花祭り2
マリアンヌとジークハルトは再び街を歩き始めた。
しかし、ジークハルトはうわの空でどこかぼんやりとしている。エスティーナをやっと見つけたと思ったのに、連れて帰ることができなかったのだから仕方ないと、マリアンヌは薄く息を吐く。
(さて、どうしよう)
このまま帰っても構わないのだが、マリアンヌから言い出したらジークハルトが気を遣うだろう。
それに、気落ちしているジークハルトを元気づけたいとも思う。
「ジークハルト様、お腹すかない? 何か買ってくるからそこのベンチで待ってて」
努めて明るい声を出し、側のベンチを指差すと、ジークハルトは「俺も一緒に行く」と首を振った。
「いいから、いいから。座っていて、すぐに戻って来るわ」
マリアンヌはやや強引にジークハルトをベンチに座らせると、ひらひらと手を振って人ごみへと向かう。
さて、何を買おうかと周りを見渡した。
サンドイッチやホットドッグ、串焼きやポテトと種類も多く、エールまである。
あちこちから良い匂いが漂ってきて、ついつい目移りしてしまう。
(エールは最後にして、とりあえずサンドイッチと、串焼きを買おうかしら)
たれがしっかり絡んだ串焼きは、いかにもジークハルトが好きそうだ。
人混みを歩く足取りは慣れたもので、すっすっと人の間を縫うように進んでいく。
エスティーナの知り合いに会ってもすぐに分からないようにと、今日は貴族らしくない服装を選んだ。
着ているのは綿のワンピースで、胸元には安っぽいボタンが三つ並んでいる。
髪は無造作に下ろし、少し目元がきつく見えるようなメイクをした。靴はマリアンヌが普段から履いているものだ。
平民服姿のエスティーナを知っているロニーや老店主は、マリアンヌをエスティーナと間違えたが、貴族のエスティーナしか知らない人ならすれ違っても気づかないだろ。
だからマリアンヌはすっかり安心していた。
「マリー……」
そのせいで、普段なら決して振り返ることのない名前で呼ばれたのに、うっかり声のする方を見てしまった。
視線の先にいたのは、くたびれた服に身を包んだ無精ひげの男。
その男の左頬にある古傷が目に入った瞬間、マリアンヌの顔色がさっと変わる。
なぜ安易に振り返ったのかと後悔するも、男はにやけた笑いを口に乗せながら近づいてきた。
「マリー? やっぱりマリーだよな」
「違います」
「嘘つけ。えーと、十二年ぶりになるか。まさか昔の知り合いに会えるとはな」
その嘘くさい口ぶりから、ずっと自分を着けてきたのだろうとマリアンヌは察する。三文役者より酷い芝居に、内心で舌を打った。
男の鳶色の瞳は、獲物を捕らえたようにマリアンヌを捕らえて離さない。蛇のような冷たくねっとりした視線に、マリアンヌはぐっと奥歯を噛みしめた。
「人違いです」
それでもシラを切ろうと顔を逸らし、立ち去ろうとした瞬間、男の腕が伸びてきてマリアンヌのワンピースの胸ぐらを掴んだ。
そして力を入れたかと思うと、薄い生地が引っ張られボタンが二つ弾け飛んだ。
マリアンヌの白い胸元が露わになり。鎖骨が露わになる。
「そのほくろ、やっぱりマリアンヌに間違いない。ところでさっき隣にいた男は誰なんだ?」
マリアンヌは慌て胸の生地を引き寄せ、胸元を隠すとしれっと首を傾げた。
「誰のこと?」
とぼけてやり過ごそうとしたが、男は細い腕を掴み無精ひげの汚れた顔を近づけてくる。
「さっき金細工の店にいただろう? 男の怒鳴り声がしたからどうしたのかと思って見たら、隣にお前がいたからびっくりした。平民にしては珍しいその青い目ですぐに分かったよ。隣にいた貴族は恋人か? それとも愛人でもやっているのか?」
男の視線がマリアンヌの手首にある金のブレスレットの上で止まる。こんな男に見られたくないと、左手でそれを隠したが、そんなことしても今更だ。
「やっぱり私のあとを着けていたのね」
