夜会4
後半ジークハルト目線
「お友達と一緒に会場を出る姿を見て、心配で探していた」
ジークハルトが気まずそうに口にすると、マリアンヌは呆れたように腰に手を当てた。
「その心配はエスティーナ様にしてあげるべきだったわね」
「あぁ、反省している」
しょぼんと大きな肩を落とし、渋面で頭をガリガリと掻く。
自分の不甲斐なさを正直に恥じて反省しているのであれば、これ以上言うことはない。マリアンヌは腰に当てていた手を降ろすと、それを後ろで組んでジークハルトを仰ぎ見た。
「ねぇ、気分転換にダンスを一曲踊ってくれない?」
「俺がか? 悪いがダンスは苦手だ」
「大丈夫、私は得意よ。男役、女役どちらもできるけれど、貴方はどうする?」
マリアンヌは胸に手を当て騎士の礼をし、ダンスに誘うかのように手のひらを上にして差し出す。
「やめてくれ。分かった、一曲つきあう。しかし、足は自分で守ってくれ」
「任せて」
得意げにマリアンヌが微笑むと、ジークハルトが手を差し出す。するとマリアンヌがその手をまじまじと見て、確かめるように両手で握った。
「……何をしているんだ?」
「貴方の手をじっくり見るのはこれが初めてよ。剣を扱う男性の手はこんなに固く大きいのね」
さわさわと触るマリアンヌに他意はなく、純粋にそう思っている。好奇心が旺盛なのは女優として良いことかもしれないが、触れられるジークハルトの顔がみる間に赤く染まっていった。
ジークハルトはこほん、とわざとらしく咳ばらいをすると、ぎゅっとマリアンヌの手を握る。
「曲が始まるぞ」
「あっ、そうね。ではよろしく、お兄様」
ふふっと笑うと、マリアンヌは足取りも軽く豪奢な入口の扉を潜る。と、それに合わせたかのようにワルツが流れ始めた。
軽快でありながらほどよい速さのワルツは、比較的踊りやすいとされている。
ダンスが苦手だと言っていたジークハルトも、きちんとリズムを取っていた。
「あら、思ったより上手よ。新人役者より踊れるじゃない」
「一応、学園で習ったからな」
「女性に縁のない顔には見えないけれど、今まではどうしていたの?」
「ムスッと黙っていれば、八割は諦めて立ち去っていく。残り二割は弟や友人に押し付けていた」
精悍な顔つきは、黙っていれば気難しくも見える。
なるほどと納得するも、本来の性格を知っているマリアンヌからすると、こんなに可愛い男も珍しいぐらいだ。
「さっきは助けられずすまない。妹を庇う文句を考えているうちに、マリアンヌが一人で解決してしまった」
「そうだったの。私こそエスティーナ様らしくないことをしてしまってごめんなさい。一応、周りに人がいないことは確かめたし、彼女達もわざわざ自分が虐めていたなんて吹聴しないだろうから、問題ないとは思うのだけれど」
「ああ、大丈夫だ。それに、エスティーナが帰ってきた時のことを考えて言ってくれたのだろう。礼を言う」
その言葉に、マリアンヌはそっと息を吐く。
勝手なことをして叱られるのではないかと、心配していたのだ。
再びダンスに集中しようとすると、ジークハルトがしみじみとした声を出した。
「強い女性だと思ったよ」
「えっ?」
「地に足をつけ、生きてきた人の言葉だと思った」
一言一句聞かれていたと知ったマリアンヌは、少し照れくさそうに唇の片方をあげ笑う。
「別に褒められるような生き方はしていないわ。ただ、彼女達のような人は沢山見てきたし、言いがかりをつけられるのも初めてじゃない。皆私が羨ましいのよ」
最後の一言は、照れ隠しで冗談めかして言った。それなのに、ジークハルトは眩しそうに目を細める。
(ちょっと何よその反応。照れるじゃない)
世間ずれした連中の相手は得意だけが、純粋なジークハルトにはどう対応してよいか戸惑い、いつもの調子を崩されてしまう。
それが悔しく、そしてなんだか胸がどきどきした。
「有名な女優なのだから、いろいろあるのだろう。自分の腕一本で生きる大変さは、騎士と通じるところがあると思っている。だからこそ、聞いてもいいか? どうしてそこまでして演じるんだ?」
ジークハルトの紫色の瞳に浮かぶのは、純粋な好奇の色だ。
興味を持たれることが、妙にくすぐったく嬉しい。
だけれど、すべてを話すわけにはいかない。ジークハルトにだけは知られたくないと、なぜか思った。
「単純に好きだからよ。それから、演じることは私にとって生きることに等しいの」
「生きることに? それはどういう意味だ?」
首を傾げるジークハルトに、マリアンヌは明るい笑みを見せた。
「それより、ジークハルト様のことを教えて?」
話題を変えたかったのは本心だが、なぜそんな質問をしてしまったのかマリアンヌ自身も分からない。
当然のことながら、真面目なジークハルトはうーんと、考え込む。
「俺の名前も歳も、職業もすでに知っているのにか?」
