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錬金術師奪還大作戦。

 太陽が昇る少し前になって、意地になって起きていたベネディクトにも限界がきて、野外だというのに眠りについた。

 ベネディクトとルカは、起きていると雰囲気が違うものの、寝顔はやはり兄弟だなと思う整った顔立ちをしている。

 この2人なら、リンドウ帝国でもきっと人気の高い貴族として騒がれていたことだろう。


 ベネディクトが寝てからしばらくして、手のひらサイズの魔物である虎のような姿のマイリントアが目を覚ました。リーネはそこから交代して、少しだけ眠る。


 リーネが目を覚ましたのは、マイリントアがリーネの名を呼んだからだ。

 空は明るんできてはいるが、まだ遠くに見える山からは太陽が顔を出していなかった。


「どうしたの?」

 リーネは目を擦る。1時間ばかり寝たくらいだろうか。中途半端に寝たわりには、頭はすっきりとしていた。


「空気がざわついておる。あちらの方向に少しは強そうな人間が集まり出しておるようじゃよ」

「あっちは公爵邸がある方ね。私達が公爵領に入ったのがバレたのかしら」

「さてのぉ。門番達は叩き倒したが、この男らが入ったことはバレておらんはずじゃから、追われるとしたらリーネだけじゃろうが。そのためにこれだけ人が動くとは考えにくい気もするがのぉ」


「どのくらいの人が集まってるの?」

「今の段階で、ざっと千人はおるぞ」

 リーネは驚く。

「千人?そんなに?」

「まだまだ増えそうじゃがな。戦争でもする気か」

「もしニーノの護衛だとしたら、相手はそれだけ本気ってことね。待って、見てみるから」


 リーネは透明な玉を取り出した。念を入れると玉が虹色に光り出した。

 これは千里眼の玉で、見たい場所はどこでも見ることができる。リンドウ帝国魔法学園にある、年に一度神から貰えるプレゼントボックスの品物。

 リーネはこれで遠くにあるものでもみたいものを見ることができる。

「あ。ニーノが馬車に乗り込んだわ。周りに沢山の人が馬に乗ってる。やっぱりニーノの護衛なんだわ」

  

 千里眼の玉の中の映像は、ニーノを乗せた馬車と、もう1台別の馬車が縦に並んで出発した。その後ろと横に行列になって騎馬隊が続く。


「これはまた、、、厳重な警備ね」

 まさか少女1人にここまでするとは予想もしていなかった。大袈裟とも言える護衛だが、主を王にしてくれる人物を移送すると考えると、間違った判断ではないのかもしれない。


 それほどにニーノを重要視しているということだ。


 王の誕生祭が明日に迫っている。

 王宮にたどり着いても、誕生祭の準備などで見向きもされない可能性もある。だが、これだけ派手に見参すれば嫌でも王の耳には入るだろう。

 

 万が一、明日中に王宮にたどり着けなくても、形さえ整えば王への贈り物として、王の探す人物を差し出せるかもしれない。


「あのくらいの人数なら、ワレの業火で焼けば一瞬で灰になるのじゃが」

 マイリントアは平然として、リーネの肩の上から恐ろしいことを言う。リーネはそんなマイリントアの額を指で押した。

「絶対やめてよ?あの中にニーノもいることを忘れないで。ニーノが灰になったらシャレにならないわ」


 マイリントアは重力魔法は微調整できるが、攻撃魔法に関しては最小の力が尋常でない。ほんのわずかな火を吐くつもりで山が飛ぶ。それ以下の威力にできないところがマイリントアの欠点だった。

 正直、マイリントアの攻撃は強すぎて使いどころがない。マイリントアが攻撃したら、それは一方的な虐殺になってしまう。


「千人の騎馬隊か。こっちは3人と1体だから、少し分が悪いわね」

「しかもその内の1人は、飛び抜けて強そうじゃぞ。魔法がなければリンドウ帝国の者でも勝てるものはおらんかもしれんのぉ」

「そんなに?」

 

