王宮間近。門番前の出来事。
いつの間にかルカの右足に装着されていた装具は、驚くほど動きやすかった。
試しに馬に乗ってみたが、自分の本物の足と大差ないほど細部まで力を調整できる。
ただの装具でないことは間違いない。
「ニーノさん。手を」
馬の上から差し出されたルカの手をニーノは掴む。ひょいと軽々持ち上げられ、ニーノはルカの腕の中に収まった。
ルカは満面の笑みをニーノに向ける。
あまりに生き生きとしたルカは、呆れてしまうほどに嬉しそうだ。
「やはり両足で踏ん張れると、出せる力も段違いですね」
何度目かも数えれないほどの爆発音が響いて、ニーノはルカの引き締まった胸元をトントンと叩く。
「感激するのはそのくらいにして、早く出発しましょ。ここもいつ火の海になるかわからないわ」
ルカは思わず興奮してしまっていた自分に気付き、はははと笑ってみせる。
「申し訳ありません。年甲斐もなくはしゃいでしまいました。そうでしたね。急ぎましょう」
マイリントアがかけてくれた隠蔽するための幻影魔法は、あと数時間は残っている。周りからはニーノとルカは見えず、馬だけが走っているように見えているだろう。
朝一番に馬車がマダヤカス公爵邸を出たというのに、もう日は西に傾いている。
明日からは王の誕生祭が始まる。
今日中に王宮にたどり着きたいところではあった。
だが、マダヤカス公爵とその娘は先に王宮に向かっているだろう。
ニーノ達が転移の魔道具を使用したと思い込んでいるであろう彼らは、それでもまだ諦めずに何かを企む可能性がある。
油断はできなかった。
「準備のためにジャタニールの屋敷に戻りたいところではありますが、マダヤカス公爵のものがすでにジャタニールの敷地内に忍び込んで待機しているかもしれません。安全を優先して、直接、王宮に向かいましょう」
「王宮に直接?」
ニーノは自分の服を見る。
あまり服を気にするタイプではないが、この半月、ニーノは森を彷徨ったり、屋敷に閉じ込められたりした中で、ルカが買ってくれた服はボロボロになっていた。
こんな服で王に謁見するなど、無礼になったりしないだろうか。
それによってルカが罰せられたり、一緒にいるルカが周りから嘲笑されたりしないか、心配になった。
ルカはそんなニーノの様子を鋭く察知する。
「着るものに対しての心配は無用です。王宮についてから、兄の商会の者に頼みますから。兄の店なら、オーダーメイドのようにニーノさんの身体にあうドレスが必ずありますよ」
「ドレス?」
ニーノはルカを振り返る。ぎょっとして斜め上を見上げると、すぐ近くにルカの顔があった。ニーノと目が合い、ルカはニコリと微笑む。
「ニーノさんに今の服を渡した時は、その服が似合うと思っていましたが、今となるとニーノさんにはもっと別のものが似合う気がしてきました。小さな花を散りばめたような、、、そうですね。淡い黄色に白い小さな花を散らしたドレスなどいかがでしょう。いや、落ち着いた深い青に花を散らしてもいいかもしれない」
ルカは楽しそうにニーノの服をイメージしながら呟いている。ニーノは慌ててルカの腕を引っ張った。
「ちょ、ちょっとルカ様。私はドレスなんて着こなせないし、貴族のマナーも知らないわ。無礼にならない程度の普通の服で、ルカ様の後ろについて挨拶するだけがいいのだけど」
「そういうわけにはいきません。むしろニーノさんが重要で、私はあくまで付き添いなのですから」
そう言われると、確かにルカは自分が付き添いだとはじめから言い続けていた。ルカの後ろにいるのは間違いなのかもしれない。でも、とニーノは思う。
「だからって、めかし込まなくてもいいじゃないの。どんな格好をしようが、私は変わらないわ。美人でもなし、、、」
ニーノの言葉に、ルカは拗ねるように口を歪めた。
「ニーノさんは充分可愛いですよ」
それは自分の価値観を否定されて気分を害したような拗ね方で、かぁっとニーノの顔が赤くなる。
