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リンドウ帝国の極悪令嬢 ②

「ーーーベネディクト様。貴方には申し訳ないがその腕をいただく」

  イーサンは剣を振りかぶり、ベネディクトの腕を狙った。その巨体からは考えられないほど素早い動きで、いち早くそれを防ごうとしたリーネの身体を、リーネの剣ごと突きばし、剣はベネディクトの左前腕を斬り落とした。


「っっっぐぁっ!!!」

 ベネディクトは斬られた腕を支えて前のめりに踞った。

 切り落とされた腕は地面に転がり、身体に繋がったままの方からは血が溢れて止まらない。それを無理やり反対の手で押さえていた。


「ベネディクト様っ!!!」

 地面に突き飛ばされていたリーネは悲鳴のように声をあげて、ベネディクトの傍に駆け寄る。

 ベネディクトは激痛で返事をすることもできず、血が溢れて意識さえ手離しそうになるのを堪えていた。

 揺らぐ視界に白い兜が見えて、ベネディクトはそれでも理性を保とうとする。

「、、、気にするな。お前のせいではない、、、」


 言われて、リーネは泣きそうになった。

 

 腕を斬られた直後の状態で他者を気遣える精神力。 

 この人はここで死んではいけない人だと、肌で感じる。


 リーネは泣き叫びたい気持ちを堪えて喉を鳴らした。

 ベネディクトの腕から流れる血が止まらない。服を破りたいが、リーネの装備は鎧なので布がない。


「ベネディクト様。申し訳ありません」

 一言、詫びを言ってから、リーネはベネディクトのつけている間違いなく高級であろう赤いマントを破り、ベネディクトの腕に巻いて圧迫止血を図った。


 イーサンはベネディクトの落ちた左腕を拾い、部下に渡す。

「至急、これをジャタニール公爵の屋敷に送れ。錬金術師とベネディクト様を交換するように仕向けるのだ」


「はっ!!!」


 イーサンの部下はすぐにそのベネディクトの左腕を布にくるみ、持ち去ろうとする。


「お待ちください」


 透き通る声がその部下の動きを制した。あまりに印象深い声に、つい部下は走らせようとした馬の足を止めてしまったが、イーサンは「何をしている。早く行け!」と改めて促した。


「待ちなさいと、このわたくしが言っています!!」


 大声を出したわけではないのに、凛と張ったリーネの声は、自発的に馬の足をも止めた。


「何だ貴様は!?」

 淡いオレンジの髪の部下は、その声に圧倒されそうになる自分を堪えて、リーネを睨み付ける。


「その腕をわたくしにお返し下さい。すぐにつけないと、元に戻らなくなってしまいます」


 リーネが言った言葉に、イーサンとそのオレンジの髪の男を含めた周りの騎馬兵達は、呆れて笑い始めた。


「何を言っている。腕を斬ったんだぞ。斬られた腕が戻るはずがなかろう」

「これはまたとんだ冗談だ、ははは」

「くっつけて戻るなら、誰だってそうしている」


 ゲラゲラと笑う男達に、リーネは叱咤の声を上げた。

「黙りなさい!笑い事ではないのです。その腕を早くわたくしに返さなければ、後悔することになりますわよ」


 白い鎧の女。

 仕草や口調から、どうやら貴族のようではあるが、騎士のような姿をしている女など、たかが知れている。


 オルトルーヤ国では女騎士はいない。

 誇り高きオルトルーヤ国の騎士は、男優位の社会であり、女がその地位に立つことは許されないのだ。

 野蛮で愚かなリンドウ帝国の人間だからこそ、貴族とはいえ女を騎士にしたのだろう。貴族でありながら騎士を選択する女など、武力以外、地位も容姿も性格さえも、他者以下なのだろうと思われた。オルトルーヤの騎士は優秀で偉大であるが、リンドウ帝国の騎士がオルトルーヤと同じのはずがない。

 

