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マリアンヌの事情

夜にもう一話投稿します

 

 程なくして見せから出て来たマリアンヌが向かいの酒場を指さすと、待っていた男は小さく頷いた。

 マリアンヌを先頭にして入ったそこは、椅子はなく胸の高さほどのテーブルがあるだけの飲み屋だ。


 仕事終わりの庶民が軽く一杯ひっかけて帰るだけの手軽な店で、テーブルは大小合わせて二十程。それが所狭しとほぼ等間隔で並んでいた。

 皆、立ったまま酒杯を煽り、大声で笑い合っている。その間を縫うようにしてジョッキを両手に持った店員が器用に歩いていた。


 この付近に貴族が入るような店はない。

 手短に話を済ませるにはちょうど良い店だろう。


 二人の姿に、店の客達が無遠慮に視線を投げてきた。その大半がこの場に不似合いな男に向けられている。

 マリアンヌはそっと隣の男を窺うと、男は尻込みすることなく堂々と店内を進み空いているテーブルの前に立った。

 度胸は据わっているようだ。騎士だから当然だろうが、威圧的な雰囲気はなく、決して綺麗とはいえない雑然とした店構えに嫌がるそぶりもない。好感とまではいかないが、悪くないとマリアンヌは思う。


「マスター、エールを中ジョッキで二杯。あとナッツとオイルサーディンも」 


 良く通るマリアンヌの声に、カウンターの奥にいるマスターが軽く手を挙げた。

 近所で店を開いているので、彼とも顔なじみではある。

 名前は知らないが、ロマンスグレーの髪を雑に首の後ろで纏め、会えば愛想のよい顔で「仕事は慣れたか?」と聞いてくれる。

 間もなくエールとつまみが運ばれてきた。

 マリアンヌはジョッキを手にし「乾杯」と言うと一気に半分ほど煽った。

 まだ仕事中ではあるが、職場で酒をおごってもらうこともある。仕事中だから飲んではいけないというルールはない。

 ごくごくと喉を潤すエールが汗ばんだ身体を冷やしてくれる。

 ふぅと一息ついて、手の甲で口元を拭ったところで男と目が合った。まじまじとこちらを見てくる視線に少々居心地の悪さを感じていると


「本当にエスティーナじゃないんだな……」 


 しみじみと男が言った。マリアンヌは呆れ顔で頬杖をつく。 


「だから違うって言ってるでしょう? エスティーナって子はお酒、飲めないの?」

「ああ、一口飲んだだけで顔を赤くする」


 そう言って男もエールを手に取ると、同じように半分ほどを喉に流し込んだ。

 そして、一息つくと改めてマリアンヌに向き合った。


「先程は突然すまなかった。無礼を詫びる」


 改めて謝罪を口にする男は、やはり誠実なタチのようだ。マリアンヌは顔の前でひらひらと手を振る。


「いいわ、ちょっとびっくりしたけれど。でも悪いと思っているならここはおごってもらえるかしら?」

「もちろん、もとよりそうするつもりだ。俺の名前はジークハルト・トラバンス、今は王宮騎士団に所属している」

「やっぱり貴族だったのね。それでそんな方が私にどんな用?」


 もし一夜を買いたいと言ったら、半分残っているエールを掛けてやろうと思う一方で、この男はそんなこと絶対口にしないだろうな、とも思った。


「まず、こちらの事情から説明させてもらう。俺には二十歳の妹がいる。名はエスティーナ、その妹が半月前に突然姿を消したんだ」

「誘拐?」

「いや、一緒に屋敷の使用人である庭師の男も消えている。『真実の愛の相手を見つけた。ごめんなさい』と書いた置手紙も残っていた」

「じゃ、駆け落ちね」


 やるじゃない、と心の中でヒューと口笛を吹きながらマリアンヌはエールを口に含む。安酒場だけれど、味は悪くない。

 最近巷では婚約破棄が流行っている。

 なんでも、貴族学園の卒業式や、パーティの場で高らかに宣言するらしい。


 どうしてそんな目立つ手段を選ぶのか。現実的に考えて悪手としか思えないが、一生に一度ぐらい舞台の主役になりたいのだろうかと考えれば、納得できる部分もある。

 それに便乗するかのように、婚約破棄を叫ぶ演劇も作られているほどだ。

 そう考えると、そっと手紙を残しての駆け落ちは、実に良識的で常識的だろう。

 マリアンヌが妙に感心している横で、ジークハルトは眉根を寄せた。


