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マリアンヌの選択3

 

 二人が寝室を出たのはそれから随分経ってからだった。


 身支度を整え、用意された食事を摂る二人の様子は誰が見ても仲睦まじい。

 マリアンヌとジークハルトは隣に座り、肩が付きそうな距離で楽しそうに会話を交わす。リリは何も言わず、ただ、涙を見せないようにその場を離れた。


 食事を摂ったあと、マリアンヌ達は用意した馬車でターナ伯爵家に向かった。

 食事前にジークハルトが書いた先触れを届けていたので、リカルドは玄関前で二人の到着を待っていた。そしてその隣にはイーリアスがいる。


「突然伺って申し訳ない」


 ジークハルトが頭を下げると、リカルドは硬い表情で首を振った。


「いえ、至急の用であると理解しています。申し訳ないが、庭にテーブルを用意したので、そこで話をしてもいいでしょうか?」

「ああ、俺達もその方が都合がよい」


 厳しい顔をしたリカルドの後ろをジークハルト、マリアンヌの順に着いていく。少し距離をあけ、身を縮めたイーリアスがその後ろに続いた。

 マリアンヌがそっとジークハルトの腕を引っ張る。


「リカルド様の顔がこわばっているけれど、何て書いたの?」

「端的に『リカルド殿とリカルド殿の思い人に話がある』と書いた」


 当然と言わんばかりの口調に、マリアンヌは絶句してしまう。


(そんな内容の手紙を婚約者の兄から受け取ったら、青ざめるのも仕方がないわ。もう少し言葉の選びようもあったでしょうに)


 呆れて言葉が出てこない。

 でも、そういう不器用なところがジークハルトらしいと思う。

 張り詰めそうな雰囲気の中、マリアンヌはどう話を切り出そうかと考えながら慎重にその名を口にする。


「リカルド様……」

「エスティーナ、すまない」


 だけれど、最後まで言う前にリカルドに遮られてしまう。

 リカルドが深く頭を下げる。腰を折り、なんなら土下座までしそうな勢いだ。


「俺はエスティーナをずっと裏切っていた。親同士の決めた婚約者といえど、貴女を蔑ろにするつもりはなかったし、結婚までには気持ちにケリをつけるつもりでいた。でも、やはり」


 そこで言葉を区切る。リカルドは顔を上げるとライトブルーの瞳を真っ直ぐマリアンヌに向けた。

話途中で遮られたマリアンヌは口を半開きにしたままだが、それに構うことなくリカルドはキッパリと言い切った。


「俺はイーリアスを愛している」

 マリアンヌはその言葉に目を見開く。


 リカルドが、イーリアスへの気持ちをここまでさらけ出すとは思っていなかった。その勢いと潔さに気圧されたが、やがて胸に温かい物が混み上げてきた。

 よくぞ、この場で言い切ったと、内心拍手を送りたくなる。


「エスティーナ?」

 自然と口角が上がっていたマリアンヌに、リカルドが訝し気に眉を顰めた。


(幕を下ろす時がきたわね)


