錬金術師の奪還。
王宮に向けて馬車が進んでいると、突然、白くて小屋のような大きさの魔物が現れた。ホワイトベアーと呼ばれる、凶悪な魔物だ。
馬車の中にいたニーノは、その話を聞いて馬車の窓から外を眺めた。
千人以上の騎馬兵が行列になって行進していた。表面上は馬車に乗る公爵家族と緑色の瞳の少女を護衛するために集められた人達であるが、周囲に圧をかけて邪魔する者を阻止するためと、マダヤカス公爵の威厳を示すものでもあった。
普段も王宮に行き来している公爵を王宮に運ぶだけ。それに子息子女と少女が加わっただけなのだ。
緑色の瞳の少女が今後の王位を左右する存在だとは、四大公爵にしか知らされていないのだから、その少女を運ぶ重要性を知る人はかなり少ない。
危険なことなどあるはずもない。実際に危険なことが起こるとは思っていない者が多かった。
騎馬兵達は魔物が現れて、慌てて戦う準備を始めたが、体格のわりに素早いホワイトベアーの動きについていけず、多くの兵が一気に薙ぎ倒された。
「なぜこんなところに魔物が出るんだ」
キツネのような顔をしたマテオが茶色の髪を掻き乱して馬車の中で立ち上がり、叫んだ。
先程まで、馬車のすぐ傍にいてマテオの返事をしていたイーサンは、指揮をとるためにマテオに構う余裕はない。
ホワイトベアーはダンジョンにしか現れない。そして出現率が限りなく低い。ホワイトベアーの情報を知る人はその行列の中にはいなかった。
「回り込め。素早くとも急所はあるはずだ。探すんだ。エンザは足元を狙い足止めさせろ。他の者は頭を狙え」
イーサンは腹心の部下を中心に指示を出す。
兵士が次々に減っていくと、一部しか見えなかった遠くに見える人物の全体像が視界に入るようになった。
白い鎧の女は、乗馬したままその場所から動かない。だが、魔物がそちら側から次々に湧いて出てくることから、やはりあの女が魔物を呼び出している可能性が高かった。
しかし、とイーサンは眉を寄せる。
人間が魔物を呼び出すなどということがあり得るのだろうか。
いや、魔方陣を用いて、呪いや魔術の類いで魔物を召喚することができると聞いたことがある。
一度、ダンジョン等の空間を開いてしまえば、そこがゲートの形となり、魔物をこちらの世界に連れてくることも可能であろう。
だが、それだけの魔術や呪いを、たった1人の人間だけで成し得るものなのか。
魔法が得意なリンドウ帝国。それに対してジャタニールの者は勿論、オルトルーヤ国の者の殆どが魔法を使えない。
それならば、目の前にいるリンドウ帝国から来たという彼女1人でそれを行ったことになる。
そんなことができるとすれば。
『魔女はいるわ』
さっきニーノという少女が、はっきりと言いきった言葉が耳に残っていた。馬鹿馬鹿しいと鼻で笑いそうになったが、少女が冗談を言ったようには見えなかった。
売り言葉に買い言葉というように、彼女に何か不満があって、腹いせとして自分達の言葉を否定したものと思っていた。
「、、、本当に魔女はいるのか、、、?」
「がぁぁあっ!!!」
他の兵士達を置き去りにして、ホワイトベアーが狙ったようにイーサンに向かってきた。
イーサンが彫りの深い顔をリーネに向けたまま、襲ってきたホワイトベアーを一刀両断する。
周りにいた兵士達から、感嘆の声が漏れた。鉄のように硬いホワイトベアーを一刀両断できるなんてと、兵士達はイーサンを讃えた。
ホワイトベアーは絶命した後しばらくして消えていき、そこには大きな赤いコアが残った。
「将軍っ!!!」
マテオの悲鳴のような声が聞こえた。
リーネと魔物に気を取られていたイーサンは声のした馬車の方を振り返る。すると、2人しかいないはずの馬車の中に、3人目が見えた。
