連れていかれただけです。
何年か前のこと。
オルトルーヤ国内のギルド全体で『緑の瞳の少女を探せ』という依頼があった。それが本当に国内全体に周知された理由は、その賞金がそこらのモンスターを狩る賞金とは比較にもならないものだったからだ。
たかが人間の少女を見つければいいだけで、それが手に入る。一攫千金を狙って、当時のギルドに所属する冒険者の殆どが、緑の目を持つ少女を探した。それによって、国内全ての緑の目を持つ少女が捕まり、依頼者のもとへ連れていかれた。
連れていかれた少女達がどうなったかまでは、誰も知らない。
騎士団宿舎に戻ったルカは、かなり機嫌の悪そうな少女、ニーノの緑の瞳を見ながら、当時の事を思い出していた。
19歳のルカも、当時はまだ今のニーノくらいの年で、なぜ皆が緑の瞳の少女を探しているのかよくわからなかった。ただ、血眼になってまでも緑の瞳の少女を探す大人達の様子があまりに恐ろしく、緑の瞳の子が見つからずに無事でいてくれればいいと、子供ながらに思った記憶がある。
ニーノはオルトルーヤ国の人間でも習得が難しいとされるオルトルーヤ語を話すことができるニーノを見て、この子も一度は捕まって、無事に戻されたのだろうなと思った。
あれだけの大金を提示されていたのだ。
もしかしたら緑の瞳は貴重で、その目をくりぬかれたり、あるいは緑の瞳を持つ者は全員殺されたりしたのではないかと危惧していたのだけど。
目の前の少女の目には緑の瞳があり、そしてちゃんとそこで息をしている。
杞憂だったなと、そんなことを思った。
いつの間にかギルドから、その依頼は見なくなり、緑の瞳の少女を探す人もいなくなった。
この世界には様々な色を持つ人や動物がいるけれど、ルカは、このオルトルーヤ国内で、緑の瞳を持つ少女に会ったのは、これが初めてだった。
ーーーそれでつい、連れてきてしまったのだが。
「大丈夫ですか?」
騎士団所属の聖魔法を使える団員に、ニーノの腕を治してもらった。腕は焼け焦げて皮膚は縮み破れ、肉が顕になっていた。その様子はあまりに痛々しくてとても見られたものでなく、ルカが騎士団宿舎に戻ってきて一番にしたことは、聖魔法が使える騎士探しだった。
運の良いことに、聖魔法が使える魔術師はすぐに見つかり、ニーノのいる部屋に連れていった。ニーノは騎士団の治療室のベッドに横になっていた。
「あと少しでも回復が遅かったら、傷が残っていたでしょうね」
その聖魔法が使える魔術師は、あっさりとした口調で言った。腕の良い人なのだろう。火傷の痕は消えている。だが、有能な魔術師であっても、時間の経過には勝てないということか。
ルカは、その少女の手に傷が残らなかったことに安堵して「良かった」と、心から呟いた。それをニーノは不思議そうな顔で見る。
そのニーノの表情を、ルカは不思議そうにしてしてみせた。紺色の瞳が丸くなっている。
「なんでそんな顔をしているんですか?」
聞かれて、ニーノは「だって」と呟く。
「お兄さん、、、騎士様は貴族でしょう?平民の傷が治っただけなのに、そんなに喜んでくれるなんて、変だと思って」
言いながら、ニーノはつい、クスリと笑ってしまう。
よく考えればルカは初めから、ニーノに対して丁寧に接してくれていた。言葉遣いもずっと敬語だった。貴族であるルカが、平民ーーーそれも、これはルカは知らないことだが、敵国のスラム街の奥。人もあまり寄り付かない獣人の町の酒場で働く年下の娘に敬語を使うなんて、信じられないを通り越して、冗談のようだ。
「貴族様なのに平民に優しいなんて、ルカ様は、良い人なのでしょうね」
ニーノが言うと、ルカはまたきょとんとした顔をしてみせる。
「人が人に優しくするなんて、当たり前のことでしょう?」
ニーノは顔をひきつらせる。
「ーーー当たり前のことではないから、言っているんです」
ニーノはルカの返事に少し呆れた。
なるほど、優しい貴族かと思ったら、もしかしたら世間知らずのお坊ちゃんなのかもしれない。
周りの人達に親切にされ過ぎて、正しい知識だけで純粋培養されてしまった可能性がある。そうでなければ、こんなにも真面目な顔をして『人が人に優しくするなんて当たり前』など言えるはずがない。
