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ニーノの過去。酒場に行きました。

「本当に出て行くのか?」


 ニーノは、孤児院に来た時のようにベックのマントの裏に隠れて担がれていた。


 孤児院が襲撃された次の日の早朝。

 午前4時。まだ太陽の光りもない中で、ベックはニーノを背負い、舗装もされていない道を踏みしめた。

「うん。私はあの孤児院には合わないみたい」

 淡々とした口調のニーノに、ベックは苦笑いをする。

「、、、そうか」


 ニーノは自分の枕元に手紙を置いてきた。

 しばらく泣いた後、孤児院を出ることを決意した。そして孤児院の皆から教えてもらって覚えたばかりの文字で、手紙を書いた。


 書いた言葉は二つ。


『ごめんなさい』と『ありがとう』。

 それだけ。

 

 その意味をみんなが理解してくれるかどうかはともかく、ニーノの気持ちはそれが本心であり全てだった。


 親はおらず、親戚からは虐められるように育てられた。与えられた食べ物も少なく、ちゃんとした寝床もなかった。

 なのに孤児院では、血の繋がりなど何もないのに、食べ物をくれて寝床も与えてくれた。みんながニーノに優しくしてくれて、文字まで習った。

 誰かと一緒に食事するなど生まれて初めてで、誰かと遊んだのも初めてだった。

 怪我がなくてもっと身体がしっかり動ければ、もっと沢山、みんなと一緒に遊べたのにという悔いはある。

 本当はもっと一緒にあそこにいて、沢山学び、沢山遊びたかった。そうしたら、あの子達と本物の『仲間』になれたかもしれないけれど。


 でもそれは、自分には高望みのような気もした。

 

 親にも恵まれず、親戚にも恵まれず。

 国を追われ、その小さな命さえ狙われているニーノにとって『安全』と『仲間』は、金貨以上の価値のように思える。

 その金貨以上の宝物が、自分のせいで壊れることだけはしたくなかった。


 ニーノは、孤児院に泊まっていたベックのところに夜中に忍び込み、ベックに「ここにいたくない」とだけ呟いた。

「すぐにここからどこかに連れていって」

 ニーノの言葉に、ベックは少し悩んだが、否定はしなかった。

「準備するから、少しだけ待ってな」

と言って、ベックは大剣と、巨漢であるベックに合わせた特注のマントだけを持ち出す。孤児院から出る前にニーノを背負い、その上からマントをかけた。


「もう寒くなってきたからな、風邪ひくなよ」

「大丈夫」

 そう言ってベックの首を回す手に力を入れるニーノの腕が熱い。

「ニーノ、もしかして熱がないか?」

「ないわ。子供は大人より体温が高いんだって。ベックが風邪ひかないように、私が温めてあげてるの」

「そりゃあ、ありがたいこった」


 歩くベックのブーツが砂利を噛む。

 マントの中こニーノには、周りの景色は見えない。しかしまだ夜も明けておらず、ベックも暗闇の中であまり見えていないに違いない。

 だが、ベックは歩き続ける。

 

 ニーノは平気なふりをしているが、こんなに急に孤児院から出ていこうとする理由が、孤児院の人達に迷惑をかけたくないという思いからだというのは明白だ。それだけニーノにとって、孤児院が襲われたことは衝撃的だったということなのだろう。


 そんなニーノの気持ちを汲むならば、ニーノを孤児院から連れ出して、次の場所に向かう姿はできるだけ誰にも見られないように避けた方がいい。

 そう思って、ニーノに言われるまま孤児院を出た。

 

