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仕入れをしたかっただけです。

「私と一緒に、行きませんか?」


 自分に伸ばされた手を、まだ幼さの残る少女ニーノはじっと見つめた。目の前にいる男は、隣の国の騎士の格好をしている。

 男性だというのに、女性と見紛うばかりの美しい姿をしている。そこから伸びる手は、自分の汚れた手とはまるで違う。

 この男は自分で自分の食べたあとの食器など、洗ったことはないだろう。洗濯は勿論のこと、自分が汚した床を掃除することさえ、考えたこともないかもしれない。


 そんな綺麗な手を、本当に握っていいものなのだろうか。ニーノはちらりとその男を見上げる。


 鮮やかな紺色の髪は長く、後ろで括ってから前に垂らしている青年。多分、20歳前くらいだろう。

 髪と同じ、深い紺色の瞳はアーモンドのように切れ長で、わずかに端のあがった口元は優雅でもある。 

 

 ニーノは、その手を押し退けるようにして、冷たく言った。

「ーーー必要ありません。私は人を待たせているので」

 

 手を払い除けられても男は嫌な顔一つせず、優しい瞳のままで首を傾げた。

「こんな場所で待ち合わせですか?」


 ニーノは苦笑するしかなかった。



✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️


 ニーノは小さい頃から、人の寄り付かない獣人の住む町の酒場で働いていた。それからもう7年の月日が流れる。今では調理場にも足を運ぶようになり、仕入れも任されるようになった。

 その日はお店の買い出しで、遠くの村に来ていた。王都から南に進んだところにある、隣の国と一番近い村。良質なオリーブ油が有名で、値は張るが今の働く店の名物である料理には、この油でないと思うような味が出ない。輸送の金額を考えると、直接買い付けた方が何倍も安いのでニーノは丸一日かけてここまでやってきたのだが。


 そこに山賊が攻めいってきた。

 村の奥にある倉庫の方に案内されていたニーノは、その襲撃を倉庫の空気を通す穴から眺めていた。

 逃げ惑う村人を助けに行けるほどの戦闘力は、ニーノにはない。

 ごめんなさい、と思いながら身体を震わせていたら、とうとうニーノのいる倉庫にまで山賊達はやってきた。

 倉庫の木造の扉を勢いよく開けて、男達が倉庫に押し寄せた。

「持ち出せるだけ油を持ち出せ。抵抗する村人は殺して構わん」

 リーダーであるらしい、毛むくじゃらの屈強そうな男が、下っ端達に指示する。山賊達は貧しい人達が着るような薄い服を身に纏っていた。ボロボロで、服はあちこち破れている。持っている剣も、たいして価値のあるような剣ではなかった。そこまで強い山賊ではないのかもしれない。


「そこに女がいるぞ」

 ニーノは油の入った袋の山の後ろに隠れていたが、見つけられてしまった。

 逃げようとしたが、あっという間に手を掴まれて、袋の山の後ろから引きずり出される。


「ふぅん」

と、山賊のリーダーらしき男が、床に押し付けられたニーノを上から値踏みするように眺めた。

 赤みがかった茶色の髪に、珍しい深緑の瞳。整った顔立ちもしている。

「まだ小さいが、悪くはないな。今からしつけておけば良い金になるかもしれん。ーーーいや、むしろ、このくらいの年の娘を好む貴族に売り付けるのも、ありだな」


 ニーノはまだ12歳。

 そんな人間を好む男に売られた末路は、言わずともわかる。

 ぞっとしてニーノは床に這いつくばったまま後退りした。ーーーいや、しようとしたら、激しく蹴られた。

 下っ端の男に押さえられていたにも関わらず、蹴られたその勢いでニーノは身体が1メートルほど飛ばされた。蹴られた場所の衝撃に加えて、落ちた時に床に打ち付けられて、全身が激しく痛む。

 山賊のリーダーが、苦痛に顔を歪めるニーノの顎を掴んで、ぐいっと上に持ち上げた。

「逃げれるなんて思うなよ」

 汚く笑う男をニーノは強く見つめた。

 

 泣いてしまいたかったけど、泣きたくなかった。すごく怖かったけど、怖がるところを見せたくなかった。

 弱いところを見せたら、そこにつけこまれる。いつでも冷静でいないと生きていけない。それがニーノの知識の基本であり全て。


 そして。

 自分を強いと思い込んでいないと、今まで1人で頑張って生きてきたことが足元から崩れそうで。


 そんなニーノを見て、リーダーの男は鼻で笑う。

「お前は泣かないんだな。賢い女は好きだぜ。五月蝿く泣き叫ばれると、殺したくなるからな」

 男が顔を近づけて、臭い息がニーノの顔にかかる。

「ーーー連れていけ」

 ドンと撥ね付けられ、ニーノはまた床に転がった。下っ端の男がニーノに近寄り、肩より少し越えるくらいの長さの赤みがかったニーノの茶色の髪を横から強く引っ張って引きずった。