この世の中には、人に優しくないことの方が多いのだから。
人を騙し、人を裏切り。自分の欲のために人を蹴落とすことなど当たり前。そんな大人達を沢山見てきたニーノにとって、目の前の騎士様を『甘い』と思った。
この先、きっとどこかで苦労するだろう。
貴族の世界も、スラム街とは違う意味で邪悪な世界だと聞く。
両腕の痛みと傷を治してくれたルカへの感謝の気持ちはある。せめてこの優しい男が、手酷く騙されて、絶望を味わうことがないようにと祈るばかりだ。
「ーーーそれはともかく」
ニーノは、しゃんと姿勢を伸ばしてルカに向き合う。
「治療して、体力も回復しました。約束通り、送っていただけるんでしょうね?」
「あぁ、そうでしたね。まだ体力が回復したとは思っていませんが、早く帰らないと心配する人もいるのでしょう。ーーーそれで、どちらに帰りたいのですか?」
どちらに、と言われて、ニーノは少し言い淀んだ。
リンドウ帝国、と答えていいのだろうか、とニーノは悩む。一緒に連れてこられた娘達が意識を取り戻しているのであれば、自分達がリンドウ帝国の人間であるということはすでにバレているかもしれない。
もしそうであって、今、これだけ優しく対応してくれるのならば、言葉にしてもいいのかもしれない、とニーノは思う。
だが、石橋を渡るのに、叩いてみて損はない。
ニーノはルカに尋ねた。
「ちなみに、ルカ様。騎士の仕事は王に仕え、国民を守ることでしょうが、他国との戦いもされるのですよね?近隣の国に対して、どう思われますか?」
突然聞かれて、ルカは少し黙る。
その質問の意図を考えているようだが、性格なのか、ちゃんと素直に答えてくれた。
「オルトルーヤ国の周りは、まだまだ安定しているとは言い難いからですね。いつ戦争になってもおかしくない状態なので、常に戦う意識は持っていようとは考えていますよ」
「では、個人的に隣国に対する嫌悪感はないということですか?」
「そうですね。特に個人的には何も」
笑顔のルカの表情を見ながら、ニーノは少し顔をあげる。
「リンドウ帝国に対しても、ということですか」
ルカは笑顔のまま静かに頷く。
「リンドウ帝国?そうですね。リンドウ帝国はここからとても近く、諍いは絶えないからですね。私が兄として親っていた人が、数年前に急なリンドウ帝国の攻撃に深い傷を負わされまして。それによって騎士としては働くことができなくなりましたが。あとこの辺の国で、唯一、聖女を保持しているというのに、その聖女を派遣することなく自国のみで治めようとしているところに思うことはありますが、個人的に恨みなどは別に」
「なるほど。よぉく理解しました」
即座にニーノは笑顔を作る。
あっぶなぁい、とニーノは心で大きく叫んだ。
笑顔で言うから騙されるところだったけど、このルカという男、だいぶリンドウ帝国に嫌悪も恨みもあるようだ。
やはりルカにリンドウ帝国に帰してもらうという甘い考えは捨てて、予定通り、自分の力で国境を越える方法が確実だろう。
ニーノはきゅっと口に力を入れて、目を伏せた。
「ルカ様。先刻も言いましたように、私を、あの荷馬車が燃えたところに戻していただければ、それで大丈夫です。場所を把握したいので、地図を見せてもらえると助かります。あと、よければ一時間ほど、準備のための時間ををいただいてもいいでしょうか。水や食料などを揃えたいので」
色々あったが、あの山賊達は、ニーノの身体を調べはしなかった。落としたり盗まれたりしないように、服の下にサラシで巻き付けた『買い出し用』の資金は盗られていなかった。これがあれば、国境を越えるだけの水や食料は手に入れられる。
あとは、国境をどう越えるかということを考えれば、時間はかかっても無事に酒場に戻れるだろう。
「わかりました。約束ですからね」
その言葉に、ニーノは安堵する。
「ですが」とルカが付け加えるまでは。
「少女が知らない街で買い物をするのも危険ですし、あの森もまだ他の山賊がいないとは限らない。私がちゃんと最後まで護衛をさせていただきますね」
そういって、反論さえさせてもらえないほどの圧のあるルカの笑顔に、ニーノは黙るしかなかった。