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崖の下に落ちました。

 そこは、オルトルーヤ国の西に位置する屋敷。

 四大公爵家の一つであるマダヤカス公爵邸。その一室に、同じ年頃の少女が集められていた。

 彼女らの共通点はたった一つ。


 瞳の色が緑色であること。


 彼女らに錬金術師の能力は発揮しなかった。だが、今後発現するかもしれない。

 そういう存在。


 この中から誰かが発現すれば、もれなくマダヤカス家の子息に次期王位が譲られる。だから手離しはしない。

 だが発現しなければ、ただの穀潰し。邪魔な人間でしかない。


 マダヤカス家は腐っても公爵なのでお金に困っているわけではないが、公爵である父の領地の経営がうまくいっておらず、母は無駄遣いが激しい。有り余るお金はなかった。

 その中で、数十人の少女を無駄に育てるのは勿体ない、と考えた。 

 彼らは、少女達を部屋に閉じ込め、最低限の食料と、運動できる最低限の広さの庭だけを与えた。

 

 彼女らがどんな不満を抱こうと関係ない。もし能力が発揮したら、その彼女に催眠をかけて、それまでの嫌な記憶を忘れさせればいい。


 心が壊れても全く関係ないのだ。

 王位さえ渡してくれれば、その少女は、もうただの飾りにしか過ぎないのだから。


「またここに来ていたのか、シャーロット」

 重い扉を開くと、艶のある茶色の髪をロールにしたシャーロットの姿が視界に入った。

 歳は18。花も盛りという時期である妹に、男は声をかけた。

 シャーロットは声のした方を振り返り、強めにつりあがった目を、さらに吊り上げた。

「また、とは失礼ですわよ、マテオお兄様。わたくしはたまにしか来ておりません」


 マテオは、シャーロットに似ている。シャーロットより2つ年上で、同じようなつり目に、茶色い髪を短く切り揃えている公爵令息だ。マテオは、たまにしか来ないといいながら昨日もこの部屋にきて憂さ晴らしをしていた妹に、眉を下げた。

「将来の俺の妻になるかもしれないんだ、あまり虐めないでくれないか」

 シャーロットはホホホと笑った。


「あら、お兄様は本当にここの女達が『あれ』だとお思いですの?ご冗談を。わたくしにはわかりますの。このクズ達は違うと。それならば、このただ飯食い達は、死ぬのを待つだけの人形ですもの。それは可哀想でしょう?だから、わたくしの相手をするという使命を与えてあげているのですよ。むしろ優しさですわ」


「とんだ優しさだな。しかし、いつ能力が発揮するかわからないんだ。何をするにしても見えるところは止めてくれよ?」


「まぁ、この子達は発揮しないとわたくしが言っているのに、お兄様はわたくしの言葉が信じられませんの?ーーーまぁ、わたくしもそこまでバカではありませんわよ。ちゃんと理解しております」

「、、、それならいいが、、、」

 マテオは、シャーロットに八つ当たりされたであろう、まだ12歳前後の少女の腕の袖から、真っ赤な血が流れ落ちているのを見つめる。

 