 リーネは素直に驚く。リンドウ帝国にも近隣の国の中でも屈指の強者が存在する。それを越える強さとは、どれほどの強さだろう。


「私が戦っても負けるかしら?」

 リーネが白い兜の中で目を輝かせているであろう姿を横目に見て、マイリントアはホッホッと笑った。

「さてのぉ。気になるならやってみてはどうじゃ。嫌でもやつらとは戦わねばならんのであろう?」


「そういえばそうね。どの人かしら。ニーノのすぐ横にいる男の人が怪しそうだけど」

「ワレはその玉の中が見えぬからわからぬが、近付いたら教えてやろうか」

「お願いするわ」

 リーネとマイリントアが話をしていると、やんわりと張りのある男の声が加わった。

「この人を焚き付けるのをやめていただいてもいいですか、魔物様」

 間を割くようにひょっこりと顔を出したのは、紺色の長い髪を括らずにおろしているルカだった。

 リーネ達の声で目が覚めてしまったらしい。


「いくら強くても、戦っていては明日に間に合わなくなる。何か策を練って、ニーノさんだけ救出できる方法を考えたいんだが」

 え、とリーネはルカの言葉に驚いてみせた。

「戦わないの?」

「当たり前だ。千人の騎馬兵がいると私はこの足だし、ベネディクト兄さんを危険に晒すわけにはいかない。貴女が救出の要になるのに、その貴女が戦うことで離脱したら、誰がニーノさんを救い出すんだ」

 リーネは少しふてくされた様子で、ルカから顔を反らした。


「、、、そうね。ニーノを助けにきたんだもの、仕方ないわ。でも、戦わないでニーノをどうやって救い出すつもり?」

 リーネが尋ねると、ルカは複雑そうに口を歪めた。

「、、、それを今から考えるんだ」

「時間がないといっているのに、随分と悠長な発言ね」

 リーネは呆れる。ルカは紺色の瞳をマダヤカス公爵邸の方に向ける。

「仕方ないだろう。戦うのは反対だ。さっきの貴女達の会話から察するに、ニーノさんを護衛しているのはカタザール将軍のはずだ」

「カザタール将軍?」

「そうだ。イーサン・ウェイ・カタザール。元、王国軍の将軍であり、国内最強を誇るお方だ」

「、、、へぇ。国内最強」


 リーネがそれを聞いてソワソワとし始める。


「いくら貴女が強くとも、絶対にカタザール将軍には勝てないだろう。カタザール将軍が負ける姿など想像もできない。彼は人類最強と言っても過言ではない」


「そんなに?」


「ああ。彼の伝説の中で、1万人の敵をたった50人で倒したという説話もあるくらいだ。世界最強の魔術師がリンドウ帝国のケリーという男であるなら、世界最強の戦士はオルトルーヤ国のカタザール将軍に間違いない」


 リーネは熱い息を漏らすように声を出した。

「それはすごい人ね。でもそんな人が、なぜ公爵とはいえ、一貴族の下で働いているの?国の英雄なんでしょう?」


「私も詳しいことは知らない。あくまで噂だが、マダヤカス公爵に恩があり、将軍職を辞してマダヤカス公爵の私兵を取りまとめていると聞いたことはある」

「、、、ふぅん、、、、」

 リーネは何かを考えているようだが、ルカは嫌な予感がして、リーネに先に忠告した。


「何度も言うが、絶対に戦ってはいけないぞ。貴女の行動1つで、ニーノさんが危険に晒される可能性がある」


 リーネは、救い出す途中で将軍に挑んでみようかなどと少しは考えていたのだが、諦めるしかなさそうだった。

 リーネは考える格好をしてみせて、ふむ、と唸った。

「戦わないなら、向こうの気を反らす必要があるわよね。ルカ様、女装でもしてみます?」


 思い付きでリーネが言うと、ルカはこれ以上ないほどの苦虫を噛み潰したような表情をしてみせた。自分の女装姿を自分自身で想像してしまったのだ。


「、、、それは何の罰だ?」

 リーネは笑う。

「罰だなんてとんでもない。ルカ様は美人だから、よく似合うと思うわ。軍隊が進む側に女装したルカ様が佇んでいたら、そちらに意識が向いて、ニーノから目が離れるかと思って」

