夜会前に。
「ニーノは、陛下の孫娘でしたか、、、」
控えの間のソファーに座り、はぁ、と信じられない思いでため息をつくルカの横に、兄のベネディクトは腰を降ろした。
「結婚をすれば王位を譲るというほどだ。多少の予想はしていた」
濃い紫色の髪を後ろに掻きあげながら、ベネディクトは平然とした顔でルカに言う。ルカは驚いて顔を上げた。
「本当ですか?さすがベネディクト兄さんですね」
「、、、なんてことは嘘だ。あんな平凡な少女が王族など、想像すらしていなかった」
まだ平然とした顔のベネディクトを、ルカはジトリと睨む。
「こんな時にそんな嘘をつかないで下さいよ」
「こんな時だからこそ言ったんだ。冗談にでもしないと、混乱した頭が追い付かない」
ベネディクトも、ルカと同じように小さくため息を漏らした。頭を抱えて、できることならこのまま眠ってしまいたい。目覚めて、これら全てのことが夢であればいいと思う。
ニーノが王族だったとは。
それならば確かにニーノと結婚すれば、王位はその相手に転がり込むだろう。そして600年続いたオルトルーヤ国の王族の血は途絶えることなく引き継がれる。
だが、公爵家に王位を譲られて王になることと、王女と結婚して王の地位につくことは全然違う。
なぜならば、ニーノは王族として、いや、貴族としての知識さえ全くないに等しい。
ただの王位の譲渡であれば公式な儀式の時だけ妻を共にすればいいが、王族の婿という立場になれば、常に横にニーノを連れる必要がある。
その場合、ニーノと立場は同じになるのだ。
ニーノはまだ12歳。賢いニーノなら、成人して王妃として即位するまでに完璧に王族としての知識を身につけることができるかもしれないが、長年染み付いた平民としての仕草や作法を完全に抜くことは難しいだろう。
常に完璧を求めるベネディクトが、血こそ王族であっても平民の育ちが顕著に表れた女性と同格に見られることを想像するだけで、血の気が引くような気持ちになった。
問題はそれだけではない。
世継ぎや治世にも関わってくる。
ベネディクトが王位を継ぐだけなら、どの女性の子供を作っても問題はない。だが、ニーノが王族となると、ニーノとの子供は必須になる。
まだ12歳。
とてもではないが、21歳のベネディクトは、ニーノとの子供は考えられなかった。あと数年すれば可能かもしれないが、今はまだ想像さえしたくない。同じ12歳の少女の中でもニーノの成長は遅い方だ。ニーノこそが子供だと言って過言ではない。
少なくともベネディクトは、少女趣味ではなかった。結婚したらニーノを大切にする気はあったが、妻として愛するつもりは全くなかったというのに。
ため息が何度もベネディクトから漏れた。
そんな兄の姿を、ルカは横から眺める。
「王位を諦めるのですか?」
「、、、そうしたい気持ちもあるが、他に王になれる資質を持つ者が四大公爵家の中にはいないだろう。この国の平和と安定を守るためには、俺が王にならなくては、この国は潰れてしまう」
自分で言って、ベネディクトはもう一度ため息をつく。
「、、、ニーノさんなら、ちゃんと立派な王妃になると思いますよ」
ルカの言葉をベネディクトは鼻で笑う。
「それはお前のただの希望だろう。希望で成り立つなら、どの国も破滅することなく栄えているはずだ。王になること。その王を支えることは、そう簡単なことではないのだ」
「、、、、、そう、なのでしょうね」
しかし、と言いたいルカは、そのまま黙って俯く。
ニーノは確かにまだ貴族としての知識はない。だが、世の中を想う気持ちも、正しい世の在り方の考え方も大きく外れてはいない。あの意思の強さも、揺るがない心もあり、ニーノは王妃としての素質はあるように思える。
私なら、と心でうっかり呟いてしまい、ルカはそれを頭で否定する。
ルカは公爵という高位貴族の子息ではあるが、三男であり兄と比べて教育は徹底されていない。まして、帝王学などは触れてもおらず、自分が王になるなんてことは夢にも思ってはいけないことだ。
それこそ国が潰れてしまう。
野心のあるものならともかく、ルカに王になろうとする覚悟など全くなかった。
ジルのような人間になりたいと思うだけ。
様々な人に愛を与え、大切な人を守り、周囲を豊かにしていく。穏やかに、ただ誰もが平和に、幸せでいて欲しいと願うだけの人間に、国という存在は重すぎる。
「、、、ニーノさん、、、」
ルカは呟く。
