王との謁見と、ニーノの正体
オルトルーヤ国、王宮の謁見の間。
そこは国内の要人達が一堂に会する広大な王の間とは違い、そのふた回りほど小さな場所。
ダンスホールよりも小さく、しかしニーノが働いていた酒場つきの宿屋よりも大きかった。
部屋の半分を仕切るように3段の階段があり、その下でニーノと、ジャタニール公爵家の嫡男であるベネディクト、ニーノの専属騎士と言い張るジャタニール公爵家三男のルカが膝をついて並ぶ。
高い位置にある玉座の周囲には、強面の騎士達がズラリと並んでいた。
公爵家嫡男として多くの会に参加してその様子を見慣れたベネディクトと、同じ騎士として顔見知りのルカは平然としているが、平民でありこれほどに緊張感の漂う場所にいたことがないニーノは流石に顔をひきつらせていた。
そのニーノの表情を見て、ルカはこっそりとニーノに話しかける。
「今から王が御成りになり、ニーノに話しかけられるでしょう。それまでは顔を下げたままで、先に王に話しかけることはなりません。声をかけられたら、顔を上げて返事をされて下さい」
ニーノは頷いて、素直に頭を下げて王を待った。
王が来るまでは少しの間だったのだろうが、かなり長い時間が経ったように感じた。
いつもゆったりとした服ばかり着ていたので、身体を締め付けられるドレスも苦しい。
色んな意味で息が詰まりそうになるのを堪えてニーノは静かに我慢していた。
もしここにベックが付き添っていたら、耐えきれずに暴れていたかもしれない。
ベックも同行すると言い張っていたが、ジルが「お前は今は黒騎士だろう。お前が守るものは別の人間だ」と首根っこ掴まれていた。
形だけはAランクの冒険者であるが、実質はそれ以上の力があるベックを猫のように扱えるジルの強さはいかほどのものか、想像するだけで恐ろしいものはある。
しかしジルに感謝するしかない。
ベックがこの雰囲気に耐えきれずに暴れだしたら、これまでの全てが台無しになってしまう。
もしここにベックがいたら、ベックの起こすであろう行動と、その姿を思い浮かべて、ニーノは少し可笑しい気持ちになる。
オルトルーヤ国の騎士達もベックを取り押さえるのは簡単ではないだろうから、大騒動になるだろう。
その騒動に巻き込まれて、何もかもがうやむやになればいいとも思う。
今後の安全と安心を取り戻すために必要なことであり、自分も同意したのでここにいるわけだが、今でも自分がオルトルーヤ国にいて、その王宮で王と会おうとしている状況をうまく自分の中で消化できていない。
錬金術というものが使える以上、自分が『錬金術師』というのは間違いなさそうだ。
しかしだからといって、オルトルーヤ国の所有物になる気はない。
それをはっきり王に伝える。
子供がおらず、跡継ぎ問題が解決していないという王は、錬金術師である緑色の瞳の少女を連れてきて結婚をすれば、次期王位を譲ると四大公爵家に告げた。
ニーノは結婚する気はないのだから、ここまで付き添っているベネディクトやルカには申し訳ないが、彼らに王位は譲られないかもしれない。
それでも、いずれは誰かが王位を得ることになる。それならば、王の望む人物を連れてきたことだけでも、その可能性は高くなるのではないだろうか。
ニーノはジャタニール家の人間は嫌いではない。仕事っぷりは見たことがないが、その人達の持つ気品や佇まいなどを見る限り、それを担うだけの力はあるように感じる。
少なくとも、マダヤカス公爵家の人間よりはずっと王に相応しいだろう。
ニーノはただの一般人だ。平民であり、政治のことなど知るはずもないのだから、それ以上は何もわからない。だが隣国とはいえ、できることなら好意的に感じる人が王になって欲しいと思う。
「陛下が入室なさいます」
扉番の声かけと共に、騎士達の表情が引き締まり、ピンと張った空気が更に鋭くなった。
頭を下げて床を向いたニーノ達に王の姿は見えない。
ず、ず、という豪奢なマントを引き摺る音だけが部屋に響いて聞こえる。
時間をかけてその音は部屋の中央までたどり着き、それが玉座に座るのを感じた。
初老の、少ししゃがれたような低い声が部屋に響いた。