 マリアンヌの表情がスッと変わり。か細く内気な顔が自信に満ち、瞳に力が宿る。


「私はエスティーナじゃないわ」

「……えっ?」


 暫く沈黙が続いたあとで、リカルドは縋るような視線をジークハルトに向けた。

 ジークハルトが無言で頷くと、リカルドはその双眸をパチパチと瞬かせた。

 リカルドの後ろにいたイーリアスは、固まったまま動けないほど驚いている。

 そんな二人の様子に、ジークハルトが苦笑いを漏らした。


「リカルド殿、すまない。エスティーナは一年前にトランバス子爵家から姿を消している」

「それは、……事件に巻き込まれたのですか?」

「いや、居場所は把握しているし命に別状もない」

 ジークハルトはそこで言葉を詰まらせる。予定外のリカルドの謝罪で、段取りが変わってしまった。

 逡巡するジークハルトに変わってマリアンヌが前に出る。

「リカルド様、まず私のことから説明させてもらってもいいかしら」


 そう断りながら、スカートの端を持ちカーテシーをした。

 エスティーナとは違う雰囲気と話し方にリカルドは改めて驚いたようで、ぽかんと口を開けたままこくこくと頷く。


「私はマリアンヌといいます、劇団『碧い星』の元女優です」

「女優……?」


 呆然としつつ、噛み締めるように言葉を繰り返すリカルドに対し、イーリアスはまだ動けないでいた。

 マリアンヌはエスティーナが庭師と姿を消したこと、ジークハルトがマリアンヌをエスティーナと間違えた話、その後雇われてエスティーナを演じてていたことを簡潔に説明した。そして最後に、自分が連れ去られたツィートン令嬢だと打ち明けた。


 あまりの情報量の多さに、しんと静かな空気が流れる。

 リカルドが額を押さえながら「……とりあえず、座ろうか」と声を絞り出す。

 座ってから離すつもりだったが、リカルドの潔い謝罪に流されすっかり座るタイミングを失っていた四人は、とりあえずテーブルについた。


 イーリアスは最後まで座るのを躊躇っていたが、リカルドに促されておずおずと椅子に腰掛けた。

 テーブルにはすっかり冷めてしまった紅茶が三つある。

新しく用意するというイーリアスの申し出を断り、マリアンヌは乾いた喉を紅茶で潤した。


 さて、ここからが本題だ。

 マリアンヌは首から下げたおくるみの切れ端をテーブルに置いた。


「イーリアスさん、申し訳ないけれど貴女のことはリリから聞いたわ。生まれたのは王都から丸一日馬車を走らせた村。生まれてすぐご両親を亡くし教会に預けられたけれど、十五年後教会が焼けて王都に出てきたのよね」

「はい、教会にいた時に親切にしてくれた人が、貴族の家でメイドとして雇ってくれるよう口利きをしてくださって、ターナ伯爵家で働き始めました」


 当初は掃除婦だったけれど、読み書きができ真面目な性格を買われ、侍女の仕事を覚えていったという。俯き身を小さくしているイーリアスの手にリカルドの手が重なるのを、マリアンヌは視界の端に捉えながら切り出した。


「ねえ、イーリアスさん。私の代わりにツィートン令嬢にならない?」

「はい?」


 言われた言葉の意味が分からないと、唖然とするイーリアスに、マリアンヌは悪戯な微笑みを浮かべる。


「ツィートン伯爵はもう積極的に娘を探してはいないわ。彼らにしてみれば、見つかることは喜ばしいけれど、それ以上に厄介でもあるの。親のいない平民の娘が二十五歳までどうやって暮らしてきたか、きっと周りは面白おかしく噂をするでしょうね。愛人、娼館、盗人、碌でもない話ばかりのはずよ」


 嫁のもらい手がないどころか、ツィートン伯爵家の醜聞ともなりえる娘だ。夫妻が複雑な気持ちで持て余すのは目に見えている。


「でも、あなたがツィートン令嬢だと名乗りをあげたなら、そんな噂は流れないわ。教会の前に捨てられたあなたはシスターに育てられた。教会が焼けた後はターナ伯爵家のメイドとして働き、その働きぶりが買われ侍女となる。そして、リカルド様に見染められた」


 親はいないが、経歴は明白だ。間違っても娼婦や、悪事に手を染めたとは思われないだろう。

 それどころか、生まれてすぐに攫われ平民として育った少女が、働いていた伯爵家の令息に見染められ運命の恋に落ちる。さらに、その少女が本当は貴族だったというストーリーは夢があり、同情と憧れを呼ぶだろう。


(なんて、観客受けしそうなストーリーなのかしら)