「裏路地までは行ってねぇよ。見つかると行けないから離れた場所から様子を窺っていた。なんだか揉めてたようだが、どうしたんだ? いつでも相談にのるぞ」
「あんたに相談することなんてない」
男を睨みながら、話は聞かれていないようだとほっとする。マリアンヌであることは知られてしまったが、エスティーナの代わりをしていると気づかれなかったのは救いだ。
「つれないな。お前と俺の中だろう。久しぶりに話がしたくて、お前が一人になるのを待っていたんだ。お前だって、お貴族様の前で名前を呼ばれたら困るだろう?」
にやりと笑った口から見えるヤニだらけの歯に、マリアンヌが盛大に顔を顰める。できる事なら殴ってやりたい。
(ジークハルト様のことは気づかれないようにしなきゃ。トラバンス子爵家まで恐喝の対象となってしまう)
そう思うと、ここで逃げ出すのは得策とは思えない。追ってこられ、付き纏わられた結果、今の居場所を知られてしまうかもしれない。
「それよりここは往来の邪魔だ。人のいない場所に行こうか」
男はそう言うとマリアンヌの肩を抱くようにして、離れた木の下まで連れていった。
人が少なくなったところで、マリアンヌは男の手を振り払う。触れられた部分が酷く穢れた気持ちになった。
「……で、何の用なの」
「へへ、そんな顔すんなって。俺もあれから色々あってさ。十二年近く冷え飯食って出てきたら、昔の仲間は散り散りになってどこにいるかも分かりはしない。祭りに来れば誰かに会えるだろうと思っていたらマリーが現れた。いや、本当、懐かしい。こういうのを運命って言うんだろうな」
「それで、目的は?」
硬質な声でマリアンヌが告げる。
聞かなくても分かっているが、このままじゃ埒が明かない。それに、早く話を終わらせ戻らないとジークハルトが探しに来るかもしれない。
「いや、別に大したことじゃない。ちょっと金を貸して欲しいだけだ。貴族の愛人やってるぐらいだから多少は持っているんだろう? お前の過去を話さない口の堅い昔の恩人に少しぐらい金貨を渡してもいいと思わないか?」
「何が恩人だ。あんたなんか……」
そこまで言いかけた時、男の背後に大きな人影が見えた。ジークハルトだ。
男を押しのけるようにして二人の間に入ると、マリアンヌを背に庇い立つ。
「知り合いか?」
怒気を含むジークハルトの声が、腹に響く。
答えられないでいるマリアンヌに対して、男はニタニタと汚い笑みを浮かべると、ジークハルトにほの暗い目を向けた。
「そうか、今はマリアンヌって言うのか。ま、とりあえず今日はこれで帰るよ。じゃ、またな、マリアンヌ」
男は黒ずんだ手を頭の上でひと振りしたあと、ポケットにつっこみ、猫背気味の背中で立ち去っていった。
昔と変わらないその姿に、マリアンヌは吐き気がこみ上げてくる。
「大丈夫か、マリアンヌ」
「ええ。ありがとう」
よっぽど険しい顔をしていたのだろう。ジークハルトが心配そうに眉を下げる。
その顔を見ながら、マリアンヌは潮時だな、と考えた。あいつがこれで引き下がるとは思えない。
マリアンヌがトラバンス子爵家にいる本当の理由がばれる前に姿を消さなければ。
「タチの悪そうな奴に見えたが、どんな知り合いか聞いてもいいか?」
「ええ、少し長くなるけれど聞いてくれる?」
話せばもうトラバンス子爵家にはいれない。でも、エスティーナも見つかったのだ。そろそろこの劇に幕を下ろしてもいいはず。
「もちろん、時間はたっぷりある。ただ、その前に腹ごしらえだ」
「……うん」
これが一緒に食べる最後の食事になるかも、とマリアンヌは覚悟を決めながら頷いた。
いつもより投稿遅くなりました。
次回、マリアンヌの過去です。彼女が舞台にこだわる理由を書いております。
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