ニーノが否定したのは、ルカのことではなくニーノ自身のことだというのに。
「、、、ルカ様は最近、私のことを過大評価しすぎよ」
「過大評価ではありませんよ。ニーノさんは確かに派手な顔立ちではありませんが、整った顔はしています」
ルカは自分の前にいるニーノの顔立ちを冷静に見る。
はじめはあまりに平凡で、美人ではないと思っていたが、ニーノはまだ成熟した女性ではなく、飾ることも知らない。
顔立ちは整っているのだから、化粧や服で一気に化けるだろうとは予想できる。しかしそれだけでなく、ニーノの問題は、変化に乏しい表情にある気がした。
喜怒哀楽の表現が少なすぎる。
お面のような顔は、見ていて面白さに欠けていたが、ニーノの性格に慣れてくると、ふとした時にちゃんと微笑んだり悲しんだりしていることに気付くようになった。
今でも、ニーノは顔を赤くして照れている。だが、多分、他の人は今のニーノを見ても、ニーノが顔を赤くしていることも照れていることにも気付かないだろう。
しかし気付いてしまえば、その僅かな表情の変化がとてつもなく可愛いとルカは思う。
ただ、それを言葉に表すのはとても難しい。
何が可愛いのだと、はっきり言えるものではないのだ。
曖昧にしかニーノに説明できないのが悔しいくらいだった。
ニーノはまた、乏しい顔の変化でルカの言葉を反らす。
「私にお世辞はいらないわ。それより、ルカ様。王宮って、まさかあれのこと?」
ニーノは走る馬の上から、遠くの山を眺める。
山の端から端に、長く続く白の建物が見えた。建物は広さだけでなく高さもある。その建物の中央から、山の頂上が頭を出していた。山の頂には雪が降り積もっている。あの山の高さはただ事ではない。
ルカは大きく頷いた。
「そうですよ。あれが我がオルトルーヤ国の王宮。王の住まう場所です」
山はまだ遠くにあるはずなのに、それでも地平線の端から端に見えるほど大きい城は、どれだけ大きいというのだろう。
「オルトルーヤ国の城は世界でも最大級の王城です。あれだけ大きな城を落とすのは容易ではない。何度も滅亡の危機が訪れてもオルトルーヤが滅ぶことなく現存しているのは、あの王城があるからといっても過言ではないのです」
オルトルーヤ国を愛するルカは、自国への誇りを満面の笑みで語る。
「オルトルーヤ最古にして最大の古代遺跡。それがあの城ですから」
「あれが古代遺跡なの?」
見る限り、とてもそのようには見えない。ただの巨大な建物のようだ。街のように大きくはあるけれど。
「そうですよ。ニーノさんも、入ったらわかります。ここからなら、あと2時間もすれば王宮の門に辿り着けるでしょう。なんとか間に合ったようですね」
ルカはほっと息をつく。
もう陽は暮れかけて、空が赤く染まり始めていた。着く頃にはちょうど暗くなるだろう。
本来ならば夕方にはもう王宮には入れない。
だが今日は、たまたまそれを許される日なのだ。
王の誕生祭の前夜。
各国の要人達。そして国内から多くの貴族が集まる。
そのため、門を開けて受け入れるのだ。
「幻影魔法はそれまで続くかどうかが心配ですね。多分、マダヤカス公爵の手の者は王宮の門のところで待ち伏せをしているでしょう。王宮に入ってしまえば手が出せなくなる。王宮の門までが、向こうにとってはニーノさんを奪い返す最後のチャンスでしょうから」
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ルカの予想通り、王宮の門に辿り着いたのは、空が紅の光を失って暗くなった頃だった。
マイリントアのかけてくれた魔法は30分ほど前に消えてしまったようで、有名な上に異様に目立つルカを、多くの人が注視していた。
門に入るための検問を前に、馬車が行列を成している。その横に徒歩や馬のみに乗る人間が並ぶ。