「お見合いじゃないんだから。そうじゃなくて、そうね、貴方こそどうして騎士をしているの? 子爵家を継ぐんだから必要ないんじゃない?」
貴族の事情はよく知らないが、嫡男は貴族学校を出ると父親の仕事を手伝うと聞いたことがあった。
ごく自然な疑問なのに、ジークハルトは躊躇うように宙を見つめたのち、ぼそっと口を開いた。
「俺が子供の頃、王都で貴族の誘拐が横行していた。知っているか?」
「……聞いたことはあるわ。ジークハルトも誘拐されたの?」
「あぁ、もう少しで異国に売り飛ばされるという間際に助けてくれたのが騎士だった。三歳の俺には、颯爽と現れたその騎士が凄く格好良く見えて、将来は彼のようになろうと思ったんだ。子供染みた話だろう」
自嘲気味に笑いながらも、ジークハルトの紫色の瞳は輝いている。
そんなジークハルトを眩しそうにマリアンヌが見上げる。
(騎士と役者は同じだと言ってくれたけれど、きっかけは雲泥の差ね)
暗い気持ちが胸に広がりかけ、マリアンヌは首を振ってそれを追い払う。
「素敵な話ね。とてもジークハルト様らしいわ」
「マリアンヌの中で、俺はどんな奴なんだ?」
「可愛い子犬のような感じかしら?」
「犬? しかも小さいのか? この俺が?」
目を丸くするジークハルトに、マリアンヌがくすくすと笑う。そういうところが、とても愛らしい、と言う言葉は飲み込んだ。
「さっきの話を、ご両親はご存知なの?」
「小さい時に言ったかもしれないが、覚えていないかもしれない。それに、どんなに騎士を望んでも、俺は嫡男だから子爵家を継ぐ必要がある」
ジークハルトもまた、生きにくい貴族の鎖に捕らわれているのだ。
(貴族というのは面倒ね)
不器用な上に窮屈な生き方しかできないジークハルトに、マリアンヌの心がきゅっと痛んだ。
ふいに沸き起こった感情に、マリアンヌは狼狽し慌てて深呼吸をする。
(大丈夫、まだ、引き返せる。ジークハルト様は貴族で、私なんかとは違う世界を生きる人なのだから)
だから余計に眩しく感じるのだろう。そうだ、これはきっと自分が持つことのない光への憧れだと、心に言い聞かせた。
(私とは生きる道が違う人)
不器用で真面目なジークハルトは、ダンスの最中に目が合うだけで照れ臭そうにはにかむ。
それでいて、マリアンヌに触れる手はどこまでも優しい。
(決して交わることがない道が、僅かな間だけ交差した。ただそれだけのことよ)
たった一年の偽りの妹だと分かっているのに、なぜか気持ちが沈んだ。
「どうしたんだ?」
急に黙ってしまったマリアンヌを、心配そうにジークハルトが窺う。
マリアンヌは小さく首を振り、ふぅ、と大きく息を吐くと、いつもの強気な顔でジークハルトを見上げた。
「ダンスが終わったら、何を食べようかと考えていたの。ねぇ、あそこのテーブルにある料理は、どれだけ食べてもいいの?」
「構わない。だが、エスティーナはあまり食べていなかったな。そうだ、一緒に行って取り分けよう。俺の皿の料理をやるから、こっそり食べればいい」
「やった。あぁ、早く音楽が鳴りやまないかしら」
「ちょっと待て、ダンス中にそれはないだろう」
ジークハルトに諭され、マリアンヌは不貞腐れたように唇を尖らせた。
その顔を見て、ジークハルトがクツクツと笑う。
(うん、もう大丈夫)
いつも通りだ。この調子で一年やり過ごそう。
そう、マリアンヌは心に決めた。
***ジークハルト
マリアンヌが友人と一緒に会場を出るのが、視界に隅に入った。
ボロが出ないか心配でこっそり着いていくと、そこで見たのは、陰湿ないじめだった。エスティーナの友達だと思っていた三人が、マリアンヌを取り囲み攻め立てている。
声が聞こえないので、そっと三人の近くにある柱まで行き聞き耳を立てると、どうやらエスティーナがリカルド殿の婚約者に相応しくないと言いがかりをつけているようだ。
相応しいも何も、二人の結婚は家同士が利益を得るから決められたもので、そこにエスティーナの意志はない。
もしかして、今までの夜会でも同じことがあったのではないかと、今更ながら思い至り、自分の鈍さに苛立ちを覚えた。
全くの部外者であるマリアンヌを、こんなことに巻き込むわけにはいかない。
兄である俺が助けても不自然ではないが、不慣れなので何と切り出すべきか思案していると、すっとマリアンヌの表情が変わった。
そうして発せられた声は、エスティーナを演じている時のか細い声ではない。凛とした、良く通る声だった。
「貴女達は私を妬んでいるのね?」
いっそ清々しく感じるほどの、明け透けな言葉に、踏み出そうとした足が引っ込んでしまう。
そこからはマリアンヌの独り舞台だった。
特に芝居がかった口調ではないのに、一つ一つの言葉が心にぐさりと刺さる。彼女の生き様や考え方がその言葉から伺え、芯の強い女性だと改めて思った。