 そんな女に脅されたところで、怖くも何ともない。


「、、、リンドウ帝国には、世界で唯一の聖女がいることをご存知ないのですか?」


 誇り高いといいながら、下品に笑っていた男達がその口を閉じる。


 世界で唯一の聖女。

 それはこの世界で知らない人はいないというほど有名な人物だ。

 ここ数年で急激な勢いに乗ったリンドウ帝国。それは聖女の存在も大きい。

 聖女がいるだけで国が豊かになる。

 神の祝福という名の恩恵は、至るところで受けることができる。

 世界中が聖女を欲しているが、リンドウ帝国はその魔力と武力で聖女を独占しているのだ。

 よって、国外に出ることはない聖女。

 顔も世の中に知らされていない。


 まさか、という表情でリーネは注目されて、リーネは首を振った。

「わたくしは聖女ではございませんが、ベネディクト様を聖女のところにお連れするのです。しかし時間がございません。邪魔するものは、容赦いたしませんわよ」


 オレンジの髪の男は笑った。

「容赦しないとは何をする気だ。将軍に勝てない女の脅しなど、、、」

 そう言った瞬間、男の首から血が流れた。

 薄皮一枚、いや、肉一枚。目にも見えない速さで首の喉仏の上の肉が断たれる。


 その動きが全く見えなかった。


「わたくし、リンドウ帝国では『極悪令嬢』で有名なのです。白い鎧といえばわたくしのこと。こちらでは、あまり知られていないようで残念ですわ」


 リーネの手には、ベネディクトの腕が奪い取られていた。

「いつの間に!!!」


「わたくしを怒らせました、貴方達が悪いのですよ?」


 リーネは、その腕を脇に挟み、苦しみ顔を苦痛にしかめているベネディクトに近寄った。


「あと少しの辛抱です。今だけ堪えて下さいませ。必ずわたくしが腕を戻せるようにいたしますから」


 リーネとは思えないほど優しい声で、白い兜の中から声が聞こえた。


「わたくし、実は魔法を少し使えるのです。ただこれが、最小の力でも最強の『闇魔法』。わたくしが『極悪令嬢』と呼ばれる理由の1つなのですが」


 リーネはベネディクトを肩を抱き締めるように支えた。そして、右手を前に伸ばしてその手のひらを空の方に向ける。


 リーネが何かを呟いた。

 すると、リーネの手のひらの上に、黒くて丸い小さな玉がどこからともなく生まれた。そして少し離れた場所に投げ捨てる。


「この国にどれだけの悪影響がでるかわからなかったので使いませんでしたが、この状況では仕方ありませんわね」


 リーネが、今度こそはっきりと呟いた。


「『ブラックホール』」


 言った瞬間、その黒い玉に吸い寄せられるように、ものすごい威力で圧された。

 馬や兵士達だけでなく、そこら中の岩や大木でさえ持ち上がり黒い玉に向かう。

「うわぁぁぁあ」

「ぶひひひひぃん」

 兵士や馬が叫び、木や石がぶつかって激しい音が轟く。集まった人達は岩や木に潰され血が飛び散った。

 リーネはベネディクトを飛ばないように支えている。


 さすがのイーサンも、未知の魔術に目を見張り、動くことができなかった。少しでも動いたら自分も黒い玉の方へ飛ばされてしまうところだ。


「、、、なんという力だ。こんな、悪魔のような力が存在するなんて」


「むしろ、こんなもので良かったと思うべきですわ。この魔力のないオルトルーヤだからこんなものなのです。他の場所だったら、貴方達は黒い玉に全て押し潰されて死んでいるはずですわよ」


 ギリッとイーサンは歯を嚙み軋ませた。

「貴様は悪魔か」


「時間がないと言っているでしょう!!!」


 リーネは自分の白い兜に手を置き、兜を取り外す。


 婚約者より取ってはいけないと言われていたが、今では邪魔でしかなかった。

 リーネには別の力があるからだ。


 ベネディクトは、リーネが兜がとるのを真横で見ていた。それはまるでスローモーションのように。


 はじめ、白い兜からこぼれ落ちたのは、艶のある白銀の長い髪だった。1つに括られたそれは、兜に引っ張られて紐が外れ、さらりと流れるように落ちていく。


 そこから現れたのは、白磁のように艶のある白い肌。薔薇色の小さな唇。整った鼻。

 そして晴天の空を映したかのように綺麗な、大きな宝石にも似た瞳だった。


 兜の中から現れた極上の美女に、魔術にも飛ばされなかった強者達の視線が集中した。

 