長い紺色の髪を1つに括った男が、ニーノという少女と、自分の主であるマダヤカス公爵の嫡男であるマテオを捕らえていた。
その男は白い騎士の隊服を着ている。整った顔立ちに華やかな雰囲気。
将軍として勲章される時、夜会で見たことがある。彼の周りにはいつも人が溢れていた。
彼はジャタニール家の三男坊に間違いなかった。
「しまった」
イーサンはすぐに馬車の方に馬を走らせる。
マテオの首に剣を当てたその男を、馬車ごと切り殺してやりたかったが、それをしたらマテオまで死んでしまう。
まずはマテオ様を救出せねば、と剣を握り締め、もう少しで馬車に手が届くというところで、紺色の髪の男が、巻物を開いたような紙切れを取り出した。
あれは地図。
いや、あれは、リンドウ帝国で作られているという転移の魔道具か。
国軍で将軍として任務についていた時、国王や要人達を守るために仕入れてはどうかという意見が出ていた。
だが、転移の魔道具は3人しか運べない。
残された人や、それを奪いあう人達のことを考えたら、トラブルのリスク回避のために結局、仕入れることはなかった。そもそもあの魔道具は、人の足元を見るように高価過ぎた。簡単には購入することも、使うこともできない代物だった。
なぜあれがここに。
いやそれよりも。
目の前にいる男が、転移の魔道具を片手で掲げる。
移動できる人の数は3人。
馬車に乗っているのも3人だ。
「まずい!!」
転移の魔道具を使われる。
イーサンは馬の上に乗ると、その巨体で勢いよくジャンプした。走る馬車の窓に手をかけ、馬車に飛び移る。
紺色の髪の男がマテオを突き飛ばして手放したのも、イーサンがそのマテオの手を引っ張ろうとしたのも、同時だった。
紺色の髪の男は、マテオを手放して自由になった左手で転移の魔道具を千切ろうとする。
千切ると魔法が発動し、使用者の望む付近のところまで飛ばしてくれる仕組みだった。
イーサンは、公爵の子息であるマテオは確実に守らなければという思いだけでマテオの手を握った。
だが、そのマテオ本人から、その手は容赦なく離される。イーサンが握るその手を、腕を振り払って弾いたのだ。
「マテオ様っ!何をっ!!!」
マテオは紺色の髪の男と緑色の瞳の少女にしがみついた。絶対に離してたまるかという、今まで見たこともない、野生の獣のような瞳をしていた。
「なっ!?」
紺色の髪の男も、マテオがしがみついてくるとは予想もしていなかったようで、マテオに驚愕した表情をした瞬間、3人は馬車の中から消えていった。
馬車の中に元いた人物は誰もいない。
窓から飛び乗ったイーサンだけが、馬車の窓枠にしがみついて馬車に残っていた。
馬車の中に、何か手がかりになるものが残っていないかイーサンは見渡す。
イーサンは傍目から見てもわかる程に青い顔をしていた。
これ以上ない失態だ。
千人の騎馬兵を動かし、今回の護衛の人物と、絶対に守らなければならない人物を取り逃した。
この責任は自分の命を引き換えにしてもまだ足りないほど重い。
自分の命は仕方ない。だが、自分を信じてついてきた部下達の命を無駄にするわけにはいかなかった。
イーサンはすぐに指笛を吹いて愛馬を呼び、馬の上に飛び乗った。
「閣下」
イーサンは公爵の乗る馬車に向けて声をあげる。
パニックになっていた公爵達は、まだニーノやマテオが馬車からいなくなったことに気付いていない。
イーサンはもう一度公爵を呼んだ。
「閣下。お聞き下さい」
マダヤカス公爵はようやく気付いて、身体の底から変な汗をかきながら将軍の方を向いた。
「、、、将軍!なぜこんなことになっているのだ。さっさと魔物をやっつけろ。お前なら余裕だろう」
余裕ならばこんなことにはなっていない。