 ルカの険しい顔は戻らない。

「そんなとんでもなく頭の悪い作戦など、考えついても口に出さないでもらいたい」

 ルカの言葉には明らかに怒りも含まれていたが、リーネはそんなことは全く気にすることもなく、首を傾げた。

「良い考えだと思ったから口に出したのだけど」

「貴女はニーノさんの爪の垢でも飲んだ方が良さそうだ。そうすればもう少し賢くなれるのではないか?」

 ルカの嫌味に、リーネはめげることなく、あらあらと呟く。

「ルカ様って二重人格って言われない?ルカ様こそ、ニーノの爪の垢を煎じて飲んだ方が良いのではないかしら。ニーノは人によって態度を変えたりしないわ。人の上に立つ人なら特に、常に他者に対して一貫した態度をとるべきよ」

「私は常に一貫した態度をとっている。貴女にだけ優しくする気にならないだけだ」


 リーネがルカ様の反撃の言葉に、少しだけ間をおいた。リーネの醸し出す雰囲気が変わる。


「、、、へぇ。そんなことを言っていいのかしら。ルカ様」

「?」 


「ルカ様はニーノを救い出したいんでしょう?ベネディクト様は時期公爵様で危険に晒すわけにはいかず、ルカ様は足を動かせない。私がいないと、ニーノは助け出せないんじゃないのかしら?」


 ルカは目を見開いて怪訝な顔をする。

「まさか、私を脅す気か?貴女もニーノさんを連れ戻す気ではいるのだから、同じではないか」

 リーネは鼻で笑う。

「確かに私はニーノを救い出しにきたわけだけど、別にルカ様達と協力する必要はないのだから。ニーノがリンドウ帝国に戻ってからも狙われないために、一度ルカ様と王宮に行った方がいいと言うから付き合っているだけで、あくまで私はニーノの意思を尊重しているだけ。ルカ様が私を邪険にするのであれば、別行動という手もあるわ」


 上から見下ろすようなリーネの発言に、ルカは表情を険しくする。確かにリーネのいう通りなのだろうが。

 反論さえできない自分がもどかしかった。


「その言い方はやはり私を脅しているのだろう。私だって足さえ負傷していなければ、自分こそがニーノさんを直接救いに行きたいんだ」


 悔しそうにルカはリーネを睨み付ける。

 拐われたのがマダヤカス公爵であるならば、ニーノに酷いことはしないだろうという気持ちはある。王位に立つにはニーノが必要だから。

 だが、ニーノはまだ少女だ。

 冷静を装っていても、ニーノが怖がっているかもしれないと思うだけで胸が張り裂けそうな気持ちになった。


 この想いを何と呼べばいいのだろう。

 胸の中でくすぶる、この感情は。


「私が騎士になったのは、憧れの方が騎士になったというからではあるが、ニーノさんに出会ってからは、ニーノさんを守るために騎士になったのではないかとさえ思う。足さえ問題なければ、私だって、、、」


 ルカが自分の中でたぎる気持ちに身体が追い付かず、唇を小さく震わせたところで、リーネがパチンと手を鳴らした。白い兜の中から聞こえた声は、元の明るいリーネの声色だった。

「ルカ様の気持ちは充分にわかったわ。ではこうしましょう。私が囮になるから、ルカ様はニーノを助けに行って下さい。それならば誰も文句はないのでしょう?」


 ルカは驚く。

「え?いや、だから私は足が、、、。ちゃんと人の話を聞いているのか?」

 何のためにリーネにニーノの救出係を頼んでいるのか。嫌というほど説明したはずなのに。つリーネが理解していないのであれば、それはそれでリーネの頭の中を心配してしまいそうになる。