「ジャタニール公爵家のもの達よ。今日はよくぞ参った。面をあげよ」
そう言われてもまだジャタニールの二人は顔を上げず、片膝をついて更に頭を下げた。
ジャタニールを代表して、ベネディクトが口を開く。
「オルトルーヤ国の明星、オルトルーヤの太陽である陛下に申し上げます。この度は明日に控えた誕生祭を前にお忙しい中、貴重なお時間をいただき、誠に感謝しております」
「よい。そちらの子供が例の少女だと申すのであろう?その子が本物であれば、これ以上の誕生祝いはない」
一息おいて、王はニーノに話しかける。
「少女よ、名は何と申す」
言われて、ニーノは言葉を詰まらせた。
ニーノには2つの名前がある。1つは元の名前だが、それはリンドウ帝国に捨てられた時に捨てた。
自分の名前は、ベックがつけてくれた『ニーノ』という名前だけだ。
「、、、ニーノ、と申します」
言った言葉が震えた。
ニーノは人よりずっと記憶力が優れている。
一度聞いたこと、体験したことは、余程のことがない限り忘れない。
だからこそ。
だからこそ、今、この時に、ニーノの頭の中にある記憶が怒涛のように溢れて蘇ってきた。
捨てられる前。
ニーノはオルトルーヤ国でたった一度も良い記憶がなかった。
奴隷のような生活。虐待され、蔑まれて育った。
腐りかけたものか食べ残しを与えられ、ニーノに自由な時間などなかった。
だが、そんな人間は自分だけではなかった。
周りにいた奴隷達。その人達はニーノよりももっと酷い扱いを受けていた。殴り殺されても文句は言えない。むしろ、そんなことは日常茶飯事。
奴隷は『人間』ではない。
いや、動物以下であるとしか思えなかった。
オルトルーヤ国は、それを容認している。
リンドウ帝国には奴隷がいないというのに、隣のオルトルーヤ国では、それが当たり前のようになっている。
貧富の差が著しい。
王宮に来るまでに、多くの寂れた町を見た。死にかけた土地をみた。
あれをあのままにしているのが、目の前にいる王だと思うと、ニーノの記憶が倍速の走馬灯のように浮かんでは消える。
この人が元凶だと思った。
「顔を上げよ」
王に言われて、ニーノはゆっくりと自分の視線を王に移動させた。
ニーノは、その王を見た瞬間、わずかに動揺する。
声は初老のようだった。
なのに目の前にいるのは、すでに100歳を越えているのではないかと思えるほど老け込んだ男だった。
顔中が皺だらけになり、目は落ち窪んでいる。
真っ白になった長い髪と長い髭は、豪奢な服装に全くそぐわず、服に着られているように見える。
王が部屋に入って玉座につくまで、儀式的に時間をかけて歩いていたのかと思っていたが、もしかしたらただ単に歩くのに時間がかかっただけなのかもしれない。
それほどにオルトルーヤ国王は老けて見えた。
ニーノが顔を上げると、王はそのニーノの緑色の瞳と目を合わせ、粒のような涙をボロボロと流し始めた。
「、、、おぉ、、、おぉ、、、、」
「陛下」
駆け寄ろうとした騎士を国王は手を伸ばして制す。
「、、、よい。まさか、こんなにもあの子に似ているとは、思いもしなかったのだ」
まだ王の瞳から涙は零れている。
落ち窪んでいるため、その瞳の中は見えない。そこから玉のような涙だけが溢れる。
王は両手でその顔を覆い、ひとしきり泣いた。
ニーノ達は、まさか王が泣くとは思いもせず、どうしたものかと呆然時するしかない。
泣き終えた王は、まだ僅かに喉を震わせながらベネディクトに視線を向けた。
「、、、そこにいるのは、ジャタニール公爵家嫡男、ベネディクトであったな」
「は」
ベネディクトは、呼ばれてすぐに一礼する。
「そなたが、この子と婚姻をして王位を継ぐのであろう?よくやった。王位に加え、褒美も授けよう。何が欲しい。今なら何でもくれてやる」
はっきりと言った王に、ベネディクトは思わぬ言葉に息を飲む。
「陛下っ?お戯れを」
王の隣に立つ宰相であろう、淡いグレーの髪に眼鏡の男が驚いて声をあげた。
「よい。わしはそれほどに歓喜しておるのだ。長年生きてきて、これほどに嬉しい日はない」
国王はまた涙を流しながら、ニーノに手招きした。
