花祭り1
マリアンヌがジークハルトの前で泣いた日から、二人の距離はさらに縮まっていった。
パチパチと暖炉の薪が爆ぜる音を聞きながら、床に置いたクッションに二人でもたれかかり、琥珀色の液体が入ったグラスを口に運ぶ。マリアンヌを見つめるジークハルトの瞳に熱が籠って見えるのは、揺らぐ暖炉の炎のせいではない。
その熱がマリアンヌの心を喜ばせ、また苦しめる。
距離が近づいたところで、身分差は変わらないと分かっていても、自然と笑みがこぼれてしまう。だから、ジークハルトが帰ったあと、マリアンヌはいつもそんな自分の気持ちを持て余していた。
降り積もる雪のように、マリアンヌの心にジークハルトとの時間が積み重なる。
それは雪が解ける季節がきても、心に根付いたままだった。
花の蕾が膨らみ始め、暖かな風が茶色い髪をふわりと揺らす。
庭の花壇で部屋に飾る花を選んでいたマリアンヌは、鳥の囀りに顔を上げた。
「あと三ヶ月……」
エスティーナはまだ見つからない。
平民の生活にすぐ根を上げると思っていた子爵夫妻は、娘の思いの強さを今更ではあるが知り、頭を悩ませ心配していた。
(このまま見つからない方が幸せなのかな)
そんなことを考えながら鋏を握っていたマリアンヌは、突然名前を呼ばれ危うく手を切りそうになった。声の主も予想以上の反応に驚いたようで、慌てて駆け寄ってくる。
「すまない、驚かせるつもりはなかったのだが。怪我はしていないか?」
「ええ、大丈夫よ。ところで今日はどうしたの?」
ジークハルトが昼間にくるのは珍しい。
それに騎士服ではなく、紺色のジャケットにトラウザーという軽装姿だ。
はて、とマリアンヌが首を傾げたところで、ジークハルトが今日は休みだと告げる。
「マリアンヌ、今日の予定は? 用がないなら少し出かけないか?」
「私に用事なんてないわ。どこに行くの?」
「今日は花祭りだ。トラバンス家にきてから殆ど外出していないだろう、たまには息抜きも必要だ」
そう言うとジークハルトは振り返り指差す。その先を辿れば別邸の前に馬車が控えていた。
用意万端と言わんばかりのジークハルトの顔に、マリアンヌは小さく笑いをこぼすと「準備するから少し待っていて」と邸の中に駆けこんでいった。
トラバンス子爵家からさらに王都の中心へと馬車を進めるにつれ、人が増え賑やかになってくる。
お城の近くにある広場には沢山の種類の花が咲き誇っており、そこが花祭りのメイン会場となっていた。
通りの両端には露店が軒を連ね、前を通り過ぎる人の足を止めようと、店主が声を張り上げている。
二人は広場の少し手前で馬車を停め、その人の流れに加わることにした。
食べ物を売っている店が一番多く、他にもおもちゃや雑貨、食器、古本を扱っている店まである。的当ての前では、子供がぬいぐるみをもらい喜んでいた。
気になる店を覗きながら広場へと向かっていると、ふとマリアンヌが足を止めた。「あら素敵」
青い幕を張った簡易テントのような店のテーブルには、金細工がずらりと並んでいた。
ネックレス、ブローチ、男性用としてはクラバットの留め具がある。
どれも繊細な彫物がされていて、腕のよい職人のようだ。
その中から、マリアンヌは金のブレスレットを手に取った。露店に出しておくのは勿体無いほどのできに、思わずほぉとため息が出る。
諸々の事情により、少々目利きができるマリアンヌは、これは高価だろうと値札を見てそっとブレスレットを元に戻そうとする。
それに気が付いたジークハルトが、すっとブレスレットを取った。
「これが気に入ったのか?」
「そうね。このブレスレット、繊細な透かし彫りが綺麗じゃない?」
二センチ幅のブレスレットには、まるでレースのような模様が刻まれている。留め具もしっかりとしていて、簡単に壊れそうにない。
「このブレスレットは店主が作ったのか?」
テーブルの向こうで作業をしている白髪頭の老店主に聞けば、下を向いたままでぶっきらぼうに答える。
「ああ、ここにあるのはすべて儂が彫ったものだ。それにしても、王都は賑やかだな」
「店主はこの辺りに住んではいないの?」
マリアンヌが声をかけても、老店主は顔を上げない。職人気質のようでこれでは商売に向かないだろうと、内心苦笑する。
「そうだ。山の向こうに工房があってそこに住んでいる。弟子から花祭りを聞いて見物がてら来てみたが、こう人が多いと歩くのもままならない」
はぁ、とため息を吐く店主は商売っ気がない。弟子は一緒じゃないのかと聞けば、食べ物を買いに出かけていると言う。