 見つめるが、マテオもそれ以上は何もしなかった。

 確かにいずれ王妃になるかもしれない存在ではあるが、今はただの平民でしかない。

 全ての少女を庇っていたらキリがなかった。

 この少女達は、このマダヤカス公爵邸に連れてこられて、もう7年になる。はじめはただ監禁されていただけの少女達も、3年目くらいからは邪魔な荷物のように扱われ出した。


 唯一、まだ彼女らを人間扱いをするマテオが優しいのは、ただ、自分が王位に就いたら、その少女を王妃にしなければならないからに過ぎない。

 いずれ洗脳する気ではいるが、心の底から嫌った相手は洗脳できない可能性もある。厄介事は、できるだけなくしたかった。


 だが、もう七年だ。さすがにマテオも、ここの少女達ではないと考え出している。

 目の前で血が流れようと、助ける必要はない相手だ。


 シャーロットは、ふんと鼻を鳴らした。

「、、、それで?どうなさったの?マテオお兄様とあろう人が、こんなところまでいらして」


「新しい『緑色の瞳』の少女が見つかった」


 マテオの言葉に、シャーロットは少し目を見開いた。

「まぁ、もう七年も経つのに、まだいたのですね。どこにいたのですか?その隠れるのが得意なネズミは」


「リンドウ帝国に逃げていたらしい」

「リンドウ帝国に?それがなぜ今頃、見つかったのです?」

「リンドウ帝国と繋がりのある野党が、どうやら人身売買のためにこの国に連れてきたようだ。その中にいた緑色の瞳の女が、流暢にオルトルーヤ語を話したと、騎士団に入っている奴からの情報が入った」


「では、その少女を連れてくればよいだけではありませんか。今さら、あと一人この部屋にネズミが増えようと、構いませんわよ」

「それが最悪なことに、その少女の第一発見者がジャタニールの三男坊だったんだ。その子をあいつが連れていってしまったらしい」


 ジャタニールの三男坊、と聞いて、シャルロットの瞳が輝く。

「まぁ、ルカ様が?彼も騎士団に入られてから、更に男らしさに磨きがかかりましたわよね。きらびやかで素敵だと、社交界でも有名ですのよ。三男坊でなければ、わたくしに相応しい殿方だったと思うだけに、残念ですわ。やはりわたくしに相応しいのは、ベネディクト様だけです」

 聞いて、マテオは呆れる。

「お前はまだジャタニールの長男を狙ってるのか。あいつは無理だと言ってるだろう。あいつは」

 完璧主義だからお前では無理だ、と言おうとして、妹が怒るとろくなことにならないのを思い出し、口を閉じる。それを、シャルロットは別の形で解釈した。

「あの方は王位を授かった時に、その少女と結婚する可能性があるから、まだ結婚はしないと仰るのでしょう?そんなの、わかっていますわ」

 シャルロットは興奮して、頬を赤く染める。

「だからわたくしも、ベネディクト様が緑目の少女を諦めた時にベネディクト様のお側に駆けつけられるよう、他の方と結婚も婚約もせず待っているというのに、あの女達ったら、陰でわたくしのことを行き遅れだの、相手ができないのはわたくしの性格や容姿のせいだなどと、ピーチクパーチクとっ」

 

 シャルロットが唇を噛み締めながら拳を強く握ると、先ほど血を流していた少女とは別の少女が、弾け飛ぶように倒れ込んだ。

 少女は激しい衝撃を受けたのに

焦点の合わない瞳で、叫ぶこともしない。

 もう心は完全に壊れてしまっているのだろう。


 なるほど、とマテオは思う。

 ベネディクトと結婚したいのに、ベネディクトは王位を継ぐ可能性があるから結婚していない。それを待っているつもりのシャーロットは、社交界で周りの令嬢達から嘲笑される存在になりつつある。

 シャーロットはもう18歳。花も盛りの歳ではあるが、高位貴族としてはもう結婚の適齢期を越えている。


「ジャタニールなど、顔だけの男だろう。顔が良い男がいいというのであれば、リンドウ帝国のアラン皇子などどうだ?噂でしか知らないが、相当の美形の上に、婚約者は何年も不在になっている。これも噂でしかないが、その婚約者は、国内でも有名な極悪令嬢だと言うじゃないか。そんな令嬢を今でも待っているアラン皇子なら、性悪なシャーロットでも愛してくれるかもしれんぞ」

「お兄様、今、ひっそりとわたくしの文句を言いましたわね?」

 睨み付けたシャーロットに、はははとマテオは笑う。

「それは冗談だ。冗談だが、冗談ではない。アラン皇子なら、リンドウ帝国の時期皇帝だ。俺がオルトルーヤの王になり、お前がリンドウ帝国の皇后になる。素晴らしいと思わないか」