 暗闇の中、あるのは月明かりだけ。それでようやくぼんやり見える足元を目を凝らして進み続ける。


「ニーノ」

とマントごしに聞こえたベックの声に、ニーノは返事する。

「なに?」

「俺は人に気を遣えるタイプではないんだ」

「、、、、知ってるけど」

「俺は嫌なことがあっても明日には忘れる。賢いわけでもないし」

 ベックが何を言いたいのかわからず、ニーノが少し黙ると、ベックはそのまま続けた。

「ニーノは、まだ子供なんだからな」

「、、、、だから?」

 ニーノが淡々とした口調で返すと、ベックは頬をポリポリと掻いて、頭の上の小さな半月を見上げた。

「ーーーだから、まぁ、、、なんだ?」

 言いにくそうにしているベックの言いたい事がようやくわかって、ニーノは呆れた声でそれを言葉にしてみせた。

「もっとベックに甘えろって?」

 聞いて、ベックは「ははは」と笑った。

「その通りだ。さすがニーノは俺と違って賢いな」

「賢いとかの問題じゃないでしょ」

「いや、ニーノは賢いぞ」

「、、、、」

 

 ジリ、ジリ、と砂利の音が暗闇の中で響く。ニーノはマントの中で、今、ベックがどこを歩いているかもわからない。わずかに高い虫の声が聞こえてくるので、草原か森が近いのかもしれない。

 この先、どこにいくのか、どこに向かっているのか、全く知らない。

 確かにベックは気を遣うのが下手くそで、ニーノを安心させるための説明などは少しもしてくれなかった。

 だけど少しも不安にならないのは、自分を抱えてくれているのがベックだからだろうとニーノは思う。


 丸太のように太い腕と肩にくっついていると、その温かさで心の中までじんわり熱を感じる。


「、、、私は充分、甘えてる」

 呟いて、ニーノは、ベックの歩いて揺れる動きに身を任せた。ベックのマントの中は、長年の汗と汚れのせいか獣のような複雑な匂いで臭かったが、ニーノはそれでさえ、心安らぐような気がした。

 ゆらゆら、ゆらゆらとニーノはベックに背負われて揺れる。


 ニーノは徐々に襲ってくる眠気に逆らわず、ベックの背の上でゆっくりと目を閉じた。

 

 

✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️

 


 ニーノが目を覚ますと、どこかの部屋の中だった。木の枠に布団を敷いただけのベッドから身を起こすと既視感を覚え、辺りを見渡す。

 ベックは、ニーノが寝ているベッドの下の床に大の字になって眠っていた。ベックはただでさえ身体が大きいため、大の字になると小さな部屋の殆どが埋まる。そんなベックの姿が見えてようやく、ここが前にもベックがニーノを連れてきた宿だったと気づいた。一階が酒場。二階が宿になっている。


 今いるのは、ベックとニーノの寝ているベッドが入ってギリギリの大きさの狭い部屋。少しカビっぽい臭いがする。ボロボロの床。壁は少し叩いたら壊れそうに古い。

 宿なので防音をしなければならないはずだが、下の階からからは沢山の物音が聞こえてくる。

 人の騒ぐ声。食器の重なる音。足音。笑い声。


 窓から見える太陽はとっくに登っているが、酒場は時間など気にすることもなく賑わっているようだ。


 まだぐっすりと眠っているベックを踏まないように部屋の端を通って、ニーノはそっと部屋の扉のノブを回す。キィ、と微かに開く音を立てて、扉は動いた。


 扉を開けると、下からの騒音は更に大きく響く。ニーノは下まで続く階段を見つけて、上から一階を見下ろした。

 木製の階段は幅が狭くて角度が急だ。

 滑り降りた方が早そうな傾斜の手すりを掴んで、ニーノはゆっくりとその階段を降りていった。


 宿屋と酒場は、一階の玄関フロアで分かれている。

 入り口前に受付があり、そこから左のドアを開けると酒場に続き、受付を通って右側にある階段を上ると宿になっている仕組み。


 ニーノは受付前を通って、酒場のドアを開けた。


 開けた瞬間、ずっと聞こえていた騒音が直接耳に入ってくる。騒音とも言える音だが、ドアの奥から見える光景で、ニーノは頭を打たれたかのように鮮やかな衝撃を受けた。


 そこは、今までニーノが見てきたどこよりも生命力に溢れていた。

 