「そんな訳ない、エスティーナには婚約者がいたんだ。その庭師にたぶらかされたに違いない」

「どうしてそう言い切れるの? 婚約者が気に入らなかったのかもしれないじゃない」

「相手は我が子爵家より上位の伯爵家で、相手のリカルド殿は優しく紳士的だ。彫刻のような整った容姿は社交界で人気があり、年頃の令嬢が皆、憧れるような方だ」


 ふーん、とマリアンヌは思う。確かにそれほどの相手なら不満はないだろう、と。

 しかし、だからと言って愛するとは限らない。


 結局目の前の男も、貴族としての固定概念の中で生きているのだと、なぜかがっかりする。その反応を読み取ったかのように、ジークハルトが手にしていたエールをテーブルに置いた。


「言っておくが、今いったのは建前だ。貴族として平民との駆け落ちは認められない。俺だって肩書と気持ちが一致しないぐらいは分かっている」


 気まずそうに視線を逸らし、ジークハルトは本音を口にした。

 要は、ジークハルトも駆け落ちだと思っているが、それを口にするわけにはいかないから、御託を並べて取り繕っているのだ。

 お貴族様は面倒だな、とマリアンヌは心の内で同情をした。


「じゃ、姿を消す前に変わった様子は? ご令嬢が姿を消すなんて相当な覚悟が必要だし、異変に気が付いた使用人ぐらいるでしょう」


 至極当然の問いに、ジークハルトは顔を歪めた。マリアンヌが先を促すようにテーブルを人差し指でトントンと叩けば、重い息を吐き顔をあげる。


「半年前に階段から落ち、丸一日意識がなかったことがあった。起きた時に奇妙なことを言っていたのを記憶している。まるでここが物語の世界だとでも思っているようで、このままでは白い結婚になってしまう、とか?」


 なんだそれは、とマリアンヌは首を傾げる。白い結婚とは随分と古めかしい言い方だが、夫婦として閨を共にしないことだ。

 ジークハルトの話では、暫くの間は話し方や行動がおかしかったが、数日経てばもとに戻ったらしい。


「エスティーナの言動は分からないけれど、つまりは妹が行方不明になったから、一年間私にその妹の振りをして欲しいということね」

「一年というのは最長で、と言う意味だ。それまでに必ずエスティーナを見つけ出すし、一年未満に見つかっても報酬は一年分支払う」

「いくら?」

「そうだな一ヶ月で金貨十枚と計算して報酬は金貨百二十枚」


 あまりに突拍子もない金額に唖然としてしまう。

 マリアンヌが酒場で稼ぐ金はひと月で金貨二枚ほどだから、五倍の収入だ。

 言葉を失っていると、ここぞとばかりにジークハルトがたたみかけてきた。


「もちろん、衣食住はすべてこちらが負担する」


 これほどいい仕事があるだろうか。もともと酒場で働いていたのは、隣国へ行くためのお金を稼ぐためだった。

 濡れ衣を着せられたマリアンヌが、この国で役者を続けるのは難しい。それまでの間と割り切って働いていたので、酒場の店主に感謝はしているが未練はないのだ。

 ただ、ジークハルトはすべてを話していないように思う。まどろっこしいのが嫌いなマリアンヌは素直に疑問を口にした。


「一つ質問させて。どうして他人の身代わりを立ててまで妹の失踪を誤魔化す必要があるの? 確かに貴族にとって醜聞は命取りかも知れないけれど、そこまでして隠し通したいものなの?」


 醜聞であるが、婚約破棄が流行の今、よくある話のひとつとして話題に上り、やがて忘れ去られていくだろう。

 マリアンヌの問いに、ジークハルトは重い息を吐くと、説明をした。


「我がトラバンス子爵家の領地は羊の放牧が盛んで、羊毛の品質には自信がある。エスティーナの婚約者である、リカルド・ターナ伯爵家は大きな商隊を持っていて、我が領土で取れた羊毛を各国に輸出している。いわば持ちつ持たれつの仲、ここで妹の失踪が分かれば領地経営に差し支えが出る」


 なるほど、とマリアンヌは頷く。

 貴族の結婚が家の事情に左右されることぐらい、平民でも知っていた。

大変だなぁ、と呑気に思っていただけに、まさか自分が巻き込まれる日が来るとは思っていなかった。


(さて、どうしようか)


 特に命に危険はなさそうだし、金払いも良い。そして何よりマリアンヌの興味を引いたのは。


(本当の貴族の生活を経験できるなんて、滅多にないチャンスだ!)