 ふん、とシャーロットは鼻息を荒くした。

「やはり冗談じゃありませんわ。何が悲しくて、あんな野蛮なリンドウ帝国の皇子なんかと結婚しなければなりませんの?わたくしに相応しいのは、ベネディクト様だけ。ずっとそう言っておりますでしょう?」

「そうか。それは残念だ。良い案だと思ったのに」

「何が良い案ですか。ーーーそれで?そんなことを言いにここまで来たんですの?」


 違う違う、と慌ててマテオは手を振った。


「話がだいぶ脱線してしまったな。そうではなくてだな、ジャタニールの三男坊。あいつが、どうやらその少女をジャタニールの所有者だと公言するために王宮に向かっているらしい。状況から考えて、俺もその少女が王の捜す人物ではないかと思うんだ。だが、王宮についてしまえば、もう俺達には手が出せなくなる。王位がジャタニール家に譲られてしまう」

 考えて、シャーロットは真剣な表情を浮かべた。

「ーーーそれは、確かに大問題ですわね。もしそのネズミがそうだとしたら、ベネディクト様がそのネズミと結婚してしまうことになるというわけですわね?」


 シャーロットは、唯一の兄が王位を継げなくなることよりも、ベネディクトの方が大事らしい。

 マテオの言いたい事とは少し違ったが、結果は一緒だ。

「そういうことだ」

と、マテオは大きく頷いた。


「でも、どうしますの?ルカ様は、エリート騎士の中でも優秀なのでしょう?うちの手練れ達でもルカ様には勝てないのでは」

「そこだよ、シャーロット。そうなんだ。だから俺がこうやってシャーロットに頼みに来たんだ」

 マテオはジトリとシャーロットに睨まれる。

「話が遠回り過ぎますわ、お兄様。相手に伝えたいことはもっと、簡潔にわかりやすく言うべきでは」

「そんなのはわかっている。脱線させたのはお前だろう、シャーロット」

「わたくしがいつ、、、」

 かぁっとシャーロットが叫ぼうとして、マテオがそれを面倒くさそうに断ち切った。

「あぁ、もういい。とりあえず、ルカ達は王宮に行くために、あの空中橋を越えていくらしい。早く王宮に行きたかったんだろうが、失敗したな。あそこで落石に遭うとは、考えもしなかったようだ」


 それを聞いて、シャーロットは少し黙る。


「、、、でもお兄様?そうしたら、緑目の女は死んでしまうのでは」

「死んだら、そいつは『錬金術師』ではなかったというだけだ。あそこには古代遺跡が未だに眠っているという。その子が本物であるなら、生き延びるだろう。それよりもルカだ。あいつはあそこで死んでもらう。そして少女が生き残れば、その隙をみて、俺達がその少女を奪えばいい」


 ニヤリと笑ったマテオに、シャーロットは少し不憫そうな表情を浮かべた。

「見目麗しい方を殺すのは、あまり気が進まないのですけどもね。、、、、でもベネディクト様を得るためには、仕方ありませんわね」

 その代わり、とシャーロットは追加する。

「お兄様が王位を手に入れたら、その王権を使って、ベネディクト様とわたくしを結婚させてくださいませ。王位を得ることがないと分かれば、ベネディクト様も諦めて結婚なさるでしょうし」