ルカ達は馬から降りて、検問のための列に並んでいた。
そんなルカを見て、優雅な馬車の中から女の声があちこち聞こえてきた。
「ルカ様だわ。今日も素敵なお姿。麗しいわ」
「ルカ様の前にいる方はどなたかしら」
「格好からして、貴族ではなさそうですわね。ルカ様が女性と一緒だなんて珍しいことですけれど、あれじゃあ、ねぇ。うふふ」
「下女か奴隷でしょう。あのようなものと一緒にいるなど、ルカ様はお優しいこと」
馬車の窓から顔を出して、それぞれ勝手に話をする女性達の声がニーノにも聞こえた。
ルカがむっとして顔をあげたところを、ニーノが宥める。
「ルカ様は人気があるのでしょ。一緒にいたら、私じゃなくても文句言われるに決まってる。そんなの気にしていたらキリがないわ。私は気にしないから、ルカ様も気にしないで」
冷静なニーノの声に、ルカは眉を下げる。
自分よりも小さな少女がそう言ってくれているのに、ここで他者に怒りをぶつけるのは大人げないというものだろう。
しかし、見ている限り、ニーノはいつも我慢してばかりだとルカは思う。
耐えて耐えて。
その小さな身体で、そこまで耐えられるようになるまで、どれだけのことがあったのだろうと思うと、胸が締まる。
ルカはニーノの頭に手を置いた。
「ニーノさん。我慢はしなくていいんですよ?貴女はもっとワガママになっていい。自分に素直になっていいのですから」
ルカに言われて、ニーノは首を傾げるしかない。
「我慢など、していないけど」
本気でそう思っているらしいニーノに、ルカは更に眉を下げてニーノの頭を撫でた。
「、、、貴女がそういうなら、そうなのでしょうね」
ルカがニーノの頭を撫でたことで、周りから女の悲鳴が聞こえる。あのルカ様が人前で女性に接触するなど、あり得ないことだと驚愕する。
ルカはうるさい女達からニーノを守るように、馬と自分の間にニーノを隠した。
「もう少し時間はかかると思いますが、大丈夫ですか?」
たあ
「私は大丈夫よ。ルカ様は?」
「私こそ、ニーノさんの装具があるので、あと何十時間でも大丈夫ですよ。もし足が疲れたなら、遠慮なく言って下さいね。私が抱えますので」
ニーノは苦笑する。
「絶対に遠慮しておく。こんな視線の中でそんなことされたら、針のむしろだわ」
ルカとニーノが他愛もない話をしていると、検問のために並んだ前が空くので進む。ルカ達もそれに続こうとした。だが、ニーノは動かなかった。
「ニーノさん?」
ニーノも続くとばかり思っていたルカは、ニーノが動かないことを不思議に思ってニーノを振り返る。
ニーノは青い顔をして、自分の足元を眺めていた。動こうとはしているらしい。だが動けず、身体がモゾモゾと揺れているだけだ。
「どうかしたのです、、、それは?」
見ると、ニーノの足が、土に埋もれていた。
下に沈んだのではない。
足の上に土が盛り上がっている。
あくまで土なのだから、足を上げれば土は除けれそうなのに、ニーノがどんなに動こうとしても土が動かないようだった。
「土が固まってしまっているの。足に鎖をかけられたみたいに」
重い鎖は分厚い鉄でできていて、それを足首につけられたら持ち上げることさえできなくなる。
ニーノも昔、親戚という名の家族に、罰と言われて家の地下室に入れられ、足に重い鎖をつけられたことが数回ある。
灯りもなく、じっとりと湿った地下室では、水も食べ物も与えられず3日を過ごした。
喉の渇きと空腹が限界にきたところで地下室から引っ張り出されて、そのあとそのボロボロの身体に何百回と鞭を打たれた。
ニーノが何をしたというわけでもない。
ただ気にくわなかったというだけで、その罰はニーノに実行された。
今、あの親戚の家はマダヤカス公爵領地にあるというが、あると言われたからと、またそこに行きたいという気持ちにはならない。
ただ、足が土に埋もれて動けないというだけで、あの日の地下室のじっとりとした感覚が記憶に鮮明に思い出されるのが嫌だった。