「おら、こっちだ。さっさと歩け」

 

 ニーノは手足を縄で縛られた。風が吹けば壊れそうな荷馬車にニーノは荷物と一緒に乗せられて、どこかへ連れていかれる。

 ニーノと同じように捕らえられた若い女が数人、一緒の馬車に乗っている。彼女達は恐ろしさに声をあげることもできず、しくしくと泣き続けていた。


 荷馬車には馭者以外は乗っていない。手足を縛っているから逃げることはできないと思っているのだろう。

 実際、食い込むように強く縛られて、とても逃げられそうになかった。


 ニーノは、そっとその女達の1人、ニーノに一番、歳が近そうなショートヘアの少女に話しかける。

「ーーーどこに行くのかしら。隙を見つけて、どうにか逃げたいんだけど」

 少女からの返事はない。少女はただ泣き続けていた。

 ふぅとニーノはため息をつく。

 到着してしまえば、きっとどこかに幽閉されるか、売られて逃げられなくなる。

 チャンスはこの馬車にいる時だけだろう。

 1人ではどうしようもないが、何人かで力を合わせればもしかしたら逃げる方法が見つかるかもしれない。そう思ったけれど、協力は簡単には得られそうになかった。

 こうなれば逃亡の手伝いがなくて1人だけでも、どうにか逃げる方法を探さなければ。


 ニーノが馬車の中を見渡していると、別の女が低い声で話しかけてきた。

「あんた、そんなにキョロキョロして、逃げる方法でも考えてるんじゃないでしょうね。無駄よ。あいつらを怒らせるだけだから、余計なことをしないで」

 見ると、女は顔を大きく腫らしている。叩かれたのだろうか。顔半分が内出血で青くなっていた。

 恐怖を植えつけられて、逃げる気力さえ奪われている。


 ニーノは口を歪めた。

 一人で逃げようかと思っていたが、自分が逃げたら残った人が更に酷い目に遭う。自分の命が一番大切だけど、だからといって、目の前の人達が苦しむのがわかって逃げられるほど、薄情な性格でもない。


 それを避けるにはこの目の前の人達と一緒に逃げるしかないが、それをするにはここにいる人達の心は折れてしまっている。


 どうしたものかと考えていると、荷馬車が停止した。沢山の人がいるところに出たようだ。人のざわめきが聞こえる。


 しばらくするとまた荷馬車が動き始める。

 

 荷馬車は更に強く揺れ始めた。重い荷物を抱えているのでかなりゆっくり動いているのに、あまりに揺れ動くから、具合も悪くなってきた。先ほど男に蹴られた場所が、動く度に激しく痛んだ。骨がどうかなっているかもしれない。


 はぁ、とニーノは、何度ついたかわからないため息をもう一度つく。

 

 仕入れの荷物を持って帰らないと、酒場の料理が提供できなくて困るだろう。自分がいないとフロアを回すこともできないかもしれない。

 帰らないと、心配もされてしまう。特に心配性な男が1人いる。保護者ではあるが、血の繋がりはない。頼んでもいないのに、なぜか親のように関わってくる人。

 自分がいないことを知ったら、何をしでかすかわからない。


 ーーーー帰らなければ。


 そう思うのに、縛られた手足は動かず、身体はわずかに曲げるだけで激痛が走るようになってきた。

 

 でも。ーーー帰らなければ。


 剣術など知らない。

 魔法なんて使えるはずもない。

 

 それでも、命を諦めることだけはしたくなかった。


 

 ドンドン、という音が聞こえた。何かが爆ぜるような音だった。同時に荷馬車がぐらりと大きく揺れる。

 荷馬車は止まり、荷馬車の端の方から炎が上がった。

 荷馬車の中身はオリーブ油が敷き詰められている。炎が油に燃え移り、勢いづいて大きくなっていく。

 捕らわれた女達が傍で燃え上がる炎に悲鳴をあげた。

 