「ルカ様には、特別にマイリントアを貸してあげる」

 ただし、とリーネは付け加える。


「この作戦が成功したら、ルカ様はもう少し私を認めていただきたいわ。私のことをおの人だの、貴女だの。私にはリーネという名前がちゃんとあるのよ。しっかり名前で呼んでいただきたいわ」


 聞いて、ルカはグラグラと頭が痛くなってきた。


 結局、リーネは何もわかっていないのかもしれない。

 計画ということは、1人が女性の格好をして騎馬兵達の注意を引き、もう1人がその間にニーノを救い出すというお粗末な計画のことだろうか。


 マイリントアという魔物を貸してもらったからって、何ができるというのだろう。重力魔法を使って、馬車ごと浮かせて救い出すつもりだろうか。いや、そんなことをしたら、馬車が浮き出した頃に馬車を攻撃されるか、馬車を壊してニーノを奪い返されるだろう。

 近くにいるのがカタザール将軍だとしたら、ルカが敵う相手ではない。


 そもそも、囮の段階で失敗確実だ。


 人の好みは人それぞれ違う。

 確かに美人は人の目を集めやすいが、千人以上いるという騎馬兵達が全て好みに当てはまり、全ての者がそちらに目を向けるということはあり得ない。すべての服を脱ぎ捨てて、全裸で道路に立つようなことがあれば話は別だが、流石にそれは普通の女性ならばしないだろう。


 ルカはため息をついた。

「、、、貴女の兜の中の素顔がどれほど美人か知らないが、この計画は失敗する。もっと別の、、、」

 

「誰が色仕掛けをすると言ったの。私はこっちに来る時にくれぐれも兜は取るなって言われてるの。兜は取らないわよ。でも囮なら、他にも方法は沢山あるわ。私は足も使えるし、少しなら魔法も使える。あと、ちょっとした秘策があるのよ」


 そう言って、リーネは手のひらを明後日の方向に向けた。すると、そこにはさっきまでいなかったはずの大きな動物がこちらを見ている。

 いや、動物ではない。


 ルカは思わず、腰に下げた剣の鞘に手をかけた。


 それは、ダンジョンでも滅多に出てくることのない、ホワイトベアーという魔物だった。


 ルカは信じられない思いで、ホワイトベアーを見つめる。その紺色の瞳が動揺しているのをリーネは楽しそうに見ていた。



✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️



 馬車は2台縦に並んで、ガタガタと揺れながら走る。


 1台の馬車にはニーノとマテオ。

 もう1台には、マダヤカス公爵とその娘のシャーロットが乗っていた。

 馬車は4人以上乗れるので本来ならば1台で良かったのだが、わがまま令嬢が、平民と一緒の馬車には吐き気がして乗れないと言い張るので、2台で行くことになった。


 カタザール将軍ことイーサンは、ニーノの護衛であるからニーノの馬車の隣を馬に乗って並走している。


 マダヤカス公爵の威厳を見せるためにも千人の私兵を動かしたが、人が多くなるだけ進む速度が遅くなる。


 マダヤカス公爵邸に着くまでの速さ。今の馬車はその半分ほどで動くため、マテオはふてくされた顔で馬車から外を眺めていた。


「、、、将軍」

 ニーノの横に座るマテオは、明るい茶色の髪を暇潰しに触りながら、窓から顔を出してイーサンに声をかける。


「将軍。これは父上の考えだから俺には文句は言えないが、こんなにゆっくり進んで、本当に今日中に王宮に着くのか?」


 イーサンの岩のような巨体を支えるため、イーサンの乗る馬は他の馬よりも2割ほど大きい。その馬の上で主人の息子に笑顔1つない顔で、イーサンは返答した。


「このままのペースでも、何事もなければ夕方には王宮にたどり着くでしょう」


「何かあれば間に合わないってことか」

 マテオはイーサンを睨み付ける。それを眉1つ動かさずにイーサンは交わした。

「ご心配は不要です。これだけの有能な兵が千人以上いて、即座にこれに対抗できるような私兵を持つ貴族はおりません。あるとすれば国軍でしょうが、戦争を我々が起こしているわけでもないのに国の軍や騎士達は動かせないでしょう。それに明日は王の誕生祭です。近隣の、招待された王族や要人達が一同に集まるのですから、その警備に集中しているはずです」