「欲しい物があれば手に入れる努力をしなさい」
自分に向けられ言われたわけではないのに、無意識に拳を握ってしまう。
生まれた時から子爵家の嫡男として育ってきた。
騎士の仕事を一生続けられたら良いと願いながら、用意された道から逸れる勇気もない。自分の望む生き方ではないが仕方ないと半ば諦めていた、
しかし、これで本当によいのだろうかと、心がざわつく。
俺が躊躇しているうちに、マリアンヌはあっさりとその場を収めてしまった。
「じゃ、私は戻るわね」
そう言って、もう興味はないと言わんばかりに三人に背を向けた。
カツカツとヒールの音をさせ一度は俺の前を通り過ぎたが、角を曲がったところで足を止めこちらを振り返る。
ばちりと目が合っては誤魔化しきれず、場を取り繕うようにゆったりと腕を組んだ。
「お友達と一緒に会場を出る姿を見て、心配で探していた」
盗み見ていたのではなく心配したのだと憂いるような顔を作ってみたが、そんな俺の心の内はバレバレなようでマリアンヌは呆れたように腰に手を当てた。
そうして俺をダンスに誘った。
「男役、女役どちらもできるけれど、貴方はどうする?」
自信満々の顔でマリアンヌは胸に手を当て騎士の礼をする。ドレスを着ているのに、そこら辺の男より紳士に見える。
ダンスに誘うかのように手のひらを上にして差し出してきた。
「やめてくれ。分かった、一曲つきあう。しかし、足は自分で守ってくれ」
彼女に負けないよう、紳士らしい所作で手を出せば、なぜかマリアンヌは俺の手をじっと観察しだした。
もしかして、汚れていたか? と心配していると今度はその細い指でぎゅっと握ってくる。
ちょっと待て、いったい何をしたいんだ。
意味が分からないのと同時に、その華奢な手に心音が大きく跳ねた。
どうやら、剣を持つ騎士の手が珍しかっただけのようだが、べたべたと触るのはやめて欲しい。
細く柔らかな指の感触に、ごくんと喉が動いてしまったが、幸いマリアンヌに気が付いた様子はない。
堪らず「曲が始まるぞ」と言えば、あっさりと俺の手を離した。
ダンスは苦手だ。それでも、貴族の俺がリードしなければと意気込んでいたが、マリアンヌは羽根のようにふわりと舞った。
おまけに会話を楽しむ余裕までみせた。
こっちはリズムを取るのに精いっぱいなのに、だ。
マリアンヌの生き方を褒めれば、照れくさそうに頬を染める。
その顔に、思わず見入ってしまった。
初めて会った時から、堂々として何にも動じないマリアンヌが、こんな初々しい顔をするなんてと思うと、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
誰にもその顔を見せたくないと、不意に受かんだ独占欲に焦るとともに、もっと彼女のことを知りたくなった。
しかし、肝心のところではぐらかされてしまう。
代わりになぜ騎士をしているのかと聞かれ、友人にも話していない昔の話をしたのは、俺のことを知ってもらいたいと思ったからだ。
「子供染みた話だろう」と笑う俺に、マリアンヌは真剣な顔で「素敵な話ね」と返してくれる。
なんだか無性に嬉しくて照れながら会話を続けていたが、次に言われた言葉に思わず目を丸くした。
「可愛い子犬のような感じかしら?」
「犬? しかも小さいのか? この俺が?」
駄犬と言われたほうがまだしっくりとくる。
俺の胸の辺りまでしか身長のないマリアンヌの目に、俺はどう映っているんだ?
意味が分からないままダンスを続けていると、不意にマリアンヌの表情が陰った。
気になってどうしたのかと問えば、マリアンヌはいつもの勝気な顔で笑う。
「ダンスが終わったら、何を食べようかと考えていたの。ねぇ、あそこのテーブルにある料理は、どれだけ食べていいの?」
無邪気な顔にほっと息を吐く。
どうして俺は、マリアンヌの一挙手一投足に感情を左右されるのだろう。
彼女から目が離せず、その青い瞳に吸い込まれそうな心地になる。
俺とは違う生き方をしている女。自分の力で一歩ずつ歩んできたその姿は、今まで出会った令嬢達とは全く異なった。
出会えたことに感謝しながら、どうして出会ってしまったのかとも思う。
欲しても、絶対に手に入らないその瞳に手を伸ばしかけ、すんでのところで踏みとどまった。
貴族の俺は、マリアンヌを正妻に迎えることはできない。
それに彼女は、貴族の籠の中に納まらない。自由に飛び回る姿こそが相応しい。
そう心の中で理屈を並べて、理性を保つ。
青い空を背景に、自由に笑うマリアンヌを想像すれば、貴族社会に引き込んではいけないと思った。
それと同時に、この感情のまま抱きしめられたら、どんなにいいだろうと思う。
今宵ほど、貴族であることに嫌気がさしたことはなかった。
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