 狭い荷馬車の中。炎からの熱は炎に触れてもいないのに焼けつくように熱い。

 手足を縛られながらも炎から逃げようと蠢く女達を尻目に、ニーノは女達とは反対に、炎の方に向かって這っていった。

「何をしてるの、あんた」

 さっき、余計なことをしないでと言った女が、目を見開いてニーノを見る。

 ニーノは炎に近づいて、自分の縛られた両腕を炎の上に差し込んだ。

「っぁっっ!!!」

 掌自体は少し炎から離しているとはいえ、焼けつく腕は想像以上に熱く、苦痛に顔を歪める。ニーノはその腕をくくりつけたロープが燃えて切れるまで待とうとしたが、我慢できずに炎から腕を離した。

 

 わずかにロープが焦げて切れ目ができている。そこを壁の角に押し当てて擦った。一緒に焼けた腕も擦れて激痛が走るが、多分、死ぬよりは痛くない。そう自分に言い聞かせて、ニーノはロープを擦り続けた。

 それでもロープは1/3くらいしか切れず、ニーノはまた炎の上に腕を差し込む。

 見ていた女の方が、見ていられずに悲鳴のように叫んだ。

「っもう止めなさいよっ!!そんなことをしても無駄でしょ!」

「無駄じゃないわ」

 ニーノは、苦しそうにしながらも、落ち着いた声で答えた。

「こんなことで私は諦めないわ。こんなことくらいで諦めていたら、私の命はとっくの昔になくなってる」


 7年前。

 まだ5歳だったニーノ。今でも思い出せるのは、腐ったゴミの中に生きたまま捨てられた自分。スラムの中でも、人が避けて入らないほど酷い場所にニーノは捨てられた。

 それ以降、ニーノは沢山の地獄を見てきた。

 今の保護者である男に拾われるまでは、自分がなぜ生きているのかもわからなかった。ただ、死にたくない、その思いだけがニーノを生かした。

 身体中に傷がある。

 全て5歳までについた傷だ。 


「ーーーあの頃に比べたら、こんなこと。どうってことないわ」

 焼いては擦り、焼いては擦ると、とうとうロープが千切れた。

「!!!やったわ!!」

 ニーノは歓喜に笑みを作り、ほら見たことかと、さっきの女を振り返ったら、女は炎の煙にやられたのか倒れていた。その人だけでなく、他の人も倒れている。

 ニーノは腕は自由になったが、足はまだロープに括られている。足のロープも焼こうかと考えて、首を小さく振った。

 ここで足が焼けたら、動けずに荷馬車と一緒に身体が燃えてしまう。腕が自由になったのだから、どこかで刃物を見つけてロープを切るのが正解だろう。

 ニーノは自分も煙にやられないように口を布で覆って、縛られた足を重い荷物のように引きずりながら荷馬車の中を這って進んだ。

「、、、どこかに刃物が、、、」


 あるはずだ。さっきの村であれだけの人間を襲ったのだ。何かあった時のために馭者用にも、武器がどこかにあるはず。

 

 焼けて擦れた腕から血が溢れだした。そのまま這うと、荷馬車の床にニーノの血を塗るようにラインができた。

 気にせずニーノは刃物を探す。

 刃物なら何でもいい。でもできるなら、まだ小さな身体のニーノが使えるような、小さな刃物が有り難い。

 そう思った時。


 さっきまでなかったはずの場所に、小さなナイフが落ちていた。


「え」

 ニーノは小さく呟く。

 それはニーノが望んでいたものだった。

 誰かが置いてくれたかのような場所に望んだものがあったが、周りを見渡しても、燃えあがる荷馬車には倒れた人達しかいない。


 たまたま何かの拍子にナイフが転がってきただけだろうか。

 よくわからないが、深く考えている時間はない。


 ニーノはそのナイフを手に取り、必死に自分の足を縛るロープをナイフで切った。意外と鋭いナイフで、ニーノの力でもロープは簡単に切れた。

 

 とうとう自由に動けるようになった。

 しかし煙を吸った身体は思った以上に傷んでいた。立とうとしたがふらつき足が縺れる。

 一度足が縺れて転び、再び起き上がって、荷馬車の上に開いている窓から外を眺めた。

 外には森が広がっている。

 荷馬車はあれからずっと止まっている。さすがに炎に包まれた荷馬車を動かそうとはしないだろうが、かといって荷馬車の中にあるものを取りに来る気配もない。

 何者かに襲撃されたのかとも思ったが、それならばやはり荷馬車の荷物は出しにくるだろう。


 何かがあった事には間違いないだろうが。


 ニーノは窓から逃げ出すために身体を乗り上げようとして、ゆるりと振り返った。炎が燃え広がる荷馬車の中には女達が数人倒れている。

 結局、ニーノは気絶している女に近寄った。

 この身体では全ての人を助けることはできない。

 でも、近くにいる人くらいはせめて。

 これでも長く酒場で働いてきたニーノは、重い荷物ならそこそこ担げるようになった。

 ニーノよりも少し年上くらいの女なら、頑張れば持ち上げることくらいならできた。

 

