過去から戻りました。もう一度、帰る道を探しましょう。
「ニーノ!戻ってきたのね?」
リーネの耳に心地よい声が聞こえて、ニーノはぼんやりとまどろみの中から目を覚ました。
ニーノは引き締まった体つきであるルカの胸にもたれかかるようにして、気を失っていたようだ。
目が覚めて、あまりに整ったルカの顔立ちを目の前にしてしまい、ニーノは珍しく動揺する。
「ルカ様。ごめんなさい。重いのに」
すぐにルカから離れて身なりを整えるニーノに、ルカはたまらず破顔した。
「ニーノさんくらいの身体は、小鳥のようなものですよ。何時間抱えようが、全く問題ありません」
ニーノは相変わらず不器用にしか笑わず、常に人との距離を保つ姿勢ではあるが、二人が過去に戻るよりもほんのわずかだけルカに対しての表情が緩んだ気がする。
リーネは、白い兜の中で小さく「うーん」と唸る。ニーノが誰かに心を開くことは良いことだが、その相手が他国のイケメン騎士となると、話が変わってくる。
ニーノの保護者、ベックの顔がリーネの脳裏にチラチラと浮かんでは、騒ぎまくる姿が想像される。
「、、、まずい、、、かも?」
しかしここで騒いでも仕方ない。
リーネは二人が起き上がるのを手助けして、古代文明の遺跡の前に並んだ。
ここは誰も入らない森にある、洞窟の地下。
空のように見える天井は、敷き詰められたLED照明のように輝き、金属と弾力のある土で造られた建物はどこまでも広く高く聳えて見える。
宙に浮く何重もの道路は、線路と自動車と歩行者を分けて造られているのだろうか。あまりに道路が多すぎて、ジェットコースターのようにも見える。
自分達が使った、地面を水平に走るエスカレーター以外の機械は稼働していないが、その景色をみるだけで、過去の古代文明に想いを馳せてしまう。
そのエスカレーターの先にあった四角い建物の前で、ニーノ達は行き詰まっていた。
そのヒントを得るために、錬金術師の力を借りて過去に戻ったのだけど。
「それで、何か収穫はあったの?」
リーネが聞くと、ニーノは小さく頷いた。
「ここは超古代文明を一代で築いた、錬金術師の研究施設なんだって。他の機械は壊れてしまったけど、ここは地下だから壊れなかったのかもしれない」
「、、、超古代文明。、、、、錬金術師。聞くだけでテンション爆上がりね」
呟いたリーネの言葉に、ニーノは「え?」と聞き返す。慌ててリーネは、誤魔化すように白い鎧の小手を振った。
「あ。ほら、そういうのってすごく夢があるじゃない。私、大好きなのよね。そういう夢物語って、もう、めちゃくちゃワクワクしちゃうわ。ニーノもわかるでしょ?」
一人でソワソワしているリーネに、ニーノは冷たい視線で一瞥する。
「、、、ごめんなさい。全然わかってやれないわ」
「うそぉ!?」
リーネはニーノよりも10歳年上のはずだが、どちらかといえばニーノの方が落ち着いたお姉さんのようだ。
思えば、リーネと知り合った10年前から、ずっとリーネは落ち着かない女性だった。喜怒哀楽が豊かで、周りを振り回して、それ以上に自分が駆け回る。
見ていて飽きないけれど、喜怒哀楽に欠けた自分は、どんなに逆立ちしてもリーネにはなれないと思っていた。
なりたいと思ったこともないけれど。
「この建物を突破する方法は見つかったの?」
「鍵を貰ったわ」
どんな扉にも対応する万能鍵だとあの男は言っていた。
そんなことがあり得るのか。
それができるなら、どんな家にでも侵入し放題になってしまう。
初めて会った、未来から来たという眉唾ものの不法侵入者に渡すには、あまりにリスクが高過ぎる。
だがそんな経緯を知らないリーネは、ただ素直にその『鍵』という存在を信じた。
ふむふむと頷いて納得する。
「なるほどね。高度文明だからこそ、あえてレトロな方法で侵入者を防ごうということね。ここに入るだけでもあそこまで厳重に選り分けしたんだもの。この先は、錬金術師の能力云々というよりは、選ばれし者しか入れないということね」
ニーノは扉の鍵穴に、貰った鍵を差し込みながら考える。
選ばれし者、とは、どういうことだろう。
錬金術の力を持つ者?
