憧れた人との出会い
外堀の城門を越えて、ルカ達はとうとうオルトルーヤ国の城の中に入った。
城は水平線に添うように長い円形に建てられていて、内堀の外は城下町として賑わっているが、内堀の門を抜けると一気に静寂が訪れた。
王の誕生祭のために来た賓客は、同じ内堀でも別の別の門から城の中に入っている。そちらは大広間があり賓客用の宿泊施設があるために華やかに飾られ、できる限りのもてなしを受けているだろうが、ルカ達は賓客ではない。
内部の人間しか入れない門から入り、決められた道順を辿って城まで進む。
あちこちで騎士が常駐しているが、警備のためにいるので石像のように静かだった。
城の中を走らせるわけにもいかず、馬をゆっくり歩かせながら、馬の前に乗るニーノにルカは説明した。
「王は、明日から行われる誕生祭に向けて、今日は普段以上にお忙しいはずです。その時間を短時間でもいただくには、数多い手続きが必要になります。中でも一番厄介なのが、王の右腕であり宰相のガーナ様です。彼が認めなければ本日中の謁見は不可能になるでしょう」
辿り着いた城の壁の前で馬から降りて、入口の側に設置されている馬の厩舎に馬を入れる。
そこから出て、城の入口に戻り、そこで警備している騎士に通過札を見せた。
すぐにその騎士はルカに敬礼する。
「これはルカ様。行方不明になられたと伺っていましたが、ご無事だったのですね」
ルカは頷く。
「心配させたようですまない。この通り無事に戻ることができた」
ルカは騎士としての姿勢に戻り、凛とした姿で後輩であろう男に返事した。後輩騎士は安堵しながらも、改めて緊張した面持ちでルカに向かう。
「ルカ様をお待ちの方がいらっしゃいます。ご案内しても宜しいでしょうか」
言われてルカは眉を寄せた。
待つということは、ここにルカが来ると知っていたということだ。
先刻対峙したマダヤカス公爵の関係者かもしれないと思うと、思わず気が張ってしまう。
「、、、どこの者だ」
「ベネディクト様の遣いの者と言われ、その証拠の品も確認できています」
ベネディクトはルカの兄だ。
確かにベネディクトの遣いの人間ならば、ここにルカが来ることも知っているだろう。
「そうか、兄さんの。では案内してもらおう」
ベネディクトの証拠の品もあるなら大丈夫だろう。ルカは後輩騎士に微笑む。
だが、その騎士は言葉に反して、案内することを躊躇っているようだった。
「、、、ですが、、、」
と、ルカの顔色を伺う。ルカは訓練や任務には厳しいが、それ以外では無駄に人を脅かすことなどしない。
ルカの顔色を伺うということは、その案内する人物が怪しいということになるのだろう。
ルカはその意図を汲んで、その騎士に手のひらを広げ、待てのポーズを取る。
「言いたいことはわかった。それでも、ベネディクト兄さんの証拠を持っているのであれば、会う必要はあるだろう」
「はい、、、」
後輩騎士は頷き、厩舎と反対側にある待合室に入っていった。
そして後輩騎士とともに現れたのは、激しく美丈夫な男だった。
兄のベネディクトと同じ20台前半くらいの年ではあろうが、貫禄のようなものを感じる。
着ているものはやや質素にしていても、その質は極上の絹を使った白いブラウスに、騎士も使用している上位魔物の革を使ったストレートパンツ。
ゆったりとしたブラウスのせいで体格が少し隠れているが、鍛えて引き締まった筋肉は完全に隠せていない。
そしてそれ以上に目を奪われたのは、その男の美貌だった。
オルトルーヤ国1、2を争うと言われるルカが嫉妬するほどに整った顔立ち。
優しそうにも見えるが意思の強さを示したその眉と凛々しい目元は、男同士だというのに見惚れてしまいそうになる。
黄金の濃いめの金色の髪。
歩いて近づくその姿は優雅。
その存在感だけで圧倒され、ルカは思わず後退った。
こんなことが。
こんなことがあるなんて、とルカは思う。
初めて会う人物。
気品はあるが、何者かもわからないというのに、ルカは思わず膝をついて最敬礼の挨拶をしそうになった。
なぜ、とルカは自問自答してしまう。
その男は、ルカの横にいる少女ににこりと微笑んだ。
少し屈んで、すらりと長い腕をニーノに伸ばす。