 リーネには力があった。

 生まれながらの力。

 それは『魅力』という魔力。


「、、、女神、、、、」

 兵士の誰かが呟いた。


「、、、、女神だ」

 他の誰かも呟いた。

 その横の誰かが倒れた。

 しかし倒れた男には誰も気がつかない。


 リーネから誰も目が離せなかった。


 これが『極悪令嬢』と呼ばれるもう1つの理由。


 かつてリンドウ帝国で、数回に渡って多くの集団が同時に気絶するという事件が発生した。

 それはたった1人の女性によるものだった。今となっては伝説にもなり、語り継がれている物語。


 横で見ていたベネディクトは、腕を斬られた痛みも忘れて、リーネを見つめていた。

 自分が目の前で何を見ているのか、よくわからない。それほどに美しい女性が目の前にいた。


 その女性の花のような唇が優雅に動いた。

「わたくしの名は、リーネ・アネット・グランドロス。リンドウ帝国唯一の公爵家が娘にございます」


「、、、グランドロス公爵、、、?」

 ベネディクトは声にする。聞いたことある家名だった。いや、聞いたことあるという程度のものではない。

 リンドウ帝国といえば、王家に並ぶほどの権力と財力をもってグランドロスの家名が世界中で名を響かせている。

 帝王学を学ぶ時に、早い段階で記憶させられるその隣国の家名を、なぜ目の前の女性が口にするのかまだ理解できていない。


 リーネは神の悪戯と言われるほどの美貌を凛と引き締めて、イーサンに向かった。

「わたくしはこの度、オルトルーヤ国王のご誕生の祭のために参りました。そして我が友を救うためにでございます。もしわたくしの身に何かあれば、グランドロス公爵が許さないでしょう」

 

 本当は、親の権力など使いたくなかった。

 

 オルトルーヤ国は敵国であるが隣国でもある。

 いずれはその関係も緩和され、同盟など結ぶ日がくるかもしれない。

 そう考えると、できるだけ穏便に解決できればと思っていた。


 だが、そんな悠長なことを言っている場合ではなくなってしまった。


 リーネは聖魔法を使えない。

 一刻を争う今の状況で、自分ができることは何でも使ってしまわなければ。


 正直言えば、ベネディクトは好きではない。

 高圧的で、誰よりも自分が優れているという態度が気に入らなかった。


 でも、こうして危険を省みず助けにきてくれた人を放置できるほど、不義理な性格でもない。


「カタザール将軍。この国とリンドウ帝国の戦争をお望みですか?」


 リーネは鈴の鳴るような声でイーサンを呼ぶ。


 リーネの『魅力』の魔力は声にも含まれる。

 女に興味がないわけでもないが、いざという時に動揺しないよう理性を保つことも訓練したというのに、イーサンはリーネの声にぐらりと眩暈がした。

 

 呼ばれてもいない兵士がまた幾人か倒れた。

 

 晴天の色の瞳が視界に入るだけで、まるで酒に酔ったかのようにぼんやりして平衡感覚が狂い、足元がグラグラと揺れた。


 イーサンはふらつきそうになる足を踏ん張り、リーネを睨み付ける。


「、、、貴方達をここで亡き者にさえすれば、どうにでもなる。証拠もないのに戦争など、リンドウ帝国以外の隣国も許さぬだろう」


 イーサンはニーノの言葉を思い出した。

『魔女はいるわ』 


 確かにこの女は魔女だ。そう確信した。

 しかもかなりたちが悪い類いのものだろう。

 ここで倒しておかなければと、本能のようなものが叫んでいる。


「わたくしがこの国に来ていると知っているのに、隠すつもりですか?そのようなこと不可能ですのに」


 はぁ、とため息をついたリーネの姿も妙に神々しく、人間とは思えないほど鮮やかな赤の唇が尖るだけでも目が釘付けになってしまう。リーネがため息をつくと、女神から失望されたかのような感覚に陥る。


「では、わたくしがここにいることを隠せないようにしましょうか」

 リーネの澄んだ青い瞳が更に蒼く深まった。

 兜は取っても、リーネは兜以外は白い鎧で包まれている。

 その白い小手がベネディクトに伸びる。ベネディクトの瞳を正面から受け止め、薔薇色の唇を上向きに広げ微笑んだ。そしてルカにしたように、ベネディクトの身体を軽々と抱えあげる。