魔物を倒すだけの力がある者?
緑色の瞳をした者?
私は錬金術なんて、まだ全然知らない。
魔物を倒したのはそもそも私ではない。守ってくれたルカやリーネがいなければ死んでいたかもしれない。
緑色の瞳をしていること?
そんなの、リンドウ帝国に行けば沢山いるのに。
ニーノは鍵を回す。
カチャリと音を立てて、扉は開いてしまった。
自分はまだ、その実力を身につけていないにも関わらず。
扉はそれでも、鍵を開けたものを快く受け入れるかのように、自ら大きく開いていった。
開いてしまうと、建物の中が一望できた。
「わぁっ!」
リーネが声をあげた。
建物の中、びっしりと本が詰まっていた。
リーネはため息をつきながら、本を一冊手にとってみる。
「すごいわ、この蔵書。何百年前に紙ってあったの?それにこの本の保管は完璧だわ。全く本が傷んでいない。魔法でもかかっているみたい。あるいはマジックバッグの中にでも入っていたみたいだわ」
リーネが言うと、ニーノはふと、自分のマジックバッグを触ってみた。
ここ、オルトルーヤは技術が発展した国。
他国では想像を絶するほど高価なマジックバッグも、オルトルーヤではそれほどでもないと、ルカは言った。オルトルーヤでしか作れないマジックバッグ。だからこそ他国より低価格で流通できるが、他の国よりは、という程度のものでしかないことはニーノも理解している。
まさか、とニーノはルカを振り返る。ルカも驚いてはいるが、ニーノと同じ考えのようだった。
この魔法の殆どない国でそんなことができるということは、そういうことなのだろう。
「、、、ここは、建物全体がマジックバッグになっているのね」
ニーノはぐるりと建物の中を見渡した。
高さでいえば三階建てくらい。横ならば教会程度の広さになる。
マジックバッグは、他国ならポーチほどの大きさのものでさえ、小さな家が建つ程の値がするらしい。
では、この見上げるほどの大きな建物全体がそれだとしたら、一体、どれだけの価値があるのだろう。
はぁ、とルカもためつすがめつした。
「これを建てた人物の懐具合が顕著に現れてますね」
ここは初代の錬金術師が作った研究施設だと聞いた。ではこの建物も、その男が建てたのだろう。
ただの研究施設に、これほどの蔵書を、そしてこれだけの建物を置くなんて信じられない。
「そこまでして残したい本なんて、どんな本なのかしら」
リーネは持っていた本を元に戻し、他の本を手にして開いてみる。そして首を捻った。
「あら?この本は何も書かれていないわ」
何も書かれていない本を棚に戻し、他の本を開く。
どうしてこれらの本を残したいと思ったのかわからないほど、面白くもない恋愛小説だったり、料理本だったりした。それはそれで需要はあるのだろうが、この何百年経っても劣化することのない空間に入れるには、勿体無いと言わざるを得ない本達だ。
他の本を見ていくと、そこらの本屋に置いてある程度の本の中に、何冊かの白紙の束になっている本が混ざっている。
中身がどんなに薄っぺらくとも、白紙よりはまだ良い。何を意図して白紙の本が何冊もあるのか、理解できなかった。
「ふむ」
と、小さな魔物であるマイリントアが意味深に頷いた。
「ニーノ。そなた、これを建てた人物は、600年前に生きていたと言ったか?」
「違うわ。不老不死の薬を飲んで何百年か生きたけど、600年前に亡くなったのよ」
「そうかそうか。ということは、生まれは1000年以上前くらいか。なるほどのぉ」
ホッホッとマイリントアは愉しそうに笑う。
「何が可笑しいのよ、マイリントア」
「いやなぁ。ワレも何百年とダンジョンにて閉じ籠ったが、長年籠るとな、たまに、ささやかなことに拘る時がくるものでのぉ」