ルカがニーノにしてあげられることは限りなく少ない。今はニーノを案じることしかできない自分が、ただただ情けなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
芙蓉の間という部屋は、元々、最高級の女性客を招く時に使用する部屋だった。
かつていた女性の王族が使用した部屋にはそれぞれ花の名前がつけてあり、今もまだ、そこに使用されていた家具がそのまま残されている部屋もある。
しかしそういった部屋は、理由あって残されているため、今回ニーノが与えられた部屋は客室だった。
他国の王女などが使用する部屋のため無駄に広く、家具も細かい部分さえ最高級の技法が駆使されたものばかりだ。
奥の部屋に堂々と設置された風呂は、リンドウ帝国にあるニーノの部屋より大きい。そこに無理やり入れられて、必要ないというのに数人の女性にニーノは身体を洗われた。一度風呂から出てから時間をかけて全身をマッサージされ、もう一度浴槽に浸からされている。
「お湯加減はいかがですか?」
侍女だという女性がニーノに聞いてきて、ニーノはぐったりした顔で「大丈夫です」と答えた。
風呂は贅沢品だった。
水も多量にいるし、お湯を沸かす必要がある。お湯を沸かすには火と燃料がいるし、そのお湯の温度を保つために更に追加の燃料がいる。
リンドウ帝国には自然にできた温泉がいくつかあるが、そこはニーノの住む場所よりはるか遠くで、しかも高く聳える山の向こう。まだ小さなニーノは、そこまで行くこともできず、温泉というものを見たこともない。
普段のニーノは小さな桶に少しのお湯を足して、身体を拭くだけ。頭は残りの水で洗ったり、たまに綺麗な川に頭を突っ込んで洗ったり人のこないところでら肩まで浸かったりすることもあるが、冬は凍りそうになり命の危険があるので、川で身体を洗うのは冬以外の時期だけになる。
つまり。
ニーノは風呂に入ったことはないし、こんな立派な浴槽に入れられて身体を洗われたりすることは生まれて初めてのことだった。
驚くほど気持ちが良いが、それ以上に罪悪感がすごい。この風呂を準備するだけの燃料を食料に変えたら、何日分になるだろうか。この水があれば、何人の人が助かるだろうか。
ついそんなことを考えてしまう。
根っからの貧乏性だ。
こんな自分が王女だなんて急に言われても、困る、としか返答できない。
眼鏡の宰相の驚愕する姿がニーノの脳裏に蘇ってくる。
数時間前。
オルトルーヤ国王がニーノを『孫娘』と呼んだ時。
事情を知らなかったらしい宰相が、異常なほどに必死の形相で王の言葉を否定してきた。
「っお待ち下さい、陛下。このような娘が王族などと、、、緑色の瞳をしているだけで、錬金術師という証拠はどこにも御座いません」
その宰相に、王は鼻を鳴らして言い返した。
「わが息子ライアンに生き写しだということで充分証拠になるが、そこまで証拠が欲しいというのであれば、見るがいい。そこの騎士の足下を」
王はルカの足を指差す。
「古代遺跡からでしか見ることができない特殊金属。この金属を扱えるのは錬金術師のみ。その足の装具をその者に合わせて造られておるのが、この子が錬金術師である証拠であろう」
宰相は言われるまみルカの右足に装備された金属を見て、愕然とする。
ルカのために特注したとしか思えないほどにルカの足にあったその装具は、間違いなく古代遺跡から出土される特殊金属。
錬金術師でしか扱えないとされるその金属を加工できたというのならば、錬金術師が『いる』ことになる。
現在、錬金術師はオルトルーヤ国にはいない。いない、とされている。
しかし、いるのだとするならば。
「、、、リンドウ帝国にいたのだな。見つからないはずだ」
そう言って、国王はまた涙を流した。
それが数時間前の出来事だ。
あれから、バタバタと芙蓉の間というこの部屋にニーノの部屋が支度された。
ルカの兄が会長をしているという商会の揃えたニーノの服は王によって全て購入され、クローゼットの中に溢れんばかりに入っている。
はぁ、とニーノは息をついた。
早くリンドウ帝国の酒場に帰りたい、と心から思った。こんな豪華な風呂も、沢山のドレス達も、ニーノの心をくすぐることはない。
ドレスがクローゼットに並んでからすぐに、ニーノはルカを呼び、ルカの兄という人にドレスの返却をお願いした。数日は滞在することになるだろうから、数着だけドレスは残すようにルカから助言されて、それに従うことにした。
王はドレスの返却を許さないだろうから、王にはドレスを受け取った形にしてもらい、返却したことで得たお金は、ジャタニール公爵家で預かってもらうことにした。