 想像していたよりずっと広いフロア。

 昨日までいた孤児院の全ての面積を合わせてももっと広い。そこを所狭しと人が溢れ、それぞれが笑ったり喋ったり、食べたり飲んだり、とにかく騒がしい。


 人ーーーいや、人ではない。

 耳がある人の形のものもいれば、見たまま動物の姿のものもいる。様々な色。形。


 ここにいる殆どが『獣人』だった。


 ニーノは驚き、身動きがとれなくなる。

 なぜこんなところに獣人がいる。しかも、こんなにも沢山。

 いや、それよりももっと驚愕したのは、そこにいるもの達の姿が楽しそうだったことだ。


 獣人は忌まわしい存在だとされている。

 少なくとも、ニーノの住んでいたオルトルーヤ国では、獣人は人として扱われなかった。

 奴隷かそれ以下。

 いつ殺されてもおかしくないほど軽い命で、ただ働くためだけに生かされている。奴隷になってしまえば賃金など貰えるはずもなく、その日生きる食料をただ与えられる程度。

 町を歩くどの獣人を見ても、暗く俯き、言葉も発することなく、黙々と思い足取りで働いていた。目は生気を失い、主人である人に怯えて暮らしている。


 ニーノの住んでいた親戚の家は貧しかったから、獣人など働かせる余裕もなかったが、たまに町で見かける獣人は、そんな印象だった。


 改めて、ニーノは、酒場にいる獣人達を眺める。


 彼らは笑顔で、とても楽しそうだ。

 日が高く昇っているというのに酒を飲み、美味しそうな食事を前に話に花を咲かせて笑い合っている。


 みんか生き生きとしていて、楽しそうだった。

 そこに溢れるは生命力。

 空気が、音が、見えている色が。

 そこの全てがニーノを圧倒するほどの力をもって押し寄せてきた。


 親戚から奴隷のように虐げられてきた自分。 

 よくわからない者に命を狙われ、追われ、たった一人捨てられて飢えに苦しんだ。

 ただ死にたくない気持ちだけで、がむしゃらに生きてはみたが、死んだ方が楽だったかもしれないほど辛く苦しかった。

 孤児院でも襲われ、どこまでいっても自分は忌まわしい生き物なんだろうと思っていただけに。


 目の前の光景は、衝撃すぎた。


 あの『獣人』が、笑っている。

 死ぬのを待っているだけの生き物である獣人が、自らの意思で自由に動いている。

 

 耳が痛いほどうるさい音は、彼らの『力』だ。

 本来は、こうやって、人と同じように食べて笑って良い存在なのだ。

 誰からも虐げられる必要などない。


「あっ」

 ニーノのすぐ近くで、小さな兎の獣人が転んだ。

 兎の獣人はエミリーよりももっと小さい。

 ニーノは手を伸ばそうとしたが、それより先に、兎の獣人と同じくらいの狐の獣人の子供が手を伸ばした。

「大丈夫?」

「うん」

 兎の獣人は笑顔で起き上がり、混雑したフロアを笑いながら軽やかに走り去っていった。


「人間の子供がここに来るなんて、珍しいわね」

 後ろから色っぽい女性の声が聞こえて、ニーノは振り返った。

 ニーノの後ろに立っていたのは、人の姿。とても綺麗な女の人だった。

 いや、よくみると耳が長く尖っている。 

 それ以外は人と変わらない。腰まである長い髪は色素薄めの茶色。全身はとても細いのに女性らしいところはしっかりと凹凸のある身体だった。黒を貴重としたセクシーな服を着ている。