マイリントアは、白紙の本を浮かせてニーノの手前で止めた。本は宙を浮いたまま、パラパラとめくられる。
「この国は面白いのぉ。魔法は限りなく少ないくせに、魔法と同等、いや、魔法とは逆の力で魔法に対抗しようとしてくる。その錬金術師の初代という男と、ぜひ直接会ってみたかった」
「どうしたのよ、マイリントア。この本はただの白紙の本でしょう?」
リーネが白い兜をかぶったまま、浮かんだ白紙の本をつつく。無駄に保存状態の良いその本は、新品の本のように歪み1つない。
「そのように見えるが、この本からの『匂い』が、他の本よりも濃く染み付いておるのじゃ。この本だけではない。白紙の本、全てじゃな。これは何か隠されておるぞ」
「え?この本に?」
リーネはまじまじと白紙の本を凝視する。
どんなに透かしてみても、全く文字も絵も見えない。
「さて、どんな細工がされておるのかの。レモン汁での炙り出しなんて初歩の細工ではなかろうが」
フッフッとマイリントアは楽しそうに口を歪める。
「こういうことをする根暗なやつは嫌いではない。ワレもあまりに暇すぎて、ダンジョンの自分のフロアの小石が何個あるか数えてみようとしたこともあったしのぉ」
リーネはドン引きしてみせる。
「なにそれ。すごい地味。数えられるわけないじゃない」
「2兆7500億くらいで飽きてやめたかのぉ」
「思ったより尊敬に値する数で驚いたわ」
「ホッホッホッ」
仲良さそうに話す主従を横目に、ニーノは、別の白紙の本を棚から取り出した。
手に乗せてパラパラと捲る。
レモン汁で文字を書いて炙ると文字が黒く浮かび上がるように、ミョウバン水で書いて、水の上に浮かべて文字を出すものだってある。
紫外線。ヨウ素。重曹。牛乳。、、、数え上げればきりがないほど、文字を隠す技法は存在する。
しかし。
ここまで手がこんだことをする人間が、そんな誰でも知るようなありきたりな方法で隠すだろうか。
いや、本当に隠すつもりなら、白紙の紙に書いたりしない。カムフラージュで普通のインクで書いたものに、隠して特殊インクで細工するだろう。
これはもしかしたら、隠しインクによる細工ではなく、他に何か狙いがあるのではないか。
「ちょちょいと火炙りでもするかのぉ」
「やめなさいよ?マイリントアが火を吹いたら、本どころかこの建物自体が火炙りで消し炭になるわ」
「ホッホッホッホッ。最近は少しは微調整もできるようになってきたのだぞ」
「そんなこと言って、この前も黒の神殿ぶっ飛ばしてたじゃないの」
ニーノは眉を寄せる。
周りがうるさくて集中できない。
普段なら騒がしい場所でも集中できないということはないのに、隣の二人は存在が騒がしいせいか、無視したくても無視できない。
「、、、、ちょっと静かにしてもらっていいかしら」
ニーノに怒られて、リーネは御免なさいと頭を下げる。
「静かにしてるわね」
二人が黙るのを確認して、ニーノはまた考えを巡らす。ずらりと本棚が上下左右に並ぶ中に、白紙の本を入れる理由。
魔物を倒せる力と、錬金術師の力がないとあの洞窟から下に降りる扉を開けることはできなかった。
そして、鍵を持たないと開かない扉を越えた人がようやく辿り着いた場所。
ここまで条件を満たしているのに、まだ選別するつもりだろうか。
本に何か工夫がしてあるとして、それをクリアするために必要なのが、工作員的な知識だとは思えない。
暇だったから?
ちょっとした悪戯で?
古代文明を一代で築き上げた男がどんな人物か知らないけれど、そういう性格ではない気がする。
無造作に見えて、世界中から集められた植物達。
利便性を追及した乗り物。
彼は広い知識を持つ、研究者も顔負けの凝り性だったと予想される。そんな彼が不老不死になってまで成し遂げたかったことは?