 我ながら完璧だとマリアンヌは思う。

 これなら、誰もイーリアスを貶めたりしないだろう。

 さらに、ツィートン伯爵家は港に船を持つ。商家のターナ伯爵家との結びつきはお互いメリットがあるので、双方の家も反対はしないはずだ。


「でも、私、嘘なんて……上手くやれる自信がありません」

「別に演じる必要なんてないわ。この布を持って、鎖骨下に書いたほくろを見せるだけよ。それだけで愛した男とずっと一緒にいられるの」


 マリアンヌはイーリアスの肩をポンと叩く。


「一緒にいたいんでしょ? だったら腹を括りなさい。与えられるのを待つだけの女に幸せは転がり込んでこないのよ」


 その笑顔は、舞台の上でスポットライトを浴びているかのように華やかだった。

 力強く、人の心を惹きつける。

 イーリアスが吸い込まれるように、マリアンヌを見つめた。

 そんなイーリアスにリカルドが声をかける。


「イーリアス、俺だってツィートン伯爵を騙すことに心苦しさは感じる。だが、引き受けてくれないだろうか。そうすれば、俺達は結婚できる。一生、一緒に暮らせるんだ」

「リカルド様、でも……」


 それでもまだ躊躇うイーリアスを後押しするように、マリアンヌが言葉を続ける。


「ツィートン伯爵が未だに私を探してくれていたら、こんな計画を持ちかけたりしないわ。でも、彼等の中で、私はもう死んでいるの」


 その言葉に、イーリアスが悲しそうに眉根を寄せ、首を振った。

 マリアンヌの心の痛みを察しての表情に、胸が温かくなる。


「死んだと思っていた娘がターナ伯爵家で働いていて、その嫡男と恋仲になっていたのであれば、ツィートン伯爵夫妻も喜ぶはずよ。少なくとも私が名乗り出るよりずっと彼らにとって都合がいいわ」


 マリアンヌには犯罪に手を染めた過去があり、恐喝する男もいる。正直にマリアンヌが娘と名乗り出たところで、喜んで受け入れてもらえる可能性は少ないだろう。

 イーリアスは長く逡巡したけれど、リカルドの熱意ある説得に背を押され、決意を決めたように頷いた。 


「リカルド様、本当に私でいいのですか?」

「あぁ、イーリアスがいい。俺の傍にずっといてくれ」


 ぽろぽろと涙をこぼすイーリアスの肩を、リカルドが優しく抱き寄せた。


(もし、エスティーナ様が失踪しなかったらどうなったかしら?)


 愛し合っている二人を見て、マリアンヌが想像する。

 エスティーナと結婚しても、二人の仲は続いたかもしれない。やがてそれはエスティーナの知るところとなり、彼女はとても傷つくだろう。


 さらに、イーリアスとの間に子供でもできたら、エスティーナはロニーと一緒に駆け落ちすれば良かったと悔やむに違いない。


(そういえば、エスティーナ様がそんなことを言っていたような)


 まるで未来を見たような不思議な言葉だったが、内容までははっきりと覚えていない。

 ま、気にする必要はないかと、マリアンヌは頭を切り替える。


(じゃ、次はトラバンス子爵家とターナ伯爵家についてね)


 婚約解消となっても事業提携が続くよう、話を纏める必要がある。

 しかしこれについてはマリアンヌが出る幕ではない。

 嫡男のジークハルトとリカルドに任せようと、マリアンヌは紅茶を持ち背もたれに身体を預けた。

 その様子を目の端でとらえながらジークハルトが切り出した。


「リカルド殿、我が家との婚約解消についてお願いしたいことがある」

「言ってくれ。なんでも呑もう」 

「婚約解消はリカルド殿から言ってもらいたい。その際、慰謝料の代わりとして、トラバンス子爵家との羊毛の取引をこれからも続けると約束して欲しい」


 貴族の結婚はややこしい。子爵家から婚約解消を打診できない上に、そもそもが家の繋がりを求めての婚約なのだ。

 しかし反対に言えば、ターナ伯爵家から婚約解消を伝えるのは可能だし、家の繋がりが保てるなら婚約解消も比較的スムーズに話が進む。


 問題はリカルドがどう父親を説得するかだが、リカルドの返事は早かった。


「分かった。父には俺から説明し、必ず説得する」


 何があっても婚約解消をするという意気込みが感じられる口調に、マリアンヌはホッと肩の力を抜く。


(これですべてがうまくいくわ)


