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絹糸の女 -蒅side-

(ああ、良い顔だ)


 蒅は藍がめを一心に見つめる藍華の横顔を眺め思った。


 他人に興味を抱いたのは久方ぶりで、自分でも感情の揺れに驚いている。

 だが悪くない気分だった。

 藍華をひと目見た瞬間に、彼女の放つ落ち着いた声や立ち居振る舞いを蒅は気に入ったからだ。


「……」


「どうだ?」


 染め液から布地を引き上げた藍華に色の塩梅を問う。彼女は今、己の色を探している。


 染め液で茶色く色付いた布地が空気に触れ鮮やかさを纏う瞬間は、いつ何度目にしても清々しい。

 願わくば、この色が彼女の助けになってくれれば良いと、蒅は柄にもなく思った。


 初めて藍華と顔を合わせたとき、揺れる瞳の中に今にも崩折れそうな憔悴を見た。


 たとえ口にせずともそれは明かで、幼少から人の顔色ばかり窺って生きてきた蒅にとって彼女の苦悩は一目瞭然と言えた。


 蒅は感情の機微に関して常人より何倍も鋭い自負がある。


「……これ、です」


「ああ、良い色だ」


 藍華の横顔を見つめたまま、蒅は頷いた。高窓から差し込む光に照らされて、藍色の布地が含んだ水分が煌めいている。まるで自ら光っているように見えるのか、藍華は感極まったように大きな瞳に涙を湛え、食い入るようにけれど眩しそうにそれを見つめていた。


 だが蒅は、その藍華の表情こそ何より輝いて見えた。


 自分の顔を見て、確かに驚いた筈なのにその片鱗すら見せなかった女は彼にとって初めてだった。


『外にあるか内にあるか……大きさも、深さも人によって違うと思うので』


 なぜ傷のことを聞いてこないのかと訊ねた蒅に藍華はそう答えた。


 言われた瞬間、蒅は藍華の内に刻まれた深い傷の片鱗を感じたのだ。そして恐らく、その傷はまだ新しく、彼女にとって深過ぎるものであるだろうとも。


 藍華の言葉は完全なる拒絶だった。自分の内側に立ち入ってくるなという警告も同然だった。


 だが、だからこそ蒅は彼女に興味を抱いた。


 藍華は恐らく彼がこれまで見てきたどの女性とも違う。何かが違っている。

 それに彼女が選択する言葉や物事一つ一つが蒅と妙に合っている。

 所謂一目惚れと呼ばれるものとは異なる気がした。

 藍華は確かに見目も美しい女だが、そういった分類とは異なる魅力を蒅は感じている。


 もしかすれば職人であるからこその業にも近いものかもしれない。

 強烈に惹き寄せられるとでも言うべきか。手を出さずにはいられない気がした。

 真白く美しい絹糸を手にした時のように、どう染めれば最も美しく色が映えるかを思い描くあの瞬間の感情と似ている。


 藍華は布地ではない。糸だ。


 繊細な絹糸は扱いが難しく、濃く染め上げるには卓越した技術が必要になる。一筋縄ではいかない。だが、その分美しく染め上げれば長年に渡り優美な色を後世まで保ち続けるのだ。

 藍華は恐らくそういう部類の女だと蒅は思う。


 手をかければかけるほど、映える女。

 それを鈍らせているのはあの指輪の相手なのだろう。

 たかが金属の輪ごときで惚れた女を繋ぎ止めようなどと、蒅にとっては笑止千万である。

 蒅なら惚れた相手にその程度では済ませない。


 彼ならば自らの手で染め上げた絹糸の衣を藍華に纏わせ、心どころか身体ごとすべて包み込んでしまうだろう。染めた糸の一筋一筋で彼女を絡め取り、当の本人さえ染め上げて、それこそ雁字搦めにして逃げられないようにしてしまう。


 金属の輪などのように、すり抜けてしまうことの無いように。



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