「なるほどな、、、、」

 マテオは呟いて、少し口を閉じる。

 後ろに続く馬車の中に、ゴテゴテと着飾って濃い化粧をしているシャーロットと、自分こそが主役とばかりにきらびやかな装飾をした父を視界に入れる。

 本人達はもう、錬金術師を連れてきた英雄、そしていずれ王族となる気で満々だ。

 普段よりもどこか凛々しく見えてしまうのは、そういう心が顔に表れているからだろう。


「錬金術師を奪われたジャタニールの連中は、取り返しにくると思うか?」

 マテオが言うと、それまで人形のように動かなかったニーノが、ピクリと肩を揺らした。

 

 イーサンはまっすぐに進む道を見ている。

「どうでしょうか。報告では、東門の門番全てが倒されたと聞いておりますが、倒された相手は白い鎧の女性1人だったとのこと。ジャタニールの手の者の中に女性騎士はおりません」

「女だと?」

 マテオは一瞬驚いたが、すぐに脳裏に白い鎧をつけた人間の姿が浮かび上がった。

 ベネディクトの護衛を、剣の鞘で打ち飛ばしていた女がいたなと思い出す。あの女がベネディクトと手を組んだとすると、可能性はなくはない。

 しかし、いくら強くても女は女だ。結局は男が勝つに決まっている。

「あとをつけられたか。しかし将軍。お前ほどの者が、女に負けるなんてことはないだろう?」

 マテオの問いに、イーサンは「そうですね」と答えた。

「昔、魔女がいたことがあると聞いております。その者は天地の精霊を従え、この世の全てを支配したと聞いております。その魔女でない限りは、おそらく私の方が強いかと」

 

 マテオは可笑しそうに、はははと笑った。

「魔女か。そのような者が本当にいるとしたら、会ってみたいものだな。まぁ、ジャタニールは頭の固い愚か者ばかりだ。いくら魔女が味方についたとしても我々に勝つことはないだろうがな」


 ニーノは笑うマテオの横で、マテオとイーサンが馬車の窓越しに話をしているのを聞きながら、反対側の窓から外を眺めた。


 朝になりマダヤカス公爵邸を出発したニーノは、窓の外で移り行く景色をずっと見ていた。

 人の住む家。田畑。街道。

 どれも、豊かとはとても言えない光景だった。


 ニーノが住んでいた酒場の周辺を彷彿とさせる場所もあった。

 あそこは、元々、国から見捨てられた土地だった。今でこそ帝国から周知され、貧しい者達への支援も始まりだしている。しかしそれまでは、誰からの援助を受ける手立てもなく、自分達の力でどうにか生きていくしかなかった。家がなければどこからか切ってきた木を無理やり組み立てて家を作り、食べれると聞けばどんなものでも試しに食べたり育ててみたりしていた。だけど誰も育て方がわからないから、たいしたものは育たない。


 そんな光景が目の前に広がっていた。

 マダヤカス公爵領という、守られている土地のはずなのに、だ。


 この土地は間違っている。 

 ニーノはそう思った。


 ニーノは政治のことも、統治ののことも知らない。上に立つ人間ではないからだ。

 でも、底辺にいたからこそわかるものもある。


 この土地に住むものが、苦しんでいること。

 

 そうでなければ、こんなに大地が荒れることはない。

 そうでなければ、こんなに景色が廃れることはない。


 マテオがこの地を見ながらも笑える精神がわからなかった。これだけ荒廃していて、何も思わないのだろうか。

 自分達が守るべき土地だというのに。


「、、、魔女はいますよ」

 ニーノはマテオの方を向いて、言葉を発した。


「リンドウ帝国の魔女は、戦いの女神ですから」

 