ホワイトベアーがどれだけ凶悪か、公爵は知らないのだから仕方がないが、ホワイトベアーの大群を前にして、この程度で済んでいるのは、部下達が全力で抗ってくれているからだ。ホワイトベアー1体倒すのに、平均の力の兵士が100人以上必要だと言われている。これだけのホワイトベアーがいるのであれば、いくら優秀な部下達でも容易ではない。
イーサンは歯を食い縛る。
「、、、時間はかかるかと思われますが、それよりも報告したいことがございます」
「まずは魔物を倒すことが優先だろう!何をしている。もし我々に何かあったらどうするのだ」
公爵はイーサンの言葉など全く聞く気がなさそうだった。イーサンは眉間に指を当てて目を一度閉じる。
「ーーーお聞き下さい、閣下。マテオ様と緑色の瞳の少女がいなくなりました」
周りの悲鳴やホワイトベアーの咆哮のせいで周囲が騒がしく、イーサンの言葉を耳に入れていた公爵も、理解するのに時間がかかる。
数秒経ってようやく理解したマダヤカス公爵は、瞬間に目を血走らせた。
「、、、、、なんだと、、、?どういうことだ」
「紺色の髪の男が馬車の中に急に現れました。そして転移の魔道具を使用して逃げたようです。マテオ様は、逃がすまいと咄嗟に彼らに掴まり、一緒にどこかへ」
マダヤカス公爵は喉の奥が怒りに震えてしまうのを堪えながら怒鳴った。
「将軍!なぜお前が傍についていながら、そのようなことが起こったのだ!お前はいざ何が起こっても対応できるようにと、マテオ達の方についていたのだろう!違うのか!?」
「おっしゃる通りにございます」
イーサンは深々と頭を下げて、心の底から詫びた。
「この責任は私の命で償います。いかようにもされて構いません。しかし、この場を収めるまで処罰はお待ちいただきたく存じます」
公爵は更に怒りを声に含ませて怒鳴りあげた。
「当たり前だ!!さっさと倒してしまえ!ただし、お前の命だけで済むと思うでないぞ!!」
「、、、はっ!」
イーサンはもう一度深々と頭を下げて、馬の進む向きを変える。
まっすぐに白い鎧の女の方に直進した。
ホワイトベアーがイーサンに襲いかかってくるが、イーサンはそれを次々と斬り倒していく。
白い鎧の女は、魔物を出すのを諦めたのか、そこから動くこともなくイーサンが自分の方に来るまで待っていた。
馬が近づくと、白い鎧の女も馬の上で剣を抜いて構えた。隙のないその構えに、イーサンも手前で馬を止める。
先に声をかけたのは、女の方だった。
「流石ね。貴方、将軍様なのでしょう?」
白い鎧の中から発されたのは、想像よりもずっと若く、そして鈴の鳴るような聞き心地の良い声で、イーサンは少なからず驚いた。
少女がこの女を魔女というから、鎧の中は老婆がいるのかと思っていた。せめて、戦いの神と言うならば、経験を何年、何十年と積んだ妙齢の何かしらの達人かと想像していた。
しかしこの声はかなり若い。
20代。下手したら10代の女性の声だ。
イーサンは驚きつつも表情には出さず、自分も剣を構える。
「そなたが魔女か」
イーサンが声に出し、白い鎧の女は急に言われて、「はい?」とすっとんきょうな声を出した。
「私が魔女ですって?」
「違うのか?緑色の瞳の少女がそう言っていたが。戦いの女神だとも」
女は吹き出して笑う。
「ニーノがそんなことを?」
「違うのか」
呑気に笑う女を、イーサンは殺したい気持ちで睨み付けた。本当ならすぐに殺してやりたかった。だが、転移の魔道具で飛んだ3人の情報を聞き出さなければならなかった。部下の命を、罰を少しでも減らすには、少しでも多く手柄を立てる必要がある。
普通に考えれば転移の魔道具で王宮に飛んだのであろうが、少女のあの汚れて破れた姿で王宮に直接いけるはすがない。王に謁見するのであれば、どこかで身なりを整えてから行くはずだ。
王宮に行くまでに少女を取り返せれば、自分はともかく、部下の命だけは助けて貰えるように交渉できる。