店番をさせている弟子がいない間だけ、店先に出てきているようだ。
マリアンヌが先を促すと、ジークハルトは財布を手にしながらブレスレットを店主の前に出した。
「これをもらいたい」
「銀貨五枚」
愛想のない声にも嫌な顔をせず、ジークハルトは老店主にお金を差し出す。
それに慌てたのはマリアンヌだ。ねだったつもりはないのに、買ってもらうわけにはいかない。
「ジークハルト様、自分で買うわ」
「もう金は払った。気後れするような値段じゃないんだから受け取ってくれ」
そう言うと、ジークハルトはマリアンヌの右腕にブレスレットをつけた。白い肌に金細工が映えている。
「よく似合っている」
「ありがとう」
嬉しそうに笑われては、もう断れない。素直に受け取り、それを日に翳す。きらきらとした輝きに、自然と頬が緩んでしまう。
貴族にとって高い品ではないと分かっているが、胸が高鳴った。
礼を言って立ち去ろうとすると、そこでやっと店主が顔を上げる。
「エスティーナ?」
「えっ?」
灰色の瞳を丸くしてマリアンヌを見上げると、店主はわけが分からないと言わんばかりの顔で、ジークハルトとマリアンヌ交互に視線を向ける。
「エスティーナ、ロニーと一緒に昼食を買いに行ったんじゃなかったのか? それにその服はどうした? 顔を見られたくないからと帽子を深く被っていたのに、風に飛ばされたのか?」
矢継ぎ早の質問の意図が分からない。
しかし、老店主はエスティーナとロニーを知っているようだ。
「店主、この顔の女性を知っているのか?」
「知っているって、エスティーナだろう?」
ジークハルトとマリアンヌは顔を見合わせる。まさか、こんなところで駆け落ちした二人の手がかりが掴めるとは思っていなかった。
「あの、その二人は今どこにいるのですか?」
マリアンヌが身を乗り出し聞いた時だ。
「親方、食事を買ってきたから店番を変わるよ」
背後の人混みから声が聞こえ振り返ると、茶色い髪の男性がひょいと姿を現した。手には紙袋を持っていて、それを頭上に抱えている。
その姿を見るやいなやジークハルトが駆け出し、茶髪の男性の胸ぐらを掴んだ。
「ロニー! お前こんなところにいたのか! エスティーナは今どこにいる!!」
「じ、ジークハルト様。どうしてここに? 隣にいるのはエスティーナ? いや、似ているが違う」
ジークハルトに胸ぐらを掴まれつま先立ちになりながら、ロニーはマリアンヌを見て目を見開いた。
だけどすぐにエスティーナではないと気づいたようで、訝し気に眉を顰める。
「おい、お前、俺の弟子に何をする!」
老店主がテーブルの向こうから出てきてジークハルトの腕にしがみつく。
そこでやっとジークハルトは周りの人の注目を集めているのに気づき、ロニーから手を離した。
「親方、こちらは以前の雇い主です。話がありますので、これを食べてもう少し店番をお願いします」
「……お前がそう言うならいいが。ところでエスティーナは一緒じゃないのか?」
「飲み物を買っているので、すぐに戻ってくると思います。あそこの建物の影にいるので、帰ってきたら来るように伝えてください」
ロニーの言葉に納得したのか、老店主は紙袋を受け取るとテーブルの向こうへ戻って行った。
ロニーの顔は青いままだが、覚悟を決めたようにジークハルトを見上げると「場所を変えてもいいですか」と問いかけた。
ジークハルトが目で了承を示すと、ロニーは先に立って歩き出す。
すぐそこにあるレンガ造りの建物の脇まで来るとロニーは足を止め、振り返るや否や深々と頭を下げた。
「ジークハルト様、申し訳ございません」
膝と両手を地面につき、額は石畳に着くまで低く下げられている。
暫くジークハルトはその旋毛を見つめたまま動かなかったが、ロニーの肩が震えているのに気づき、深いため息を落とした。
「……エスティーナと一緒だな?」
「はい。二人で小さな家を借り一緒に住んでいます」
声も震えている。
マリアンはジークハルトが今にもロニーに殴りかかるのではないかと肝を冷やす。
貴族令嬢と駆け落ちした平民なんて、殺されても文句は言えない。
「ジークハルト様、お怒りはもっともだけど、ここはまずエスティーナ様の居場所を聞くべきではない?」
緊迫する空気に耐え兼ねマリアンが口を挟めば、ジークハルトはロニーに立つよう命じた。
ロニーがゆるゆると背を伸ばそうとした時だ、その背後から駆け寄ってくる女性の姿が見えた。