「迷子かしら?」

 艶やかに微笑んでニーノを見下ろすその人に、ニーノは首を振った。

「、、、上の宿に泊まってます」

「人間が宿に?ーーーあぁ、ベックの知り合いかしら」

「ベックを知っているんですか?」

「知ってるも何も、有名だからね。ーーー変わり者として」

 ふふ、とその女性は目を細める。

「ここは人間から忘れられた場所だもの。この場所を行き来する人間は少ないわ」

「お姉さんは人間じゃないんですか?獣人?」

 女は首を振る。

「私は獣人とも違うわね。知っているかしら?エルフという種族なんだけど」

 言われてニーノは、エルフ、と呟いてみる。

「ここには人間以外が集まっているの。私達エルフやドワーフ。ホビットとかもいるわ」

 それはニーノが知らない種族の名前だった。


「、、、なんで、ここに人間は少ないんですか?」

「さぁねぇ。私がここに来た時にはもう、そうだったから、よくわからないわ。ーーーお水、飲む?」

 ニーノが頷くと、女は近くにあった棚からコップを一つ取り出して、ニーノの側のテーブルに置く。

 そして手に力を入れたかと思うと、その細長い指先から、綺麗な水が出てきた。あっという間にコップの中に水が溜まる。

「ーーー魔法、、、?」

「エルフは魔力が高い種族だからね。はいどうぞ」

 女はニーノにコップを差し出す。それをニーノは恐る恐る手に取った。魔法で入れられた水など飲んだことがない。

「毒なんか入ってないわよ」

 見透かされて、ニーノは少し顔を赤くした。

 勇気を出してそのコップに口をつけると、水は普通の水で、朝起きて間もないニーノには、とても美味しく身体に染み渡った。

「ベックはいつも起きるのは昼頃だからね。ここにいるなら、気を付けなさいね。良いやつも多いけど、ごろつきも多いから」

 そういって、女はニーノから離れていく。

 ニーノはその姿を目で追った。

 女が歩いていったのは中央のカウンター。

 カウンターの奥に厨房があり、忙しなく獣人達が料理を作っている。女はその獣人達に指示を出していた。

 どうやらあの女性はこの酒場で働いているようだ。

 指示をだしているということは上の立場なのだろう。


 ウェイターは数人いるようだが、店に来ている客の数が多くてさばけていない。

 周りの客はそれに慣れているのか、料理の提供が遅くてもイライラしている様子はないが、容赦な次々に注文していき、それによって更に店が回っていないのは確かだった。


「これ、12番テーブル」

 厨房から出てきた獣人が料理を持ってきた。しかし料理を受けとる人がいない。さっきの女性は他のところに行ってしまったようだし、ウェイターはホールを走り回っている。

 ニーノは、ゆるりと立ち上がり、料理を持ってきた厨房の獣人の男に尋ねた。

「12番テーブルはどこですか?私が持っていきます」

「え」

 厨房の男は戸惑うが、カウンターに戻ってきたさっきの女性が、料理を運ぼうとするニーノの姿を見て少し微笑む。

「そう。運んでくれるのね。じゃあお願いするわ」

「し、しかしマスター、、、」

「ベックの連れなんですって。それなら構わないわ」

「あぁ、ベックの、、、、」

 厨房の男はもう一度、女を見てから確認し、その手に持った料理をニーノに手渡した。

「12番テーブルは、あそこだ。あの向こうの壁から二つ前。猿達が三人騒いでるだろ」

 猿、といっても猿の獣人ではあるが、ニーノはそれを覚えて頷いた。

 皿の運び方は、ここのウェイターが持っているのを何度も()()いた。

 それを同じようにすればいいのだろうと、ニーノは思いながら、ニーノはできたばかりの料理が乗った皿を持って歩き始めた。



✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️



 ベックは昼過ぎに目が覚めた。

 いつもベッドで寝ているのに、なぜ床で寝ていたのかと、まだ寝ぼけた頭で考えて、ようやく昨日の出来事に思い至った。


「、、、そうか。そうだったな、、、、」

 硬めの質の髪をガシガシと掻いて、ベックは床から上体を起こす。

 ニーノもあそこなら安全だろうと考えて連れていった孤児院が襲われた。賢いニーノは、自分のせいで孤児院の子供達が危険な目に遭うのは避けたくて出ていきたいと言ったのだとは思うが、この先、ニーノをどうすればいいのか、何も考えれていない。


 ベックは冒険者だ。

 さすがに五歳の子供を、危険なダンジョンなどに連れていけるわけもない。

 かといって、身内がいない子供を保護するのに、孤児院以外どこがあるというのか。


「、、、まいったな、、、」

 呟きながらベックは歯を磨く。顔を洗って、服を着替えた。

 ニーノを拾った以上、ちゃんとニーノの安全が確認できるまでは責任持って守ろうとは思っていたが、想像以上にニーノを追う連中がしつこい。

 これではどこにいても危険な気もする。


 むしろ、この土地であれば。


 考えて、ベックは首を振った。

 確かに、まともな人間は殆どこの土地には入ってこないし、入ってもこの土地のことを忘れてしまう。

 どういう仕組みかは知らないが、ここはそういう風にできている。


 忘れられた町。ダイナ1。

 

