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茶会1

誤字報告ありがとうございます


 夜会を乗り切ってマリアンヌは、少し肩の荷が降りた気分になっていた。


 そのあとにも婚約者であるリカルドとは何度か顔を合わせているけれど、もともとエスティーナは大人しく口数が少ないので、会話の主導権をリカルドに渡し儚げに笑っていれば、すんなりと時は過ぎ疑われることはなかった。




 季節は変わり、秋。


 エスティーナはまだ見つかっていない。今のところ無事を知らせる手紙が一通届いただけだ。

 手紙には「幸せに暮らしているから探さないで欲しい。我儘でごめんなさい」と書かれていたらしい。

間違いなくエスティーナの文字で書かれた手紙を見て、エレーナ夫人は三日間寝込んだと聞いている。


 紅葉が始まった本邸の庭を、マリアンヌはのんびりと歩く。涼しい風が頬を撫で、上質なワンピースの裾を少し巻き上げていった。

 数ヶ月別邸で過ごす間に、リリからエスティーナと一緒に消えた庭師の話も聞いた。名前はロニーで年齢は二十歳らしい。


 ロニーは生まれてまもなく両親を馬車の事故で亡くし、トラバンス子爵家で住み込みで働いていた祖父母に育てられた。

 身分は違うが、歳が同じなので二人は幼馴染ように育った。

 十五歳の時に祖父母が亡くなったのちも、ロニーは庭師としてトラバンス子爵家で働き続けた

 人前でこそ主従の立場を超えなかったが、二人だけの時は名前で呼び合う仲だったそうだ。

 大人しい性格で社交界になじめず落ち込んでいたのを励ましていたのもロニーだった。

 周りの使用人も二人の気持ちには薄々気づいており、時折忠告もしていた。それに対し、二人は真摯に耳を傾け親密になることがないよう一線を引いていた。


 だから、使用人達もことを荒げず、二人を見守ることにしたらしい。

 リリが詳しいのはエスティーナから相談を受けていたからで、切ない心の内を訴えながらも結ばれないのは理解していたように見えたそうだ。


 ところが、エスティーナが失踪する前に突然様子が変わった。

「このままではいけない」「幸せにならない」「こんな結婚間違っている」など、リリには意味が分からないことを呟き、一人考えこむ時間が増えたらしい。

 そうして起きたのがエスティーナとロニーの駆け落ちだった。


 使用人にしてみれば、こんな大事になるとは思わなかったようで、上に下への大騒ぎだった。

 エスティーナとロニーの秘めた思いは、想像を超えるものだと知り、もっと早く二人を離れさせるべきだったと皆が悔いた。


 その話を聞いた時、マリアンヌは、ほう、と息を吐き自分達の思いを貫いた二人に心の中で拍手した。

まるで舞台の主役であるような二人を激励したい気分だ。


「このまま見つかることなく、過ごさせてあげたいな」


移ろう季節を感じながら、思わず本音が口からこぼれた。

だから、突然名前を呼ばれた時は、心臓が止まるかと思うほど驚いた。


「マリアンヌ、ここにいたのか」

「ジークハルト様、どうしたの?」

「今日は、リカルド殿との茶会だろう。挨拶をしに立ち寄ったのだが一人か?」

「なんでも急用ができたとかで、時間をずらして欲しいと連絡があったわ。あと一時間もすれば来るはずよ」


 そうか、と言いながらジークハルトは髪を掻き上げる。

 その額には僅かに汗が滲んでいた。

 リカルドとマリアンヌが二人でお茶をしていると思うと、居ても立ってもいられず馬を飛ばして来たのだが、もちろんそんなことは口にできない。


 マリアンヌを見つめるジークハルトの瞳には、くっきりと熱情が浮かんでいた。

 少し前まではその気持ちをとどめるべく振る舞っていたように見えたが、最近ではどこかふっきれたように甘い言葉を囁いたりもする。

 並外れた観察眼を持つマリアンヌが、その変化に気づかないはずがない。


 毎夜のように一緒に晩酌をしながら、日増しに強くなるジークハルトの瞳に浮かぶ恋慕の情に、戸惑いながらも胸を熱くしていた。

 しかし、それは許されない恋だ。


 エスティーナと庭師のように手を取り合い、二人で生きていけたらと思うも、ジークハルトは嫡男。捨てる物が余りにも多すぎるし、自分のためにそんなことはして欲しくない。

 だから、マリアンヌはジークハルトの熱い視線を受け流し、自分の思いを固く封じると決めた。


「少し散歩をしないか」

「ええ、いいわよ」

 柔らかな笑みで誘われても、マリアンヌはサラリと答える。

 喜ぶ素振りは微塵も見せず、それが特別なことではないように振る舞った。