「ニーノと言ったか。こちらに寄るがいい」
国王に指示され、ニーノは動揺する。
上の立場の人間からしか声をかけてはいけない。それは誰もが知る礼儀だが、それ以上をニーノは知らない。
近寄れと言われて、近寄っていいものかわからなかった。
ルカを見ると、ルカも戸惑いを隠せない表情をしていたが、ニーノに小さく頷いた。
近寄っていいのだと促す。
ニーノは立ち上がり、おずおずと王に近寄る。
階段の下で立ち止まると「もっと寄れ」と言われた。
階段を登り、階段の前で立ち止まると、また「もっと寄れ」と指示された。
更に近寄ると、もう国王と数歩の位置まで来てしまった。
国王とニーノは初対面だ。
ニーノが偽物で、間者や暗躍の者であった場合、この距離は護衛でも防ぐことができない。
騎士達が恐ろしく厳しい顔つきをして気を張っているのをビリビリと肌で感じる。王に危害を加えるつもりは一切ないが、ニーノもごくりと喉を鳴らした。
騎士達の圧迫にニーノがそれ以上動けないでいると、国王は立ち上がり、ニーノを強く抱き締めた。
ニーノはぎょっと目を剥く。
「、、、っライアン。わしが悪かった。わしが間違っていた」
ほぼ見知らぬお爺さんに抱き締められてしまったが、ニーノは酔っぱらいに絡まれて抱きつかれることには慣れている。そういう類のものは、気にしたらいけないのだ。構わなければ興味をなくして殆どのものは去っていく。抱きつかれて不快なんて思う余裕などない。大概、辺地の酒屋などに来るものは汗くさいか酒臭い。
何日も風呂に入っていない人などザラで、匂いなど気にしていたら辺地の酒場では働けやしない。
その点、さすがは王様だった。
お爺さんだろうが加齢臭はなく、上等な香を焚き染めているのか、すごく深みのある良い香りがした。
まだ女性の身体にはなっていないニーノの肩に顔を埋めて号泣する王様は、心から『ライアン』という人間に詫びているようで、あまり他人の感情には干渉しないニーノの心にも響くものがあった。
うっかり王様の頭を撫でてしまいそうになって、ニーノはその手をグッと握りしめた。
王は「すまん」と言いながら、ニーノから身体を離し、ニーノの両手を1つずつ握りしめる。真っ赤になった顔に鼻水を啜りながら、老人は何度も何度もニーノの顔を確めた。
「よく、、、よくここに来てくれた。ありがとう。ありがとう。心から感謝する。ニーノよ」
そして、王は騎士の1人を指差した。
「そこのお前。芙蓉の間にこの子の部屋の準備を整えなさい。今日からニーノはそこに住むのだから、抜かりのないように整えるのだぞ」
「え、は、はい。畏まりました」
指示された若い騎士は慌てて頭を下げるが、少女が王宮に住むなど予定になかった。
ただでさえ明日からの誕生祭に向けての準備で忙しく、今日は少なくない数の人間が徹夜になるというのに、それに加えて、なぜ誰かもわからない少女の部屋の準備までしないといけないのかわからなかった。
だが王の命令は絶対である。
命令されたら頷くしかない。
王は皺だらけの顔の口部分を両端持ち上げて、ニーノに微笑んでみせた。
「ニーノ。これからはずっと一緒だ。ここに住んで、これまで一緒にいれなかった時間を取り戻そうぞ」
ニーノは優しく誘う皺皺の王の顔の中に僅かに覗く緑色の瞳をしっかりと見つめた。
「ーーーいいえ、王様。それはできません」
ニーノがきっぱりと断ると、そこにいる全員が自分の耳を疑った。ルカ以外の全員が。
まさか王の言葉を否定する人がいるとは思わなかった。しかもそれがただの少女。どうみても平民の、変哲もない少女なのだ。あり得ないと思った。
そんな驚愕の視線を気にすることもなく、ニーノは姿勢を正す。
「私の家はリンドウ帝国にしかありません。これまでも、これからもです。だから王様の言葉には従えません」
「貴様っ!陛下の言葉に逆らう気か」
グレーの髪の宰相が怒鳴るが、それを王は控えるように促した。
「お前は口を出すな。この子も急に言われて動転しているのだろう。しばらくすれば考えを変えるに違いない。わしはライアンと同じ過ちを繰り返すつもりはない」