これらのドレスは国税で支払われている。だというのにこれほど贅沢をするのであれば、ニーノが返したところでまた別の贅沢に使われるのが目に見えている。
どうせ活用してもらうなら、ちゃんとした形で使用して欲しい。そう思って、信用するジャタニール公爵家に預けた。
無事にニーノがリンドウ帝国に帰れたら、そのお金は貧しいオルトルーヤ国民のために有効活用してもらうよう伝えている。
ニーノは風呂からあがり、今度はアロマのボディクリームでマッサージされてからバスローブを羽織った。
自分から、信じられないほど良い香りがするし、やや黒めと思っていた肌が一気にトーンアップして白く感じる。もちもちふわふわした身体を触って、たった1日手入れしただけでここまで変わるものかとニーノは驚く。
身体が落ち着くと、ピンクの軟らかい生地のフワフワとしたネグリジェに着替えさせられた。そして大人が何人も寝れそうな巨大なベッドに横になるように勧められたが、ニーノはそんなベッドでは寝れないと断った。
しかし、ニーノをソファーで寝かせたことを王に知られたら首が飛ぶからと侍女が泣いて訴えるので、ニーノは仕方なくベッドに入った。
人がいると眠れないからと、ニーノは部屋から人を払う。誰もいなくなって初めて、ようやくニーノは一息ついた。
ベッドはあまりに柔らかく、とても寝れそうになかった。ニーノはベッドの端に寄って、丸まって寝た。
固くて狭いベッドに、ベックにひっついて一緒に寝たのはいつの頃だったか。
汗臭くてベックのイビキも煩かったけど、とても温かくて、幸せな気持ちで眠りについたあの日。
ニーノは大きくて柔らかいベッドの中で、あの日の事を思い出していた。
どんなベッドでも、あの幸せはきっと味わせてはくれないだろう。
ニーノはもう12歳。保護者であるとはいえ、ベックと、あの頃のようにはもう一緒に寝ることもない。
どこか哀しい気持ちが押し寄せてきて、なぜかまた涙が滲みそうになった時、部屋の入り口の扉からノックが聞こえた。
「?」
ニーノはゆるりと身体を起こす。
気のせいかもしれないと待っていると、もう一度ノックされた。
「ニーノさん。私です」
ルカの声だった。
ニーノは慌てて扉の方に駆けていき、その扉を開いた。
「ルカ様」
扉を開けると、もうすでに見慣れてしまったルカの紫の長い髪が視界に入った。同じ紫の綺麗な瞳も。
「ご休憩のところ、申し訳ありません。少し話をしようかとーーーー」
ルカは笑顔で扉から出てきたニーノを迎えたが、そのニーノの姿があまりに可愛らしいピンクのネグリジェだったために、一気に顔を赤らめた。
「も、申し訳ありません。もうお休みのところでしたか。そうですよね、明日は王の誕生祭ですし、それに備えてもう休まなければ。ニーノさんと話をしたいなどと、私の考えが甘すぎました。出直して参ります」
早口でまくし立てて去ろうとするルカの腕を、ニーノは掴んだ。
「大丈夫。私もこんなところ慣れなくて、すごく困っていたの。こんな高いものばかり揃えてあるところで、ゆっくりなんて休めるわけないわ。ルカ様と一緒に過ごした洞窟の方が何倍も良かった」
ニーノの本気が伝わってきて、ルカは思わず破顔してしまった。
「、、、ははは。それはニーノさんらしいですね」
ルカの笑顔に、ニーノは身体にのし掛かっていた妙な重さが、ふっと軽くなった気がした。
「しかし、ニーノさん。その寝間着、とても可愛らしいですよ?よくお似合いです」
いつものように、当然のようにお世辞を言ってくるルカの言葉にニーノは眉を寄せて苦笑した。
「ここの私のお手伝いをしてくれる人が選んでくれたみたい。でも私にはもったいなさすぎるわ。私は着る服なんてどうでもいいんだから、そこらの安いもので構わないのよ。こんなお姫様が着るような服、、、」
本気で困っているという顔をしたニーノを、ルカは暖かい瞳で見守る。
ニーノは『お姫様が着るような』というが、王の孫だと王が認めた以上、ニーノは『姫』ということになる。
ニーノには言っていないが、ニーノの部屋に入りたいことを告げると、ルカはオルトルーヤ国の高位貴族、公爵の息子だというのに身体検査をされ、ニーノとの関係や話す内容をしつこく確認された。
国王は本気でニーノを匿おうとしてきる。
すでにこれでは、ニーノが本当にリンドウ帝国に帰ると言った時は幽閉されかねない。ただの杞憂であれば良いのだが。
「ニーノさん」
ルカはニーノの前に膝をつく。
小さなニーノと、膝をついたルカでは、少しだけニーノの視線の位置が高くなる。