 このリンドウ帝国に、獣人はいないとされている。なのに、ここには獣人だけでなく、エルフやドワーフなどの『亜人』達がひっそりと貧しく暮らしている。

 奴隷にされてはいないが、その代わり、この土地から出ることができない。

 出ると殺される。

 そういう仕組みになっている。

 

 ニーノを隠すなら、この土地ほど最適な場所はない。ここにいれば勝手に皆、忘れてくれるのだから。

 

 だが。このダイナ1は、この宿と酒場以外にはろくな稼ぎ場所がない。ここ数年、特に今年に入ってから、様々な物資が入ってきたり、ダイナ1の才能ある人材、資材を仲介してくれるようになってマシな生活ができるようになっているが、それまではかなり厳しい生活を強いられていた。

 畑を作ろうにも土地は痩せ、作物が育たない。金を稼ぎたくてもこの土地から出れないのだから、どうしようもない。


 今は、数年前から奇特な有権者が現れて補助してくれているから潤ってきているが、それも今だけの話で、ただの貴族の気まぐれかもしれない。

 いつ、以前のような過酷な状態に戻るかわからないのだから、ニーノをこの場所に留めておくわけにもいかなかった。


 ニーノはまだ5歳の少女だ。

 ベック自身も5歳の時にはすでに親はいなかった。しかしいつの日にか孤児院に守られていた。16歳で成人してからはそれこそ地獄のような生活をすることになったが、それはともかく。

 

 どこかで、ニーノを小さい頃の自分と重ねてしまっていたのかもしれない。

 そんなセンチメンタルな性格ではなかったはずだが。

「俺も老けたかな」

と二十代後半のベックは苦笑する。

 顔洗い用の水置き場からベックは戻り、ベッドに向かう。こんもりと膨らんだ布団を剥いで、中にいるはずの人物に声をかけた。


「さ。ニーノ、そろそろ起きろ。昨日は色々と大変だったから、まだ眠たいだろうが、もうさすがに起きないと、、、、っあれ?」


 布団を剥がしてみると、中にあったのは枕のみ。

 ベッドに寝ているはずのニーノがいなくなっていた。

 

 ベックはドタバタと足音を鳴らして、酒場に続く階段を駆け降りた。

 いつかわかることだが、ここには獣人がいる。

 気の良いやつも多いが、荒くれ者も多く、そんなやつらは小さい子供だからと容赦しない。

「ニーノっ!」

 酒場のドアを開けると、普段の酒場の光景が広がる。

 いや、何か少しだけ違うな、とベックは違和感を覚え、辺りを見渡した。


 常に忙しない酒場。

 いつも通りの環境なのに、妙にまろやかな雰囲気になっている。

 そういえば無駄に走り回っているウェイターが、今日は落ち着いて仕事をしているような、と感じたところで、ニーノの動く姿が目に入った。

 ニーノがエールを五杯と焼き鳥を運んでいる。


「はい。焼き鳥五本にエール三杯。隣の貴方はエール二杯。もうすぐ焼きそばできあがりますから」

「お嬢ちゃん、こっちもエール」

「こっちは二杯追加で」

「はぁい。さっきのと合わせて五杯ですね」

「お嬢ちゃん、こっちは唐揚げ貰えるかな」

「唐揚げはあと十分はかかりますよ」

「おう、それでいい。じゃあそれまでの間、枝豆で」

「はぁい」

  