ぎゅうとニーノは目を強く瞑る。
ここはあの地下室ではない。
もう、鎖のために血塗れになった足を引き摺ることはない。
ニーノは自分に言い聞かせる。
心が強くないと生きていけなかった。
強くありたいと思うことで、なんとか生きていけた。
「、、、、ルカ様。私に思い当たることが」
ニーノは口元に力を入れて、ルカを見上げた。
「何ですか?」
「マダヤカス公爵のご息女シャーロット様が、多分、近くにいるはず。探して下さい。あの人は能力者です」
シャーロットは、精巧師だ。
そこに物さえあれば、操り造ることができるという、稀少な能力者。
「探さなくても、でてきてあげるわよ」
艶やかな声が聞こえた。
長蛇の列を乱して、抜け駆けする形で馬車を門に向かわせていたマダヤカス公爵の馬車は、ルカ達の馬の横にその足を止めた。
茶色の長い髪。
狐のように細くつり上がった瞳は、隣にいる壮年の男とよく似ていた。無駄に豪奢な服で着飾り、装飾物で人を威圧する姿もまた、同じようである。
シャーロットという女性の横に堂々と座っている男に気付き、ルカはその場で片膝をついた。
騎士としての最敬礼の構えをとって、頭を下げる。
「マダヤカス公爵様、、、」
本来ならば、公爵を讃える言葉をかけるべきなのだが、ルカは、この状況でかける言葉を見つけきれなかった。
ニーノを奪われたこと。
そのニーノを奪い返したこと。
貴族としての地位であるならば、ルカと公爵では段違いであるが、お互いがお互いにしたことを考えると、ここで公爵への賛辞を述べるのもお門違いである。
恒例に則り、形だけの礼を尽くすことしかできなかった。
短く切って揃えた茶色の髪。口元に刻まれた皺と、細いのに鋭いその瞳には、冷酷さを感じる。
「久しいな。ジャタニール公爵の三男か」
「は」
ルカは更に頭を下げる。
その姿を見て、周りの人間達も、マダヤカス公爵が馬車に乗っていることに気づいて距離を取った。
マダヤカス公爵の残虐さは国中が知っている。それでも処罰されないのは、マダヤカスのこれまでの功績が大きいせいだ。
「随分と大きくなった。騎士団でも腕を磨き精進しているようだな」
「ありがたきお言葉」
ルカは顔を上げない。地面を見つめたまま、この状況をどうすれば切り抜けられるか考える。
隠れていたとはいえ、ニーノをマダヤカス公爵から直接奪い返したのだ。無礼と言われて斬られても文句は言えない状況。例え、元々ニーノを保護していたのがルカだったとしても。
マダヤカス公爵は、顎の先に短く生えた髭を包むように撫でている。
「、、、はてさて。ルカ様。その横にいる少女は、私の探し求めていた者ではないかな?」
マダヤカス公爵は、とぼけた様子でニーノを横目に見た。
「王家に申請に行くために同行した娘によく似ているが。途中、盗賊に襲われてな。連れて行かれたのだよ。そなたが保護してくれたのか。どうしたものかと心配していたが、助かった。礼を言う」
マダヤカス公爵はそこで口を閉じる。わずかに口元を笑顔にしているが、目は全く笑っていなかった。
俯いて黙ったままのルカの次の行動をみているようだ。
素直に少女を渡せば、このまま穏やかに和解できるだろう。
だが、もし逆らえば。
公爵と、エリートとはいえただの騎士の1人。公爵が言うことは、どのような形になろうと文句は言えない。
ルカから公爵家がニーノを奪ったという証拠はないのだ。同じく、ルカが公爵家から奪い返したという証拠もないが、同じ状況であるならば、地位が上の者の発言力の方が強い。
「、、、いえ、、、」
ルカは必死に考える。
逆らって殺されれば、結局はニーノを奪われる。
だが、だからといって素直にマダヤカス公爵にニーノを渡すことは決してできない。
それは王位をマダヤカスに譲るということだけではない。