「、、、、よく考えたら太陽がないから、紫外線を得ることができんのぉ」
「マイリントア、あなた比較的何でもできるじゃない。紫外線とか身体から出せないの?」
「放射能は出せるんじゃがなぁ」
「なにそれ怖い」
「紫外線とか赤外線とかは電磁波じゃろう?もう少し詳しい知識が必要じゃな」
「聞く限り、知識は充分ありそうだけどね。それを出そうとする努力が足りないだけじゃないの?」
「ホッホッホッ。努力しても魔力もろくにあがらぬ小娘に、そんなことを言われる日が来ようとはな。そなたも偉くなったものじゃなぁ」
「あは。それほどでも」
振り返ったニーノにギロリと睨まれて、リーネ達は口を閉じる。
そのニーノの雰囲気を感じ取って、ルカが松葉杖をつきながらニーノに近寄った。
「ニーノさん。少し休憩でもしませんか?考えて閃かない時は、少し頭を冷やした方が良いアイデアが浮かぶものですよ」
優しく微笑むルカを見ると、イライラしていた心が少し落ち着いた。
出会ったばかりの頃は、とにかく形だけの笑顔を崩さず、全く何を考えているかわからなくて嫌悪が先に立っていたが、こうやってしばらく一緒にいると、ただ穏やかな優しい青年であることがわかる。
押しは強いくせに、ニーノが言うことを、たまに困った顔をしながらも受け入れようとしてくれるところに好感が持てた。
特にルカの足が折れてからは、同行しているニーノに罪悪感があるのか申し訳なさそうにしている姿も、足が折れて動けないくせに必死にニーノを守ろうとしてくれる姿も、どこか滑稽で、可愛く見えてしまう。
ベックが熊のような姿のくせに、酒場の一部の女達から「くまさん」と呼ばれて可愛がられている理由が、なんとなく理解できてしまった。それまで全く理解できないし、したくもなかったというのに。
つまり、男の少しだけ情けない姿は、女の母性本能というのをくすぐってくるものなのだろう。
松葉杖をつきながらもニーノを気遣ってくれるルカの姿は、どこか「ノー」と言えないものがある。
「、、、そうね。そうしましょ」
ニーノはパタンと白紙の本を閉じて、ルカに促されるまま、奥にある大きな木製のテーブルについた。
ルカに椅子をひかれて、ニーノは大きめの椅子に座る。
そのテーブルに並ぶ椅子に、誘ってもいないのにリーネとマイリントアがそれぞれ1つずつ椅子に座った。
騎士として厳しく礼儀作法も鍛えられたルカは、呆れた顔で一人と一匹を見る。
リーネという女に至っては、あまりに仕草が綺麗なので貴族だと思っていたのに、口調にしろ行動にしろ、どうしても貴族らしくない。
どうやら自分の勘違いのようだ。
「ルカ様も座ったら?」
ニーノに促されて、ルカはようやく椅子に座った。
ルカが座って早々に、リーネが口を開く。
「、、、それで?あんまり聞けてなかったけど、あなた達はこれからどうしようとしているの?」
ルカはぎょっとする。
「そこからですか?むしろ今まで何を思って私達の手伝いをしてきていたんですか」
白い兜のリーネは、首を横にコテンと倒す。
「、、、二人が困ってそうだったから?」
リーネに、マイリントアが思わぬ角度から突っ込みを入れる。
「おいリーネ。ぶりっ子ポーズは20代以上は『痛い女』じゃぞ」
そんな、とリーネの声が怒る。
「マイリントア。年齢での差別はいけないと思うわ。今の、可愛くなかったって言うの?」
ふんとマイリントアは鼻で笑う。
「少なくとも可愛くはなかったのぉ」
「うそ」
「、、、大丈夫よ」
ニーノがそこに口を挟む。
リーネが期待してニーノを振り返ったが、ニーノは冷たい瞳をしていた。
「10代の人がやっても、さっきのは『痛い』わ」
「ホッホッホッホッ。さすがニーノはわかっておるのぉ」
そんなやり取りを、ルカは呆然と見ていた。
ニーノとリーネは年齢も育ちも違う。マイリントアという魔物に至っては、種族さえ違うというのに、不思議な一体感を醸し出していた。
テーブルの近くには食器棚もあり、皿やコップなどが一通り揃っている。
ニーノは懐に手を入れて、マジックバッグを取り出した。