「ニーノ。久しぶりだ」
ルカはぎょっとしてニーノを振り返った。
ニーノを知っている。
急に不安になった。
「ジル様」
表情をあまり表に出さないニーノも、乏しい表現力の中でも最大限に嬉しそうな顔をして、その男に近付こうとする。
「ニーノさん。お待ちください」
ルカはニーノの前に手を伸ばし、男に駆けつけようとしたニーノを遮断した。
この様子では、ニーノはこの男に駆け寄り、ニーノを抱き上げるだろう。
知り合いなのであれば尚更、この男は怪しいとしか言い様がなくなる。この国の人間ではないということになるのだから。余程のことがない限り、リンドウ帝国の人間はオルトルーヤ国には入れないはず。
ルカに止められて、ニーノはルカを見上げた。
「ルカ様。この方は、、、」
ルカはニーノの言葉を切った。
「いえ、ニーノさん。貴女の知り合いであるならば疑いたくないのですが、私はベネディクト兄さんの遣いと聞いています。ならば、まずその要件を伺いたい」
ジル、とニーノの呼ばれた男。
どう見てもただ者ではなかった。間違いなく貴族だ。
平民であるニーノと貴族が親しいはずがない。
貴族であろうリーネとニーノは仲が良さそうだったが、あれは酒場で知り合ったと言っていた。
目の前のこの男が酒場に行くことを考えて、ルカは頭の中で否定する。
こんな見事な気品のある、とんでもない美形が酒場などに行こうものなら、女達の取り合いで事件になるだろう。それだけでなく、どう見ても平民の酒場などに行くような人間ではないことはわかる。
何か理由があってニーノに近付いた。
そう考えた方が、理由としては容易に納得できる。
ジルはちらりとルカを見た。
頭から足元までじっとりと見られたわけではないのに、視られた、と思った。
「貴方がルカ殿ですね。どうやら怪しまれているようですが、心配するようなことはありませんよ。ベネディクト殿から、ちゃんと言付けも預かっています」
白いブラウスの胸ポケットから、一枚の折り畳まれた紙を取り出してルカに差し出した。
それをルカが受け取ろうとすると、受け取る手前でひょいと避ける。
ルカはむっとしてジルを睨み付けた。
そしてジルは腕を組み、明らかにルカを挑発するように隙のある体勢をして、力を抜いた。腕を組んだ端から、渡されようとしていた紙がはみ出している。
「渡すその前に、人生の先輩として言いたいことがいくつかある」
ジルが指を一本立てる。
紙を持っていたはずなのにそこには紙はなく、代わりにルカの剣が握られていた。
「えっ?」
ジルは薄い唇を軽く開いた。
「1つ目。剣は飾りじゃない。命の次に大切なものとして、絶対に敵に取られないように」
「な、なぜ」
ルカは自分の剣が腰にささっていないことを触って確かめる。いつの間にか盗られていたことに全く気付かなかった。
ジルがもう一本指を立てると、急に身体が重くなった。マイリントアに重力魔法をかけられた時と同じ。
魔法を使われたのだと悟った。
「2つ目。初対面の人に敵意を剥き出しにするのは、大人としてまだ未熟。相手を見極めるまでは控えなさい」
そしてもう1つ指を立てると、今度は左胸に衝撃が走った。
何かの攻撃魔法だろうか。強くはなかったが、急所に直撃されて息が止まるかと思った。
「3つ目。誰かを守ると決めたら、ちゃんと守らないと後で後悔します。心も身体も今以上に精進しなさい」
重い言葉だった。
ルカは震えた。
ジルとの戦闘においての実力差は歴然だった。
エリート騎士の中でもエリートと言われていたのに、これほどの力を見せられてしまうと、戦う気もなくなってしまう。
「あ、貴方は一体」
ジルはルカが身震いしたのを見て、急に明るく笑って、はははと声に出した。
美形が笑うと、ここまで魅力的なのかと思う。
「すまんな。君のお兄さんが、頭を下げて弟を宜しくなどと言うもののだから」
「ベネディクト兄さんが頭を下げる、、、?」
あの完璧主義の兄が、見知らぬ人間に頭を下げるはずがない。その想像もできなくて、ルカは首を傾げた。
「ニーノと俺の妹が世話になった。ベネディクト殿から、君が俺を慕っていると聞いたものだから、ちょっとからかってしまったんだ」
ルカは更に混乱した。
自分が慕う?