「ベネディクト様を人質にさせるわけにはいきません。そのためには、申し訳ないけれど、わたくしの最大で最強の力を使わせていただきますわ」


 リーネは、ベネディクトを抱えていない方の手を空高く上げると、黒い火花のようなものを打ち上げた。


「わたくしが兜を取った理由はもう1つありますの。あの兜は、防御力を上昇させる代わりに、魔力が低下する効果がありまして。、、、本当に、わたくしの短慮のせいで、ベネディクト様には迷惑をおかけしてしまいましたわね」


 リーネは、自分の失敗を認める。

 今まで自分がどうしようもない時、大抵のことは従魔のマイリントアが解決してくれていた。

 だからマイリントアに任せておけば、ニーノを奪還することも容易いと考えてしまっていたのが失敗だった。 

 ベネディクトがこんな予想外の行動を取るとは思ってもいなかった。


 でも、とリーネは思う。


『大抵のことは、マイリントアが解決してくれる』。

 それだけは、今も疑っていない。


 口は悪いけれど、結局、なんだかんだ連れ添って6年にもなる相棒。

 

 魔力に敏感なマイリントアは、こうして闇魔法の玉を打ち上げたら、何か異常があったのだと察知してくれるだろう。

 そして来てくれるに違いない。

 無愛想に文句を言いながら。


 リーネはくすりと笑う。

 魔物なのに、誰よりも頼りになる親友に等しい。


 そして遠く離れた場所から、地鳴りが聞こえてきた。


 兵士達は地鳴りの聞こえる方を振り向くと、大きな山が動いているのが見えた。

 眩暈のせいで山が動いて見えるのかと、ベネディクトも兵士達もぼんやりとした頭で考えるが、地鳴りは更に大きくなっていく。


 じっとみると、やはり山は動いていた。

 あんなところに山などあっただろうかと、マダヤカス公爵領に住む者達は首を傾げる。

 

 よく見ると、その山は紫と黄色の変わった色をしていた。山の木々は、それぞれ尖っており、1つ1つが分厚い針のようだった。


「まて。あれは山ではないぞ!」


 誰かが大きな声を上げた。


「山でなくて何なのだ。あれほど大きな山が、、、」

「動くぞ。生き物だ、いや、あれはまさか魔物か?」

「馬鹿な。あんな大きなものが魔物のはずが」


 兵士達は急に現れた山のようなものに指を差し、口々に叫ぶ。信じられなかった。いや、信じたくなかった。


 紫と黄色の刺々しい毛皮を纏った魔物。

 それは決して破られることのない巨大な城塞を彷彿させるほどに大きい。


 その魔物が近づくと、その魔物の全体像をみることさえ困難だった。魔物の全身を覆う棘1本だけで、直径1メートルはある。それが無数に身体から生えているのだ。棘の長さは2メートルはある。剣より長いその棘を前にして、どうやって戦えと言うのか。

 

「マイリントア」

 リーネは優しい声で声をかけた。

 

 意識が朦朧とする中でも、ベネディクトはその声が耳に入ってくる。

 マイリントア。それは、リーネが連れていた手のひらサイズの小さな魔物だったはずだ。


「来てくれてありがとう」

 リーネが言うと、マイリントアはフンと鼻を鳴らした。鼻息だけで近くにいた馬と兵士が飛んでいく。


「仕方なかろう。ワレの主はそなただけじゃからな。なんじゃ、そなたが呼ぶから危機的状況かと喜ん、、、心配したのに、ピンピンしておるな」


「ベネディクト様が腕を切り落とされたの。急いでスミレのところに連れていかないといけないわ」


 スミレは世界で唯一の聖女だ。ベネディクトの斬られた腕を治せるのは、聖女しかいない。


「来ておるのか?この国に」

「もし来ていなくても、ジルお兄様が来ているはずよ。ジルお兄様なら、スミレのところにベネディクト様を連れていってくれるはず」


 リーネは抱えたベネディクトをマイリントアに向ける。ベネディクトの顔は血の気が引いているが、まだ瞳には力があった。リーネのせいでぼんやりとはしているが。

 マイリントアは、血を滴らせるベネディクトの腕を眺めて、うっすらと目を細めた。

 

「それなら、ジルをここに呼べばよい。急ぐのであろう?」


 リーネはぎょっとする。

「できるの?」

「以前、スミレが使っておったろう。念思というものじゃよ。あれならワレも使える」

「それなら何故もっと早く言ってくれないの。言ってくれたらもっと簡単に王宮に行けたのに」


 リーネが不満を口にすると、マイリントアは反抗するように尻尾を1回大きく振った。大木が何十本も重ねたような太さの尻尾が揺れて、近くにいた兵士が当たって遠くに飛ばされた。