1人の人間であるニーノを、まるで物のように簡単に受け渡したくなかった。
マダヤカス公爵に渡せば、ニーノが必ず傷つく。
ニーノを守ると約束したのに。
ニーノを裏切ること。
それだけは。
死んでもそれだけはできないと思った。
「このお方は、マダヤカス公爵様にお渡しすることはできません」
ルカは膝をついたまま、マダヤカス公爵を見上げた。
マダヤカス公爵の片眉がピクリと大きく動く。
「、、、何だと?」
「この方は大切な方なのです。私の身命を賭しても守る誓いを立てました。申し訳ございませんが、お渡しするわけにはいきません」
はっきりと言い切ったルカを、マダヤカス公爵は睨み付ける。負けじとルカも公爵を凝視し、沈黙が流れたあと、マダヤカス公爵が笑いだした。
「はっはっは。噂には聞いていたが、面白い男だ、ルカ殿。そんなに冗談がいえる男だとは、思ってもいなかった」
笑うマダヤカス公爵の横で、娘のシャーロットもクスクスと笑う。
穏やかな雰囲気かと錯覚しそうになるが、ルカは笑えなかった。
マダヤカス公爵から、ずっと殺気が零れている。
「だが、もうそんな冗談はここまでだ。その娘を渡さねば、どのようなことになるか、わからぬそなたではなかろう。さぁ、無惨な姿になりたくなければ、その娘をこちらに寄こすのだ」
マダヤカス公爵に伸ばされた腕。
すべての指に嵌められた高価な指輪が視界に入る。
この指輪1つで、先ほどの廃れたマダヤカス公爵領が少しでも潤うはずなのに。
こんな男を、この国の王にするわけにはいかない。
「、、、渡せません」
はっきりと、ルカは言い切った。
そしてニーノを自分から離した。逆らった瞬間、首を斬られてもおかしくない。ニーノをその巻き添えにならないように、ルカはニーノを後ろに押し退ける。
「ルカ様、、、っ」
困惑したニーノの声が耳に届く。
逃げれるなら逃げて欲しかった。
だが、今の状況でニーノ1人で逃げれるはずがない。自分が死ねばニーノは間違いなく捕まる。
渡すわけにはいかないが、死なない方法をルカは必死で探した。
「ーーーこのお方は、隣国の公爵家、グランドロス公爵様より預かった、大切なお方なのです。マダヤカス公爵様といえど、その命に逆らってこのお方をお渡しすることは、決してできません」
ルカは嘘をついた。
ルカの唯一無二の、尊敬するリンドウ帝国公爵家嫡男。
彼に憧れて騎士になり、経営というものにも興味を抱いた。
つい口にしてしまったのは、その人物が常に理想としてルカの中で掲げているからに他ならない。
リンドウ帝国は嫌いでも、彼がいる限り憧れはそこにある。
グランドロス嫡男どころか、グランドロス公爵に会ったことはなく、リンドウ帝国に行ったことさえない。
それでも、嘘をつくなら。
マダヤカス公爵に張り合えるのは、そこしかなかった。
突出した魔力。桁違いの財力。
リンドウ帝国唯一の公爵家であるグランドロス家ならば、どこの国の王にも匹敵する力を持つ。
実際、マダヤカス公爵の顔色が変わった。
嘘であることは間違いないはずだが、リンドウ帝国のグランドロス公爵の名を出されて、それをすぐにはね除けるわけにもいかない。
万が一があれば、大事になってしまう。
マダヤカス公爵は、頬をひきつらせて探りを入れてきた。
「ーーーまた、そのような冗談で私を笑わすつもりなのだろう?」
ルカは首を振る。
「いえ、冗談ではございません。確かに、私はグランドロス公爵より命を受けました」
マダヤカス公爵は、苛立って額に血管を浮かせた。
「なんと愚かな嘘をつくのだ。では証拠を見せろ。その者の依頼であるのならば、書状があるはずだ。グランドロス公爵の紋章を印した、書状を見せるがいい」
「、、、ぐ、、、」
確かに、わざわざ隣国より命が下ったのであれば、紋章つきの書状は欠かせない。
他国の者が国境を超えるだけでも、余程のことなのだ。
リンドウ帝国は友好国ではない。