 ベックは目を見開いて、身体が硬直してしまった。

 そこにいるのは、今まで見てきたものと同じ淡々としたニーノの姿。だが、見たことないくらいてきぱきとニーノは動いている。

 長年ここで働いていたのかと勘違いしてしまいそうなほど、慣れた様子に見える。


「、、、二、ニーノ、、、?」

「ベック!」

 色気のある女性の声に名前を呼ばれ、ベックはその声の方を振り返った。

「クロエ」

 クロエ、と呼ばれたのは、エルフであり、ここの酒場の女マスター。

 エルフなだけに魔力が豊富で、特に水魔法の能力が長けているため、水辺が近くにないこの界隈で宿屋と酒場の水事情を補えている。

 色素の薄い茶髪を長く揃え、身体にフィットした黒のドレスは、彼女をより妖艶にして魅せている。

 普段、大人っぽく落ち着いた口調でベックに話しかけてくるその女性が、興奮した様子でベックの背中を強めに叩いた。

「ちょっとベック。なんて子を連れてくるのよ」

「なんだ?ニーノのことか?」

「ニーノって言うの?あの子」

「ニーノがどうかしたのか?」

「、、、どうかしたも何も」

 クロエは次々に客から注文を受けるニーノを指差す。

「ーーーすごい子供よ、あの子。この大人数の注文を全部覚えてるの。次から次に注文されるから、今までのウェイターはてんてこ舞いだったのに、あの子が注文を一手に引き受けてくれるから、ウェイターは運ぶだけで良くって。しかも注文受けながらもちゃんと提供から片付けまでやってくれるのよ?賢いにもほどがあるっていうか、、、、」

 珍しくクロエは饒舌になり、キラキラと瞳を輝かせている。

「その上、少し前から、料理が提供できる時間も予測しだしてて、それを客に伝えるから、客もそれに合わせてエールを頼んだり、待ちの時間につまむものを注文したり。もうびっくりするくらい店がうまく回転してるのよ。あり得ないことだわ」

 聞いて、ベックも信じられない気持ちでニーノを見る。

「ーーーあの、まだ5歳のニーノが、か?」

 クロエはまた身を乗り出すように食いついてきた。

「やっぱりあの子、まだ子供よね?あれでまだここに来て数時間の人間の動きとは思えないし、まさかそんな人間が子供だとは思えなくて、実は小さいだけの大人なのかと思い込もうとしたけど、やっぱり子供よね?すこいわ、すごい才能よ。天才よ」

 

 クロエは若くしてマスターになるだけあって、人を見る目は厳しい。ちゃんと人を評価できる人間ではあるが、理想が高く、仕事に手を抜かないため、人を褒めることは少ない。

 そのクロエが、たった数時間一緒に働いただけでここまでべた褒めするとは。


「ベック。あの子、うちにちょうだいよ」

 本気であろうクロエの言葉に、ベックは動揺しつつも首を振った。

「いや、別にあの子は俺の子供じゃねぇし」

 瞬間、ばしりとベックの背中を叩かれる。クロエはガラス玉のような大きな瞳を近づけて、ベックに圧をかけた。

「そんなの言わなくてもわかってるわよ!でもベックが今は保護者なんでしょ?説得してよ。ここで働かないかって」

「ニーノはまだ5歳だぞ」

「そんなの関係ないわよ。あれだけの才能があるのに。そもそも、ベック、あなたは冒険者でしょ。仕事中もあの子をみれるの?ここだったら私がいるし、私の下には強いやつらも沢山いるから、あの子を安心して置いていけるわよ?」

 にやりと笑うクロエに、ベックは、く、と口を歪める。

 痛いところを突かれた。

 確かにそこが今一番の問題であり、解決できていないところなのだ。

 クロエがこの、ごろつきも多い土地の酒場でマスターを安全に続けていられるのは、単純にクロエが強いからだ。そしてその取り巻きも。

 彼らがいれば、そこらへんのAランクの冒険者など、あっという間に捻り潰してしまうだろう。


 人を見る目が厳しいクロエが、まさかここまでニーノを気に入るとは思わなかったが、懐に入ってしまえばクロエはどんなに金を積まれても揺るぐことなく、ニーノを守ってくれるだろう。