 ニーノはできる限りの力で女を持ち上げ、窓から女を落とす。森の中なので、地面に落ちても死ぬことはないだろう。

 女を二人落としたところで、火の勢いが増してそれ以上は助けることができず、ニーノは自分も窓によじ登って必死に飛び降りた。

 体力はもう残り少なく、転がるように着地する。

 荷馬車は燃え上がり、黒い煙を森の中に吐き出していた。

 ニーノが落ちた地面は少し坂になっていて、ニーノはそのままコロコロと転がって勢いに乗る。

 1メートルほど転がったところでニーノが地面に寝たまま顔だけをあげると、目の前に、荷馬車を引いていたであろう馭者の死体があった。

 ニーノはぎょっとしてその男の死体を見つめる。

 背中に矢が刺さっていた。やはり襲撃されたのか。


 気配に注意しながら、ニーノは辺りを見渡す。すると、何人かの男があちこちに倒れているのが見えた。多分、皆、事切れている。ぴくりとも動く人はいなかった。


 荷馬車の中にいて、爆発の音は聞いても、人の声は聞こえなかった。襲撃する人の声も、ーーー殺される人の声も。


 よほどの腕前。

 暗殺のプロの仕業かもしれない。


 ニーノが不安に潰されそうになりながらも息を殺していると、奥の方からがさりと物音が聞こえた。

「ルカ様。こちらです」

 男の声と、さらに奥から人の気配が数名近づいてくる。

「最近、国境を許可なく行き来しているという山賊のもので間違いないか」 

「送られてきた情報と一致します」

「そうか」


 その声は、ニーノの転がった姿を確認して、一度、止まった。

「ーーー女がいるな」

 呟くようにルカと呼ばれた男が言うと、他の男達は警戒し構えた。それを手で制し、ルカという男が顔だけをあげたニーノに近づいた。

「まだ少女じゃないか。両腕の火傷が酷い」

 ルカはすぐ側で燃え上がる荷馬車を眺めた。そして荷馬車の横に気絶したまま落とされている女2人も視界に入れた。

「連れてこられたのか」

 ニーノはルカと視線が合う。

 紺の、手入れされた長い髪を1つに束ね、肩から流している。背が高く、痩身ではあるがひ弱なイメージはない。凛としていて顔の造りが整っていた。その真ん中にある2つの瞳の色も深い紺色。


 その男が着ている服を見たことがあった。

 丈夫で質の良い白を基調とした隊服は、隣の国の騎士団のもの。ここら辺の国ではリンドウ帝国に次ぐ大きさのオルトルーヤ国。

 特殊な魔道具に加えて、繊細な工芸品が有名で、リンドウ帝国とオルトルーヤ国は友好国ではないが、特産物のやり取りがないわけではない。


 それでも、敵国とも呼べるその国との関係は、孤児であるニーノでさえ理解している。

 リンドウ帝国国民というだけで、ここで虐殺されてもおかしくなかった。


 幸い、ニーノはリンドウ帝国国民であるという証拠はなく、更にありがたいことに、理由あってニーノはオルトルーヤ国の言葉を、片言だが使うことができる。

 

 ニーノはあえて、オルトルーヤ語を使って話した。

 オルトルーヤ語は独特で、地元の人でさえ習得するのは難しいと聞く。

 他国の人間がオルトルーヤ語を話せるとは思われないだろう。

『、、、買い物をしていて、襲われました』


 ニーノの言葉に、ルカははっとして、ニーノを真顔で見下ろす。

「君は、、、オルトルーヤの子だったのですね」 

 それにニーノは頷かない。下手に話して根掘り葉掘り聞かれたら、ぼろがでそうだった。

 オルトルーヤ語が話せる。与える情報はそれだけで充分なはずだ。


 ニーノは燃える荷馬車の下に倒れている娘二人を指差した。

『騎士様。彼女達は、国の出は違いますが被害者です。助けてあげてください』


 目の前にいる騎士以外にも、奥から人の気配がする。ニーノでさえわかるこの気配に騎士達が警戒していないということは多分、騎士団の関係者だろう。

 それだけの数の人間が、国境を越えてくることはあり得ない。あるとすれば戦の時だろうが、それにしてはこの騎士達の様子は落ち着いている。


 国境を越えたのは、自分達なのだろうとニーノは理解した。

 彼女達は気絶するほど煙を吸っている。早めの治療が必要だろう。相手が敵国の人間である以上、賭けではあるが。

 この人達が悪い人間であるならば、むしろ野垂れ死んだ方がマシだったと言われるかもしれない。

 それでもニーノに、あの二人を担いで逃げれる力も体力もない。どうせあの二人はこの騎士達に保護されるだろう。それならば、『ただのリンドウ帝国国民』であるよりは、『オルトルーヤ国関係者のリンドウ帝国国民』の方が対応がマシになる可能性を信じるしかなかった。


