リンドウ帝国の極悪令嬢①
「ニーノさん。助けに来ましたよ」
捕らわれて王宮に連れていかれようとしていた馬車の中。
急に現れたルカが、紫と黄色の毛色の小さな魔物を肩に乗せて、ニーノに優しく語りかけた。
ニーノは深い緑の瞳を大きく開いて、言葉にならない声をあげる。ルカは驚くニーノの顔を嬉しそうに眺めて、やんわりと目を細めた。口の前に指を1本立てる。
「し。しばらく黙っていて下さい。私が話していいと言うまで」
ニーノは頷いた。
もうダメかと思っていた。
こんなに騎馬兵が集められて守られているのだから、誰も勝てるはずがないと。
諦めたくはなくて、ずっと逃げる方法を考えていた。だが、縄で縛られた手足が不自由過ぎて全く何もできなかった。
ニーノの横にいた茶色の髪のキツネのような顔をしたマテオが、ルカに気付いて大声で叫んだ。
「将軍!!!」
突然現れた魔物に将軍はじめ、騎馬兵達はかかりっきりになり、守らなければならない馬車から目が離れている。魔物から馬車を守るために奮闘しているのだが、誰も馬車の方は見ていなかった。
呼ばれてイーサンという元国軍の将軍が馬車を振り返った。ルカはすぐにマテオの首を左手で絞める。その手には小さなナイフを持っていた。
将軍の強さは尋常ではない。
騎士として鍛え、騎士の中でも優秀だと言われているルカが10人同時に襲いかかっても勝てるという自信はなかった。
将軍に気付かれてしまったのなら、マテオを人質にとるしかなかった。
そしてルカは計画の通り、地図の巻物を手に持った。たまたまリーネがオルトルーヤ国で迷子にならないように買った地図だ。
細かいところまで載っているし、紙の質も良い。
そしてその地図を特記するとしたら、リンドウ帝国で生産されている『転移の魔道具』に見た目が極似していることだった。
ルカはわざとらしくその巻物を掲げてみせた。
転移の魔道具は破ることでその力を発揮する。魔法が発動すれば、3人限定でその者が望む場所へ移動できる優れものなのだ。
転移の魔道具であれば、の話だが。
これはただの地図なので、破っても魔法が発動することはない。だが、見ている者には転移の魔道具を使ったと思わせる必要があった。
マイリントアは重力魔法以外に、隠蔽魔法も使えるらしい。地図を破った瞬間、ニーノとルカの身体を消してもらうことで、転移の魔道具で飛んでいったように思わせる作戦だった。
そして消えた身体でゆっくりと馬のところまで戻り、ベネディクトを連れて逃げることになっていた。
マテオがいることで作戦は危うくなったが、将軍が馬車に飛び乗りマテオに手を伸ばした。
これ幸いとルカはマテオの身体を自由にさせたのだが、将軍がマテオを守るために掴んだその腕を、マテオは振りほどいてルカにしがみついた。
決して逃がすまいとするマテオの意気がルカにも伝わってきた。ルカは驚いてしまったが、すぐに冷静に気持ちを戻して、マテオごと身体が消えたところでルカはマテオの首に手刀を食らわせた。
ナイフは持っていたが、それを使っては傷害事件になってしまう。仲が悪いとはいえ、相手はマダヤカス公爵令息だ。無碍に扱うわけにはいかなかった。手刀も少し手加減したつもりだったのだが、全く身体を鍛えていないだろうマテオは、あっさり気絶してしまった。
運の良いことに、将軍は馬車の中を確認することなく愛馬に戻ってマダヤカス公爵に報告に行ってしまった。
ルカはその場にそっとマテオを寝かせ、マイリントアに合図する。その合図を受けて、マイリントアは姿の消えたルカとニーノを宙に浮かせて、少し離れた場所まで運んだ。
そこにはベネディクトが待機していた。一頭だけ馬を傍で待たせて。
「無事だったか」
ベネディクトは、無事に戻ってきた弟を労う。横には緑色の瞳をした少女もいる。
計画は半信半疑だったが、それ以上には良い作戦が思い付かずの実行だった。
こんなにうまく作戦が成功するとは思っていなかった。
「彼女が将軍の気を引いてくれていたから、随分と助かりました」
「そうか」
ルカはマイリントアの魔法を解かれ、ニーノとともに宙に浮いていた身体を地面につけた。
それまで無重力だったから、普段よりも足に重みを感じた。
ルカはすぐにニーノの手足の縄を切り外した。ニーノの手足が自由になる。
「ルカ様。リーネはどうなるの?」
縄に食い込んでいた手首に傷ができていた。じわりと血な滲んでいる。周囲も擦れて赤く腫れていた。血が通うと手足に痺れが走る。
地面に立ったまま、馬の手綱をベネディクトから受け取ったルカは、ニーノを抱えて馬に乗せた。