 ベックは少し悩み、それでも「いや、、、」ともう一度、首を振った。 

「やっぱりあいつは5歳だし、働くなんてまだ早い。そもそも、あいつはかなり頑固だからな。俺がどんなに勧めようと、あいつが頷かないことには、、、」

「私、ここで働くわ」

 足元から、はっきりした口調の少女の声が聞こえた。

 ベックが声の方を見下ろすと、ベックを見上げる緑色の瞳と目が合った。


「ーーー私、ここで働く」

 ニーノは強い意思を示すためか、もう一度、ベックに言った。体積がベックとは十倍ほど違うのに、ニーノのまっすぐな眼力にベックが圧されてたじろいだ。


「、、、い、いやしかし、ニーノ。ここは、、、」

「知ってるわ。酒場が危ないことくらい。でも、お金がないと私は生きていけない」

「お金は俺が」

 ニーノは目を細めてベックを睨み付ける。

「そんなこと言って、また誰かに預ける気でしょ」

「うっ!」

 ベックは更に身体を引く。ニーノは、やっぱりね、と口を曲げた。

「もう土や草を食べて生き延びるのは嫌。でも5歳の私を働かせてくれる場所なんて、どこにもないわ。この先、どうなるかわからない以上、私はできるだけ自分の力で生きていかなきゃいけないの」

 ニーノは少し俯く。

「、、、まだ私は子供だから、誰かに頼らないといけない部分はあるけど、自分でできるところは自分でどうにかしたい。ーーーその気持ち、間違ってる?」


 またニーノに見上げられて、ベックは眉を寄せてニーノを見つめたあと、くそ、と呟いた。

「わかった。わかった。ーーーニーノの気持ちは間違っちゃいねぇよ。働くことには反対だけどな。ニーノがそう言うなら、もう俺が何を言っても聞かねぇんだろ?」

「うん」

 ニーノは頷いた後、ベックからクロエに視線を移した。

「、、、本当に働かせてもらって、いいんですか?」

 そう控えめにいったニーノの頭を、クロエは優しく撫でた。


「当たり前よ。こっちがお願いしてるんだから。ーーーでも、働くにあたって、一つだけ条件がある」

 クロエはニーノの前にしゃがんでニーノの顔を見つめる。クロエの大きく胸元の開いた服から、豊満な胸の谷間が見えるが、5歳の少女であるニーノには関係ない。


 むしろベックの視線がそちらに向いているのを感じながら、ニーノは緊張してごくりと唾を飲み込んだ。


 条件。

 それはきっと何かを制限するものに違いなかった。

 金銭面だろうか。

 5歳の子供にまともな金額を出すとは思えないが、食事を与えるからお金はやらない、などと言い出されると困る。正直、ここで働けなければ本当にどこも雇ってくれるはずがない。

 食事を貰えるだけでもありがたいが、この先生きていくにあたって、先立つものは必要だ。 

 わずかでもいい。お金が欲しい。

 だが、やはり難しいか。


 クロエは、ニーノの強張った顔をみて、くすりと笑った。

「そんな顔しなくても、ちゃんと賃金は渡すわよ。寝床もちゃんと準備する。こんな熊みたいな男と毎日一緒に寝てたら、寝苦しくて仕方ないでしょうからね。ーーーそれよりももっと大事な問題よ」

 

 お金をくれて、寝床も用意してくれるという。

 そんな至れり尽くせりな状態よりももっと大事なことなど、あるのだろうか。

 ニーノが不思議そうにすると、クロエはまた、ニーノの頭を優しく撫でた。

「ここのやつらはね。敬語が好きじゃないの。それは私達もよ。なんかーーーすかしてる気がするでしょ?」

 少し冗談っぽく言ったクロエを、ニーノはきょとんとして見つめる。

 クロエのガラス玉のような瞳が、更に細くなった。

「ベックにしているように、私達にも普通に話してちょうだい。ーーーそれが、ここで働く条件よ」


 聞いて。

 ニーノは花咲くように破顔する。

 

「うん。ーーーわかった」

 ベックがニーノのちゃんとした笑顔を見たのは、それが初めてだった。

 普通の子供らしい笑顔。


「、、、なんだ。ちゃんと笑えるんじゃねぇか」

 呟いたベックも、少し嬉しそうにしていた。


 こうして。

 ニーノは五歳にして、酒場で働くことになったのだった。



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