1人国境を超えるだけでも、諜報員の可能性があるとして厳重に管理される。
グランドロス公爵からの人間であれば、必ずその者の身分を保証する書状があるはず。
書状がなければむしろ、公爵を偽ったとして厳しい罰が下る。
ルカは目を閉じて眉を寄せた。
それを見て、マダヤカス公爵は大きく破顔した。
「は。ないのであろう?なんと馬鹿なことを。ジャタニール公爵の子息ともあろう者が、そんな愚かな嘘をつくとは情けない。ーーーその罪、どれほどのものか、よくわかっているであろうに」
これ以上ないというほどのマダヤカス公爵の笑みに、ルカは悔しくて顔を反らした。
「ーーー書状なら、ここにあるわ」
急に、後ろから声が聞こえた。
ニーノの声だ。
ルカは何事かと振り返る。
マダヤカス公爵の言葉通り、そんな馬鹿なことがあるはずない。
ルカは嘘を言ったのだ。嘘なのに書状があるはずなかった。
「ニーノさん、何を、、、」
そう言ってニーノを見ると、ニーノの手には確かに書状らしき物が握られていた。
「そんなはずは」
マダヤカス公爵も驚きに目を見開いて、ニーノの手にあるものを凝視する。
「そこの者。それを」
マダヤカス公爵は、馬車の横についていた従者に書状を受け取るように指示する。ニーノは素直にそれを渡し、堂々とした顔でマダヤカス公爵を見つめた。
「それはオルトルーヤ国王に宛てた書状です。だからその書状の封を開けることは許されません。ですが、その書状にある紋章は、間違いなくグランドロス公爵のもの」
ニーノははっきりとした口調で言った。
マダヤカス公爵は、従者が持ってきた書状を受け取り、まじまじとその書状を眺める。
確かに王宛てならば、書状の中を拝見するわけにはいかない。だが、そこに押された赤い押印は、繊細に造られた印鑑そのもの。高位貴族でないと造ることさえ許されないその印は、平民が一生かかっても見ることさえできないものだった。
それを、たかが一介の平民の少女が持っているはずがない。そしてそこにある紋章は、世界中の高位貴族なら知識として知っておかなければならない紋章の1つ。
グランドロス公爵の紋章で間違いなかった。
「、、、こ、こんなことが、、、」
書状を持つマダヤカス公爵の手が震えている。
「こ、このようなものを持っていて、なぜ捕まった時に言わなかったのだ」
ニーノを見るマダヤカス公爵の目は血走り、充血していた。
ニーノは穏やかな顔をしてみせる。
「捕まえられた時にそれを渡したら、破棄される可能性が高いのですから、必死に隠していました。ここでは沢山の目があるのだから、証拠隠滅など図れないでしょう?今だからこそ、渡せたのです」
「く、くそっ!!!」
マダヤカス公爵は書状を窓の外に投げ捨てる。
「大切なものなのですから、そのような扱いをされると困ります」
ニーノはゆっくりと前に歩いて、馬車の下に落ちた書状を丁寧に拾った。
周りの瞳は、マダヤカス公爵に集中していた。
自分の保護した人物だと言い張っていた公爵が、実は隣国の公爵の大切な人物であったという。
それならば、マダヤカス公爵が嘘を言ったことになる。
疑いの眼差しは、すでにルカではなくマダヤカス公爵に向いている。
マダヤカス公爵は、ギリっと歯を噛み締めて鳴らし、馬車を進めるように馭者に命令する。
「ーーー時間を無駄にした。行け」
「は、はい」
ガタガタと音を立てて、馬車の車輪が動き出した。
残されたルカとニーノは、お互いの顔を見合わせた。
「、、、ニーノさん。それは、一体、、、?」
ルカも真実を見極められず、ニーノに答えを求める。
ニーノは懐に、手に持った書状を直した。そしてルカの手にある馬の手綱を奪うようにして引いた。
随分と前が空いてしまっている。ニーノは馬を引きながら、空いた空間を埋めるように前に進んだ。
「何って、見たままでしょう?リンドウ帝国のグランドロス公爵の書状。それ以外に何があるっていうの」