 だけど内心は心臓が高鳴り、足取りがつい軽くなってしまう。

 リカルドとのお茶会は、いつも本宅の庭で行われる。

 ここはマリアンヌの素性を知らない者ばかりなので、二人の足は自然と人のいない裏庭へと向かった。


「エスティーナ様はまだ見つからないのね」

「あぁ、母が憔悴しているので、せめて居場所だけでも分かればよいのだが」

「でも、居場所が分かれば迎えに行くのでしょう?」


 ジークハルトは立ち止まり、雲一つない空を見上げた。

 漆黒の髪がさらりと揺れ、マリアンヌは思わず手を伸ばし触れたくなる。


「以前はそのつもりだった。平民と一緒になっても苦労するだけだと。でも今は、それも一つの生き方ではないかと思う」


 言外に含まれた意味が分からないマリアンヌではない。

 ジークハルト自身も貴族以外の生き方を考えているのが分かり、マリアンヌの胸がぎゅっと痛くなる。

 でも、そんなことをさせるわけにはいかない。

 貴族の身分を自分のために捨てて欲しくない。

 だから、マリアンヌはすぅと息を吸うと、カラリとした声を出した。


「そうかも知れないけれど、子爵家としては大丈夫なの? 確か特産品の羊毛の流通にリカルド様のご実家が関わっているのよね」

「確かにその問題はある。だが、エスティーナの気持ちの方が大事だと……」

「貴族の立場より?」


 言葉途中で遮られ、ジークハルトは唇を噛む。

 貴族の婚姻は家同士の繋がりだ。一人の思いによって左右されるべきではない。

 ジークハルトが騎士を諦め家を継ぐように、エスティーナも秘めた思いに蓋をして嫁ぐのが道理というものだ。

 ジークハルトの眉根に深い皺が寄った。


「ではマリアンヌはどう思うんだ?」


 足を止めたジークハルトが、じっとマリアンヌを見つめる。


(まるで、どうして私がそのセリフを言うのかと問い詰めたいようね)


 紫色の瞳を見つめ返しながら、マリアンヌは言葉の裏にある心に想いを馳せる。

 おそらくジークハルトは、マリアンヌが彼の気持ちを察していると分かっているのだろう。

 その上で顔色ひとつ変えないマリアンヌに、苛立ちと切なさを感じている。

 瞳を揺らしながらマリアンヌを見つめていたジークハルトの口がゆっくりと開いた。

 まるで決心したかのような真剣な表情に、マリアンヌはその言葉を遮ろうと焦る。

 たとえお互い分かったうえであっても、気づいていない演技を続けるのがジークハルトのためなのだ。


「マリアン……」 

「エスティーナ様、リカルド様が来られました」 


 まるでタイミングを見計らったように、リリが少し離れた場所から声を掛けてきた。身振り手振りでリカルドが来たことを伝えてくれる。

 それに答えるように、マリアンは大きく頷いた。


「では、頑張ってエスティーナ様を演じてくるわ」


 エスティーナの顔になったマリアンヌは、踵を返しリリの元へ向かおうとする。

 でも、一歩踏み出したところでジークハルトに腕を掴まれ止まってしまう。


(振り返ってはいけない)


 ごくんと、細い喉を鳴らし唾を飲み込む。

 振り返り、ジークハルトがどんな瞳で自分を見つめているのか知ってしまったら、きっと自分の中の箍が外れてしまう。

 だから、マリアンヌは動けないでいた。一歩踏み出すことも。振り返ることもできない。


「マリアンヌ、俺は……」

お兄様(・・・)私、行かなくては」


 エスティーナそっくりのか細い声に、ジークハルトの手が緩む。

 マリアンヌはその隙をついてさっと腕を引くと、すぐさま走り出した。

 走りながら胸を押さえる。心の奥が絞られるようにぎゅっと痛んだ。

 こみ上げてくる切ない思いに、身体が千切れそうなほど苦しくなる。


 恋は何度も演じてきた。頬を染め、潤んだ瞳で語った愛の言葉は数えきれない。

 でも、それらすべてが薄っぺらく思えてしまう。


(本当の恋とは、こんなにも苦しいものなんだ)


 瞳に浮かんだ涙をこぼさまいと、マリアンヌは必死に耐える。そして、リリの近くまでくると走るのを止め、令嬢らしくゆっくりと歩き出した。


お読み頂きありがとうございます。

今日で折り返しです。二人の恋の行方が気になる方、興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!


☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。

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