「テーブルもあることだし、軽食にしましょうか。上の森に、ちゃんとしたお茶にできる葉っぱも生えていたから、リネも飲めると思うわ」
「やった!ニーノの手作りよね?ニーノの食事は大好き!美味しいもの」
「ここには調味料がないから、期待するような食べ物は作れないわよ」
「大丈夫大丈夫!お腹空いた」
「とりあえず、生活魔法『清浄』をかけるかの」
マイリントアが手をあげると、食器棚の皿達が、洗ったばかりのように綺麗になった。
ルカは驚きで目を見開いている。
「、、、すごいですね。今のは『魔法』ですか?」
「生活魔法じゃからな、簡単な魔法じゃよ。興味あるなら教えてやろうか?お主には多少なり魔力はあるからな。すぐに使えるようになるぞ」
ルカはピクリと指を動かした。
興味はある。興味はあるが、よくわからない連中、しかも魔物とかいう生物に何かを習うなんて。
「、、、いえ、結構です」
ルカは渋い顔で首を振る。
「なんじゃ?折角、ワレが滅多にしない親切をしてやろうというに。お主、実は潔癖症じゃろ?」
ドキリと心臓が鳴る。
この森に入ってから、状況的に仕方なく何でも受け入れていたが、実は汚いものには極力触りたくない。不思議とニーノが渡してくるものだけは素直に受け取れるのだけど、欲を言えばこの椅子にも座りたくなかった。
いつから掃除が入っていないのだろうか。
何かの方法で埃はついていないが、それもまた怪しいと思う。
古代文明が滅びて600年。このテーブルの上には600年前の菌がいるかもしれないというのに。
「、、、いるじゃろうなぁ」
にやりとマイリントアは怪しく笑う。
「なっ?」
心を読まれて、ルカは座っていた椅子ごと後退った。
「思うに、埃や虫は入らないようにことはできても、いたものを排除することはできておらんのじゃなかろうか。元のここの主は男じゃろう?ちゃんと皿が洗えておらんやった。つまりこれは、600年前の食べカスというわけじゃな」
ルカの腕にゾワリと鳥肌が立つ。
「その点、生活魔法『清浄』は、本来の姿まで綺麗にした上で、除菌までしてくれる優れもの」
ルカは急に真剣な顔で立ち上がる。しかしまだ抵抗があるのか何も言わない。マイリントアは、そんなルカを見上げながら、話を続けた。
「、、、しかも、これは皿などを綺麗にするだけではない。着ている服もしかり。新品同様まで綺麗になる上、自身にかければ、まるで風呂に入ったかのようにスッキリピカピカ、汗の匂いもなくなるのじゃが」
バン、とテーブルに力を入れて両手をつく。
「っぜひ教えていただいても宜しいでしょうか」
悔しそうに顔を歪めるルカを見上げるマイリントアの顔は、とても楽しそうだった。
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火もないのに温まった軽食。温かいお茶を、清潔な環境で味わいながら、元のように真っ白な騎士の隊服に戻って、肌もツヤツヤになったルカは、ほぅ、と息を吐いた。
「魔法にこんな素晴らしいものがあったなんて」
「オルトルーヤの人間は、魔法を好まぬからなぁ。オルトルーヤの者が魔法を使えぬ理由の一つは、そこにあると思うぞ。魔法を『悪いもの』と思うておるからなぁ」
「、、、そうでしょうか」
魔法を悪いものとまでは思っていないが、魔法を使うリンドウ帝国は嫌悪している現状がある。
「説教するつもりもないが、古いものに固執しすぎて廃れていった国を数多く見てきたぞ。頑なに変わらぬことで国を守れた例もあるから、一概には言えんけどな」
「現国王には子供がおりません。次の王次第では、国は変わるやもしれませんね。もし我が兄が王位につけば、現国王を慕っているのであまり変わることはないでしょうが」
白い兜の口元を開けて、お茶を飲みながらウサギの炙り焼きに噛みついていたリーネが、僅かに口を歪めた。想像よりもずっと張りのあるリーネの白い肌に、ルカは目がいってしまう。
「王の望む『緑色の瞳をした少女』を連れていけば、王位がその公爵家に譲られるんでしょう?」
ルカは頷く。
「そうだ」