「あの男がそなたと聖女以外のためにあの力を使うわけがなかろう」

「、、、、」


 兄のために否定したいが、残念なことに事実だから否定できない。例えリーネの頼みでも、ただの運び屋になるのは断られるに決まっている。


 リーネはとても残念という言葉に相応しい表情をして、マイリントアにお願いした。


「、、、では、ジルお兄様に是非お伝えして。貴方の可愛い妹が、ここに来て欲しいと、心の底から懇願していると」

 言った瞬間、リーネの耳に聞き慣れた声が届いた。

「可愛い妹のために、俺がこないはずがないだろう?」


 突然聞こえた男の声に、そこにいた全ての人が驚愕した。

 声だけではない。

 そこにいなかったはずの場所に、突然、きらびやかな男性が現れたのだ。


 20代後半だろう。肌が若い。しかし年齢よりもずっと落ち着いて、威厳のある雰囲気を醸し出していた。圧倒されるほどの覇気は、王の気配さえ感じる。


 明らかにただ者ではない。

 マダヤカス公爵、いや、オルトルーヤ国王でさえ身につけることがないかもしれないほどの高価な宝石のブローチを、まるでただのボタンのように身につけている。それが少しも嫌みに感じないのは、その本人が宝石以上に輝いているからだろう。


 見たことのないほど綺麗な金の髪は緩やかに耳の上で揺れ、その下には恐ろしいほど整った顔があった。


 ジャタニールの三男坊も充分、美形だが、そのルカさえ見劣りしてしまうほどの美しい男性は初めてだった。


「ジルお兄様!!!」

 そうリーネが叫んだことで、ようやく納得する。

 この異常な美しさ。リーネと兄妹と言われると、そう認めるしかない。

 妹が美の女神なら、兄は美の神だ。


「リーネ。俺の天使。今日も一段と美しく輝いているな。リーネに勝る美しさはこの世にはあり得ない」

「ジルお兄様も太陽神アポロンのように麗しいですわ」


 兄妹はいつものように愛しさを表す挨拶を交わす。


「でも、ジルお兄様。困っているのです。お助け下さいませ。この人を、このベネディクト様を早くスミレのところに連れていってください。間に合わなくなってしまいます」

 ふむ、とジルはベネディクトを上から眺める。

「マイリントアから話は聞いている。至急であり、リーネが心の底から困っているということを聞いてやってきたが、、、、相手は男か」


 眉を寄せて表情を険しくした兄の姿をリーネは見逃さなかった。リーネは慌てる。

「男ではありますが、わたくしとは関係のない方ですわ。この方を救うことが多くの人を救うことになるのです。この方を見捨てたらリンドウ帝国の英雄の名が泣きますわよ」

 ツンとジルは顔を反らした。

「別に英雄など勝手に呼ばれているから、どう泣こうが構わない。むしろ愛しい妹に触られている男へ憎悪で心が泣きそうではあるな。そのような男はすぐに手から離しなさい。そうしないと俺がその男の息の根を止めてしまいそうだ」


