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マリアンヌの選択2

ニュアンスR15


 花祭りから一週間が経った頃、マリアアンヌはやっと決心した。


 長い長い一週間で、その間マリアンヌはじっと自分の心を見つめた。

 役の人生について考えたことはあるのに、自分自身の生き方を考えるのは初めてだったことに、それこそ自分らしいなと苦笑いが漏れる。


 その間、リリに頼んでイーリアスのことを調べてもらった。

 調べる、と言ってもリカルドの侍女の中にはリリと面識のある者もいたので、彼女から簡単に話を聞けた。


 そして、リリの報告が、マリアンヌの決意を後押しした。

 空気に初夏の気配が感じられるようになった夜、いつものように別邸でくつろぐジークハルトに、マリアンヌは晩酌を自分の部屋でしないかと声をかけた。


「いや、それは……」

「何か問題でも?」

「……誤解を招く」


 マリアンヌはその返答にクスクスと笑う。

 侍女がいるとはいえ、毎夜一人暮らし女性を訪れ今更である。

 躊躇うジークハルトを尻目にマリアンヌはさっさと席を立ち、扉を開けて振り返る。小首を傾げて見せれば、ジークハルトは暫く逡巡したものの結局は席を立った。


 マリアンヌに用意された部屋は二階で、初めて案内されて以来ジークハルトが足を運び入れることはなかった。


「さあ、どうぞ」


 深い意味はないとばかりのサラリとした口調に、ジークハルトは、自分の早とちりに苦笑いを浮かべ室内に入った。


 一年経ったにもかかわらず、その部屋はマリアンヌが来た頃と何も変わってはいない。少し小物や本が増えたが、その少なさにジークハルトが不安そうに眉根を寄せた。

 まるで、いつ出て行っても良いように整えられた部屋だった。


「もっと贈物をすればよかったな」

「あら、充分にいただいたわ。部屋に物が増えていないのを気にしているのなら、それは私が平民だからよ。貴族女性のようにドレスや宝石を必要としないし、お茶を飲むカップはお気に入りがひとつあれば充分なの」


 マリアンヌは話ながらお茶を淹れる。

 マリーゴールドの絵が描かれたそれは、マリアンヌが街で購入したものだ。

 殆ど外出しなかったとはいえ、たまに街へ出かける日もあった。

 その祭に、本や食器、お菓子や紅茶などと買って帰り、リリやジークハルトにプレゼントした。


「そのカップを、二つ買ってくれたのが嬉しかった」


 思い出すような口調でジークハルトが話す。マリアンヌは手元のカップを見ながら、購入した時のことを思い出していた。


 自然とジークハルトと飲むことを想像し、当然のように二つ購入したカップ。

これを買ったと見せた時に、やたらジークハルトが喜んでくれた理由を今知った。


(可愛い人)


 女性に不自由しなさそうな顔をしているのに、マリアンヌの言動ひとつひとつに心を動かしてくれる。

 マリアンヌが微笑み返せば、それの何倍も嬉しそうな顔が返ってくるのだ。

 こんなにも胸が満ちたり経験はいままでになかった。


 だからこそ、少しの所作からも自分の気持ちが漏れないようにマリアンヌは気を引き締める。

 マリアンヌの演技は完璧で、その平静の中に刹那の気持ちを抱えているなど微塵も感じさせないものだった。


 二人並んでソファに座り、紅茶を口にする。

 開けた窓から涼しい夜風が入ってきて、白いレースのカーテンがふわりと揺れた。そのたびに三日月の下の尖りがチラリと見える。


「もうすぐ夏ね」

「そうだな。マリアンヌは暑いのが苦手か?」

「どちらかと言えば、寒い方が苦手かしら。別邸に沢山の薪を用意してくれたから、去年の冬は暖かく過ごせたわ」

「それは良かった。では今年はひざ掛けも新調しよう。もしくは、絨毯を毛並みの良い物に替えてもいいな」


 ジークハルトの口調は明るいのに、どこか緊張感をにおわせる。

 不安なのだろう、とマリアンヌは思う。そう分かっていながら、マリアンヌは何も言わずに微笑した。

 二人はいつものようにたわいもない会話をしながら、杯を空けていった。


 あえていうなら、マリアンヌの飲むペースがいつもより少し早い。

でも、それはささやかなもので、ジークハルトに気づいた様子はなかった。

 マリアンヌの右腕には、花祭りの日からずっとブレスレットが輝いている。

ジークハルトが月の光で淡く輝く金色に目を細めた。


「どうしたの?」

「そのブレスレットをずっとつけてくれているのが嬉しいんだ。まるでマリアンヌが俺のものになったような気がする。傲慢で執着心が強すぎるのは自覚している。でも、友人が婚約者にせっせと贈り物を贈る気持ちが分かった。自分の瞳の色のドレスなどその際たる品だろう」