「わかった、わかった。そうしてやる」 

 マテオは口約束だけのつもりで簡単に了解する。

 例え王権を手に入れられなくても、完璧主義のベネディクトが、欠陥だらけのシャーロットを嫁にするとは思えないけれど。


 シャーロットは、兄の言葉を信じて、にこりと笑った。細いつり目が笑うと、キツネのような顔になる。

 兄としては、それはそれで可愛い顔だとは思う。


「お任せくださいませ。お兄様」

 シャーロットは、自分の手をまた強く握りしめた。また別の少女が衝撃を受けて床に倒れ込んだ。


 シャーロットは、魔法は使えない。

 だが、この国にしか現れない『精巧師』の一人だった。


 何もないところから金属は作れないが、目の前にある金属は手を使わずに加工できる。作ったり爆発させたり。物さえあれば細工方法は思うままだ。

 つまり、土のあるところで岩を作るのは朝飯前だった。

「ルカ様達の馬車の上に、わたくしが岩を落とせばいいのでしょう?」

「そういうことだ」

 マテオは満足そうに頷いた。



✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️


 空中橋と呼ばれる、高く聳え立つ山と山を繋ぐ橋を越えたところで、奥の山の上から大小の石や岩が落ちてきた。この山で落石があったという話は全く聞かないというのに。

 だが急な落石により、馬が暴れて馬車が崖から落ちた。落ちた先の地面は、かなり遠く、そして森に包まれていて全く見えない。

 何十メートルという高さから転落したのだから、普通なら即死に違いない。

 だが、ニーノ達は奇跡的に生きていた。


 凶悪な魔物がいるとされる森は、人が入らないがために太く高く木が聳え、その木が密集したところに馬車が突っ込んだ。

 いくつもの太い枝を折りながら、勢いよく落ちた馬車のスピードは、徐々に木々に奪われていく。

 ニーノは落下によって受ける圧で気を失っていた。そんなニーノをルカは支えたまま、最後の木の枝がなくなったタイミングを見計らって、馬車からニーノごと飛び降りた。


 飛び降りた高さは約3メートル。

 下の地面が、湿気で緩んだ軟らかい土だったとしても、その衝撃は防ぎきれなかった。

 ニーノを庇うように抱えたまま背中から着地したが、踏ん張ったルカの右足に、激痛が走る。

 ルカはそれでも片足を引きずりながら、ニーノを抱えてその場から離れた。


 ここには最高の技術を持つ古代文明時代の人達でさえ、山の頂上を通る道を選択するほどの凶悪な魔物が住んでいる森だ。

 馬車が落ちた衝撃で、馬車が破壊された。きっと凶悪な魔物はその音を聞き付けただろう。


 縄張り意識の高い魔物だという。

 少しでもこの場所から逃げなくては。


 ルカはニーノを背負って必死で歩く。

 間違いなく右足の骨が折れている。しかし、そんなことはどうでも良かった。

 ニーノは錬金術師かもしれない。いや、きっとそうに違いない。

 その少女を、ここで死なすわけにはいかなかった。


 ルカは尋常でない汗をかきながら、意識のないニーノを運ぶ。意識を手離した人間は、とにかく重い。

 ニーノを背負ってはいるが、ニーノを落とせないので身体を前傾にする。その体勢がまた、足だけではない部分に痛みをもたらせた。

 それでもルカは必死に歩いた。

 それはただ、錬金術師を守る騎士としての『使命感』だった。



✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️



 ニーノが目を覚ました時、ニーノの視界に入ってきたのは、血の気が失せて土色になった顔のルカだった。


 そこは、小さな小屋一つ程度の洞窟の中。

 ルカは壁に背を預けて、自分の膝にニーノの頭を置いていた。


 目の前にルカの顔があって、ニーノは慌てて身体を起こす。


 襲ってくる眠気を覚ますために、ルカの身体には自ら傷つけたと思われるものが数ヶ所できていた。

 ただでさえ馬車から落ちた時の傷が生々しいというのに。


 それなのに、ルカはニーノが目を覚ますと、ニコリと優しく微笑んだ。こんなに身体はボロボロなのに、紺色の切れ長の瞳だけは変わらず綺麗で。

「良かった。目を覚まされましたか。身体は?どこか痛いところはありますか?」