情報だ。少しでも情報を手に入れなければ。
そんなイーサンの思いが通じたのか、女はふふふと笑いながら、馬の上で体勢を整えた。
「ニーノがそういうのならば、それでもいいわ。魔女でも極悪令嬢でも。元々、私の評判は良くないんだもの。今さら何を言われても少しも心は痛まないわ」
「極悪令嬢?」
「リンドウ帝国の貴族なら、誰しもが知っていることよ。それが私の異名。元々そうなのに、私が更に魔王と契約なんてしてしまったものだから、私の名は地に落ちたわ。3年経った今では、何て呼ばれていることかわかったものじゃない」
自分のことだというのに、目の前の女は他人事のように楽しそうに話をする。
「魔物を呼び出しているのはお前だろう?」
イーサンが尋ねると、女の声は怪しく笑った。
「私は魔王と友達なの。その魔王が友情の証として、魔物を呼ぶ力をくれたのよ。自分より弱い魔物であれば、いくらでも呼び出せるわ」
「魔王だと?」
イーサンは自分の耳が聞き間違えたのかと思った。魔王だなど、子供の戯れ言でしか聞いたことがない。
確かに5年前、リンドウ帝国辺りで魔王が現れたなどというふざけた噂を聞いたことがあった。だが、その噂もすぐに消えたし、聞いた話は全て眉唾ものばかりだった。
目立ちたがり屋のリンドウ帝国が、自分達を主張するために面白おかしく虚言を広げただけだろうという話で落ち着いた。
魔王という意味不明なものが本当に現れたとしたら、もっと噂は大きくなっているだろうし、もっと世界は混乱に陥っているはずだ。
ふざけている。
しかも、そんな魔王と『友達』だなどと、よく言う。あまりに馬鹿馬鹿しくて、イーサンは苦笑いをするしかなかった。
「そんな調子だから、リンドウ帝国の人間は虚言好きと言われるのだ」
「虚言ですって?」
「虚言でなくて何だと言うのだ。私は」
イーサンは彫りの深い顔を、悔しそうに歪める。
「リンドウ帝国の者だからと見境なく軽んじるつもりはない。人は個人で人であり、生まれや育ちなど関係なく、その者の人となりが全てだと信じている。だが、そうやって他国まできて虚言を吐くのであれば、やはりリンドウ帝国の者は虚言吐きのめだちたがりと思われても仕方ないだろう」
ふむ、と女は自分の白い兜の顎を撫でた。
「虚言を吐いているつもりはないけど、そう受け取られても仕方ないかもしれないわね」
肩透かしを食らうほど、素直に認められてイーサンは更に顔をしかめた。
女が何を考えているのか全くわからなかった。
マテオ様や緑色の瞳の少女がどこにいったのか聞きださなければならないのに、相手の性格がわからなければ言葉巧みに誘導することもできない。
女は少し考えて、首を傾げた。
「将軍様。貴方、さっき、生まれや育ちは関係なく、その人個人の人格が大切なのだと言ったわよね?」
「、、、言ったが」
「では何故、マダヤカス公爵に忠誠を誓っているのかしら。評判も悪いし、実際、この領地を見る限り、領民に良い政治をしているとはとても思えないのだけど」
言われて、イーサンは怒りでかっと顔を赤く染めた。
すぐ傍に公爵がいる。
ここからは少し離れているから聞こえてはいないだろうが、公爵の領地で公爵をこうも堂々と侮辱するなど、許されることではない。
「なんと無礼な。そんなに殺されたいのか」
イーサンの怒りに、女は楽しそうに声を出して笑った。
「悪い人を悪いと言って殺されるなら、私はもう何十回と殺されてるわ。そういう想いを心に留めておくのって、残念だけど私にはできないの。自分自身で不器用だと思うけど、素直だって褒めてくれる人もいるわ」
「リンドウ帝国では許されても、この誇り高きオルトルーヤで許されることはない」