ニーノと妹。
妹というのはリーネのことだろうか。
世話をした覚えはないが、それ以外にリンドウ帝国の人間を知らない。
魔法が使えて、異常なほどに気品があり、後退りしてしまうほどの威厳を感じるこの男。
だが、嫌悪しているリンドウ帝国の人間を自分が慕うなどということはないはずだ。
ーーーいや、ある。
あるが、、、、。
そんなリンドウ帝国の人物は、1人しかいない。
でも。
そんなまさか、とルカは自分の考えを否定する。
あり得ない。だって彼は。
ジルはルカに手を差し出した。
握手をするための手を。
ついその手を握ってしまい、ルカは自分の意思に従わない腕を殴りたくなる。
そのルカを眺めるジルの瞳は深い色をしていて、吸い込まれそうになった。
「俺の名前はジル・フレッド・グランドロス。隣の国の人間だというのに、俺の名前を知ってくれていると聞いた。嬉しいよ。ルカ」
ルカ、と呼ばれて、身体中に戦慄が走った。
肌が粟立つというのはこのことかと実感する。
ルカはすぐに隣にいるニーノを見下ろす。ニーノが深く頷いたのを確認して、ルカは声にならない声をあげた。
「な、な、な、なぜ、なぜ貴方がここに」
ルカの知る、ジルという青年は同じ公爵という親の子供にして、世界でも有数の、莫大な財力を持つ父親に甘えることなく、自身の力で受け持つ領地を発展、拡大していた。
世界最強レベルの魔力と、世界最強レベルの剣術を併せ持つ闘いの達人。
この世のものとは思えないほどの美貌と肉体を持った上、商人としての才もあり、商売をする人間の中で世界でも彼の名を知らない人物はいないと言われるその人は、リンドウ帝国の皇帝の血を引き、望めば皇帝にさえなることができる位置にいると聞いた。
5年前、理由はわからないが何故か1年という長い期間、謹慎を命じられたという。
噂では謀反を起こしたという話もあったが、本当に謀反であれば謹慎が1年では済まないだろう。
詳しく語られることはなかったが、彼はその翌年、世界で唯一無二の聖女と結婚し、聖女とともに貧しい子供や地域を救う方に尽力しているのだと語り継がれた。
そんな公爵子息の話を今のニーノくらいの年の頃に聞いて、ルカは英雄のように彼に憧れた。
彼が騎士になったことがあると聞いて騎士を目指し、騎士の中でも近衛騎士だったと知ると近衛騎士にもなった。
元々野蛮なリンドウ帝国という噂から、その国を毛嫌いしていた国だったが、憧れの公爵子息が1年の謹慎処分を受けたと知って、国に対して憎しみまで覚えた。
偉大なる彼が過ちを犯すはずがない。
彼ではなく、国が間違っているのだろうと疑わなかった。
いずれ公爵となるであろう彼は、今でもリンドウ帝国の中で、輝かしい自分の道を貫いているのだろうと思っていた。
噂通り、眩しいほどの美貌を持ち、自分よりも遥か高い位置の闘いの能力がある。
優しい表面の奥に、到底踏み込むことはできそうにない覇気を感じる。
噂通り。いや、それ以上の人物だと思った。
会うのを夢見た。
だがリンドウ帝国は敵国。
その人物とは会うことさえ叶わないだろうと思っていたのに。
「ジ、ジル様、、、」
握手する手も震え、ジルの手から伝わる体温を感じるのが精一杯だった。
「ジルで良い。私もルカをそう呼んだのだから」
はにかんだその笑顔に、ルカはこれ以上ないほどの感動が身体を駆け巡った。
「、、、もうこの手は一生洗いません」
呟いたルカを、ニーノは冷たい瞳で止める。
「何を言ってるの。ちゃんと洗ってね、その手。本来はルカ様、神経質な綺麗好きでしょ」
ルカは興奮しておかしくなってしまっている。
「し、しかしニーノさん。ジ、ジル様ですよ?あの天下のジル様がまさか、自分のこの手を握られるなんて」
「天下のって何よ。ジル様はジル様でしょ」
「今のところ、天下を取るつもりはないな」
ジルはさも可笑しそうに笑って、その顔でニーノにも近づき、ニーノの頭を撫でた。
「ニーノも大変だったようだね。君は俺の第二の妹のような存在だ。何か困ったことがあれば、誰より先に俺に言うがいい。何でも相談に乗るから。わかったね?」
撫でられた頭をニーノは困ったようにしながらも、少し嬉しそうにニーノは微笑んで頷いた。
「ありがとうございます」
ニーノが素直に受け入れることも信じられなかった。
やはりジル様は神のような存在なのだろう。
ルカは尊い人を目の前にして、それでもやはり疑問は次々に浮かぶ。