 ルカの身体の傷、その皮膚の色。そして泥だらけの白い隊服。それらから、ニーノはすぐにその状況を察する。

 そして一瞬にしてニーノに沸き上がったのは、怒りの感情だった。

 今までずっと、我慢していたけど。


「っっっこのバカっ!何やってんのよっ!?」

 ニーノは相手の立場がどういうものであるかということも忘れ、ルカに怒鳴り付けた。

 元々ニーノは、人に敬語を使わない。

 そういう風に、酒場のオーナーであるエルザと約束した。オルトルーヤでは頑張って敬語を使っていたけど。

 堪忍袋の緒が切れた。


 ルカもいきなり少女に怒鳴られて、びっくりした顔をしてみせる。

「、、、、バカ、、、、ですか」


「ルカ様は公爵令息様でしょう。そんな人が私を助けるためにこんな姿になるなんて、本当にバカよ。大バカよ。死ぬほどバカ。ほんとバカ」


 言われて、ルカは困った顔をする。

「バカと言われたのは初めてですね。しかもそんなに沢山。一生分のバカという言葉を貰ったようです」

 ニーノはじわりと涙を目頭に溜める。

「もっと言ってやるわ、バカ。もう、ほんとバカ」

 ニーノがいい続けると、ルカは首を傾げて、

「さすがにもうそのくらいで、、、」

と呟いた。


 ニーノは立ち上がる。ルカの腰にある短剣を引き抜いて、血の滲んだ足を出すように白い隊服を短剣で切り裂いた。


「ちょ、ニーノさん、何を」

「いいから黙って」

 ニーノはピシャリとルカの言葉を止める。


 足を見る限り、骨が肉からはみ出してはいない。

 ニーノはホッと胸を撫で下ろした。

「ルカ様。あなた、思ったよりもちゃんと鍛えてるのね。筋肉が骨を守ってくれていたみたい。しっかりと折れてはいるけどね」


 そしてニーノは、自分の袖をまくりあげる。

「ちょっと痛むわよ」

 おもむろにニーノはルカの折れた足を、爪先側に引っ張った。ルカの足にまた激痛が走り、ルカは悲鳴をあげそうになるのを無理やり堪えた。

「、、、、っ!!!!」

 美形は顔を潰すようにしかめても、やはり綺麗に見える。ニーノはルカの顔色を確認して、ひっぱった足を優しく触った。

「、、、うん。大丈夫。ちゃんと嵌まったみたい」


 そして手に持っている短剣を足に添える。

「ちょうどいいあて木が見つかるまで、しばらくこれで我慢してて」

 ニーノは自分が着ていた服を一枚脱いで、それを細長く引き裂く。そして鞘をつけた短剣をルカの足に沿わせたまま、くるくるとその細長く裂いた布を巻いた。


 ルカはニーノの手際の良さに、呆然として見つめる。

「ニーノさん、、、貴女、、、」

「私が住んでいたところには、医者なんていないのよ。聖魔法を使える人も少ないし。だから、民間療法はそこそこ覚えたの」

 

 ニーノは骨折の対処をしただけでなく、ルカのどす黒い顔色をみて、まだルカの身体をあちこち探る。服の中を覗かれて、ルカは少しだけ顔を赤くしながら、慌てて止めた。

「ちょっと、ちょっとニーノさんっ、」

「あった。ここね」

 ニーノはルカの声など気にもせず、隊服の上着をはだけさせ、背中を覗き見た。そして自分の考えが正しいことを自分で納得する。


「いくらなんでも、少し血が出たくらいでそんな血の気が引いた顔になるとは思えなかったのよ。解放骨折ならともかく。折れた足の内出血具合もそこまで酷くないし」

 ニーノはブツブツと何かを言っている。

 怪我をした時の応急処置などは騎士の教育で学んだが、骨折の対処方法や、医学的な知識などは高位貴族のルカにはない。そういう時のために医療班が傍につく。


「ルカ様に貰ったマジックバッグが、こんなところで役に立ったわね」

 ニーノは懐に直していたマジックバッグを取り出す。

 ルカは死にそうな顔のくせに、「またそこに直してたんですか」と優しく突っ込みをいれる。


 ニーノは、買い出しのためのお金を身体に巻き付けていた。盗難予防の癖が身に付いている。

「ここが一番安全なのよ」

とニーノは言って、マジックバッグに手を突っ込んだ。

 防水加工された布に入っている水袋を、大量に取り出す。


「馬車から地面に出てた時に、足と背中から落ちたでしょう」

 ルカはぎょっとした。確かにそうだった。

 ニーノを抱き抱えていたから、ニーノが飛んで怪我をしないように、背中をつけると同時に右足で踏ん張った。しかしニーノは気絶していたはずだ。なぜわかるのだろう。

 