 令嬢の役をする時、もっと深みと真実味のある演技ができるのではと打算が働く。

 マリアンヌにとって演じることは人生のすべてだ。役作りと称して男装して街に繰り出したり、娼館に下働きとして紛れ込んだこともある。

 もちろんそんなことをする役者はマリアンヌだけだし、周りの役者仲間からもやりすぎだと呆れられていた。


 劇団『碧い星』を辞めた今も、マリアンヌは再び舞台に立つことを諦めてはいない。

 その為にお金は必要だし、演技を磨ける環境は悪くない。


(助けてもらった居酒屋の店主には悪いけれど、この機会は逃したくない)


 心は決まった。マリアンヌは少しだけエールが残ったジョッキを持ち上げる。


「分かった、やってあげるわ。でも、堅苦しい話し方は苦手なんだ。エスティーナを演じる時以外はこのしゃべり方でいきたい」

「人前で演じてくれればあとは自由にしてくれて構わない。話し方など些末なことだ」


 ジークハルトは自分の手元にあるジョッキに手を伸ばし掛け、それが空だと気づくと新たにエールを二杯頼んだ。


「乾杯はエールがきてからにしよう。まだ飲めるだろう?」

「もちろん」

 こうして、二人の利害は一致したのである。


 **  

 マリアンヌは十三歳の時、当時の『劇団碧い星』の看板女優に偶然拾われ、その素質を買われて付き人になった。


 その後台詞のない端役から始め、引退した師匠に変わって看板女優になったのが十七歳の時。それから、八年間その地位を守ってきた。

『劇団碧い星』はラディカル国で一番古い劇団で、看板女優をそれほど長い期間務めたのは、マリアンヌが初めてだった。


 そんな順風満帆なマリアンヌの前に、一年前、一人の女優の卵が現れた。

 誰もがはっと驚くほどの美貌を持った少女はレーナと名乗った。平民ゆえ苗字はない、歳は十七歳。

 演技の素質もあり、頭角をめきめきと現すと、一年後にはマリアンヌの次に人気のある女優となった。

 マリアンヌは才能のあるレーナを特に目にかけていた。


 自分の次に看板女優になるのは彼女だろうと、厳しく叱責しつつも、知っていることは何でも教え可愛がっていたのだ。

だけれど、ある日、マリアンヌはレーナから断罪された。


「私を妬むのは勝手ですが、衣装を傷つけるのはやめてください!」


 稽古場に現れたと同時にそう叫んだ彼女の側らには、劇団長兼脚本家がいた。彼の手がレーナの腰にすっと回る。

 突然のことに意味が分からずにいたマリアンヌだが、後ろめたいことは何一つない。きっと誤解が生じたのだろうと、気然とレーナを見返した。


「私はそんなことしていないわ」

「嘘を吐かないでください。昨晩、衣装部屋にこっそり入っていく貴女を私は見ました。そして今朝、切り刻まれた私の衣装が発見されました」


 そう言って、レーナは背中に隠していた衣装をこれ見よがしにマリアンヌに月だした。

 町娘が着るピンク色のデイドレスは、無残にも胸元から腰まで引き裂かれ、裾も大きく破り取られていた。

 かつては着たことがある衣装の成れの果てに、マリアンヌはくらりとよろめく。それを作ってくれた衣装係の顔がまず浮かんだ。


「私は、公演が終わってすぐに帰って、それからずっと家で新しい台本を読んでいたわ。衣裳部屋にも行っていない。それに、私が衣裳部屋に入っていったと言うなら、どうしてその時に声をかけなかったの?」