「しかし、なぜニーノさんがジル様とお知り合いなのですか。ジル様は高位貴族のお方なのですから、一般の者には決して近づくことさえできない方のはずでは」
それにはジルが答えた。
「ニーノは、俺の地域活動の仲介役にもなってくれているんだ。この子はとても賢いからね。経験したことは決して忘れない。そのおかげで、たまにしか地域に行けていないが安心してその情報を受け取ることができているんだ」
ジルはニーノを子猫にそうするように頭を撫でた。ニーノも少し煩わしそうに眉を寄せて片目を閉じる。
「ジル様。またそんなことを言って。私はただ、酒場で働いているだけですよ。たまにふらりとやってきて、私と世間話をしているだけでしょう。そんな言い方したら、私が凄い人間のように思われてしまうから止めてください」
ニーノは乏しいながらも顔に不満を表した。
ぶすっとした顔がまた可愛い、とルカは思う。
思うが、ジルと話をしているニーノを見ると、むしろ嫉妬心のようなものが浮かんできた。
憧れのジルと知り合いだったとは。
羨ましいにもほどがある。
そしてジルの話を聞いて、ニーノが貴族慣れしていたこと、敬語を上手に使えることの理由がわかった気がした。
ジルの妹であるならば、リーネも公爵令嬢ということになる。あのお転婆娘が公爵令嬢とはとても思えないが、今になって考えると、確かにリーネの仕草は平民とは思えないほど優雅で綺麗だった。
公爵令嬢か。
ニーノがリーネとは同等に敬語も使わず話をしていたことを思い出す。ジルが公爵子息と知っていて、妹が何者かを知らないということはないだろうが。
「妹の、、、リーネ様も、情報収集のために市民の町に降りて酒場まで足を運ばれているのですか?」
ルカが尋ねると、ジルもニーノも、2人で手を振って否定した。
ジルは破顔する。
「リーネはそんなものではなく、ただ、美味しい食事を食べたいためにニーノのところに通っているだけだ。家では最高級の食材で世界一のシェフが腕を奮っているというのに、ニーノの店の味が好きなのだと言うんだ。いずれ皇后陛下になる身だというのに、そんなことで良いものかと悩んでもいるのだけどね」
はぁ、とジルは大きなため息を漏らした。饒舌になって話を続ける。
「それでもリーネは凄く可愛いだろう?いや、顔も可愛いが、それよりも性格というか存在がもう、至上の域で愛しすぎるものだから、俺もつい許してしまうんだ。本当に困ったものだな」
「え?」
ルカはさらりと言われた言葉をもう一度聞き返す。
あまりに自然に言われて聞き逃しそうになったが、自分の耳で聞いた言葉を頭で反芻する。
『いずれ皇后陛下になる身だというのに』。
ルカは目を大きくしてジルを見つめた。
「ジル様。今、、、」
ルカが聞き返そうとして、こそっとニーノが耳打ちしてくる。
「ジル様は非の打ち所がなさそうで、病的に妹煩悩が過ぎるのよ。ジル様の前で絶対にリーネの文句を言ったらダメよ。瞬殺されてしまうから」
それはそれで確かに重要事項ではあるが、ルカが聞きたかったのはそれではない。
ジルはポンと手を叩いた。
「あぁ、そうそう。妹で思い出した。可愛いリーネが首を長くして待っていることを忘れてしまっていた。こんなところで油を売っている場合ではないな。俺は頼まれて、ニーノとルカを呼びに来たんだったよ。はい、これ。君の『ベネディクト兄さん』からだ」
ジルはそうして、持っていた紙をルカに渡した。ルカはその折り畳まれた紙を開いて読む。
『ルカへ。
お前の敬愛するジル殿が、俺の代わりにお前を呼びに行ってくれると言うので甘えることにした。彼を敬愛するお前のことだから、まさか無礼なことをするとは思わないが、彼はとても怖いお方だ。くれぐれも粗相のないようにした方が良い。
では、謁見の間の控え室で待つ。ベネディクトより』
ルカは読んで黙る。
書状でもなく、封に閉じるでもない、ただの紙に書かれた内容にしては、とても重い。
そして『彼はとても怖いお方だ』という一文が何より恐ろしく感じた。
ベネディクトが頭を下げて、弟を宜しくと言ったという言葉も、こうなってくるとかなり深い意味合いを持つような気がしてきた。
完璧主義者のベネディクトが、こんな見られて困るような手紙を、ただの紙に書いて本人に渡すとは思えないのだが。
だが書かれたものは兄の字に間違いない。
だから、兄の身に何があったのかを心配しなければならないのかもしれない。
あの兄が『怖い』と思うだけの何かが、きっとあったのだろうから。




