夜会2
本日二話目です
夜会当日。
マリアンヌは本宅のリビングでリカルドが迎えに来るのを待っていた。
朝から念入りな準備と打ち合わせがされ、準備万端だ。
リカルドから贈られた水色のドレスに身を包み、髪はハーフアップに結い上げ残りは軽く巻いた。
化粧はもちろんエスティーナに似せるように仕上げ、普段はきりっとした目を和ららめた。
ジークハルトは既に夜会会場に行っており、今は隣にリリがいるだけだ。
リリの表情が、マリアンヌより硬いので緊張しているのだろう。
「リリ、肩の力を抜いて。ジークハルト様が不審に思ってしまうわ」
「すみません。マリア……エスティーナ様は随分落ち着いているように見えます」
「そうね。どちらかと言えば、わくわくしているわ。沢山練習した舞台の初日を迎える気分よ」
ほどよい緊張と胸の高揚が懐かしい。
ジークハルトから聞いたリカルドと夜会の様子を頭に描き、イメージを膨らませる。舞台に不測の事態はつきもので、今日はシナリオさえないぶっつけ本番だ。
でも、それすら楽しんでいる自分に、マリアンヌは内心苦笑いする。
(やっぱり、私は演じるのが好きなのね)
夜会のダンスは、練習しているときから楽しみだった。もとよりダンスは踊れたし、家庭教師からもお墨付きをいただいている。
念のため、トラバンス子爵相手に一曲踊り、夫人に見てもらったところ「エスティーナより上手だ」と言われたほどだ。
そこでエスティーナの癖を聞き、下手なしぐさを間に挟んで微調整した。
もし不信がられたら「お父様に教えていただいた」と答える予定だ。
臨機応変な対応は、もっともマリアンヌが得意とするところなので、上手くやり過ごせる自信がある。
馬車が止まる音にリリが玄関扉を開ける。
すぅ、とマリアンヌは息を吸った。さぁ、舞台の始まりだと、すっと表情を変える。
現れたのは、ブロンドの髪にライトブルーの瞳をした青年だ。
マリアンの身長は、百五十五センチとこの国の女性の平均的なもの。ジークハルトは百八十センチを超える長身なのに対し、リカルドはそれより十センチほど低い。
細身の体躯にしなやかな指は、剣とは縁遠そうだ。
そして何より目を引くのはその整った顔。ジークハルトの精悍な雰囲気とはまた異なる、線が細く繊細な美丈夫だった。
(ここまで美しい男性は、役者でもそういないわ)
顔を売りにしている役者でも、リカルドの前では霞むだろう。思わずマジマジと観察してしまった。
そんなマリアンヌにリカルド淡い微笑を見せる。
「エスティーナ、贈ったドレスを着てくれたんだね。よく似合うよ」
マリアンヌは恥ずかしそうに頬を染め、小さく「ありがとうございます」と応える。それがあまりにもエスティーナそっくりで、リカルドの背後にいたリリが小さく息を飲んだ。
「リカルド様、今宵はエスコートをよろしくお願いします」
差し出された手におずおずと手を重ね、上目遣いでリカルドを見た。
リカルドは疑うそぶりを全く見せず、マリアンヌをエスコートすると馬車に乗せ、二人は夜会へと向かった。
夜会はお城の一角にある建物で行われる。
建物の全貌は一度に視界に入れるのが難しいほど大きく、マリアンヌは心の中で歓声を上げた。
会場に入るとすぐにジークハルトが近づいてきて、リカルドに挨拶をする。
「リカルド殿、久しぶりだ。今宵は妹をよろしく頼む」
「ええ。ジークハルト殿は仕事ですか。頑張ってください」
二人の会話を聞きながら、マリアンヌはリカルドの後ろで小さく微笑む。
チラチラと窺うような視線を送ってくるジークハルトを無視し、そっと目だけ動かし周りを見渡した。
(これは嫉妬かしら?)