「彼女も馬に乗れます。一段落したら、隙をみて私達を追ってくるでしょう。あれほど大丈夫と強気の発言をしたのだから、何かの策があるに違いありません」
優しく微笑んだルカの肩に乗る小さな魔物マイリントアは、ホッホッと笑った。
「あやつの頭に次の策があるとは思えんがのぉ。行き当たりばったりの、突っ走ってぶつかって壁に穴をあけるタイプじゃぞ。死ぬことはまずないじゃろうが、いつも人の想像の斜め上ばかりいくことを考えると、悪い予感しかせんな」
リーネの従魔のはずのマイリントアが、とても主を心配しているとは思えない言葉を発する。
「そもそもあやつは、魔力をあまり持たん。強力な魔法が使えんくもないが、オルトルーヤ国の人間が魔法を使えない大きな理由の1つは、オルトルーヤ国の自然から得ることができるマナという魔力の源のようなものが限りなく少ないからじゃ。そうなると、リーネは身体能力だけで騎馬隊と対峙せねばならん」
マイリントアは、ルカの肩から、馬に乗ったニーノの膝の上に跳び移った。
「他の者ならともかく、あの将軍という男には、さすがのリーネも勝てんかもしれんな。魔法の使えないリーネであれば、あの男の方が間違いなく強い」
「当たり前だ、強いとはいえ女だろう。将軍に勝てるはずがない」
ベネディクトは眉を寄せてマイリントアを睨み付ける。
「それがわかっていて、なぜ行かせたんだ。お前の大切な主なのだろう?」
ルカとベネディクトは、リーネの囮作戦を反対していた。あまりに危険だしリスクが高すぎる。
しかし、リーネがマイリントアに命令し、魔法によってルカもベネディクトも動けなくさせられ、半ば強制的に作戦は決行された。
ふん、とマイリントアは鼻で笑う。
「言うたであろう。死ぬことはなかろうと。それならば、ワレを駒のように扱ったことの罰を受けて反省させようかと思うてな。この先、このように調子に乗られては困るでな。今回はニーノのためと思うてワレも協力したが、本来はこのようなことはせんのじゃからな」
はは、とルカは笑う。
「彼女が私の方に魔物様を譲ったので、一緒にいれなくて拗ねられてるのかと思いました」
「んなっ!んなわけなかろう!だ、誰が淋しいなどと。そんなこと、ワレは全く思っておらんからな。全くじゃぞ」
慌てるマイリントアの姿を見て、ニーノは、この魔物は淋しかったんだなと気づいた。確かに拗ねているようだ。離れたくないと素直になればいいものを。
ひとしきり笑ってから、ルカはベネディクトに声をかけた。
「マダヤカス公爵軍達に門を閉ざされる前に、我々は早くこのマダヤカス公爵領から出ましょう。ニーノは軽いから、3人で馬に乗ってもなんとか馬も耐えられるでしょう。魔物様、申し訳ありませんが、この先も隠蔽魔法を使っていただいてもよろしいでしょうか」
「不本意ではあるが、ワレがこちら側を任されたのはそのためじゃからな。仕方なかろう。その代わり、落ち着いたらちゃんとオルトルーヤの美味しい食べ物を食わせるのじゃぞ」
「勿論です」
ルカが頷いた時、遠くから馬の鳴き声が聞こえた。ルカ達の方へ真っ直ぐやってくる。
リーネが追ってきたのかと思ったが、馬が近くにくると、その馬の上には誰も乗っていないことがわかった。
ブフフンと鼻を鳴らしてルカ達の前で足を止める馬は、ここまでの長い道中、ずっと一緒だった馬だ。間違えるはずがない。
だがその馬に乗っているはずの女がそこにいない。
「どうした。なぜ自分だけ帰ってきたんだ」
言葉での返事がないのを知っていて、それでもルカは聞かずにいられない。
こうして無事にニーノを取り戻せたのは、彼女のおかげだというのに。リンドウ帝国の人間だとしても、その恩人を見捨てるわけにはいかなかった。
だがここで戻っては今までの作戦が無駄になってしまう。
ルカはニーノに視線を送る。
馬だけ戻ってきたところから、リーネが危機的状況になっている可能性が高い。それならば一刻を争うだろう。
本来ならば悩むことではない。
しかしニーノがいる。この少女を戦いの中に投げ入れるのが躊躇われた。かといってニーノをここに置いていくわけにもいかない。
またマダヤカス公爵の手に奪われてしまう可能性もある。
いや、しかし、とルカは自分の手を握りしめた。
マイリントアから隠蔽の魔法をニーノにかけてもらえば良い。ベネディクトとともにここで待機してもらえば、少し離れて自分がリーネのところに行き、リーネを連れてここまで戻ってくる。
自分に万が一のことがあっても、ベネディクトがいる限りジャタニールは大丈夫だ、とルカは顔を上げた。
「ベネディクト兄さん、私が、、、」