「なら、なぜルカ様のお兄さんなの?王になるならルカ様でも良いんじゃないの?」
ルカはぎょっとして持っていたカップを落としかけた。
「兄は時期公爵として王族に近い教育を受けている。だが私は三男で、上に次男がいる以上、公爵になることはないため高位貴族としてのそこそこの教育と、騎士としての知識しか身に付けていない。王になるなど、とんでもないことだ」
ルカを見ていたマイリントアは、リーネに視線を移して呆れた声を出した。
「こやつ、本気でそう思っておるぞ」
信じられない、という口調でリーネは驚いてみせた。
「ほんとに?」
リーネは何かを考えていたようだが、すぐに普段のように戻って微笑む。
すでに20代というのに、口紅を塗ったように赤い唇がやけに印象深い。その形のよい唇が花のように開いた。
「まぁいいわ。ニーノはリンドウ帝国に、どんなことをしても私が帰すから、誰が王になろうと関係ないわね」
含みを帯びた物言いに、ルカも眉根を寄せる。
王が実際、四大公爵に下したのは『緑色の瞳の少女と結婚した公爵家に王位を譲る』というものだった。
ニーノにはその話を短縮して伝えている。
マイリントアは人の心が読めるという。
それならば、マイリントアの主がその話を知っていてもおかしくはなかった。
だが、ニーノがその話を知ったら、間違いなく王宮に行くのを取り止めるだろう。
まだニーノが嫌がっていないところを見ると、リーネ達はニーノには真実を話していないということになる。
何の理由があって黙っているのかもわからないが、助かるといえば助かる。
ニーノが知って嫌がったとして、ニーノを無理やり王宮に連れていくことは、できればしたくなかった。
だが、少しずつニーノが心を開いてくれている分、事実を話していないことへの罪悪感が募っている。
今、こうやって足踏み状態になっていることが口惜しくもあり、まだこれから起こる『事実』がニーノにふりかかっていないことが救いでもある。いつかニーノに軽蔑の目で見られる未来を思うと、胸が苦しくなる。
なぜならば、ニーノはこの場所に入るために、錬金術師の力を使った。錬金術師の力を発揮できたのなら、間違いなく、王宮に連れていけばニーノは我が兄と結婚することになるのだから。
ニーノは、あれほど望んだリンドウ帝国に、帰れなくなるのだから。
そして、ルカは黙り込んだ。
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「悩んでるところ、悪いんだけどね」
軽食を終えてから、また白紙の秘密を探るために悩んでいるニーノに、リーネは話しかけた。
「なに?」
「ここって、そんなに大切な場所かしら」
あれからもう、何時間も経っている。
軽食を終えた時間というより、夕食の時間という方が近くなっていて、リーネは困ったように時計を見た。
「そろそろここを出ないと、間に合わないと思うんだけど」
「ここを出るために、方法を探してるんでしょ。ここから出ても迷子になるだけ。白紙の本の中に、ここを出る方法が書かれているかもしれないから」
ニーノが何度もパラパラと白紙の本を捲る。
錬金術の力を入れてみたり、ここにあるもので試行錯誤してみたりしたけど、何も起きなかった。
白い鎧をつけたままのリーネはダラリと垂れて、テーブルの上に顎を乗せた。
「なんだ。道を探すためにそんなに悩んでたの?錬金術のことを知りたくて探してるのかと思ってたのに」
「リネと違って、私は錬金術には興味ないわ。早く帰りたいだけ」
「じゃあ、意見が一致したわね」
リーネは垂れていた身体を起こし、立ち上がった。
「せっかくだから一冊持っていけば。また来ようと思えば来れるだろうけど、気にはなってるんでしょ?」
「、、、気にはなるけど」
「じゃあ一冊持っていって、好きなだけ調べたら。600年経っても誰も入ってこなかったんだもん。この先も入らない可能性高いわよ。それなら、一冊だけでも錬金術師のニーノが持っていた方が、その本を作った人も嬉しいかもよ」
「喜ぶより、怒る可能性の方が高い気がするけどね」