 ジークハルトはもう、自分の気持ちを隠そうとしない。

 まっすぐに思いをぶつけてくる。

 その想いを受け、マリアンヌの心は歓喜に震え、そして苦しくなるのだ。


 空になったジークハルトのグラスに酒を注ぎながら、マリアンヌは自分の心を落ち着かせる。

 今宵は自分に人生にとって最高の日になるのだと想像すると、自然と口元が弧を描いた。

 その様子に、ジークハルトが目ざとく気が付いた。


「何かいい事があったのか?」


 その問いにマリアンヌは青い瞳をパチリとすると、次いで困ったように笑う。

 少々、気持ちが漏れすぎていたようだ。


「ねぇ、ジークハルト様、聞いて欲しい計画があるの。エスティーナ様がロニーと一緒に暮らせ、トラバンス子爵家が不利益を被らない方法を思いついたの」


 まるでとっておきの秘密を教えるように、マリアンヌは瞳を輝かせる。

ジークハルトに、マリアンヌの胸の内なんて分からない。でも、その言葉に少し頬を固くした。


「その計画に俺達のことは入っていないのか?」


 ジークハルトの問いに、そこでやっとマリアンヌは眉を下げ泣きそうな笑みを浮かべた。最後まで笑っているつもりだったけれど、限界だった。


「私は貴族として生きられない。ごめんなさい。だからせめて、他の人が幸せになる方法を考えたの。聞いてくれる?」

「……もう決めたことなんだな」

「ええ、ごめんなさい」


 マリアンヌはゆっくり息を吸うと、その計画を話し始めた。確かにそれは多くの人を幸せにする計画で、舞台のシナリオのような物語でもあった。

 だから、ジークハルトは反対することができなかった。


 マリアンヌが、トラバンス子爵家やエスティーナについて、どれだけ心を砕いたか分かる計画だった。

そして、悩んだ末の決意であることが、痛いほど伝わってきた。


――その夜、ジークハルトがマリアンヌの部屋から出ることはなかった。



 ベッドにマリアンヌの身体を沈めると、ジークハルトは熱の籠った視線でマリアンヌを見つめる。

 髪に、額に、頬に、耳たぶにと順に口づけを落としていった。


 その唇の熱さに、マリアンヌの心が蕩けていく。怖さはなかった。ただただ、自分に触れる手が愛おしくてたまらない。

 マリアンヌの唇にジークハルトが触れると、身体まで蕩けそうになってしまう。


「マリアンヌ。愛している」

「私もよ」


 ジークハルトの大きな手を取り、そこに頬擦りをする。剣を握る手は硬く分厚い。


「この手で私に触れて。くまなく、すべて。私の心も体も貴方で満たして欲しい」

「可愛いマリアンヌ。そんなに俺を煽がないでくれ。この夜をゆっくりと胸に刻みたいんだ」


 再び落とされた口づけは、さっきよりもずっと熱く深いものだった。

 マリアンヌはジークハルトの太い首に腕を回す。

 うっすらと開けた目に輝く月が映った。

 こんな幸せな夜が自分に降り注ぐとは思っていなかった。

 じわりと滲む涙がこぼれないように瞬きをして、ジークハルトの肌に顔を埋める。

 そのぬくもりも、香りも、重み、何もかも一生忘れないと心に誓った。




 次の日の朝、マリアンヌは窓から差し込む光で目覚めた。身体がだるく重い。

 うーん、と気怠く寝返りを打ち横を向くと紫色の瞳と目が合った。

 なんだか気恥ずかしくて目線を逸らせようとしたところで、ハッと気づく。


「ジークハルト様、もしかして寝ていないの?」

「ああ、ずっとマリアンヌを見ていた」


 マリアンヌは二度その青い瞳をパチリとすると、見る見る顔を赤らめた。


「なっ、どうして。私、きっと間抜けな顔をしてたでしょう?」


 涎は垂らしていなかったかと、口元をこっそりと拭く。そんな仕草も可愛いとジークハルトは目を細めた。


「瞬きすら惜しかった。今この瞬間すべてを目に焼き付けたい」

「すべて……」 


 ニヤリと笑われては、マリアンヌもう堪らないとばかりに枕に顔を埋める。

 あの初心なジークハルトは何処へ行った? と地団駄を踏みたくなった。

 ジークハルトはそんなマリアンヌをふわりと包むと、額に口づけを落とす。


「ジークハルト様、私、今が人生最高に幸せな時よ」


 そう言うと広い背に腕を回す。気が緩むと涙が出そうで逞しい胸に顔を押し付けた。ジークハルトもその腕に力を込める。


 二度と戻らない、かけがえのない瞬間をマリアンヌは心に刻みつける。

 この思い出があれば、これから先何があっても生きていけると思った。そのために、昨晩ジークハルトを部屋に誘ったのだ。


 それでいて、壁の時計が時を刻むのが恨めしい。

 少しずつ明るさを増していく部屋が、嫌でも時の流れを伝えてくる。


「時が止まればいいのに」

「奇遇だな。俺も同じことを思った」


 紫色の瞳が泣きそうにぐしゃりと歪む。だから、マリアンヌはそっとジークハルトの頬に手を当て、口付けをした。

 二人は甘く悲しい思いに包まれながら、時計の針の進む音に耳を傾ける。

お互いのぬくもりを忘れないようにそっと身を寄せ、幸せをその音と一緒に身体に刻んでいった。


ラスト二話です。

いつもと違う物語にしたくて作ったお話。

是非、あと二日、お付き合いください。


★、ブクマ、いいねありがとうございます。

とても励まされました。

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