会場に入ったときから突き刺さるような視線を感じる。
仕事がら視線には敏感だ。気持ちの良い視線ではないのでさらに目を凝らせば、三人の女性が扇で口元を隠しひそひそと話している。
耳を澄ませば、会話が聞こえてきた。
「見て、おどおどと周りを見てみっともない」
「何を聞いても消え入るような声で答えるだけで面白味がないのに、リカルド様に相応しいと思っているのかしら」
「会話以外の特別な才能があるとか?」
クスクスと嘲るような笑い声も聞こえる。男性二人の反応が気になり視線を前に戻せば、ジークハルトもリカルドもまだ話をしていて、三人の令嬢の声は聞こえていないようだ。
(エスティーナ様はリカルド様の婚約者となったことで周りから妬まれていたようね。気の弱い性格だから揶揄する声に益々身を縮め、悪循環を起こしていたのかもしれない)
弱気がさらに増し、そこに悪意のある嘲笑が混ざるのが手に取るように分かる。
だけれど、マリアンヌにしてみれば妬み僻みの視線は日常で、精神的にノーダメージ。そんなことぐらいで心は削られない。
一応気弱な顔を作ってはいるけれど、頭は美味しそうな食事でいっぱいだ。
そうこうしているうちに、ファンファーレのトランペットの音が響き、王族が入場してきた。王が簡単な挨拶を述べると、音楽が流れ始める。
「エスティーナ、手を」
「はい」
静々と手を取ると、マリアンヌはリカルドのエスコートで広間の中央へ向かった
少し下を向きながら踊るその姿を偽物だと疑う者はいなく、間近にいるリカルドにさえ、疑っている様子はない。
そのことにマリアンヌは安堵しながらも、心に冷たいものが走った。
(婚約者が入れ変わっても気づかないなんて、エスティーナ様が知ったらなんと思うだろう)
エスティーナも駆け落ちしたのだから人のことは言えないが、リカルドがマリアンヌに向ける視線に恋慕の情は見えない。
結局のところ似たもの同士なのだろうと、そっと嘆息する。
貴族の婚約に政治的な思惑が付きまとうのは、マリアンヌでも知っている。でもそれを間近に感じて、心がうすら寒くなった。
ただ、リカルドがエスティーナにベタ惚れでないのは、救いでもある。
エスティーナへの関心が薄ければ薄いほど、正体はバレにくい。そんなヘマをするつもりはないが、好都合であることに違いなかった。
マリアンヌが他愛もない会話を難なくこなし、少しダンスが下手なふりをする余裕までみせたところで、一曲が終わった。
リカルドがスッと手を離し、会場の一角を指差す。
「エスティーナ、知り合いに挨拶をしてきてもいいだろうか?」
「はい。私のことは気にしないでください」
社交の場は貴族にとって人脈を繋ぐ場でもある。
リカルドは通りかかった給仕係を呼び止めると果実水を一杯マリアンヌに渡し、人の波に紛れていった。
それを見送ったマリアンヌは、改めて広間を見る。
天井からぶら下がる大きなシャンデリアは、舞台で見るよりずっと輝いている。窓枠や柱に施された繊細な彫刻、きっと有名な画家が描いたであろう絵画、大きな花瓶に活けられた花は甘い匂いを放ち、壁に取りつけられた鏡が光を反射させる。
(花瓶はあれぐらい大きくても存在感があっていいわね。それから、鏡。あれがあるだけで光の反射が変わるわ)
いつか大道具や小道具に生かしたいと思ったところで、マリアンヌの表情が曇る。
自分は、再び舞台に立てるのかと不安がこみ上げてきた。
演じない人生なんて考えられない。
もし演劇に出会わなかったらマリアンヌの人世は全く違うものになっていた。こんな煌びやかな世界とは正反対の、暗闇の中を這いつくばるような……
「ちょっといいかしら」
沈みかけた感情を引き戻したのは、可愛らしい声だった。しかし、棘がある。
マリアンヌが、エスティーナらしい不安そうな表情を作り声のするほうを見ると、真っ赤な髪の女性を中心に、三人の令嬢が立っていた。
先程エスティーナの陰口言っていた令嬢達で、その瞳には悪意と蔑み、それと妬みが織り交ぜとなっている。
(あらあら、これはもしかしてお呼び出しかしら)
緊迫した状況であるにもかかわらず、マリアンヌは心の内でほくそ笑んだ。
舞台では何度も演じたことがある修羅場を、現実で味わえるなんてと心踊るが、もちろんそんな素振りは微塵も見せない。
よし、どんとこい! と密かに妙な気合を入れたところで、真ん中の赤髪の令嬢が口を開いた。
「あちらで、少しゆっくりお話ししませんこと」
扇で会場の外を指す。それに合わせるようにさっと二人の令嬢がマリアンヌの横に立った。
有無を言わせぬ口調に、マリアンヌは心の中でやったぁと拳を握る。
どうやら退屈はしなさそうだ。そして本物の令嬢の意地悪とはどんなものか、楽しみでついつい足取りが軽くなってしまう。
でもそこは、女優、はやる気持ちを抑え泣きそうに眉を寄せ頷くと、三人に従うようしおしおと会場をあとにした。
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