 これからリカルドは、両親を説得してエスティーナとの婚約解消とイーリアスとの結婚を認めてもらわなくてはいけない。


 イーリアスは、一生、ツィートン伯爵令嬢を演じ続ける必要がある。


 エスティーナも、婚約が解消されトラバンス子爵家に実害が及ばなくなったとしても、ロニーとの仲が認められたわけではない。両親との話し合いは避けて通れないだろう。


 それぞれが、それぞれにやるべきことは沢山あった。


(そこは当人が頑張るところね) 


 手に入れたい物があれば、なりふり構わず頑張るしかない。

 マリアンヌもまた、そうやって生きてきたのだ。 


(私の書いたシナリオ通り行けば、すべてがハッピーエンドになる)


 そうなると、信じようと思う。見届けることはできないけれど。


「じゃ、そろそろ私は行くわ。お膳立てはしたからあとは貴方達で上手くやって」


 マリアンヌが腰を浮かした。それにつられるようにイーリアスが立ち上がる。


「マリアンヌさん、ありがとうございます。私、何てお礼を言っていいか」


 涙を浮かべ、マリアンヌに深く頭を下げる。

 その顔には決意が現れていた。


「気にしないで。私が貴族って柄じゃないだけだから」


 ひらひらと手を振りながら歩き出すと、ジークハルトも「馬車まで送る」といってついてきた。

 二人は、馬車までの短い道のりをゆっくりと歩く。

 語る言葉はここに来るまでにすべて口にしている。

 マリアンヌの顔は晴れ晴れしていた。


(これでいい)


 ジークハルトと一緒に生きる人生を考えなかったわけではない。

 伯爵令嬢となり、子爵婦人となって共に暮らす、そう考えるだけで胸は高鳴り歓喜が全身を巡った。


 でも、心の奥が冷静に呟く。それでいいのかと。

 二度と舞台に立てない人生。ライトを浴び、幾つもの人生を生き、拍手を浴びる。それは、マリアンヌを闇の底から引き上げてくれたかけがえのない場所でもある。


(ジークハルト様と一緒になれば幸せだと思う。でも、舞台に立てないことを後悔する日が必ずやってくる)


 それが嫌だった。ジークハルトを選んだことを後悔したくなかった。それなら、人生で最高の思い出として永遠に胸に刻んだほうがいい。

 だから、マリアンヌは舞台を選んだ。


 観客の歓声を受け充実した日々。 

 でも、きっと心にはポカリと空洞がある。

 空を見上げ、ジークハルトは今どうしているかな、幸せな家庭を作っているはずと想像するだろう。

 その時、胸はきっと切なく暖かくなるはずだ。


(私は、少し泣きそうな顔で笑っているだろうな)


 大好きだった人の幸せを遠くから願い、ジークハルトとの思い出でを胸に抱いて生きる。それがマリアンヌの選んだ生き方だった。


 ジークハルトと過ごしたかけがえのない一年。

 そして、一夜だけだとしても、そのぬくもりを近くに感じることができた。充分すぎる宝物だ。


「ジークハルト様、貴方と過ごした日々は私の宝物よ。ずっと、ずっとこの胸にしまって、そして時々思い出して私は幸せを反芻するの」

「マリアンヌ、俺は……」


 ジークハルトの言葉は、マリアンヌの唇で途切れた。

 そのぬくもり、柔らかさを忘れまいと二人は長く口づけを交わした。

 離れると、潤んだお互いの瞳に自分の姿だけが映っていた。


「ありがとう、ジークハルト」

「愛している、マリアンヌ」

「私もよ」


 マリアンヌは最高の笑顔を浮かべ馬車に乗り込む。それが二人の別れとなった。


ラスト一話。ハッピーエンドお約束です。 

★、ブクマ、いいね、ありがとうございます。


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