「ですが、それならばそうと言って下されば」
「ジャタニール公爵の賓客だと、丁寧にもてなしてくれたとでも?」
ニーノはルカを見上げる。
ルカと視線が合って、ニーノは目を細くした。
「ルカ様は、そうでなくても充分、私に対して丁重に扱ってくれたのだから、それでいいじゃない」
あまりにニーノが平然としているので、周りの人達は少しずつニーノ達から視線が離れる。ルカは相変わらず目立つが、ニーノ達の会話に耳を傾けている人は殆どいなくなった。
「あ。ルカ様。耳に何かついているみたい」
気づいたようで、ニーノはちょいちょいと手でルカを寄せて、ルカの耳に顔を近づける。
エメラルドのようなニーノの瞳が近づいて、ルカは少しだけ心を奪われる。そのエメラルドが小さく笑った。
「、、、ルカ様は、嘘が下手すぎだわ」
その一言で、ルカははっとして気づいた。
周りに気づかれない程度の声で、まさか、と呟く。ルカの顔が青くなっている。
「まさか、あの書状、ニーノさんが『造った』のですか?」
高位貴族の印を偽造するのは重罪だ。
いや、作ろうと思っても作れるものではない。それができないから高位貴族の書状を使うという犯罪は殆ど出回っていないというのに。
ニーノは、しらっとした顔で足を進める。
「、、、ルカ様の足の装具を造った時よりは、ちゃんと自分の中でイメージできたと思うわ」
その言葉は『肯定』。
ひい、と声をあげそうになって、ルカは強く口を結んだ。辺りを視線だけで見渡して周りに聞いている人がいないか確認してから、ニーノを叱咤するように顔を近づけた。
「、、、なんということを。もしバレたらただじゃ済まないというのに。まさか、あのやり取りも嘘だったなんて」
ルカの怒りを含んだ真剣な表情に、ニーノは苦笑する。
「中身を見られなくて良かったわ。文字までは偽れないから白紙なの」
「そんなっ」
「私が酒場で働いてたの、前に言ったでしょ。あんなところでは嘘くらい上手につけないと、酷い目に遭うことだってあるの。貴族様にとってのマナーレッスンみたいなものよ」
「全然違います!」
即座に否定したルカが少し面白くて、ニーノは「ふふ」と小さく笑った。
ニーノの笑顔に、ルカは毒気を抜かれてしまう。
肩を落として、はぁ、とため息をついた。
「、、、正直、助かりましたけど。でももう、こんな危ないことは絶対しないで下さいね。本当に。くれぐれも。お願いしますよ?」
「はぁい」
あっさりと返ってきた返事に、またルカが苦い顔をしてみせる。
「今のは私でもわかるほど下手くそな嘘でしたよ?」
「気のせいでしょ」
ニーノはすんとしている。
ルカはまた大きくため息をついてみせた。
「全く。ニーノさんは本当に底が知れない人ですね。大体、なぜグランドロス公爵の紋章の印などまで造れたんですか。普通に暮らしていたら見る機会などないでしょうに」
言われて、ニーノはルカを見上げる。
「私は一度見たら忘れないから。そして何度もその印を見たことがあるんだから、間違うはずがないの」
一瞬、ルカがニーノの言葉に目を動揺させたが、すぐに嘘と判断したらしい。そこに思い至って顔を紅潮させた。
「また嘘ですね!ニーノさん。そんなに嘘が上手なのはどうかと思いますよ?グランドロス公爵の正式な紋章印を、一般の人間が見る機会などあるはずないでしょう」
必死に嘘を正そうとするルカだが、ニーノは平然として足を前に進める。
グランドロス公爵の令嬢とルカがしばらく一緒に旅をしたのだという事実。
ニーノはそれを言おうかと思ったが、ルカがあまりに真面目な顔をしてニーノに説教してくるのが面白くて、ニーノは心の内にそっと潜めた。
いつかまた、グランドロス公爵令嬢とルカが再会することがあれば、その時に改めて驚けばいいと思う。
その姿を見るのはきっと、そう遠くない未来だろう。
ニーノはその想像をして、ひっそりと笑った。