「リンドウ帝国とかオルトルーヤ国とかも、私には関係ないの。マダヤカス公爵は嫌い。もうこれ以上、苦しむ人を見るのは嫌なのよ」
女に何の過去があるのかわからない。
だがその言葉に重みがあった。ただの正義感というよりは、苦しむ人を見るのは嫌という声に罪悪感のようなものが含まれて聞こえた気がするのは何故だろうか。
イーサンにも葛藤はあった。
貴族の家の出だったイーサンの一族は、代々騎士を司る家系だった。その一族が落ちぶれ、取り壊されそうになった時にマダヤカス公爵に救われた。
病弱だった妹も、それによって救われた。
マダヤカス公爵への恩は返さなければと、国軍の将軍の任務が落ち着いた時に、辞職してマダヤカス公爵の私軍に入った。長い付き合いで自分を慕って一緒に国軍から移籍した部下も少なくなかった。
これからマダヤカス公爵の下、領地を治める補助が出来ると意気込んでいたのは3年前。
実際、領地に来て愕然としてしまった。
荒れた領地。国に納める国税と別の、国税よりも高い地方税。それを破る領民への過度な罰。
そしてそんなに領民を苦しめているというのに、彼らを守らなければならない公爵は自分を飾るための贅沢ばかりが目につく。そしてその家族も同様に、自分達が優雅に暮らすことしか考えていなかった。
はじめの1年は、希望と現実のギャップに苦しんだ。
2年目で、自分なりに努力し始めた。少しずつ進言しけいけば、公爵もきっと理解してくれるだろうと。
しかしそれはただの夢だった。
公爵は下の者の言葉など全く聞かない。
自分を振り返ることなど、間違っているのかもしれないなどと、微塵にも思うことはないようだった。
多少、諦めた3年目。公爵から、領地の中でも数人だけに緑色の瞳の少女の話を聞かされた。
王の望む緑色の瞳の少女を連れていった公爵に王位が譲られると。その少女をジャタニールが手に入れた。王に会わせる前に奪いたいと話をされた。
チャンスだと思った。
もしマダヤカス公爵が変わるとしたら、王位が譲られた時だろうと。
領地には、公爵より下の人間しかいない。公爵が認める、公爵にとって都合の良い人間しかいない。
しかし王宮には、王がいる。
王位が譲られるとしても、王が見罷るまでは王の方が地位が高い。そして王を補佐する人達も、賢く正しい知識のある人が揃っているはずだ。
彼らに支えられたら、きっとマダヤカス公爵も心を入れ換えてマダヤカス公爵領を、そしてオルトルーヤ国をより良い方へ進めてくれるだろうと、そう信じていた。
今は停滞しているだけに違いないと。
イーサンの一族を救ってくれたマダヤカス公爵なのだから、必ず以前のように仁義に厚い人間になってくれるはず。
だからその日を夢見た。今はまだ実現されてはいないが。
それまで恩を忘れてはいけないと、イーサンは毎日、毎日寝る前に自分に言い聞かせている。
だから、わかっているのだ。
今現在、この女が、マダヤカス領地を悪く言うのは。
それだけの土地になってしまっている。
だが、マダヤカス公爵を非難するのは許せなかった。
マダヤカス公爵の事を何も知らない女が、領地を見るだけでマダヤカス公爵を貶す理由にはならない。
「黙れ」
イーサンは剣を振り上げた。それを女に勢いづけて降ろそうとすると、それより先に女の剣によって振り下ろした剣を上に弾かれた。
すぐに柄を強く握り締めて、なんとか手から剣が離れることは免れたが、剣を握り締めた手がビリビリと痺れていた。
振りの早さは女の方が上のようだ。
そして力も、女とは思えないほど重い一撃だった。
イーサンはホワイトベアーを一刀両断できる。だが多分、この女の剣もそれが可能だろう。それだけの力量をたった一撃で理解してしまった。
女は乗馬していたが、馬から降りて馬の背中を撫でる。視線はイーサンから決して離さない。