 詰問調になってしまったことは認める。だけれど、その口調に怯えるように劇団長の後ろに隠れたレーナはあまりにも不自然だった。

 レーナは気が強い。これぐらい言われたぐらいで怯えるような性格ではないのだ。

 劇団長だってレーナの性格は知っているはず。にも拘らず、三十代の劇団長は愛おしそうにレーナの頭を撫でるではないか。

 そうして、マリアンヌをぎっと睨みつけた。


「さっき、お前の控室を調べたら、レーナの切り裂かれた台本を見つけた」


 今度は劇団長が背広のポケットから細長く丸めた台本を取り出す。

 これ見よがしに開かれたその台本は、何ページにもわたり破られている。

 ここまで来ると、マリアンヌも今、目の前で行われているのが何かを理解した。


(衣装を引き裂き、台本を破ってまで、私を嵌めようとしているのね)


 そこまでして看板女優から引き下ろしたいのかと、胸に重く暗いものがのしかかる。それと同時に、衣装だって台本だって無料ではないのだと思う。

 劇団にとって大切なものを、短絡的に汚した二人に怒りがこみ上げてくる。

 それでも冷静でいられたのは、今、自分達を取り囲んでいる劇団員は、自分の味方をすると信じていたからだ。


 期待を込め周りに視線を向けたマリアンヌだったが、途端に全員がふいっと視線を逸らせた。

 その事にマリアンヌは大きな衝撃を受け、呆然と佇む。

 絶対に誰かが、いや、全員がマリアンヌの味方をすると思っていた。


 でも実際は違った。いつも主役としてスポットライトを浴び続けるマリアンヌに嫉妬していたのは、レーナだけではなかったのだ。

 マリアンヌは面倒見の良い姉御肌で、親切心から後輩に演技指導をすることも多かった。でも、その厳しい指導と、ストイックな演技への探求心を重く感じる者も少なからずいたことを、この状態になって初めて知った。


「レーナは『マリアンヌに虐められている』と涙ながらに私に訴えてきたわ」

「俺には、打たれた跡を見せてきた」

「いくらなんでも、やりすぎよ。自分に才能があるからと言って、調子に乗って私達に同じレベルを求めるのはやめてほしいものだわ」


 どんどん湧く非難の声に、マリアンヌは足元が崩れるように感じた。

 呆然と表情を亡くしたマリアンヌに、最後通告のように劇団長の言葉が響いた。


「マリアンヌ、今日を持ってお前を解雇する。今すぐ劇団『碧い星』から出ていけ! もちろん寮からもだ!」


 荷物を纏め、劇団を出るマリアンヌを庇う者は誰もいなかった。

 それが悲しかった。仲間と思っていたから。

 より良い演技が出来るよう指導していたけれど、それが押し付けでしかなく空回りしていたことに気が付き、涙がこみ上げてくる。


 十年以上の時を過ごしたこの場所を、こんな風に離れるなんて考えもしなかった。

 夜道をとぼとぼと歩くマリアンヌの茶色い髪を、春の夜風が吹き抜けていった。


 その後、暫くは宿で暮らしたけれど、お金は減るばかり。

 この国で劇団『碧い星』は有名だった。それゆえマリアンヌの噂はあっという間に他の劇団にも広がってしまう。新たに所属する劇団を探すも、悪評を信じ断られてしまう始末だ。

 それなら異国に行こう、と考えたマリアンヌはまずは渡航代を稼ぐことにする。

 できれば節約も兼ねて住み込みで、と探して見つけたのが港近くの居酒屋だった。


 働き始めると、マリアンヌは瞬く間に看板娘になった。元看板女優とバレないように目元を柔らかく薄化粧にしたけれど、その儚げな様子が却って客に受けたようだ。

 順調だと思っていた矢先に湧いて出たのが「エスティーナの代わりを演じる」仕事だった。


 期限は最長一年。しかもお給料は破格。

 住み込み、食事つきとくれば、これほど好待遇の仕はない。

 そして何より、貴族の世界を垣間見れることが、マリアンヌにとっては何よりも魅力的だった。

 立ち居振る舞い、出される料理の味、夜会では何をするのか、陰湿な陰口は本当にあるのか。あれもこれもと、浮かぶ疑問は尽きることがない。

 それを実体験できるのだから、考えるだけで胸が躍る。

 だからマリアンヌはその依頼を受けた。


 そして、その夜、お世話になった店主にお礼を言って、小さな鞄一つ手にトラバンス子爵家へと向かったのだ。


お読み頂きありがとうございます。

興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!

☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。

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