「ロニー、大丈夫? お兄様、お止めください。悪いのはすべて私なんです」
ふたりの間に立ちはだかり、ロニーを背に庇った女性にマリアンヌは思わず息を飲んだ。
自分とそっくりの姿は名前を聞くまでもない、エスティーナだ。
「エスティーナ、随分探したんだぞ。母上はお前のことを心配するあまり倒れた。皆がお前の帰りを待っている」
「申し訳ありません。……でも、私、トラバンス子爵家に帰るつもりはありません」
まっすぐに見上げるその瞳は、話に聞いていたような内気な女性には見えない。ジークハルトも同じように感じたらしく、次の句が出ないでいた。
「トラバンス子爵家に帰ってリカルド様と結婚したとしても、私は幸せになれません」
「どうしてそんなことが分かる。彼は伯爵家嫡男で、結婚すれば子爵家より裕福な生活が待っている」
「お金があっても、冷えた夫婦関係に何の意味があるのですか? 彼には私以外に好きな人がいて、その関係は私が結婚してからも続くのです。あげく、子供まで身籠って。それで、耐えきれなくなった私は馬車に乗ってトラバンス子爵家に帰ろうとしたところを事故に……」
「ちょっと待て、いったい何の話をしているんだ。 子供だと? リカルド殿に隠し子がいるのか? それに事故って」
エスティーナ以外の全員が呆気にとられ、彼女をぽかんと眺めた。
その視線を受けたエスティーナは、小さく頭を振って「言っても信じてもらえないわね」と呟く。
「エスティーナ、すまないが俺も何を言っているのか意味が分からない」
「いいの、ロニーは分からなくても。お兄様も今の発言は忘れて。それから……」
とそこでやっとエスティーナはマリアンヌと視線を合わせた。
自分そっくりなその顔に声を失い、助けを求めるようにジークハルトを見る。
「彼女はマリアンヌだ。姿を消したお前の代役を一年限定でしてもらっている」
「代役。本当に私そっくりだわ。そうだとすると、リカルド様と私の婚約はまだ続いているのですか?」
「あぁ。だから、今すぐ帰って来て欲しい」
ジークハルトが懇願するも、エスティーナは硬くなに首を横に振った。
「断ります。実家に迷惑をかけるのは承知ですが、結婚したとしても私が亡くなれば繋がりは途絶えます。それが早いか遅いかの違いですから」
「どうして簡単に死ぬなんて言うんだ」
「死ぬつもりなんてありません。生きるために私はロニーと一緒になりたいのです。お兄様には分からないと思いますが、この世には身分よりも大事なものがあるのです」
その決意が滲み出る表情に、ジークハルトは黙ってしまう。
痛いところを突かれたように自身の胸を押さえると「分かっている」と囁いた。
「お兄様?」
「分かった」
「えっ?」
「お前の気持ちは理解できる。だから、無理には連れて帰らない。しかし、せめて俺には住んでいる場所を教えてくれないか。何かあったらと思うと心配なんだ」
ジークハルトの眉間には深い皺が刻まれている。
エスティーナの気持ちを分かると言ったが、このままにはできない。せめて居場所だけは確認しておかなくては、不測の事態に備えられない。
「……分かりました。お兄様、紙とペンを持っていますか?」
「あぁ。今日はそれだけ聞いたら帰る。ただ、母に定期的に手紙を書いてくれないか? 側で見ているのが辛いぐらい落ち込んでいるんだ」
「はい。約束します
エスティーナは小さく頷くと、渡された紙にさらさらと文字を書いた。
「これでいいですか?」
「うん、この紙は俺が預かる。それからひとつ質問があるが、リカルド殿の浮気がエスティーナが家を出た原因なのか?」
「いいえ、今はまだ、浮気というほど具体的な関係にはなっていないと思います。でも、想い合っているのは間違いありません」
「……そうか」
肩を落としたジークハルトにエスティーナは戸惑う素振りを見せたが、「では失礼します」と言ってすぐに立ち去っていった。
ジークハルトの気が変わらないうちにと思ったのかもしれないが、あっさりとした別れだ。
「貴族とはいったい何なのだろうな」
その後ろ姿を見送りながら、ため息と一緒にジークハルトが言葉をこぼす。
(裕福な暮らしに上質の服、食べ物にも住むところにも困らないのに、何て窮屈な生き方なのかしら)
ジークハルトの葛藤を側で感じながら、その逞しい背中が今日はやけに小さく目に映った。
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