「急に攻撃するのはやめてちょうだい。この馬は借り物なのよ。そんな力で打ち込まれたら、馬の足が潰れちゃうわ」
女は馬を撫でた手で馬の尻を軽く叩く。
「行きなさい。お前の主人のところに」
馬は言われて走り出す。賢い馬だ。人の言葉をちゃんと理解している。
イーサンは馬が走り去るのを見送って、白い鎧の女を見下ろした。
元々イーサンは背が高い。2メートルを越える巨漢であり、体格も自分の知る誰にも負けない自信があった。そのイーサンが馬に乗っている。
しかし、女は普通の女性の平均程度の身長だった。馬から降りると更に小さく見える。
「馬を手離して良いのか。お前ほどの強さならば、乗馬している人間と平地に立つ人間の強さにどれだけ差があるか知っているはずだが」
女はわざと、剣を鞘に戻した。そうすることで、余裕だとアピールしてくる。
「知っているからこそ降りたのよ。馬を手離して、それでやっとイーブンじゃないのかしら。もっと私に手加減して欲しがったら、遠慮なく言っていいのよ。元々、私より弱い相手に本気を出す気はないけれど」
世界最強と名を馳せているイーサンだ。
これほどあからさまに挑発されたことはなかった。しかも、こんな若い女に。
もう一度剣を振れば、あっさり斬れてしまいそうなほど弱く見えるというのに。
「、、、お前の狙いは何だ。どうしてまだここに残っている。少女を取り戻して、目的は達成したのだろう。さっさと撤退しない理由は何だ」
女は呆れたように肩を竦めた。
「理由は明らかでしょ、将軍様。将軍様の強さがどのくらいのものか見てみたかったのよ。世界最強と言われるお方がどのようなものか。でも私は決して戦わないように言われているの。ここで将軍と戦ってみたくても、それができないのよね。そこそこ理解したけど。だから将軍様。貴方の大切な公爵様を守る任務に戻ってはどうかしら」
「何を言う。護衛の任務も遂行できず、それを邪魔した者を捕らえることもできずに、のこのこと主のもとへ帰れるわけがなかろう。少なくともお前の亡骸は持って帰る。しかし亡骸だけでは足りないのだ」
はぁ、と女はため息を漏らした。
「将軍は私には勝てないわ。私が将軍に捕まることもないし、亡骸になることもない。ねぇ、私がそれなのにこんなことを将軍に言っている意味、わかるかしら」
「目的を達してもその場に残るような自殺行為をする人間の気持ちなど、理解できん」
「ふふ、それは将軍の話でしょう?」
「、、、何だと?」
イーサンの心臓がドキリと鳴る。
護衛を遂行できなかった責任を負って、公爵から死ねと言われたら死ぬ覚悟はあった。それが部下の命を守ることになるのであれば後悔はなかった。
だが、自殺行為と言われると、図星のように感じてしまう。しかし反論すれば反論するだけ言い訳をするような気がした。
「将軍のような目をする人を、私は他にも知っているわ。生真面目のせいで自らを諌めてしまう人を」
「お前に何がわかるっ!」
思わず振り降ろしたイーサンの剣を、女はジャンプしてクルンと一回転して避けた。鎧をフル装備している人間の動きではない。
「覚悟を決めた人の目って、わかるものよ。でも、私はそういう不器用な目が嫌いじゃないの」
地面に着地しようとした足を切り落とそうと待ち構えていたら、女は更に一回転してみせた。
あり得ない動きだった。
「そうか、リンドウ帝国の者なら魔術が使えるのだな。その動き、魔術によるものか」
「ブブー!残念!私は『今は』魔法が殆ど使えないのよ。これは自前の身体能力なの。すごいでしょ」
本来ならば緊迫した状況のはずなのに、女はどこまでも明るく振る舞う。わざとそうしているのだと思うが、これがもし本来の性格だとしたら、本当にイーサンには理解できない存在だ。
「ねぇ」
と女はイーサンに声をかける。