ベネディクトを振り返った時、戻ってきたばかりの馬が走り出した。
「え?」
ルカは目を見開く。
ルカが行くはずだったのに、背に誰も乗せていなかった馬の上にはベネディクトが乗っていた。
ベネディクトは何も言わず馬に乗り走り出していた。
「兄さん、何を」
ベネディクトは次期公爵になる身。誰よりも大切にしなければならない身だというのに。
叫んだルカの声はもう、遠くに走り去ってしまっていたベネディクトには届かなかった。
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「なぜ戻ってきたのですかっ」
ベネディクトは、助けにきたはずのリーネに怒鳴られて、内心、怒りが身体中を駆け巡っていた。
強いといっても女であることには変わりない。
女は男よりも三歩下がって、男の指示に従うべきだとは教育されてきたが、同時に守るべきものだとも聞いた。
自分の邪魔をするものに容赦する気はないが、一度仲間として一緒の時間を過ごすと、守らなければいけないという気持ちの方が強くなる。
まして、婚約者がいるとしても、どうしても気になってしまう女性であれは尚更だ。
白い兜をかぶって顔もわからない女だというのに、なぜこんなにも気になるのか、自分でもわからない。
小さい頃から、どんな時でも、誰よりも自分自身を大切にしろと言われ続けたというのに。今日、この時まで、自分でもそう思っていたのに。
なぜ他人を助けるために自分が危険な方に向かっているのか、全くわからなかった。
それでも身体がそちらの方に進むのだから仕方ないと、そう思ってやってきたと言うのに。
まさか『なぜ来たのか』と怒鳴られるとは。
「私がお前を心配して戻ったらまずかったのか」
怒りを含めた声でリーネに言うと、白い兜をかぶったリーネは首を振った。兜の中でどんな表情をしているのは、ベネディクトにはわからない。
「い、いえ、そういうわけではありません。ですが、ベネディクト様は守られるべきお方でしょう。わたくしのために戻るなど、あってはならないことです」
「女を見捨てて逃げるなど、できるはずがないだろう」
リーネは片手で頭を抱えていた。
「、、、お待ちください。ベネディクト様とともに逃げれる方法を考えます」
ホワイトベアーという魔物を新たに出したら、隣にいるベネディクトにもその牙が向かうかもしれない。
リーネはすでに少なくなってしまったホワイトベアーを視界の端に見る。
思った以上にマダヤカス公爵の私軍は強かった。
謀反でも起こす気であったのかもと疑うほどに、いち公爵の領地に私有するには強すぎる。
もう少し時間が稼げると思っていただけに、リーネは悔しくて口を歪めた。
ホワイトベアーを狩りとった騎馬兵から順に、リーネ達の周りに集まりだした。
弓を持っていた兵士は容赦なく弓を射ってきたが、それはリーネがベネディクトの前に立ち、剣で叩き落とした。
集まってきた騎馬兵達は乗馬したまま斬りかかってくる者と、下馬してから剣を向ける者といたが、それもリーネが素早く剣を叩き落とす。
兵士達はリーネの異常な強さに気付きだし、距離を取り始めた。
ベネディクトは、リーネが強いとは知っていたが、その想像以上の動きに驚愕している。
これほどとは思わなかった。
「な、なんだ、こいつは」
「強い。もしや将軍に匹敵するのでは」
「それは流石に言い過ぎだ。だがこのままでは」
「時間を稼げ。いくらなんでも体力が無尽蔵ということはあるまい。人数はこちらの方が明らかに多いんだ。時間をかけて体力を奪うんだ」
多勢に無勢。
次々に、増えていく敵はリーネ達を攻撃してくる。
リーネは必死でベネディクトを守ったが、限界は近かった。
一人なら自分を守るだけでいいからどうにでもできるが、リーネが動いている間にベネディクトを攻撃される可能性がある以上、ベネディクトの傍からも動けない。
制限があるということがこんなに辛いとは。
リーネの息が切れ始めた時、低い声が響いた。
「待て!」
一斉に攻撃が止んだ。
声の主をリーネはベネディクトを背にして視線を向けた。
2メートルを越える巨体がその場で片方、膝をついた。深く頭を下げる。
「お久しぶりです。ベネディクト様。数年前に王宮で開催された、舞踏会以来でしょうか」
「、、、、変わりないな、カタザール将軍。こんなところで会おうとは」
前に出ようとしたベネディクトは、リーネから手を広げられて無理やり後ろに下げられる。
イーサンは気にせずその体勢のままで顔をあげた。
「覚えていただき光栄です。さて、ベネディクト様ともあろう者が、このような場所に何用で御座いますか。この領土は、許可された者しか入れないようになっているはずですが」