 ニーノは、本当はリーネがリンドウ帝国で戦う姿は見たことはなかった。強いという噂だけしか聞いたことはない。

 だけど、この国に来てから、リーネの戦う姿を見ていた。白い鎧をつけているけれど、リーネからはまるで光が溢れているような輝きが見えていた。


 ニーノの保護者であるベックが、リーネを女神と間違えたことがあった。ニーノはそれを聞いて、夢でも見たのだろうと笑ったが、後日、夢ではなかったと真剣な顔でニーノに話してきた。


 ベックは恋愛ごとに興味はない。彼は、強い人間にしか興味がない男だ。

 そのベックが、神を崇めるようにリーネの話を熱く聞かせてきた。

 世界最高の魔術師であるケリーでもなく。

 世界でも有数の魔法と剣術の遣い手だと噂のリンドウ帝国の公爵子息でも、全てにおいて完璧だと評判の皇太子でもない。


 ベックにとって唯一無二の戦いの神は、リーネというただの女性だった。


「なんだと?」

「リンドウ帝国の魔女もジャタニール家も、貴方達には負けません」

 ニーノがはっきり言い切るとマテオの表情が歪む。折角楽しく笑っていたところに水を差されてしまった。

 ニーノも余計なことを言わなければいいのにと自分自身で思うが、ルカ達やリーネが軽んじられていることが許せなかった。

 こんな荒れた土地を放置する人間にバカにされるような人達ではない。


「また叩かれたいのか」

 マテオがニーノにわざと手をあげるふりをする。さっき激しく叩かれたところの傷がまだ痛んでいる。その痛みが記憶として蘇る。

 だがニーノはそんな脅しには屈することはない。

 狐のようなマテオの顔を真っ直ぐに見据え、叩くなら叩けばいいと、ぐっと歯を噛み締めた。


 馬車に乗っている間、ニーノは両手と両足と、それぞれ縄で括られている。叩かれたら手でかばうことも足で逃げることもできない。

 だが心は決して負けることはないと自分に言い聞かせる。

 それはニーノの心が強くあるためのおまじない。


「、、、負けないわ」


 ニーノが呟いた時、近くにいた兵士達がざわめいた。小さなざわめきが徐々に大きくなっていく。それは悲鳴に変わり、騎馬兵の長であるイーサンのところに報告がきた。


「将軍っ!大変です!!!魔物達がっ!魔物達が急にっ!!!」


 イーサンは兵士達に囲まれて、遠くがよく見えない。目を凝らしてみると、遠くの方に、無数の白い熊のような魔物が見えた。


 ダンジョンの中でも難易度の高い魔物。

 強い上に滅多に姿をみせないというその魔物の素材は、かなり高価で取引されると聞いたことがある。だが、その素材を手に入れられる者は少ない。

 爪は鉄でできた剣よりも強く、狼よりも素早いと聞いたことがある。


「あれはホワイトベアー。ダンジョンでもないこの地に何故、、、」


 イーサンは驚きを隠せず、馬の足を止めた。

 近づくと2メートルを越える巨体のホワイトベアーの腕になぎ払われ、あっという間に何十という馬や兵士が倒れた。兵士達はパニックに陥り、馬は急に現れた凶悪な魔物に怯えて人が次々に落馬する。


「待て。落ち着くんだ。慌てず体勢を整えろ」

 イーサンは声を張り上げるが、パニックになった中では兵士達の耳に届いていない。


 ふと見ると、魔物達の更に奥に、乗馬した白い鎧の人間が見えた。誰よりも魔物の近くにいるくせに、魔物から全く攻撃される様子がない。

 むしろ、その者こそが魔物を操っているように見えた。


「、、、、リンドウ帝国の魔女、、、、」


 イーサンは低く呟く。

 国軍から離れ、名誉ある戦いよりも利益のための戦いに多少嫌気がさしていたこの頃。


 凛として乗馬する白い鎧の姿に、何故か心が躍り、わずかに肌が粟立っていた。

 この感覚。

 久しく忘れていたとイーサンは思う。

 まさか襲撃されて嬉しく感じる日がくるとは考えもしなかった。


「、、、面白い」

 つい口にしてしまったイーサンを、白い鎧の人物だけが見ていた。



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