思わぬ事実
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すべて話し終えたマリアンヌはふぅ、と息を吐いた。
目の前を通る人達は、花祭りを堪能し楽しそうな笑みを浮かべている。二人は通りに置かれたベンチに座り、暫く見るとはなくその姿をぼんやり眺めていた。
始めに口を開いたのはジークハルトだった。
「苦労したんだな」
「したかも知れないけれど、私がそれを口にすべきじゃない」
親切で心優しい人を何人も欺いてきた。口が裂けても「大変だった、辛かった」なんて言えない。
「師匠に出会えなければ、私は太陽の下とは無縁の生活をしていた。暗闇の中、ドブをつま先で探りながら歩くような、何度も躓き泥水を頭から被るような人生だったと思う」
空を見上げると、薄藍色を背景に小さな星が出ている。それを綺麗だと思える心があることにマリアンヌは感謝した。あの頃は、夜空を見上げることもなかったし、何かに感動することもなかった。
感情が壊死したように何も胸に響かない。
喜びもなければ悲しみも罪悪感もない。
ただ、獲物を見つけくすねるだけの日々。
それが師匠と出会い、劇団『碧い星』に入って変わった。初めて人前でスポットライトを浴びた時の震えるような衝動は一日だって忘れたことはない。
「色んな役を演じることで、私に再び感情が戻ってきたわ。楽しかったり、嬉しかったり、辛かったり、寂しかったり」
それはリハビリのようでもあった。師匠はマリアンヌに役が与えられるとその人物の人生を想像するよう言った。たとえ一言しかない役でも、好きなもの、嫌いなこと、何に喜び、何に悲しむかを考えろと何度も説いたのだった。
感情が消えたマリアンヌの心は、役の人生を想像することで少しずつ蘇ってきた。そして、演じることでその感情が心に根付いた。
そうやってマリアンヌは一歩づつ感情を取り戻し、それと同時に才能を開花させた。
「皮肉なことに、役を演じるのに一番役立ったのはスリで身につけた観察眼だったわ。街に出て演じる役に近い人を観察し、それを真似る。目線、姿勢、声の調子、しぐさ、見るところはスリをしていた時と変わらない」
「でも、使い方は違う。その観察眼で得たことで大勢の人の心を揺さぶる演技をしてきた」
「そうね。でも、それで私の罪が消えるわけではない。ジークハルト様、エスティーナ様は見つかったわ。少し早いけれど、契約は解消しましょう」
これ以上一緒にいるとジークハルトに迷惑がかかる。
ここで道を違えるのが一番よい。もともと交わらぬ道なのだ。
「お金も充分貯まったし、私は異国に行くわ。これ以上一緒にいたらあいつはエスティーナ様の失踪に気づくかもしれない。そうしたら貴方達まで揺すりの対象になってしまう」
マリアンヌはふわりと笑う。しかし、その瞳には固い決意が浮かんでいた。ジークハルトは眉を顰め、辛そうにマリアンヌを見つめる。
「俺は嫌だ。離れたくないと思っているのは俺だけか?」
マリアンヌの手にジークハルトの手が重ねられる。その手の熱さに心が揺れるも、頷くわけにはいかない。
「私は捨て子よ。ゴミのように親に見捨てられ犯罪に手を染めた女。貴方に相応しくないわ」
「親に繋がる物は何も持っていないのか?」
親、と言われてもマリアンヌはピンとこない。
でも、ずっと首から下げている物はある。それを胸元から引っ張り出しジークハルトに見せた。
「この袋の中に、私を包んでいたおくるみの切れ端が入っている。何かの模様が刺繍されていたけれど、今は殆ど見えないわ」
マリアンヌは巾着状になった包みを解き、小さく折り畳んだ生地を取り出す。
黄ばんだそれを指先で丁寧に広げると、そこには、同色の刺繍糸で模様が描かれていた。
「幼い頃はおくるみを布団にしていたわ。必要な物すら碌に用意してくれない場所だったからね。大きくなってからは、それを切って服の継ぎはぎにしたり、ハンカチ変わりに使っていた。でも、たった一つあった刺繍は何故か使えなくて、取っておいたの」
ジークハルトが手を出してきたので、マリアンヌはそれを手のひらに置いてやる。小さな生地がさらに小さく見えた。
目を細めじっと見ていたジークハルトは、徐に立ち上がると街灯の下に歩みより、ほのかな灯りの下でさらに念入りに見始める。その様子にどうしたのかと、マリアンヌも立ち上がりジークハルトへ向かった。
生地を外套に透かすように持ち上げていたジークハルトは、暫くして顰めていた眉根を開き、紫色の目を大きく見開く。
そうして、手にしていた生地をマリアンヌの前に突き出した。
「マリアンヌ、これはツィートン伯爵家の紋章だ!」
「ツィートン伯爵家?」
興奮気味のジークハルトに対し、マリアンヌはことりと首を傾げる。貴族の名前など平民にとって本来無縁だ。