 ジルは世間では欠点のない男と言われている。

 だが大きな欠点があった。

 妹を愛しすぎているということだ。


 げっそりとしてリーネはベネディクトを地面に置いた。

「冗談はそれまでにしてくださいませ。本当に一刻を争うのです」

 はははとジルは笑う。

「冗談ではないのだけどな。まぁ良い。可愛い妹のために力を貸そう」


 ベネディクトに手を伸ばすジル。それらの会話を呆然として見てしまっていたイーサンが慌てて止めた。


「ま、待て。その者に触れたら只ではすまんぞ」


 呆気にとられることの連続で、思考が間に合っていなかった。

 ようやく混乱していた頭を強引に回し、動かなくなっていた身体を無理やり動かした。


 ジルが、声をあげたイーサンの方を横目にみる。


「、、、赤く短い髪に、驚くばかりの巨体。その威圧感からして、オルトルーヤ国元国軍のイーサン・ウェイ・カタザール将軍だろうか?」


「!!!!!」

 びくりとイーサンは身体を強ばらせる。

 見知らぬ人からフルネームで呼ばれたことなど、かつてなかった。まして、他国の人間だ。

 もしや一度会ったことがあったのかとも思ったが、これほど印象に残る男に一度でも会えば忘れるはずがない。

 絶対に初対面だ。


 ジルは、人好きのする笑みを浮かべ、イーサンにその端正な顔を向けた。


「そうそう。貴殿は、マダヤカス公爵に家族を救われた恩義を感じて、国軍を離れてマダヤカスの私軍に入ったということだったな」


 聞いて、イーサンはゾッと血の気が引いた。


 それは事実である。事実であるが、その話は公にしていない。恩義があるということは知られても、家族を救われたという事は一部の人しか知らない話だ。


 なぜ隣国の人間が知っているのか、全く理解できなかった。


「、、、、なぜ」

 イーサンは呟く。

 ジルはイーサンに首を傾げた。

「なぜかと、そんな当たり前のことを聞くのか?いち公爵家の軍長が。有力な地位につく者の情報を得るのは、貴族としての基本中の基本だろう?」

 

「それはっ」

 確かに基本ではある。

 社交界に出て、そこで会う人の名前が出てこないのは言語道断。基本的に前情報は必須ではある。


 だが、オルトルーヤ国の四大公爵家の人間のことでさえ、知らない事が多い。公爵家族の名前と特技くらいは把握していても、その臣下の個人情報などは知らない。

 まして国を越えて、知り得るものなのだろうか。 


「情報は何よりも強い力だ。徹底的に覚えておくといい」

 にこりとジルは笑った。


「妹の願いを叶えたいのでここで失礼するが、カタザール将軍、貴方は自分の道を見つめ直した方が良い。いつか会うことがあれば、伝えようと思っていた。貴方は誠実で真面目すぎる人間のようだから。その力は是非、有意義に使って欲しい」


「何を、、、」

 ジルは笑っている。笑っているのに、イーサンは震えが止まらなかった。触れてはいけない眠れる獅子と対峙しているようだった。


「カタザールの家を陥れたのは、マダヤカス公爵の手下だ。カタザール将軍を手に入れるために、マダヤカス公爵が仕組んだのだ」


 それを聞いて、流石にイーサンは怒りを顕にした。 

 恩あるマダヤカス公爵を愚弄するなど、許されることではない。

「でたらめを言うなっ!」

 イーサンは低い声を張り上げる。イーサンの声に恐れをなさない人はいないはずなのに、ジルはびくともしなかった。むしろ、その反応が来るのがわかっていたように、より優しい表情を浮かべた。


「もし探るなら、デヤンタ伯爵の裏家業を調べると良い。真実がわかるだろう」


 そういうと、ジルは妹のリーネと、見知らぬ公爵子息の上に手を置いた。


 そして。

 3人はその場から消えた。

 そこにいた人間が誰もいなくなってしまった。


 残された者は幻でも見たかのように、そこに立ち尽くすしかなかった。


 誰もいなくなった場所に、冷たい風だけが吹き抜ける。

 

 あり得ないことばかりが起こって、これが夢なのかもしれないと誰もが疑う。

 だが、一気に現実に戻されたのは、主から呼ばれて来たのに置いてけぼりを喰らったマイリントアの存在だった。


 山のように大きなマイリントアに、騎馬兵達はしゃがまれて覗き見られる。


 マイリントアは大きな口を横に伸ばすと笑っているように見えて、兵士達の震えを誘った。


「、、、なぁ、お主ら。ワレを呼んでおいて、いなくなるとは、とんでもない話だと思わぬか?」

「、、、、、、」

 それには誰も返事ができない。


「ーーーーこうなると、お前達にワレと遊んでもらうしかないのぉ。運が悪かったと思え」

 ホッホッホッと笑う、山のように巨大な魔物が、パカリと大きな口を開けた。


 口から光の束を吐き出したかと思うと、爆音とともにその一帯が崩れ始める。


 地震と地割れ。

 大きく割れた地面は、浮いたり沈んだりを繰り返す。バランスを崩され、立つことさえできない。


 海や川はないのに、なぜか割れた地下から水が溢れ始めた。

 馬は鳴き、人は身体のどこから漏れているのかわからない悲鳴をあげるしかない。逃げる場所などあるはずもない。

 

 それはそこにいる人達にとって、地獄の始まりだった。


 

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