 ルカは、ニーノの言葉に、きょとんとしてみせた。

「君にも助けは必要でしょう」

 言われて、ニーノは自分の負傷具合を確認する。

 焼け焦げた両腕。縛られて食い込み擦り切れた両足首。地面を這って汚れまくった上に、荷馬車での炎の熱で吹き出した汗まみれの身体。眩暈がするのは、煙だけでなく脱水状態になっているからかもしれない。蹴られて痛むあばら骨は、折れているかもしれない。


 それでも。


 ここはまだ国境近くのはず。

 もし保護されて、これより国境から離されたら、12歳のニーノでは戻れないかもしれない。そうなるとリンドウ帝国に帰る機会をなくしてしまうかもしれない。

 酒場の皆が待っている。

 保護者の彼も心配させてしまう。


 ニーノは首を振った。

 言葉を世界共通のものに戻し、ニーノはルカを見上げる。

「私は大丈夫です」

 ルカはニーノの言葉に、わずかに眉を寄せる。そんなこと、と呟いた。

「あっちの二人よりも君の方が小さい。まだ子供の君を残していくなんて、できるはずがない。それは小さな子供を見殺しにすることであり、騎士道に反する」


 そして、ルカはニーノに手を伸ばした。

「あちらの彼女らも含めて、身の安全は保障します。私と一緒に、行きませんか?」

 ルカの深い紺色の瞳がニーノを優しく捉える。 

 しかしニーノは、その手を押し退けるようにして、冷静な声で言った。

「ーーー必要ありません。人を待たせているので」


 ここで人を待っているわけではないけれど。

 騎士達に連れていかれるわけにはいかないと、ニーノはルカの誘いを断った。


 騎士とは、貴族の優秀な人がなれる、国民の憧れの存在。そんな人が、一般の貧しそうな少女から手を払い除けられても嫌な顔一つせず、優しい瞳のままで首を傾げた。


「こんな場所で待ち合わせですか?」


 隣国の、どことも知れぬ森の中。

 確かに、ここで待ち合わせとは誰も考えないだろう。燃える荷馬車に倒れた女達。殺された馭者。その他の山賊の死体の数々。

 どう考えても、待ち合わせする状況ではない。


 ニーノは苦笑するしかなかった。


「、、、ここではありませんが、人を待たせているんです。親切にしていただけるのは有り難いですが、貴方達に保護されるわけにはいきません」

 ルカはにこりと笑う。

「そうですか。事情がおありなのですね。しかし、私も折れるつもりはありません」

 それを聞いて、ニーノは訝しげにルカを見上げた。

「っそんな」

「では、こうしませんか。君のその腕を治療して、体力が回復したら、また君をここに連れてきましょう。いや、君が望む場所まで連れていってもいい。ーーーいかがですか?」

 

 望む場所まで連れていってくれる。

 それが本当であれば、願ってもない申し出だけど。


 見知らぬ人間に対して、その待遇は、あまりにも都合が良すぎて、かえって不信感が沸き上がった。

 親切の程度を越えている。

 ニーノは、もう一度、首を振った。

「ーーーいえ、それでも私は」

 パン、と手を鳴らす音が響いた。

 

「強情な人ですね。じゃあ仕方ありません。無理にでも連れていかせて戴きます」

「なにを」


 ルカの部下であろう騎士がニーノの後ろからニーノを抱えて、もう一人がニーノの左腕を脇に挟んだ。後ろから抱えた騎士がニーノを後ろから抱えるのを離し、右側の手を自分の脇に抱える。

 ルカから地図のようなものを渡されると、その男達は地図の端と端を持って、二つに破った。


 ニーノは、それが何か知っている。

 これは転移の魔道具。

 行きたい場所に転移させる、魔法の効果を秘めた道具だ。破るとそれが発動する。


 止めて。

 ニーノがそう言う前に、ニーノの身体は、両手を固めた騎士達と共にその場から姿を消した。


 森の中に残ったルカは、紫の瞳を緩めて、申し訳なさそうに眉を下げる。

「ーーーすみませんね」


 その言葉は、まだ燃え上がり続ける荷馬車の炎の音に混じって消えていった。

 

 

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