エスティーナのふりをするにあたって、関りのある貴族の名前と家族構成は頭に入れたけれど、その中にツィートン伯爵家の名前はなかった。
ジークハルトはマリアンヌの大きな瞳をじっと覗き込んできた。
その瞳は、平民にしては綺麗な透き通った青色をしている。
「ツィートン伯爵夫人の瞳も、青色だったはずだ」
「ジークハルト様、いったい何の話をしているの?」
怪訝に眉根を寄せるマリアンヌの肩を、ジークハルトがガシリと摑んだ。
「俺が昔、誘拐されたことは話ただろう? その数年前から、貴族の子供を攫い売り飛ばしたり、身代金を要求する犯罪が横行していたと聞く。ツィートン伯爵夫妻も生まれて間もない娘を誘拐され、当時大がかりな捜査が起こなわれたらしい」
「……まさか、だけど、その娘が、……私?」
マリアンヌは青い瞳を見開き、ジークハルトの手にあるボロ切れを見る。薄汚れ黄ばんでいるけれど、元は白かったと聞く。紋章と言われれば、確かにそう見えなくもない。
ジークハルトにとっても誘拐は無関係な話ではない。
だが、当時を思い出させたくなかったのか、両親はジークハルトに詳細を語ろうとしなかった。
「学生時代、誘拐について調べようと思い、図書館に通っていたんだ。俺を誘拐した人物は捕まったが、他にも誘拐犯はいると聞いていた。組織として暗躍していたのも一つや二つではない」
ジークハルトの調べによると、当初の誘拐犯は主に赤子を盗み、養子を欲しがっている人間に売っていたらしい。
しかし、生まれたばかりの赤子は弱く、中にはミルクも上手に飲めない者もいる。泣くし漏らすしほっとけば直ぐに死ぬので、次第にターゲットを二、三歳ほどの子供に変える組織が出てきた。
最も犯罪が横行していた時期は五年ほどで、ジークハルトが誘拐され見つかった頃から下火になっていったらしい。
殆ど家から出ない貴族の赤子を盗む方法は限られていて、その家の使用人を金で懐柔するのが主な手口だった。
そのため、乳母を雇わず母親や肉親が赤子の世話をするようになった。同時に街を警邏する騎士の数を倍増したことが要因だとされている。
「マリアンヌが誘拐されたは時期は、ちょうど赤子ばかりが盗まれていた頃と一致する。どういう経緯があったか分からないが、奴らはマリアンヌをゴミ捨て場に置いたんだ」
興奮しているのだろう、ジークハルトの口調が早い。
マリアンヌも、握り締めた手が汗ばんでいた。
「拾われた時、私は殆ど仮死状態だったらしいわ。パン屋の夫婦には産まれて数ヶ月の赤ちゃんがいて、母乳が出たの。それを私に飲ませ温めてくれたそうよ。でも、育てることはできないからと、教会に預けたと聞いているわ」
「だとしたら、死んだと思って置き去りにしたのかも知れないな」
捨てた、と言う言葉を口にしないところにジークハルトの優しさを感じた。
物心ついた時からその言葉はマリアンヌと一緒にあって、いつも暗い影を落としていた。
「お前は捨てられた」「いらない子供だった」「拾って育ててやってるんだから感謝しろ」そう言われ、怒られ、殴られ、惨めな気持ちで生きてきた。
看板女優となってもふとした瞬間に思い出し、胸を重苦しくした言葉だった。
「私は捨てられたんじゃないんだ」
貴族であるかどうかより、まずそう思った。
生まれてきたことを疎まれ、必要ないとゴミのように捨てられたと思っていた。
でも、そうではない。きちんと望まれ祝福を受けこの世に生を受けたのだ。
知らず涙が頬を伝う。すぅっと流れたそれはマリアンヌの顎を伝い地面にぽたりと落ちた。
一粒溢れたと思うと、あとはどうしようもなく溢れてくる。
「私は生まれてきて良かったんだ」
どれだけ心を強くしても、違う人物を演じても、溢れんばかりの拍手を浴びても、捨てられたことはずっとマリアンヌの心に影を落としていた。
決して取れない染みのようにべったりと、胸に張り付いていたのだ。
「ああ、マリアンヌの誕生を大勢の人が祝福したんだ」
そうか、と思う。
存在していいと、許された気がした。
ジークハルトの腕が伸び、マリアンヌを抱きしめる。大きな手がそっと頭を撫でた。
二人を通りすがりの人が見るが、ジークハルトはそれを気にすることはない。
小さな街灯がまるでスポットライトのように二人の頭上で淡い光りを落としていた。
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虐げもざまぁも、ループも魔法すらない話です。ランキング上位に行くにはこの辺りの需要にお応えすべき!と思いつつ、そういうの関係なく書きたい!と思う時もありまして。満足度が高い作品を目指していきますので是非最後でお付き合いください。
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