ニーノは整ったルカの顔立ちを目の前にして、また顔の表面の熱が上がった気がした。
「何よ」
誤魔化すようにニーノは冷静な口調でルカに返事する。その様子があまりにニーノらしくて、ルカはやんわりと目を細めた。
「明日のことです。ニーノさんのエスコートはベネディクト兄さんが行う予定ですが、ニーノさんの今の立場を考えると、いつどこで襲撃されるかわかりません。私もニーノさんのお側で仕えさせていただいても宜しいでしょうか」
言われて、ニーノはきょとんとしてしまう。
ルカが側にいてくれればとても心強い。こちらからお願いしたいくらいなのに、こんな姿勢をとってまで自分に確認しなければならないのは、貴族か騎士として常識ではないことに当てはまるのだろうか。そうだとしたら、何て面倒くさい社会なのかとニーノは思う。
守りたい人の側にいてその人を守る。
守れるかどうかはともかく、守るために側にいる、そんな単純なことに誰かの許可がいるなんて。
「ルカ様も、大変なところで生きているのね」
「え?」
不憫だという雰囲気を漂わせたニーノの声かけに、ルカは首を傾げるとニーノの手がルカの前に差し出された。
「、、、こちらこそ、宜しくお願いします、ルカ様。私にはまだまだこっち側のことは勉強不足だから、ルカ様に側にいてもらえると安心だわ」
「ニーノさん」
ルカは少しほっとして、差し出されたニーノの手を握る。
これまで、ニーノに何かを言って断られることが多かっただけに、ニーノが素直に頷いてくれるととても嬉しい。
「ありがとうございます」
ルカは自然と心からの礼を言った。
心のこもった言葉は、どんなものであれ人に伝わりやすい。特にニーノはそういうものに敏感なだけに、ルカのその声が身体に吸収されるように響いた。
じんわりと温かく、どこか心地好い。
ルカは今、騎士の白い隊服を着ていて、その手には薄手の布の手袋がされているが、形の良い大きな手から伝わる温かさも、ニーノを安心させた。
それはまるで、昔、ベックとともに狭い場所で寝た時の安心感のような。
ーーーいや、とニーノは心で首を振る。
ベックといた時には、こんなに胸の高鳴りは感じなかった。
あの、ただただ全てを委ねたくなるような、全身を包まれるような安心感は、やはりベックだけのもの。
でも、ルカから感じるこの不思議な感情は、ルカだけのものなのかもしれない。
どこか幸せで、どこか苦しいこの感情を、ニーノはかつて感じたことはなかった。その名前だけは知っていて、自分には無関係だと思っていたのだけど。
初めてルカに会った時は、顔だけが取り柄の、いけ好かない優男だと思っていたのに、自分にこんな感情が生まれるなんて思いもしなかった。
自分とは住む世界が全く違う人なのに。
「、、、ルカ様。明日の夜会というものは、夕方からあるのでしょう?」
ニーノの質問に、ルカはあぁ、とルカは思い出したように声を出した。
「そうですよ。夕方から始まりますが、それまでにニーノさんに覚えてもらわないといけないことがあるんでした。そのためにこんな時間に伺ったですよ」
「明日までに覚えることなの?嫌な予感しかしないんだけど」
「そうでしょうね。多分、ニーノさんはしたことがないのではないでしょうか、こういう夜会での『ダンス』は」
「ダンス?」
「ええ。夜会では、ダンスを一曲は踊るのが基本です。ニーノさんはまだデビューされておりませんので、今回は大丈夫とは思いますが、知識だけでも頭に入れておいた方がいいと思いまして。明日の夜会まであと丸1日もありません。基本の動きと、基本のマナーだけでもお伝えしても宜しいでしょうか」
にっこりと笑ったルカ。
これはニーノへの善意のみでやってきたに違いないが、さっきまでのほのかなときめきはどこへやら、ニーノは怪訝な気持ちでルカを眺めた。
自分がダンスを踊る?
そんな姿、想像もしたくない。
「ーーー結構よ」
ニーノはルカの手を振り払う。しかしその手は改めて握られた。しかも強く握られ、今度は振り払っても手を離すことはできなかった。
「ニーノさん。先程は勧めるように言いましたが、これは、絶対です。ここだけは私も譲りませんからね」
教えたらすぐに帰る、と言ったはずのルカが、ニーノの部屋から出たのは、それから3時間後。
そこそこ体力があると思っていたニーノは、疲れはててぐったりとベッドにもたれかかった。
眠れないと思っていたのに、泥のように眠れてしまったのは、ルカのおかげなのかもしれない。