「怒るなら怒ればいいわ。何かが起動するってことでしょ。このままじゃただの時間の無駄よ」
ルカも国王誕生祭前に王宮に行きたいと焦っていたが、リーネも何やら時間を気にしているようだ。
「出ていく方法が他にあるの?」
ニーノが尋ねると、リーネは、ふふふと笑いながら、腰にかかる小袋の中にある透明の玉を手に取った。
「これよ。過去でもどこでも見渡せる、千里眼の玉」
リンドウ帝国唯一の魔法学園。
そこにプレゼントボックスというものがある。
年末に開催される残月祭。そこに設置されるプレゼントボックスは、神のギフトとして、その人に合ったものを1つだけプレゼントしてくれる。
6年前、リーネが婚約者とともに手にいれたのが、この千里眼の玉だった。
「これを頼りにニーノを探して辿り着いたんだもの。これで探せば帰り道もわかるはずよ」
リーネが玉に力を送ると、玉はぼんやりと光りだした。そしてリーネが知らないはずのオルトルーヤ国の王宮を映し出し、それまでの道のりを光で示した。
うん、とリーネは頷く。
「大丈夫そうね。さすが神からのギフト。錬金術師の力にも負けてないわ」
「本当に行く気?」
ニーノは恐る恐るリーネに問う。
「当たり前じゃないの」
ニーノはリーネの婚約者のことも知っている。彼は、随分とリーネに振り回されていた。リーネを愛しているからこそ、振り回されても幸せそうにしていたが、正直、ニーノにはリーネはただの知り合いの知り合いでしかない。たまにニーノの働く酒場にきては、雑談して帰るだけの人。
リーネはニーノを友人と呼んでくれて嬉しかったし、
助けに来てくれたのは感謝しているが、振り回されるのは勘弁して欲しかった。
「ダメならダメで、またここに戻ってくるんでしょ?それならその時にまた、今度こそ白紙の本の秘密を暴けばいいと思うわ」
彼女の肩に乗るマイリントアは「すまんのぉ」と、全く申し訳なく思っていない顔で呟く。
「ワレの主は、退屈なのが我慢できないんじゃ。行き当たりばったりで壁にぶつかるタイプじゃから、悪いが我慢してくれ」
「壁にぶつかったらダメなやつ、、、」
突っ込んだニーノも無視して、リーネはニーノを促した。
「ほら、好きな本を一冊取って。早速出発するわよ」
リーネはイキイキとして支度をしている。
それをルカが制止した。
「待ってくれ。急ぐのはありがたいんだが、私はまだ足が完全には治っていなくて」
「大丈夫よ」
リーネは笑った。
何が大丈夫なのか、とルカが聞く前に、ルカは自分より一回りも二回りも小さいリーネに腰を持たれて、ひょいと軽やかに持ち上げられた。
「ルカ様は私が抱えていくから」
こればかりはルカも心臓が止まるかと思った。
鎧をフル装備している女性が、大人の男一人を片手で担ぐとは。
しかし、そんな状態で長旅できるはずがない。
「ちょっと、そんな冗談は、、、」
ルカがジタバタと暴れてどうにか降りようとすると、仕方ないとばかりに、リーネはルカを更に持ち上げて肩に乗せる。
「なっ!!!」
「暴れると、折れる骨が右足だけじゃなくなるわよ。安心して。私は他の人より少しだけ力が強いから」
「いやいやいや。本当に、私はこんな」
騎士としてのプライド。
男としてのプライド。
そんなものが、ルカの中でぐちゃぐちゃになり、崩れ落ちそうになる。
なんとかそれを阻止しようとルカは抵抗するが、想像以上にリーネの力は強く、鍛えたはずのルカの力でさえびくともしなかった。
洞窟で、リーネが機械の魔物を一刀両断した姿を、嫌でも思い出してしまう。
「、、、、化物、、、、」
呟いたルカの言葉も、リーネは聞かないふりをした。
代わりに、リーネは茶化して声色を変えてみせる。
「ルカ様くらいの身体は小鳥のようなものですよ。何時間抱えようが、全く問題ありません」
ルカがニーノに言った言葉だ。他人に言われると、これほどまでに恥ずかしい。
ルカはリーネの肩に担がれたまま、赤くなっているであろう自分の顔を両手で覆った。
その横でニーノが、くすりと小さく笑ってルカを眺める。赤くなっているルカが、なんとなく可愛く思えていた。