「死ぬくらいなら、私のもとに来ない?強い人は歓迎するわ。うちには沢山強い人がいるのよ。将軍にとっても刺激になると思うんだけど」
「ふざけるな。私は忠誠を誓った相手にしか仕えん。なぜお前のような者に」
「そう。残念ね」
あっさりと女は引き下がる。
やはりこれは時間稼ぎだ、とイーサンは勘を働かせた。この女は、何故か自分に気を引かせようとしている。この女が魔物を出せることは間違いない。
だが、自分と会話などせずに次々に魔物を出せば、少なくとも兵士達はマダヤカス公爵親子と自分達の命を守るために躍起になるだろう。
それでもこうして会話をしなければならなかった理由。自分を部下に引き込もうとする狙いだけではないはずだ。
イーサンは公爵の乗った馬車が王宮方面に向けて真っ直ぐ進んでいるのを見る。女に出されたホワイトベアーの数は減り、兵士が減ったことで馬車の動きも速くなっている。今では公爵の乗る馬車は豆粒のように遠い。その馬車に付き添う兵士半分。ホワイトベアーと戦う兵士半分に別れていた。
ふと、誰も乗車がいなくなったからと置き去りにされた馬車が気になった。
馬車に乗っていた馭者も、魔物を恐れて逃げたのか、やられてしまったのか、馬車の前には姿が見えなかった。
なぜここに女が残っているのか。
なぜ馬を逃がした。
そうだ、とイーサンは気付いた。
魔物の襲撃のせいで、頭がそこまで働かなかった。
転移の魔道具。
もしそんなものを持っていたのなら、なぜ緑色の少女を連れて王宮に歩いて向かうようなことをしなければならなかったのだろう。
違う、と頭が否定した。
持っていなかったのだ。転移の魔道具を持っていたら、絶対にずっと前に使っている。王宮まで急がなければならない。安全に少女を連れていかなければならない。
転移の魔道具があれば、全てが解決するはずだ。
そうではないということは。
イーサンは空になって置き去りにされた馬車から、勢いよく白い鎧の女を振り返った。
「あら、気づいちゃった?」
女はそれでも明るく笑う。
「教えてあげる。私の腹心の部下である魔獣は、重力魔法と隠蔽魔法ができるのよ。他の魔法も得意だけどね。転移の魔道具のふりして人の姿を消すなんて、朝飯前ってこと。すっかり騙されてくれて嬉しいわ」
聞いてイーサンは愕然とした。
馬車の中。マテオを助けるために手を握ったはずなのに振り払われた。そしてその瞬間、マテオと少女と、突然現れた紺色の髪の青年が消えた。あの瞬間、3人が転移したものと思い込んでいた。だが、本当は隠蔽魔法というもので姿を消されただけだったのだ。
あの時、馬車から馬に戻らず、馬車の中に入ってしまえば、まだ彼らは馬車の中にいて、簡単に捕らえる
ことができたはずだ。
ジャタニールの三男坊は、足こそ負傷していたが本来は優秀な騎士と聞く。
身体を鍛えるなど考えたこともなさそうマテオは、ジャタニールの三男坊の手によってあっさりと気絶させられただろう。声をあげる暇もないほどに。
「将軍がちゃんと私の方に来てくれたおかげで、無事に、安全に馬車から逃げることができたみたい。馬車を浮かせて逃げることもできたけど、馬車を攻撃されたら、ニーノ達が怪我しちゃうものね」
女は計画が思い通りにいって、とても嬉しそうだった。
「今さら追いかけても無駄よ。ニーノとルカ様を乗せた馬など、あっという間に王宮にたどり着くわ」
「なんということだ」
イーサンは呆然とする。
こんな屈辱を味わうなど、想像もしていなかった。
まだ転移の魔道具で逃げられた方が、幾分かマシだった。目の前にいたのに気付かないで逃がすなど、末裔までの恥だ。
「マダヤカス公爵の令息は、まだあの馬車の中にいるはずよ。彼を助け出したら、少しは罪は軽くなるのじゃないかしら」