「、、、出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありません」
眉を寄せながらも、宰相は素直に引き下がる。
ニーノは眉を寄せた宰相の顔をじっと見つめる。
ニーノは人の心の機微に敏感だ。
昔の姿はわからないが、今のところ王は好好爺という印象がある。
しかし、この宰相から醸し出される雰囲気は好きになれそうになかった。ニーノに対してどうという個人的な感情ではない。人を見下す人とはまた違う、闇に生きる邪悪な性質の人間がたまにいる。溝の中にあるヘドロのような物に対するようなもので、これは生理的な嫌悪感だ。
だからといって、それはニーノには関係のない話だ。
心が純粋な政治家を探す方が難しいと聞く。
誠心誠意で活動しているジル達のような人間が珍しいのだろう。
「ニーノ。とりあえず今日はここに泊まりなさい。せめてものももてなしをしよう。明日はわしの誕生祭がある。後生だ、ニーノにはその夜会に参加して欲しい」
王は悲しそうにニーノに言う。
ニーノはチラリとルカやベネディクトの顔を覗くと、二人から頷いて欲しいという視線を受けた。
王からこれだけ低姿勢で言われて、これ以上断るのも付き添っているジャタニール公爵的には良くないだろう。
元々どこかに泊まらないといけないのだ。
今日はこの王宮に泊まって、明日は夜会に出る。
そのくらいは許容範囲かと考えを改めた。
夜会に出ることで王の願いを聞き、その代わりとしてリンドウ帝国でも今後トラブルに巻き込まれることがないように契約してもらう。
それが最良の方法だろう。
「、、、わかりました。明日は参加します。その代わり教えて下さい。私は陛下の何なのですか?」
王とニーノは同じ緑色の瞳。
オルトルーヤ国を建国した人が緑色の瞳を持つ錬金術師だった。
ニーノが5歳の頃に国をあげて探索された緑色の瞳の少女達。
そして『緑色の瞳を持つ錬金術師の少女と結婚した公爵家の人間に王位を譲る』という条件。
普通に考えると、そこには血の繋がりが関係しているのだろうが、それなら何故、ニーノは親戚という名の非情な人間達に預けられ、奴隷のような生活をしなければならなかったのだろう。
緑色の瞳の少女を探された時に、ニーノを連れていった女は命がけで隣の国に渡り、そこで捨てられたのだろう。
捨てられたからこそベックに会えて、自分らしい人生が送れてはいるが、それとオルトルーヤでの辛い生活は別物なのだ。
今でもオルトルーヤ国での暮らしを思い出すと発狂しそうになることがあるというのに。
ニーノが尋ねると、国王はとても、とても悲しそうな顔をしてみせた。
唇を震わせ、白くて長い髭がその震えで揺れる。
「、、、ライアンは、わしの唯一の息子だった。病弱で勉強も戦闘もできない息子だった。わしはそれが許せなかった。だから誰も知られないように塔に閉じ込めた。いつか病気が治り、1人前の大人になれたら出してやるつもりだった」
国王には子供がいない。
そう何度も聞いた。
だが、実は存在していた。誰にも知られないように閉じ込められて。
塔の中で、その王子に何があったのか、王は話す気はなさそうだった。
「わしの期待が大きすぎたのか、それともそれほどあやつにとって辛い訓練だったのか。ライアンは塔から逃げ出した。ーーーそして12年前のこと。今のわしのような、いや、わし以上に老けた男が王宮に来て、自分を『ライアン』だと名乗った。その男が必死にわしに言ったのだ。『子供が生まれた。緑色の瞳をした、錬金術師の血を引く娘だ』と」
王は顔を歪める。
「生まれたばかりの娘が錬金術師だなどという言葉を信じれるはずがなかった。わしは鼻で笑ってその男を追い出した。だが7年前にその男がライアン本人だったとわかった。わかった時にはもう遅かった。ライアンはすでに12年前に死に、子供だと言った娘は7年前からどこを探しても見つからなかった」
もうこれでわかるだろう?と、王は自嘲するように笑ってニーノに首を傾げてみせた。
「緑色の瞳を持つ錬金術師の少女は、わしの唯一の孫娘。ーーーニーノ、お前のことだ」