ベネディクトは通常通りの凛とした姿勢でイーサンに向かう。
「許可なく入ることができないのであれば、私がここにいるはずもない。許可を貰ったとは考えないのか」
「部外者に許可を出したのであれば、私の耳にも届いているはずなのです。届いていないということは、不法侵入となります。この地の場合ここの法律では、不法侵入の者はどのような者であっても死刑ということになっております。それが例え、偉大なる四大公爵家の令息であったとしてもです」
低い声で説明するイーサンに、ベネディクトは苦い顔で眉を寄せた。
「それは厳しすぎるだろう。度を越えた法は管理する人間をも蝕むぞ」
「そうならないように私達がいるのです」
きっぱりとイーサンは言いきった。
武力という恐怖で制圧しているマダヤカス公爵領。どれほどの血が流れたというのか、想像するに難くなかった。
イーサンは続ける。
「ベネディクト様。貴方には申し訳ないが、今回のこの茶番劇を正しいものに戻すには、貴方の命が必要です。失態をさらした私の命は責任をもって主に返上するつもりですが、私の命だけでは足りない。せめて、錬金術師を取り返さなければ」
ベネディクトは黙る。
「、、、私を人質にして脅すつもりか」
イーサンは頭を下げる。
「理解が早くて助かります。どちらにせよ、貴方様の命を奪えば、ジャタニール公爵の王位相続は難しいでしょう。あの次男や三男では王位は荷が重い。ベネディクト様でなければ。それどころか、ジャタニール公爵の相続でさえ危ういのでは」
ベネディクトは更に眉を寄せる。
軽薄な次男と、まだ成長途中の三男の姿を思い返す。
確かに彼らでは王や公爵相続は難しかろう。経営と政治はまるで違う。商会を飛ぶ鳥を落とす勢いで大きくしている次男も、公爵領は管理できないと早々に家を出てしまったのだから。
「ベネディクト様がいないのであれば、錬金術師をジャタニールのものにする必要がない。錬金術師をマダヤカス公爵に戻すだけで、貴方は命も公爵としての立場も守れるのです。貴方は素晴らしい人です。こんなところで死ぬような方では御座いません」
イーサンの言葉に、ベネディクトは大きくため息を漏らした。
「、、、それで、私の心が動くとでも思ったのか。随分と嘗められたものだな」
イーサンが顔を上げる。ベネディクトの強い瞳と視線が合った。
「私が王や公爵を相続することと、マダヤカス公爵が錬金術師を手に入れて王位に就くことは別物だと、なぜわからない」
ベネディクトが言う声に覇気があった。リーネはそのベネディクトを覗き見る。
「彼らが王になるべき人間ではないのは明らかだ。人を虐げ、欲を自制できない人間が国を創れるはずがない。道理をねじ曲げても我を通そうとする人間が、人の上に立つべきではないのだ」
イーサンは負けじと声を張った。
「マダヤカス公爵は本来、そのような方では御座いません。また元の公爵に戻られるはず。私はそれを信じているからこそ、公爵のお側にいるのです」
はははとベネディクトはさも可笑しそうに声を出したあと、イーサンに一歩近づいた。
「道を踏み外したものが、その道を正すのは容易ではないこと。それはカタザール将軍がよく知っているはずだ」
「、、、、、」
王宮に将軍として多くの人を見てきた。
人は権力を持つと、己の欲望のためにその力を使いたがるものが多い。その者達を、王の名のもと、罰してきたのは他でもないイーサンだった。
踏み外した道の溝は深く、軌道修正できる人など、本当に一握りだ。
「っそれでも私はあの方を信じたいのです」
イーサンは歯を食い縛る。
諦めたくない気持ちが強かった。
自分の命が尽きようとも、救われたカタザール家がなくなるわけではない。
マダヤカス公爵がいなければ、カタザール家はもう残っていなかっただろう。
愛する家族も、その家族を支えてくれる者達も、誰もいなくなっていたはずだ。
カタザール家を救ってくれたマダヤカス公爵への恩返しの気持ちはまだ廃れていない。
これが、自分ができる最後の恩返しになるだろう。
王位に就くことで、マダヤカス公爵が改心して善政を行ってくれることを祈る。
「ーーーベネディクト様。貴方には申し訳ないがその腕をいただく」
イーサンは剣を振りかぶり、ベネディクトの腕を狙った。その巨体からは考えられないほど素早い動きで、いち早くそれを防ごうとしたリーネの剣ごと、リーネの身体を突き飛ばした。
そして剣は、ベネディクトに届き、その左前腕を枝のようにあっさりと斬り落とした。