リーネが馬車を指差す瞬間、イーサンは持っていた剣を本気で振り切った。もう情報など聞く必要はない。この女を殺さねばと心の底から思った。
「お前を殺さねば閣下に会わす顔がない」
リーネはすぐに剣を抜いてイーサンの剣を防いだが、本気のイーサンの剣の力に敵わず、防いだ剣ごと身体を弾き飛ばされた。
リーネは地面に尻餅をつく。
「っ痛、、、っ」
鎧をつけていたから助かったが、防具がなければ間違いなく死んでいただろう。
リーネはすぐに起き上がり剣を構えた。
目的は達成された。時間稼ぎもした。
あとは逃げるだけだ。
口では強気なことを言ったが、やはり世界最強という呼び名は伊達ではない。
リーネは逃げる隙を探し、視線だけきょろりと動かすと、そこに信じられないものを見た。
ニーノ達と一緒に逃げたはずのベネディクトが、馬に乗って戻ってきたのだ。
次期公爵という、絶対に死ぬことは許されない立場だということは自分自身が一番理解しているはずなのに。
「リーネ」
遠くから名を呼ばれた。
リーネの名前を頑なに呼ぼうとしないルカには名前で呼べと言ってはみたが、ベネディクトから呼ばれるつもりはなかった。
白い兜の中で、リーネは悲鳴をあげそうになる。
なぜ戻ってきたのかと怒鳴りあげたかった。
「何故戻ってきたのですかっ!」
いや、怒鳴ってしまった。
ベネディクトは折角助けにきたつもりのリーネに『何故きたのか』と怒鳴られて、明らかに機嫌を損ねている。
ベネディクトは馬に乗ったまま、仏頂面でリーネに近づいた。
「私がお前を心配して戻ったらまずかったのか」
「い、いえ、そういうわけではありません。ですが、ベネディクト様は守られるべきお方でしょう。わたくしのために戻るなど、あってはならないことです」
リーネのその言葉は、紛れもない本音だった。
戦いを知らないニーノと足を負傷したルカを守るために、重力魔法や隠蔽魔法を使えるマイリントアはルカに付き添わせた。それはベネディクトを守るためでもあったのだが。
「女を見捨てて逃げるなど、できるはずがないだろう」
ジェントルな言葉を発するベネディクトだが、ありがた迷惑という言葉も存在する。舌打ちしたい気持ちをリーネはグッと堪える。
「、、、お待ちください。ベネディクト様とともに逃げれる方法を考えます」
リーネは内心、頭を抱えるしかなかった。
自分だけなら、どうにかして逃げることができた。馬がなくとも、魔法が使えなくても、方法はいくらでもある。
だがベネディクトがいると、ベネディクトを優先しなければならなくなる。他の兵士ならともかく、イーサンはとんでもなく厄介な相手だった。ベネディクトを連れて、イーサンから逃げることなどできるのだろうか。
リーネは頭を絞って考える。フル回転していた。
魔物を倒した騎馬兵達が、徐々にリーネ達の方に集まりだした。また魔物を出してもいいが、リーネが出した魔物はリーネ以外の人間を襲う。
ベネディクトに襲いかかる可能性がないわけではないため、それも躊躇われた。
リーネは空を見上げる。
ニーノは無事に逃げられただろうか。
ベネディクトがここにいるということは、ルカがニーノと一緒に乗馬しているはず。
あの骨が折れた足で、どれだけ馬を走らせられるのだろう。
ニーノは、この先、どうするのだろうか。
どこかの公爵家の人間と結婚して、オルトルーヤ国の王妃になるのだろうか。
それとも、自分の道を貫いて、全てを捨ててリンドウ帝国に帰るのだろうか。
「、、、どっちにしろ、まだニーノには、私が必要だわ」
リーネは自分に言い聞かせるように、くすりと笑って呟いた。
そしておもむろに、リーネはその兜に手を置いた。
決して外してはいけないと言われた兜を。
それを言った人物の怒る姿を頭に描きながら。