「ヒライル虫よ。落ちたその時にヒライル虫に入られたのね。背中に穴が空いて、そこを巣食われてる。ヒライル虫が巣食うと、あっという間に繁殖して血を吸われて死ぬわ。そうね、あと二時間ってところかしら」

 とんでもないことをニーノは淡々と話した。


「二時間、、、ですか?私の命は」

 確かに身体の重くなる速さから、死を感じてはいたが、そんなに早いのかとルカは呆然と呟く。


 ニーノは珍しく、口端を上げてルカに微笑んだ。

「大丈夫よ。ここに綺麗な水があるから」

「水?」


 詳しい説明もなく、ニーノは一度、自分の口に水を含み、うがいをして吐き出した。

 そしてもう一度、その綺麗な水を口に含むと、ルカの背中に口をつけた。


 これは流石にルカも顔を真っ赤にする。足が動けないから飛び退けないが、動けたら慌てて逃げ出している。


「な、な、な、何をっ」

 ニーノは強くルカの背中を吸い付くと、口に入れた水ごと吐き出した。吐いた水の中に赤くて丸々とした小さな虫が無数と動いて見える。ルカは言葉を失う。

 ニーノは慌てているルカを睨み付けた。

「少しじっとしてて。これは時間との勝負なの」

 ルカはニーノの圧に押し負けて、ごくりと唾を飲み込んだ。

「、、、、はい」

とだけ返事をする。


 ニーノは、口に水を含み背中を吸うということを繰り返した。遭難した以上、水は貴重だというのに、ニーノは容赦なく綺麗な水を使っていく。


 吐き出した水から赤い虫がいなくなり、透明になったところで、ニーノは最後にもう一度、自分のうがいをしてか。ようやく口を開いた。


「助かったわね。ヒライル虫は、綺麗な水に弱いの。綺麗な水が当たると、自分を守るために仮死状態になるのよ。だから、口の中に水を入れた状態で吸い出さないと、今度は私が巣食われてしまう」


 水を吐き出した時にまだヒライル虫が口にいたら、ニーノもヒライル虫の餌食になってしまうということになる。だから、ニーノは会話もしないほど急いでルカのヒライル虫除去の作業に当たったのだ。


「、、、なんて無茶なことを」

 呟いたルカの声に、僅かに怒りが込められていた。

 常に愛想を振り撒いていたルカのその声は、むしろニーノには好意的に思えた。


「ルカ様が死ぬよりマシよ。ここは凶暴な魔物がいる森なんでしょ?私は嫌よ、こんなところに一人で彷徨って死ぬのは。ルカ様がちゃんと私を守ってくれないと」


 ルカは動揺する。

「いや、でも、私のこの足では、、、」

 ニーノは目を細めた。

「大丈夫よ。マジックバッグに一週間分の食糧はあるから。落ち着いたら、私が松葉杖を作ってあげる。私、意外とそういうの得意なのよ?それに行き道もどうにかなるわ。あんな高い橋や道を渡るより、ずっとこっちの方がいいわ」


 ニーノは逞しく笑う。


 馬車の中とはまるで違う、生き生きとしたニーノの姿に、ルカはほんの少しだけ心が軽くなった。


 そうか、これが本当のニーノの姿なのだろう、とルカは思う。

 綺麗な服を着させるより。

 お洒落なアクセサリーで飾るより。

 自然の中で明るく輝く、逞しい少女。

 それがニーノなのだろう。


 そして、ルカはそんなニーノをカッコいいと思った。

 


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