人きりで過ごさなくて済む。


 このどうしようもなく自分を惹き付ける男から、離れられることを藍華は正直、喜んでいた。


 じわりと胸に滲んだ惜しむような気持ちを、必死で無視しながら。


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